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ENCOUNTER  作者: 雑兵
3/7

Still in the dark

 百メートルほども走っただろうか。薄暗い通路を一心不乱に駆け回り、ようやく浩太が立ち止った。

 それを見て、自分も走るのをやめる。というか、心臓と足がもう限界だった。額から汗が地面にポタポタ落ちる。心臓は早鐘を打っており、口は酸素を求めてあえいでいた。足の筋肉は乳酸がたまりにたまってパンパンに膨れ上がっている。思わず腰を落としそうになるのを、膝に手をついてふんばる。

 ここはメンテナンス用に設けられたエリアだ。地下街内では外周部にあたる。壁はむき出しのコンクリートで、塗装などはされていない。壁や天井には、配管や電線、コードの類が縦横無尽に走っていた。非常灯がゆっくりと明滅し、周囲に弱い光を投げかけている。

 天井のダクトから焦げ臭いにおいがするのに気づいた。空気の流れもない、空調が止まっているらしい。徐々に周囲の気温が上がっているのが肌で感じられた。

「……なんだよあれはよ、なんなんだよ!」

 浩太が血走った目をしてわめき散らす。

「人間が目の前で……ありえねえよ、こんなの」

 浩太が涙声で髪をかきあげる。

 女子二人は真っ青を通り越し、白くなった顔でうつむいていた。香織は両手を顔につけ、小刻みに肩を震わせていた。唯もわずかに震えていたが、気丈にも香織の背中をなでていた。

 そこで、一通のメールを受信したことを知らせるメッセージが、視界の仮想ウインドウに表示された。送り主は地下街の管理システムだ。宛先は、地下街内のすべての人間だった。

〈地下街のすべての人間に告げる。地下街内の全システムはこちらが掌握した。

 さて、諸君の人生の終着駅はこの地下街となった。諸君の無意味な命は我々が有効活用するので安心して欲しい。今まで凡庸でくだらない人生を送ってきた人間にも朗報となるだろう。

 この地下街には強力な電子ウィルスが放たれている。これは地下街の全生命維持システムを停止し、諸君のBMIデバイスのネット接続を妨害する。さらに、ドローンを暴走させるよう命令が組み込まれている。そうそう、電力を断たれたドローンは有機物を摂取することで動力を得ようとするだろう。その有機物の接種対象には人間を最優先とするよう命令を組み込んでおいた。無数のドローンが人肉を目当てに諸君を襲うことになるだろう。命がけのサバイバルを楽しんでもらいたい。

 ちなみに、諸君が無様にも生き延びようとする映像は録画され、今後ネットにおいて無差別配信される予定だ。ぜひ泣き叫びながら滑稽に死んでいただきたい。視聴者サービス溢れる方は人生最後の晴れ舞台と考えて、奇抜な死に方をするのも良いだろう。

 最後だが、諸君は九十億いる人類の中の数千人に過ぎないので、人類社会に与える被害は微々たるものである。有象無象の中の一人でしかないので、心置きなく安心して死んでもらえると嬉しい。

                               ノイズメイカー〉

 これがメールの文面だった。

「なに、これ」

 唯の呆然とした声。

 吐き気がする、それほどこのメールに込められた悪意は強烈だった。しかも、メールの最後に書かれた名前には見覚えがある。

 ノイズメイカー、世界的な過激派のハッカー、サイバーテロリストだ。

「これって……もしかして?」

 香織が怯えきった様子で口を開く。

「――サイバーテロ」

 自然と、その単語が口をついて出ていた。三人が一斉にこちらを振り向く。

「このノイズメイカー……って、あのノイズメイカーよね。地下街内でテロが起きた……?」

 唯の言葉に思わずうなずく。

「どういうことだよオイ、何か知ってるのか」

 浩太の焦燥しきった声が耳朶を打つ。

「ノイズメイカーが――少なくとも、そう名乗る何者かが、ここでサイバーテロを起こしたんだと思う。たぶん、地下街内の電子通信網にウィルスを流してメインフレームを乗っ取って、その後はサーバー経由で、地下街全域にウィルスを蔓延させた……」

「本当だろうな。いい加減なこと言ったらマジでキレるぞ」

 浩太が吐き捨てる。

「だいたい、ただのウィルスでドローンがあんなバケモンになるのかよ!」

「ぼ、僕だって知らないよ」

 とはいえ、確かに驚異的な出来事だった。もしこのメールの文面が事実だとしたら、ノイズメイカーはソフトウェアの書き換えだけで、ハードウェアの機能を変質させたことになる。それにはおそらく、ドローンの体組織に使用されている疑似生体パーツ、その中の医療用ナノマシンをハッキングする必要があるはずだ。しかし、ナノマシンは特殊な暗号化がされた、これまた特殊な言語で書かれたOSを搭載しているのだ。これの書き換えに成功したハッカーは、世界にいまだかつて存在していなかった。

 こんなことは、超絶的な電子情報スキルがなければ不可能だ。

「ありえねえ、ありえねえだろこんなの! 何で俺がこんなことに巻き込まれなくちゃいけねーんだよ! ああ!?」

 浩太は頭を無茶苦茶にかきむしり、うつむいてしまう。

「なんかの夢だろ? 頼むからそう言ってくれよ……」

 壁に手をついてうなだれる浩太。

「……このノイズメイカーの目的って、何?」

 ぼそりと唯がつぶやく。唯の目はこちらに向けられていた。恐怖と疑念にまみれたような視線だった。

「……よく分からないけど、例えば社会に対して恐怖を植え付ける、とか」

 テロリストの最終目標は、自分たちの要求を社会に呑ませることだ。そのための手段として、テロリストは暴力を使う。暴力で生み出される恐怖をもって、人々を服従させるために。

 メールの文面では、人々が死ぬ様が録画され、その後ネットに配信されるとあった。生々しく虐殺される人間の映像は、爆弾などで一瞬に殺されるそれよりも、はるかに恐怖を与えやすい。「自分がそうなるかもしれない」と容易に思わせることができるからだ。

 それきり、みな押し黙る。重い沈黙が四人の間におりた。

 そこで、手にハンドガンを持ったままだったことに気づく。艶消し加工されたポリマー製の本体を持つ銃が、手のひらの中にあった。スイスの会社が製造しているオートマチックハンドガンで、警察で制式採用されているやつだ。小口径の高速弾を使うので、装弾数は二〇発と多い。

 ただし、ハンドガンは上部に付いた部品――遊底スライド――が開きっぱなしになっていた。弾切れだ。

「これから、どうするの?」

 沈黙を破って、おずおずと香織が口を開く。一瞬間をおいた後。

「――助けを待とうぜ。外にはあんな化け物がうろついてるんだろ。俺はここを動きたくねえ。いや、ぜってえここを動かねえ」

 浩太の発言に、香織も肯定するようなそぶりを見せる。

「そ、そうだよね。きっと、この事って外にも伝わってるだろうし。誰かが助けに来てくれるよね」

 香織は隣の唯に同意を求めていた。だが、唯はあいまいな笑みを返すだけだ。きっと判断がつかないのだろう。いや、自信がないのか。

 でも、それはダメだ。

 心の中で、自然とそんな言葉が出ていた。ここに留まるのは、ひどくまずい。

 なぜかと問われれば、ここに留まってはいけない理由があるのだ。自分でも驚くほど思考がクリアになっていた。

「じゃ、決まりだな」

 でも、本当に自分の考えは合ってるのか? 間違ってるのは自分の方で、浩太の選択が合ってるんじゃないか? そもそも、僕は自分の発言に、皆の命に責任を持てるのか?

 無理に決まってる。それに、自分の意見のせいで誰かが死んだりしたらどうする?

 そんなのは、耐えられない。

 しかし、言わないといけない、そう自分の心の奥底で何かが叫んでいた。今言わなければ、後悔する、手遅れになると耳元でがなりたてている。

 だから。

「僕は、ここに残るのは反対だ」

 言った。

 浩太がこちらに向く。その顔は忌々しそうに歪められていた。きっと誰かに反抗されることに慣れていないのだろう、苛立ちと怒りがはっきりと見て取れた。

「誰もお前の意見なんか求めてないんだけど。つーかちょっと黙ってろ」

 憎々しげに吐き捨てる浩太。

「……藤宮くん、何か理由があるの?」

 だが、そこで横やりが入った。声の主は唯だった、こちらをまっすぐ見据えている。

「綾城、こんな奴の意見なんか聞いても時間の無駄だろ」

「ちょっと黙ってて」

 ぴしゃり、と唯が浩太の口をふさぐ。

「どうなの? ここに残れない理由が、何かあるの?」

「僕の言うことを、信用するの?」

 一瞬、唯が戸惑ったような素振りを見せた。ついさっきまでの彼女には似つかわしくない、弱々しくて儚げな、そんな表情を面に浮かべる。

「……今の状況で少しでも判断材料になる情報があるなら知っておきたいの、それだけ」

 そう言い、唯は視線をそらす。何か引っかかるものがあったが、今は自分の気持ちを無視することにする。それどころではないからだ。

「理由は……あるよ。うん、ある」

「聞かせて」

 三人がこちらに注目していた(浩太は忌々しそうだったが) ひどく緊張する。

「……一つは、助けがここに来るまでには時間がかかると思うからなんだ」

「どうして、そう思うの?」

「さっきのメールの文面からも分かると思うけど、地下街内の電子情報網はたぶん、電子ウィルスに汚染されてる。ということは、地下街のドローンほとんど全てが暴走してるって考えるべきだと思う。そうなると……軍や警察がここにたどり着くまでには時間がかかる。上の階を一つ一つ制圧していかないといけないから」

 敵性勢力に占拠された閉鎖空間や施設を制圧する際には、安全地帯を確保しつつ、安全地帯に隣接する区画を順にクリアしてゆくのがセオリーだ。そうしないと、背後の退路を断たれかねない。閉鎖空間における包囲は死を意味する。

 そんなことが何故分かるかと言えば、ゲーム内で似たようなシチュエーションがあったからだ。自分が指揮官なら、間違いなくこの方法を取る。

「それなら、助けがここにたどり着くまでに、どれぐらいかかると思うの?」

 少し考える。この地下街内で派遣されるべき兵士や無人兵器の数、作戦の推移をざっと概算する。地下一階からクリアリングを始めて、ここにたどり着くまでに要する時間は?

「……たぶん、早くて三日。悪ければもっとかかる」

 唯の顔が青ざめる、香織も同様だ。三日間もここで生き延びられる保証は、ない。

「……それに、ここにいられない理由はまだある。さっきから蒸し暑くなってるよね。それに焦げ臭いにおいもする」

 唯がうなずく。

「蒸し暑いのは、空調が止まってるからだよ。だから地熱で温度が上がり続けてるんだ。最終的には四十度近い高温になると思う。……そこまで気温が上がったら、熱中症と脱水症状で動けなくなる」

「焦げ臭いのは……もしかして、火災?」

 唯の問いにうなずく。

「どこかで火事が起きてて、電子ウィルスのせいで自動消火装置も動いていないんだと思う。火は酸素を大量に消費して、一酸化炭素と二酸化炭素を生む。二酸化炭素は空気より重いから、どんどん下の階に流れてくる。……このままここにいれば、酸欠か二酸化炭素中毒になる」

 視界の隅に、大気状況の計測結果を表示させる。肺の中に入った空気の組成を、ナノマシンで調べることができるのだ。計測結果は酸素が時間と共に減少して、二酸化炭素が増加していることを示していた。

 そう、僕は地下に人間が閉じ込められればどうなるかを知っていた。そこで起きるであろう事象や、閉じ込められた人間がどうなるかも。それを知ったのは、やはりゲームの中だ。

 DEEP ENCOUNTERには、災害を仮想空間で起こして、そこから脱出するというゲームモードもある。サバイバルモードと呼ばれるそれは、人気ジャンルの一つだった。

「じゃあ、俺らはここで死ぬしかないって言うのか? ふざけんじゃねえぞ!」

 浩太に締め上げられる。そこでしまった、と思った。女子二人はショッキングな事実を告げられて、明らかに色を失っていた。

 僕はバカか、やりすぎだ。こんな状況で二人を怯えさせてどうする。

「だ、だからここから逃げようって……」

「逃げるつったって、どうやって逃げるんだよ。外にはバケモノがあふれてるんだぞ」

 そう、ここにいられないということが分かっても、逃げ道がなければどうしようもない。

 ならどうする? 僕ならどう逃げる?

 最優先目標は、生きて地下街から脱出すること。

 そのためにはまず、暴走ドローンと鉢合わせすることを可能な限り避ける必要がある。もう一度あれに出会ってしまったら、今度こそ命の保証はない。

 次は、可能な限り上を、地上を目指す必要がある。地下にいられない理由はさっきのとおりだが、逆に地上に近ければ近いほど、救出しに来た軍や警察の人間と接触できる可能性が上がるからだ。つまりそれだけ、生き延びられる確率が高くなる。

 この二つを考慮すれば、最善の脱出ルートはどうなる? 考えろ。

 しばらく黙考した上で、結論を出す。

「……たぶん、逃げ道ならある、と思う」

「ろくでもないこと言ったらぶん殴るぞ」

 浩太の手から解放される。

 お前は文句ばかり言って、何か考えたのかよ。自分勝手なことしかしてないじゃないか、と思うが、あえて顔には出さない。痛い目にあうのはごめんだったからだ。

「みんな、BMIデバイスで通信はできる? 仮想視界で説明したいから」

 そう言うと、三人のデバイスに通信要請の電波を送る。相手側が承認し、リンクが確立する。どうやらノイズメイカーが妨害しているのはネット接続だけで、個人間のローカル通信は無事なようだ。

 これで自分を含めた四人の間にはちっぽけなネットワークが確立されたわけだ。自分はそこに、地下街の立体地図を放り込んだ。四人が作った輪の中心に、精密なポリゴンで描かれた半透明の地図が浮かび上がる。

「僕らがいるのはここ、地下二十階の階層、地上から二百メートルは下の地点にいる」

 地下街は太い円柱状空間の中にある。その円柱の上から三分の二ほどの高さに、光るマーカーが追加される。北西寄り、かつ外周部に近い場所だった。中心の繁華街からは離れた、メンテナンス等のために設けられたエリアだ。

「僕は、地下街の外周に沿って西側に移動すべきだと思う。つまり、円周上を進むってことだけど」

 立体地図の二十階層目に矢印が出る。その矢印は現在位置のマーカーから、地下街の外周部を反時計方向に四十五度回り、西側の部分――立体駐車場がある部分で止まっていた。

「このルートの根拠は?」

「まず、僕らはあのドローンを避けなくちゃいけない。あれにもう一度出会ったら……助からないと思う。だから、中央の繁華街を抜けることはできない。あそこは暴走ドローンでいっぱいのはずだから。そこで、メンテナンス通路のある外周部を通るんだ。このルートなら、ドローンに出会ってしまう確率を減らせる。メンテナンス通路にはそもそもドローンが置かれてなかったから」

「確率……? 絶対に出会わないって保証は?」

 香織の不安げな声には、首を横に振るしかなかった。

「保証はできないよ。絶対なんて――ないんだ」

 戦場では生き延びるも死ぬも、結局は確率の問題なのだ。もしかしたら今日死ぬかもしれないし、明日死ぬかもしれない、戦いが終わるまで生き延びられるかもしれない。でも、そのすべてに絶対の保証はない。

 それを知ったのも、ゲームでの経験からだった。どんなに強いプレイヤーでも、撃たれればあっさり死んでしまうのだから。

「藤宮くん、先をお願い」

 唯に促される。

「それで、行き着く先はここ、立体駐車場なんだけど……今度はここの中を通って、地上に向けて上がるんだ」

 円柱の脇にくっついている、長方形の空間を示す。

「立体駐車場はらせん状になってるから、一本道で地上につながってる。だから、すんなり地上に出られる……?」

 唯の言葉にうなずく。さすがにのみこみが早い。

「あと、立体駐車場に救出部隊が来ている可能性もある。車両が入れるし、駐車場は地下街の各階とつながってるから」

 地下街から民間人の救出作戦を行うにしても、まず部隊の指揮官は内部の様子を知ろうとするはずだった。そのために機動力の高い斥候を偵察に出し、情報を得ようとするだろう。その斥候の侵入経路として、この立体駐車場はうってつけだった。だからもしかしたら、という思いはあった。

「地下街の通路の途中に階段ぐらいならあるんじゃ……そっちの方が時間の節約になると思うんだけど」

「狭い階段でもし襲われたら逃げ場がないよ。だから外周の通路を直接上がるルートは捨てたんだ」

 近接戦闘において、階段は鬼門とも呼ぶべき場所だ。上下階に移動するためには必ず通らなければならない場所であり、さらには高低差がある。その上狭いともなれば、待ち伏せや奇襲にはうってつけだ。上下から挟まれでもしたら、一瞬で全滅させられることもありえた。これもまた、ゲーム内で得た教訓だったが。

 正直言えば、足手まといを三人も連れて階段を安全に登りきれる自信が無かった。何しろ、地上に出るまでに二十階も上がらないといけない。だから唯が言ったルートを外したのだ。

 そこで愕然とする。僕は今、何を考えていた。三人を「足手まとい」だって?

「……確かに、藤宮くんの意見には一理ある。少し、驚いたけど」

 唯がこちらに向ける視線に、今までとは違う感情が含まれているように思えた。これは――驚き? まるで「お前は何者だ」とでも言っているかのような。

「……オイオイ、俺はここを動きたくねえぞ」

 唯がこちらの意見に納得しかかっているのを見て、浩太が眉をひそめて唸る。

「なら、貴方ならもっといい提案ができるの?」

 唯の鋭い視線を受けて、浩太は言葉に詰まったように押し黙る。

「……香織は、どうする?」

「わ、私は……私は、唯ちゃんに賛成」

「三対一、決まりね」

 女子二人と自分、合計三人分の視線が浩太に向けられる。浩太は忌々しげに口をゆがめた。

「――くそっ、分かったよ、お前らについていく。直樹、ちょっとこっち来い」

 浩太に襟首をつかまれる形で無理やり引きずられ、近くにあったコンクリートの柱の陰に連れ込まれた。

「言っておくけど、俺はお前の話なんか信用してねえからな」

 開口一番、浩太が吐き捨てる。

「……でも綾城さんと吉野さんは賛成してくれたけど」

「あの二人のことは今はどうでもいいんだよ。お前、この先何かあったときに責任取れるわけ?」

「それは……」

 詰問され、答えに詰まる。

「つかさ、ぶっちゃけお前のことを信用できねえんだわ。お前学校では、はっきり言ってヘタレだったろ? スポーツもできねえし、ダチもほとんどいないようにしか見えないし。そんな奴の話を信用しろっての?」

 辛らつな言葉を浴びせられ、腹の底が冷えたようになる。

「先に言っておくけど、俺は反対したからな」

 こちらの顔を睨み付けていた浩太の視線が下がり、ある一点で止まる。自分の手元だ。

「お前、その銃って」

「……死んだ警官の人から、ね。弾はないよ」

 スライドが開ききったハンドガンを目の前にかざしてみせる。

「マジで使えねえ奴だな、お前」

 チッ、と浩太が舌打ちする。流石にそろそろ、我慢の限界だ。何か一言でも言い返してやらないと気が済まない。

 そう思い、口を開いたとき、ガコン、と何かの金属音が響いた。

 自分と浩太が、音のした方に目をやる。音は天井に張り巡らされたエアダクトから聞こえていた。

 ガコン、ガコン、ガコガコガコッ! と音が激しくなる。同時に、何かがダクト内でのたうつような音がする。

 冷や汗が背中を伝っていた。柱の陰から出て、唯たちに向けてに叫ぶ。

「逃げ――!」

 ダクトが爆ぜた。中から何かが飛び出す。

 女子二人の悲鳴、遅れてダクトから地面に着地する影。

 ドローンだ。全身をゴリラのように膨らませ、皮膚という皮膚が剥げて下の人工筋肉がむき出しになっている。むき出しになった頭蓋骨の中で、眼球がせわしなく動いていた。

「うわああっ!?」

 半狂乱になった浩太が叫び声を上げつつ、柱の陰から躍り出て逃げようとする。ドローンはその声に反応したか、浩太へ真っ直ぐ突っ込んでゆく。

 奇声を上げて、ドローンが浩太に飛びかかる。猛獣のような俊敏な動きだ、両腕を横に広げ、浩太の面前で抱きつくように腕を交差させる。

「ひいっ!」

 とっさに身をかがめる浩太。反射神経の良さが幸いしたか、ドローンの腕はギリギリのところで浩太をかすめただけだった。代わりに。コンクリートの支柱が砕け散る。鉄筋が折れ曲がり、こぶし大もあるコンクリート塊がバラバラと吹き飛ぶ。

 すさまじい筋力に背筋が凍った。民生品のドローンにここまで筋出力が出せるものなのか? そう考えて思い直す。いや、大概の製品、特に日本製の工業製品は、実際の限界性能よりも、カタログスペックを大幅に小さく設定してあるものだ。そうやって性能に余裕を持たせることで、耐久性や信頼性を大幅に向上させることができる。そして普通に使うには過剰な性能を、リミッターをかけることで抑えてあるのだ。

 そしてもし、そのリミッターをすべて外すことができたらどうなるか? その答えが、目の前のドローンだ。

 無茶な出力を引き出しているからなのか、ドローンの腕はあらぬ方向にねじ曲がり、人工筋肉も所々ちぎれていた。

「いっ、嫌だっ、助け……」

 蛇に追いつめられた蛙のように、尻餅をつきながら浩太が後ずさろうとする。

 今なら逃げられる。

 ドローンの注意が浩太に向いている今なら、浩太を囮にして自分だけ逃げることができる。後ろの女子二人を助けている余裕は、ない。

 そうだよ、僕だけが逃げて何が悪い? 誰だって自分の命が一番大事だ。ましてや、自分を学校でひどい目にあわせていた、あんな奴を助ける義理なんてどこにも。

 だけど、とも思う。本当にそれでいいのか? ここで三人を見捨てれば、きっと後味の悪い思いをする。この先ずっとそんな思いを引きずって生きていくのか?

 僕は――くそっ!

「こっちに来い!」

 気が付けば足元のコンクリート片を掴んで、ドローンに投げつけていた。一キロはあるであろうそれがドローンにぶち当たり、跳ね返った。ドローンがこちらを向き、同時に腰を落とす。標的をこちらに切り替えたらしい。

 僕は馬鹿か、何をやってるんだ!

 ドローンが飛びかかってきた。時間が引き伸ばされたかのような感覚、死の影が目前まで迫る。

 横っ飛びに身を投げ出す。わずかに遅れてドローンが、さっきまで自分がいた場所に着地する。床がわずかに陥没し、蜘蛛の巣状にヒビが入った。

 一撃でも受ければ、死ぬ。その事実を目の前にして、心臓が縮み上がる。ドローンが素早くを向きを修正し、こちらに向けて両腕を振り被った。

 ヤバい!

 今度は頭から前転する。回る体、天井と床が交互に視界を過ぎる。背後でボゴッ、とコンクリが砕ける鈍い音が立った。壁に体がぶち当たり、止まった。

 このままじゃ、殺される。

 体を起き上がらせる。天地がまだぐるぐる回っているかのような感覚が続いていた。立ち上がれず、膝をつく。

 何か、何か使えるものはないのか? この状況から逃れられるようなもの、なんでもいいんだ!

 視線を一瞬だけ周囲に走らせる。この状況で使えるものを求めて、刹那の間に思考が疾走する。壁際の赤い箱が目に留まった。アクリルのふたの表面には「防火斧」と印字されている。

 その時、空気が動くのを肌で感じた。ドローンがすぐ目の前にまで迫っていた。

 致命的な隙だった。わずかに目を離した一瞬の間に、ドローンの手が鋭い槍のように突き出される。

 身をひねる。手刀が右肩を抜ける。同時に肩に熱い、しびれるような感覚が走った。

 ドローンの体を両足で思いっきり蹴った。反動で体が反対側に転がる。壁際で停止、さっき見つけた防火斧の箱のそばだ。

 壁の赤い箱、アクリル製のふたを叩き割る。中におさめられていた斧を取り出し、両手で構える。こいつは火災の時などに、ドアを壊して逃げるための道具だ。斧には黄色と赤の塗装が施されていた。

 でも僕に、近接格闘戦なんてできるのか。学校の体育の時間じゃ、いつも惨めな思いしかしてなかったのに?

 手の甲をドローンの方に向け、斧を握りなおす。手首の動脈をやられないようにするためだ。

 全身をリラックスさせ、筋肉の力を抜く。だが神経は緊張させたまま、静と動の狭間に肉体を留め置く。

 ドローンが突進してくる。歯がむき出しになった口から液体を吐き散らかしながら、丸太のような腕が振り回された。

 斧でドローンの攻撃を受け止める。あまりの衝撃に自分の腕が悲鳴を上げていた。斧が火花を散らす、受け止めたままの姿勢で後ろに吹き飛ばされる。

 こんなの、人間が勝てるわけがない。

 そう頭で考えていても、体は勝手に動く。

 ドローンが再び突進してくる。鉤爪と化したドローンの手が眼前に迫る。あれを受ければ確実に首が飛ぶ。

 首をかしげて紙一重でドローンの手を避ける。頬がドローンの爪で裂け、血の滴が宙を舞う。

 ドローンが後ろに抜け、地面に着地した音が聞こえた。こちらはたたらを踏みながら、崩れかけた姿勢を何とか持ち直す。身をひねって後ろを向き、斧を正眼に構えた。

 三撃耐えた、でもこれ以上はもう無理だ。手足がついていかない。疲労で筋肉と反射神経が鈍っており、攻撃を避けるたびに目に見えて動作が遅くなってゆく。斧がやけに、重い。

 ドローンが跳躍する。両腕を大の字に広げ、こちらに向けて両腕を振り下ろす。避けようのないタイミングだった。

 時間が引き伸ばされたかのような感覚、数瞬後にはドローンの腕が体に突き刺さり、胴体が真っ二つにされるだろう。

 ここで終わりなのか? こんな所で、僕は死ぬのか。

 嫌だ、と心の奥で叫ぶ。こんな所で死にたくない。

 生きたい。

 体が動いた。

 自分の胴を後ろに倒す。同時にドローンの下に滑り込む。スライディングをかける形で、とびかかってくるドローンの下を通過する。

 交差するドローンの両手が鼻先をかすめる。ドローンの首元が目の前に来たとき、体を右にひねっていた。手に持った斧を、コマのように回転して振り抜く。斧はドローンの首に突き刺さり、抜けた。切り飛ばされた首が宙を飛び、同時に時間が戻る。

「はあっ、はっ」

 心臓が爆発するように鼓動を打っていた。滝のような冷汗が額を流れ落ち、シャツは水に浸かったようにぐっしょり湿っていた。

 地面に落ちたドローンはまだ機能停止していなかった。床の上で激しくのた打ち回る。首の断面から真紅の人工血液がまき散らされていた。

 唯と香織は床にへたり込んでいた。浩太も同様で、弾の切れた拳銃の引き金を引き続けている。

 その時、天井のダクトから異音が聞こえ、そちらを見た。さっきと同様にエアダクトが激しく振動していた。同時にダクトの中から這いずり回るような音がする。

 新手のドローン? でもどうしてここが――音か!

 歯噛みする。奴らはたぶん、音に反応している。それなら、自分たちの位置を知られたことも説明できる。物音や、特に人間の声に反応しているのだろう。ドローンの聴覚センサは人間の耳よりもはるかに優れた性能を持つ。さらにフィルタリング機能のおかげで、人間の肉声のみを雑音から選り分けるなど造作もないはず。

「早く逃げよう! 急いで!」

 叫ぶ。浩太は我に返った様子で立ち上がる。香織も同様だ。ただ、唯だけがへたり込んだままだ。

「綾城さん、早く!」

 唯の手を取り、無理やり体を起こさせる。そして手を強く握ったまま、薄暗い通路を駆け出す。後ろから二人が続く足音がした。

 走る、走る。息の続く限りメンテナンス用の通路を走る。赤い非常灯や、コンクリートの支柱が視界の外に流れ去ってゆく。

 だが。

「おい、後ろから近付いてきてるぞ!」

 浩太の声。後ろから迫るドローンの足音と唸り声は、徐々に近づいていた。とてもじゃないが振りきれない。ドローンにスタミナや疲れは存在しないのだ。備蓄エネルギーのある限り、または故障しない限りいくらでも動くことができる。

 このままじゃ追いつかれる。そう考え、通路の横道に飛び込んだ。電気配線のメンテナンス用のスペース、明りもなく真っ暗なそこに体をおしこめる。浩太と香織も一緒だ。

「静かに」

 極力声を潜めて、三人に伝える。香織と浩太は通路の奥に身をかがめる。自分は、唯を後ろから抱きしめる形で壁に背を預けていた。唯の口を手でふさぐ。

 唯が肩ごしに振り返って、こちらを見る。少女の双眸には、恐怖の色がはっきりと浮かんでいた。自分は首をふり、声を出すな、とジェスチャーで告げる。

 ぬちゃり、ぐちゃっ、という湿った音が立った。目の前の通路にドローンが姿を現す。滑稽なほどに膨れ上がった全身に、原形を留めないほど変形した顔面。その全身は血まみれであり、赤い滴が床に落ちている。

 腕の中の唯が、声にならない悲鳴を上げた。華奢な肩が震えていた。声を出させないよう、唯の口元を塞ぐ手に力を込める。

 ドローンの首がぐるり、とこちらを向いた。眼球を模した光学センサがこちらをはっきり見据えていた。

 ――気づかれた?

 緊張で全身を硬くする。唯の震えはいよいよもって激しくなる。

 永遠にも思える一瞬が過ぎ、ドローンが視線をこちらから外した。そのまま湿った足音を立てながら、通路の向こうへと姿を消した。

 その後、たっぷり十分ほども経ってから、ようやく唯の口を塞いでいた手を放した。

 そろそろと暗がりから這い出る。左右に目をやって、異常がないことを確認してから立ち上がる。続いて唯、香織、浩太が姿を現す。

「もういないみたい、行こう」

 三人を促す、唯と香織は首を縦に振って応じた。怯えたように視線を動かして、周囲を盛んに気にしていた。

 腰に差していた拳銃を抜き取り、床に投げ捨てた。この先、弾薬が手に入る保証もない。弾の無い銃など鉄くずも同然だ、余計な荷物は持たない方がいい。

 無言で三人の先頭に立つ。全神経を耳に集中させて、わずかな異音も無いことを確認し、歩き出した。とっさの場合にも対応できるよう、斧を両手で体の前に構えたままだ。

 視界に表示させた地図によると、駐車場まで道のりにして一キロ近くある。そこまでドローンに出会わずに、生き残れるかどうか、自信がなかった。

「あ、あの……」

 か細い声に振り向くと、唯がすぐ後ろを歩いていた。伏し目がちで、何かを言いあぐねたように何度か口を開くが、自分と目が合うたびに顔をそらす。

「さ、さっき、どうして助かったんだろ……私たち」

 さっきと言われ、ドローンがこちらに気付かなかったことか、と見当をつける。

「確証はないけど……光学センサに暗視機能がついてなかった、とか」

 市販品のドローンの中には、光学センサに暗視機能がついていないものもあった。明るいところならそもそも暗視機能が不要だし、コストの面からいっても余計な機能がついていないほうが望ましいからだ。

「そっか……」

 それきり、唯は押し黙ってしまった。こちらから話すことも特にない。そのまま無言で数分は歩いただろうか、沈黙を破ったのは唯だった。

「さっき……助けてくれてありがとう」

 消え入りそうなほど小さな声だったが、確かに聞こえた。あまりにも意外な言葉に、思わず肩越しに唯の顔を見てしまう。自分は相当驚いた顔をしていたのだろう、唯が眉をひそめた。

「なに? その顔」

「いや、別に」

 慌てて取り繕う。唯は再び口を閉じ、うつむいてしまった。ひどく儚げで、今にも消えてしまいそうなほど体を小さくしている。伏し目がちの瞳がわずかに揺れていた。

 学校ではあれほど気丈で自信に満ちていた唯が、今では別人のように沈んでいる。その様は。まるで親に置き去りにされた幼子のようだ。

 その姿を見て、胸が少し疼いた。

 けれども、唯に声をかけることもできず、無言で薄暗い通路を歩き続けることしかできなかった。

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