波乱の気配 ④
ダンジョン内へ一歩踏み出した瞬間、視界がふっと暗くなった。ダンジョン内は、外側から見たのとだいたい同じ感じで、典型的な「オフィス」といった装いだ。
一般建造物内異空間2級・閉鎖ハ型――今回の試験会場の正式名称だ。
小難しく聞こえるが、要するに「その辺のビルに発生した、あんま広くなくて攻略が簡単なダンジョン」を、お役所的に命名しただけらしい。
事務机があり、キャスター付きの椅子があり、書類を入れる棚もある。棚の中には古びたファイルが並んでいるが、背表紙の文字はかすれて読めない。
何のファイルなのか気にはなるが、迂闊に触らない方が良い。ファイルを開いたら、そこからモンスターが現れて……なんてことも、充分あり得るのだ。
「では先輩、問題です」
カレンが、いつもの調子で俺を試す。
「ダンジョンに入って、まず最初にすべきことは?」
「……敵影の確認。安全を確認次第、地形の把握」
「正解! 敵影は、取り合えずないみたいですね。では地形の把握ですが……先輩、お願いします」
頷いて、頭の中で「地図作成」と念じる。俺の地図作成スキルは、ランクCだったものが訓練によりC+に上がった。
C+なら、現在地の大まかな地形を瞬時に把握するだけでなく、それを平面上に転写することが出来る。
地図作成スキルで、カレンと繋いだ左手の袖に地図を転写した。これでカレンも地図を見ることが出来る。どうせ左手は常に塞がったままなんだから、こうして出来る限り有効活用していきたい。
「へえ……弦食、さては結構几帳面な性格だな? 地図作成スキルって、性格出るんだよな」
「うわっ!」
話しかけられて初めて、背後から覗き込まれていたことに気が付く。全く気配がなかった。
織部つばめは、まだニヤニヤ笑いを浮かべたまま、俺の転写した地図を眺めている。
勝手に見んなよ。と考えている俺の表情に気が付いたのか、つばめは大学ノートサイズの白紙をひらひら振ってみせる。
「そう怖い顔すんなって。ほら、俺の地図も見せてやるから」
そうして白紙に転写された地図は……俺のとは比べ物にならないほど詳細で、広範囲にわたるものだった。
俺の地図に記されているのは、地形の他は扉や窓など移動可能な開口部だけだが、こいつの地図にはアイテムがあるらしき場所が光っていたり、細かな書き込みが多い。しかも現在地だけでなく、ドアの先――ダンジョンの未確定部分までマッピングされている。
カレンも地図を覗き込み、眉をしかめる。
「何これ。ダンジョンの内部って『観測されるまで確定しない』が基本でしょう? このダンジョンは試験専用だから、今は私たちしか入ってない……つまり、この部屋以外は未確定エリアのはず。どうしてそれをマッピング出来るんですか?」
「お嬢ちゃんは可愛いから特別に教えてあげるけど、地図作成スキルと別のスキルを組み合わせて使えば、こういうことも可能ってわけよ。まだ観測していないエリアも『観測したことにして確定させる』ことが出来る……どう? すごくない?」
「えー、すごいすごおい! で、どんなスキルと組み合わせてるんですかあ? 知りたいなあー」
「それは内緒ー」
カレンのぶりっこ情報引き出し作戦は、虚しくも失敗に終わる。すり寄って来たカレンをさらっとかわして、つばめはやはり俺の方へ、挑発的な視線を投げてよこす。
「女の子を引き連れてダンジョンに入ろうってんだ。これくらいの頼りがいはなくっちゃな? か弱い女の子の方に手を引いてもらおうなんて、男の風上にも置けねーよな、ダンジョン童貞くん?」
「ちょっと、つばめー。やめなよー」
上辺だけの制止を口にするつぐみも、にやにや笑っている。なるほど、よく似てる双子だ。
「ま、せいぜい頑張れな。《《迷わないように》》気を付けろよ〜」
そう言ってつばめは、正面のドアから先へ行ってしまった。それに続くつぐみも、つばめに似た嘲笑の眼差しで俺を一瞥し、「じゃ、お先ー」と笑って去っていく。
足音が去り、俺は不快感を体内から押し出すようにため息をつく。
「……俺たちも行くか」
「はい! あいつらぎったんぎったんにしてやりましょう!」
……は?
「え、なに。ぎったんぎったん?」
「はい! もうぎったんぎったんのけちょんけちょんに!」
……忘れてた。
こいつ、リンチ現場に割って入って首謀者にグーパンを食らわせた上に、顎に2発目をぶち込むような女だった。
「だってムカつきません? 完全にこっちを馬鹿にしてましたよね」
「そりゃそうだが……仕方ないだろ。俺がダンジョン初心者なのは本当のことだ。実力も経験も、全然足りていない。馬鹿にされても仕方がないさ」
「え? そんなことに怒ってるわけじゃないですよ?」
「ん?」
カレンは口元に笑みを浮かべたまま、織部たちが消えた先、正面のドアをじーっと睨む。
「あの人、私のこと見くびってたじゃないですか。か弱い女の子? 私が? つばめだかすずめだか知りませんけど、まるで自分が私より強いみたいな言い方。言っときますけど私、あんな男、秒でボコボコに出来ますから」
「あ、はい」
そっちかー。
織部つばめの俺への侮辱と挑発は、気の毒なことにカレンにぶっ刺さってしまったらしい。
気の毒というのは、つばめの方が。
こうなったらカレンは、比喩表現かどうかはさておいて、どんな形であれ、あいつの顎にグーパン入れるまでは気が済まないだろう。
「で、どうすんだ?」
「取り合えず終了10分前までは、順当にダンジョン探索しましょう。それから、あいつらを見つけ出して……」
桜色の少女は、ぞっとするほど綺麗な笑顔で、こちらを見上げた。
「あいつらの集めた魔石もアイテムも、根こそぎ私たちがいただいちゃいましょう」




