悪意への一本道 ①
たすけて。
もう一度消え入るようにそう言って、織部つぐみは床に倒れ伏した。
「お、おい!」
慌てて駆け寄る。鮮やかな赤色が、その腹部を染めている。
「――スキル『範囲結界』。先輩、ちょっと見せてください」
俺たちの周囲に結界を張ってから、カレンはつぐみの腹部の傷を確認し、頬に手を寄せる。多分、ステータスを読み取っている。
「随分消耗してる……体力も、魔力もです。私は傷を治しますから、先輩は緊急事態として試験官に連絡してください。――『治癒』」
つぐみの頬に当てられた手が、淡く白銀の光に包まれる。ほどなくして、荒かった呼吸は平静を取り戻し、青白い頬にも血色が戻ってくる。
結界を張りながら、回復もこなす。易々とやってのけるので感覚が麻痺しがちだが、とんでもなく器用だ。
俺はカレンに指示された通り、連絡をするために襟元のバッジに手を伸ばす。
試験ダンジョンに入る際に全員が手渡され、襟元に装着させられる小型の機械だ。スピーカーを搭載しており、通信ボタンを押すと外部の試験官と会話することができるし、一刻を争う緊急事態の時は、緊急ボタンを押すことでダンジョン外に即脱出もできる。
もちろん、試験時間内にダンジョン外へ出ると、その時点で失格だ。だが命にかかわる事態の救済手段として、こうしたものが準備されているというわけだ。
通信ボタンを長押しする。これで待機している試験官に繋がるはずだ。
怪我人がいること、もう一人の姿が見えないこと。恐らく生死にかかわる重大事態であることを伝えれば、向こうで対処してくれるだろう。
スピーカーから呼び出し音が鳴る。その繰り返しを聞きながら、ふと思う。
――なぜつぐみは、緊急脱出を使わなかったのだろう?
バッジが壊れた? それとも、なくすか敵に奪われるかしたのか?
つぐみの服の襟を確認する。セーラー服の襟元に、通信用バッジはしっかりとついている。そういうわけではなさそうだ。
じゃあ、パニックになっていて緊急脱出のことが頭からすっぽ抜けた? まあ、あり得ることではあるか……。
呼び出し音は鳴り続けている。何度も、何度も鳴り続ける無機質な電子音に、次第に不安が頭をもたげる。
「遅いですね」
回復をかけながら、カレンが俺の考えを代弁した。
「2チームしか入ってないのに、こんなに応答が遅いなんてありえません。私のでも試してみてください」
カレンの襟元からバッジを取り、同じように通信ボタンを押す。やはり呼び出し音は鳴るが、それだけだ。つぐみのバッジで試しても同じことだった。
ダメ元で、つぐみの指を使って緊急脱出ボタンを長押ししてみる。
仕組みとしては、押した人間の微弱な魔力を識別し、その魔力の持ち主をダンジョン外へ転送する。ボタンが生きているなら、つぐみはダンジョン外へ脱出できるはずだ。
だが予想通り、なにも起こらない。
「やられちゃってますねえ」
不快さを滲ませながら、カレンが言った。
「これ、ダンジョン側から仕掛けられてますよ。外部との接触手段を遮断して、私たちを『喰い』にきてます」
「いや、あれだろ。俺たちに配られた機械が、たまたま不具合のあるロットだったとかだろ」
「いえ、これは悪意です。長年ダンジョンに潜ってると、ときどき感じることがあったんですよ。ダンジョンからの悪意」
ダンジョンからの悪意――……。
「そんな、ダンジョンに意思があるみたいな」
「あってもおかしくはないと思いますよ。だって私……」
その先の言葉を紡ぐことなく、カレンは口を閉じた。目線は治癒をかけている手元に落とされているが、意識はどこか遠くを見ているようだ。
「……」
そのまま、カレンは沈黙してしまう。これ以上言葉は続かないようだった。
何にせよ、分かったことがある。
外部の助力は得られない。
一体何が起こっているのか見当もつかないが、とにかくこの状況を、俺たちの力で乗り切らなければならない。
「……大丈夫そうか?」
緊急脱出が使えないとなると、つぐみの怪我の状態がいよいよ気になる。
死ぬようなことにならなければ良いが……と心配するも、顔を上げたカレンの表情を見るに、なんとかなってはいそうだった。
「幸い、致命傷ではありませんでしたから。だいぶ貧血ですけどね。先輩、ヒマなら私の袖から造血剤出して飲ませてあげてください」
「お、おう」
カレンの服の袖は、腕1本が余分に入るくらいの余裕があり、そこがアイテム収納庫になっている。それは分かってはいるのだが、女子の袖に手を突っ込むというのは、絵面的にだいぶ緊張する。
そんなことは言ってられない状況なので、僭越ながら突っ込ませていただくが。
「やん、先輩のえっち」
「マジでやめろマジで」
この状況でふざけられるとか、こいつのメンタルどうなってんだ。
カレンの悪ふざけを諫めながら造血剤を取り出し、つぐみの頬を軽く叩く。
薄っすらと目を開けたのを確認して「飲めるか?」と尋ねると、つぐみは弱弱しく頷いた。
ゆっくりと時間をかけて、つぐみは造血剤を飲み干した。
あまり美味しいものではないようで、時おり「うええ」などと不満げな声を漏らしていたが、その態度もかえって回復の兆候に見られ、ほっと胸をなでおろす。
やがて、虚だった瞳に光が戻る。ようやく意識がはっきりしてきたようだ。
つぐみは忙しなく左右に眼球を動かし、そしてがばっと勢いよく起き上がった。
「つばめ! つばめを助けて! つばめが死んじゃう!」
鬼気迫るその様子に、しかしカレンは微塵も動じない。
「落ち着いて、簡潔に状況を説明して下さい」
「そ、そんな場合じゃないんだってば! ねえ早くしてよ! お願いだから助けて!」
「だからー、状況を確認しないことには対処できないでしょ。もー」
どうやらつぐみはパニックになっている。面倒くさそうにため息をつくカレンの態度が、更にパニックを増長させているようだ。
さすがに見かねた俺は、「ちょっと良いか」と2人の間に割って入る。
「織部つぐみ。落ち着いて、俺の目を見ろ」
「そんな場合じゃないんだってばッ!」
金切り声を上げながら、つぐみは俺の胸ぐらを掴んだ。目が合ったその瞳には、焦りと苛立ちに加えて、深い恐怖が満ちている。
俺は胸ぐらを掴まれたまま、ゆっくりと瞬きをして、その瞳を見つめ返す。
「大丈夫だ、必ず助ける。つばめはモンスターに襲われたのか?」
「そ、……そう……」
つぐみの呼吸が落ち着いてくる。落ち着きなく動き回っていた視線が、震えながらもようやく俺を捉える。
胸ぐらを掴んでいた手が緩んだので、俺はその手を取り強く握った。手はまだ震えているが、パニックは徐々におさまってきたようだ。
「ダンジョンの奥……正体不明のモンスターに捕まって……うちも捕まったけどなんとか逃げれて……」
「分かった、案内してくれ。向かいながら、状況を教えてくれ。良いな?」
小刻みに何度も頷き、つぐみはよろめきながらも立ち上がった。ついて行こう、という意図を込めて、カレンに目配せをする。
カレンは何が不満なのか、ちょっと拗ねたように口をとがらせ、しかし文句も言わずにつぐみに手を貸した。




