変化する日常 ⑤
俺に尋ねられる前に、あわいさんは昔の話を語り始める。
「あの日……世界で初めてのダンジョンが生まれたあの日、私は東京駅にいたんだ。家族と一緒に買い物に来ていて……どこかでお昼にしようかって話をしていた。そうしたら、地震が……」
地震――空間分離振動が起きた時、あわいさんと彼女の家族は東京駅地下の八重洲地下街にいた。1999年8月1日、世界で初めてのダンジョン形成の、まさにその渦中。八重洲地下街は、東京駅の中でも最も激しい空間分離振動に襲われたエリアのひとつだった。
壁は剥がれ、天井は崩落し、人々はパニックになった。立っていられないほどの揺れの中、あわいさんの父親は、倒壊した柱からあわいさんをかばうようにして亡くなったそうだ。
やがて揺れはおさまったものの、地震そのものの被害を免れた人々が安心する間もなく、次の災厄が襲い来る。
ダンジョン形成後ほどなくして、ダンジョン内にはモンスターが姿を現した。ダンジョンもモンスターも知り得ない当時の人たちは、何が何だか分からなかっただろう。突如現れた異形のものたちに、人々はなすすべもなく殺戮されていった。
「未だに夢に見るんだ。溶かされて、捕食される人々……そこに母の姿もあった」
あわいさんは、彼女の母親がモンスターに捕食される一部始終を目の当たりにしていた。母親が最期に咄嗟の判断であわいさんを隠した、その柱の陰から一歩も動けないまま、多くの人々の断末魔を耳にし、地獄から目を逸らせずにいた。
聞くもおぞましい悪夢の光景は、しかし1999年のあの日、現実として確かに起こったことなのだ。
「すぐに私も食べられるんだろうと思ったよ。怖くて怖くて……とにかく声を出さないように、音を立てないように、人間が溶けて混じり合ったどろどろの中に身をひそめていた。モンスターはまだ私に気が付いてはいなかったけど、見つかるのは時間の問題だった。……その時だった」
虚ろだったあわいさんの瞳に、小さな光が宿る。
「樹さんが現れた。樹さんも混乱していて、何が起こっているのか分かっていないふうで……それでも、私を見捨てようとはしなかった」
うつむきがちに喋っていたあわいさんが、すっと顔を上げた。頬に涙の跡を残したまま、ぎこちなく微笑む。
「今、私が生きているのは樹さんのおかげ。異世界管理庁……当時はまだそんなに大きな組織じゃなかったし、名前も違っていたけれどね。同じ組織で働いて、私に力を――残酷な世界に対抗するための力を、つけてくれた」
そういう関係。と、あわいさんが話にピリオドを打つ。そして、サイン済みの同意書を俺の方へと滑らせた。
俺は書類を受け取って、クリアファイルに挟む。今しがた聞いた話で、この紙切れ一枚がとんでもなく重い物に感じられる。
「ありがとう、あわいさん」
「いーえいえ、サインくらいどうってことないって」
「サインもだけど、父さんのこと。話してくれて」
同意書の重みだけじゃない。あわいさんの話を聞いて、俺の中にもう一つ生まれたものがある。
「俺は……父さんのこと、誇りに思う」
まだ幼かった俺を置いてダンジョンへ赴き、そのまま行方不明になった父さん。何度憎んだだろう。何か事情があったのかも知れないと思おうとした。
それでも、息子よりも冒険を優先した最低な男だと、憎まずにはいられなかった。
だけど今、あわいさんの話を聞いて確信した。きっと本当に、何か事情があったんだ。自分の命すら脅かされている中で、見ず知らずの女の子を見捨てられなかった男が、自分の息子を置いてどこかへ行ってしまうわけがない。
それなりの事情があったんだ。それはそれで、我が子よりも優先すべきものなんてないだろとか、言いたいことは山ほどあるけど。
文句は、父さんに会ったら言えばいい。
「ありがとう、あわいさん。俺、頑張るよ」
拙い所信表明に、あわいさんが泣きそうな顔で微笑んだ。
――その夜から数日後。
「おら、どうだ」
試験会場のモニターに映し出された合格者番号一覧を指差して、俺は自分でもどうかと思うくらいのどや顔をかました。俺の受験番号は、しっかりそこに載っている。
試験のほとんどはマークシート式で、最後に数問だけ記述問題がある。そこでつまづく人も多いらしいが、こちとらカレン先生のスパルタ詰め込み学習のおかげで、試験範囲の隅々まで頭に入っている。一発合格率30%の壁を難なく越えてやったぜ。
「いばるのは実地に合格してからにしてください」
カレンのド正論に、ぐうの音も出ない。そりゃそうだ。学科に受かったからといってダンジョン免許がもらえるわけじゃない。
実地試験は、初級ならば正直に言って楽勝だ。普通程度の体力と集中力と度胸があり、パニックにさえならなければ誰でも受かる、と言われている。
しかし、今回俺が狙っていくのは初級をすっとばして中級。モンスターを倒すなり、高ランクアイテムを回収するなり、それなりの結果を出さなければ中級取得は困難だ。
隣を見れば、「分かってますよね?」と言わんばかりのカレンの笑顔。俺は、神妙な顔つきで頷いた。
ここに至るまでの勉強スケジュールのとんでもなさから考えて、こいつのことだ、実地試験に向けての訓練もそれはそれはハードなんだろう。
しかし、望むところだ。
ダンジョン関連法の暗記なんかとはわけが違う。ここから先へ進むには――どこかで生きている父さんを救うには――俺は、強くなる必要がある。
「あは、気合入ってますね」
カレンは嬉しそうに笑って、俺の手を引いた。合格者一覧を見に来た人混みをかき分けて、ずんずん進んでいく。
「まずは武器を買いに行きましょう! 先輩、どういうのが良いですか? カッコイイやつにしましょうね!」
「分かった、分かったから手ェ離せって。見られてる見られてる」
ただでさえ派手な見た目をしているカレンは、どこにいても注目の的だ。ピンクの髪をした少女と、それに引きずられるように歩いている連れの少年。一体なんだろうかと、好奇の目でこちらを見る視線が刺さる。
その注目の多さに尻込みもするが、しかし同時にむずがゆい嬉しさも湧いてくる。
ずっと憧れていた。中学を卒業して、ダンジョン免許を取ろうと意気込んでいる同級生。最初の健康診断で、アンチ・ダンジョンスキルとその効果が判明した俺は、いくつかの検査を受けたすえに『ダンジョン免許取得不可』の烙印を押された。
どのダンジョンを探索しよう。どんな武器を買おう。同級生たちが花を咲かすそんな会話に、混ざったことは一度もなかった。友達と一緒にダンジョン用武器を買いに行く夢を、何度見たことか。
「初心者は、やっぱ剣が無難か?」
前を歩くカレンに尋ねてみる。「そうですねえ」と、振り返らずにカレンが答える。
「一番人気で初心者向けのシリーズも多いですし、よっぽどこれがいい! って武器がなければ、取り敢えず剣にしておけば間違いないと思いますよ」
「そうか、……分かった」
少しずつ、少しずつ取り戻している。
ダンジョンで行方不明になった父さん。ダンジョンに入れない人生。憧れていた青春の一幕。
俺の人生から奪われていたもの、失われたもの全部――これから、きっと取り戻していける。
「あ、しまった、忘れてた」
早足で前を歩いていたカレンが急に立ち止まり、危うくぶつかりそうになる。危ない。
「なんだよ、忘れ物か?」
「はい。筆記試験、合格おめでとうございます。言うの忘れてました」
桃色の瞳が、いたずらっぽくきらりと光る。カレンはニヒッと笑うと俺の手を離し、1人で横断歩道の向こうまで駆けて行った。




