実地試験開始 ①
ダンジョン免許取得試験の会場――オフィスダンジョンとも言うべきこの空間は、どうにも薄暗かった。
ダンジョンにおいて、空間の照度は重要な要素のひとつだ。照度が低いと視覚による認識圧が下がり、ダンジョン内部の構造が変化しやすくなる。それに、多くのモンスターは暗闇から発生する。
最初の部屋にはドアが2つあった。そのうち正面のドアは、あの双子が進んでいった方だ。
別に同じドアに入っても良いが、他のパーティが探索済みの場所を再探索したところで、見つかるものなどたかが知れている。俺たちは取り合えず、双子が向かった方とは別の、未探索のドアから奥へ行くことにした。
ドアはすんなりと開き、その先にもまたオフィスが広がっている。
……暗い。それに、何かが動く気配がする。
「気配察知」
カレンがスキルで、暗闇の中に何がいるかを探る。
「ギークスパイダーが1匹と、コードワームが多数。いずれも丙種です。いけますか?」
「ギークスパイダーを先にやる。援護頼む」
「もちです!」
ギークスパイダーは、大型犬くらいの大きさの蜘蛛だ。粘着質な糸を飛ばしてくるのが厄介だが、糸は正面に向かってしか飛ばないし、動きはそれほど速くない。
攻撃手段は、超近接攻撃の牙攻撃のみ。丙種なら毒もない。初心者の俺にはうってつけの相手だ。
小声で話し合い、ギークスパイダーの背後に回ることにした。
コードワームもギークスパイダーも、動くものに反応して襲いかかってくる。特にコードワームは厄介だ。一体一体は弱いし反応も鈍いのだが、戦闘が始まったことを感知すると一斉に飛び掛かってくる。
まずは暗闇に紛れて、ギークスパイダーに不意打ちをかける。戦闘が長引くとコードワームに囲まれる危険があるので、ここはなるべく一撃で仕留めたい。そしてギークスパイダーを片付けた後で、集まってきたコードワームをまとめて叩き切る。これが最善策だろう。
薄暗い中、デスクの陰に隠れてギークスパイダーの背後に回り込む。
何かの配線が縦横無尽に床を這っており、つまづかないように気を付ける。それから、椅子を蹴っ飛ばしてしまわないように……。
「よし……」
ようやくギークスパイダーの背後に回り、右手の剣を握りなおした。カレンと繋いだ左手に、じっとりと汗が滲む。
模擬ダンジョンで実践経験を積んだとはいえ、ここは本物のダンジョン。相手にするのは、非常ボタンで消えてくれない、本物のモンスターだ。
「せーので飛び出すぞ。せー……の!」
剣を構えたままデスクの陰から飛び出し、戦闘体勢を取られる前に、ギークスパイダーの腹部に刃を突き立てた。
黄土色の体液をまき散らしながら、ギークスパイダーは黒板を引っ掻いたような不快な叫び声を上げる。
しかし反撃の気配はない。剣のひと突きは、ギークスパイダーの急所を貫いていた。
(――よし、上手くいった!)
訓練で身に付けたスキル『弱点看破』。敵モンスターの急所を把握することができる。
ただ、急所が分かったところで正確にそこを攻撃できるかどうかはまた別の話なのだ。今回は狙った通り、一撃で致命傷を与えることができた。
ぴくぴくと痙攣したのち、ギークスパイダーは脚を丸めて裏返る。
ギークスパイダーの断末魔に引き寄せられてか、あるいは体液の臭いに反応したのか、床を這っていたコードワームが鎌首をもたげた。
立ち上がると俺やカレンの身長をゆうに越す、巨大な灰色のミミズだ。
「はいはい、ごめんねっと!」
カレンは左手で日本刀をふるい、その首をいともあっさりと斬り落としてみせた。複数体同時にだ。やっぱり強い。
「先輩! 私に見とれてちゃだめですよー!」
「分かってる!」
振り向きざまに剣を振るう。コードワームが3匹。
カレンのようにひと振りで薙ぎ払うというわけにはいかないが、初撃で怯んだところに袈裟斬りを見舞う。
両断されたコードワームが、次々に床に落ちた。これで終わり――
と、気を抜いたのがまずかった。
ただでさえ暗い視界に、更に影が落ちる。倒したコードワームの背後から、巨大な何かが姿を現したのだ。
コールタールが固まってできたかのような体。頭と思しき部分の中央に、赤いひとつ目がぎょろりと光っている。
(マッドシャドウ!)
黒光りする体から、泥のような腕が伸びる。あれに捕まるとまずい。
咄嗟に剣を突き出す。が、どろどろの体に突き刺さったまま刀身が飲み込まれ、効いている様子がない。
刀身を伝って降りてくるどろどろから、白い煙が立ち上っている。
(まずい、マッドシャドウの体液には、強力な溶解作用が……!)
「――閃刺」
空気が震え、白っぽい閃光が走った。
気が付いた時には、マッドシャドウの頭部は大きく抉れ削がれていた。泥の図体が横ざまに倒れ、辺りには焦げ臭いにおいが漂う。
「はぁ、はぁ……はぁ」
荒い呼吸を整えながら、声もなくカレンを見る。カレンはちょっと小首を傾げて、にこっと微笑んだ。
「マッドシャドウに物理攻撃は厳禁。さて、なぜでしょう?」
「……強酸の体液が……飛び散るから」
せーいかい。とカレンが笑う。
「最初の気配察知の時はいなかったんで、戦闘中に発生したんでしょうね。あ、先輩の武器、綺麗にしときますね」
酸まみれになった武器に、カレンが浄化魔法をかける。「あ、溶けてる」と言って修復魔法までかけてくれている姿を見ていると、自分の情けなさが際立つ。
マッドシャドウに物理攻撃は厳禁。分かっていた。
モンスターの基本データは頭に叩き込んである。マッドシャドが現れたら魔法攻撃で対処すべきだと、クイズ形式で問われたなら即答できただろう。
対抗手段だって、俺は持っていた。模擬ダンジョンでの訓練中、気配察知などの基礎スキルだけでなく、魔法も1つ習得していた。基礎的な炎魔法だ。
炎はマッドシャドウの弱点。覚えたてほやほやの炎魔法でも、少なくとも剣で応戦するよりは確実にダメージを与えられたはずだ。
分かっていた。分かっていたはずなのに……。
(実戦だと、こんなにも違うのか……!)
怪我や死に対する恐怖。それがこんなにもあっさりと、頭の中から最適解を吹き飛ばしてしまうとは。
呆然としている俺に、カレンは「やれやれ」と肩をすくめ剣を手渡す。
「ほら先輩、しっかりして」
「あ、ああ。悪い」
「初めての実戦なんですから、こんなもんです。私だって最初はそうでした。むしろ先輩は、かなり動けてる方だと思いますよ」
「……!」
驚いた。こいつにしては珍しい。てっきりもっと煽られるかと思っていた。
思わずカレンをまじまじと見ると、桜色の瞳が、俺の心を探るように揺れていた。
こいつもしかして、俺が怖気付いて「ダンジョンに入るのやめる」とか言い出すのを心配してるのか。
俺がいなきゃ、カレンはダンジョンに潜れないから。それを危惧しているのか。
……なんだ、案外可愛いところもあるんだな。
なんて、間違っても口にはできない。
「先輩? 大丈夫です?」
「ああ、問題ない」
剣を受け取り、軽く振ってみる。空気がヒュンと音を立てる。
大丈夫だ。体の奥にまだ震えは残っているが、この程度のことで折れるくらいなら、初めからここにはいない。
「良かった!」
カレンが嬉しそうに頷く。そして流れるように、
「じゃ、マッドシャドウの誘引かけましょうか」
地獄のような宣言をした。
「……は? 誘引?」
「モンスターの屍体を消費して、同種のモンスターを呼び寄せるスキルですよ。目当てのドロップアイテムがある時とかに便利です」
違う。誘引スキルの説明をしてほしいわけじゃない。
「せっかくですから、炎魔法も使い慣れときたいでしょう? 大丈夫、5体くらいしか呼びませんから」
「5体は全然大丈夫じゃねーな!?」
もちろん、止めたところで止まるような女ではない。
ついさっき死の恐怖を味わされたばかりのモンスターが、またぬらりと現れる。5体も。
「さ、先輩! 頑張って下さいね!」
「覚えてろよ、お前!」
チンケな悪役みたいなセリフを叫び、俺は半分ヤケクソで、マッドシャドウに炎魔法を放った。




