07.夫の剣技アピール、私には『いつでも殺せます』に見えました
氷の気配が張り詰めた演習場で、サディアスは静かに構えを取った。
朝露に濡れた地面が、彼の足音に応じてかすかに凍りつく。
剣を振るう音が、空気を切り裂いた。
流麗かつ無駄のない動き。氷の魔術をまとったその剣は、まるで意志を持つかのように、標的の木製人形を一閃する。
頭から肩へ、斜めに走る一撃が一拍遅れて人形を裂き、静かに崩れ落ちる音が響いた。
サディアスは息を整え、剣を納めた。
「……うん」
しばし黙考したあと、小さくうなずく。
「剣技と魔術……これなら、私にもできる」
その呟きに、少し離れた場所から拍手が起こった。
「お見事でございます、旦那さま!」
パチパチと手を叩きながら、ウォルターが歩み寄る。
その後ろから、呆れ顔のジェーンがぬっと現れた。
「で、これを奥さまの前でやるおつもりですか?」
「ええ。言葉ではうまく伝えられないので……得意な分野で、彼女に印象を……」
「えっ、どんな印象ですか? 戦場で無双する英雄? それとも『お前も一瞬で斬れるぞ』って圧ですか?」
「……あくまで、誠意を示すつもりで……」
「奥さま、絶対引きますよ! 好意じゃなくて、脅しって思われます!」
ジェーンがぴしゃりと言った。
「奥さまに『この人、まさか私を殺すつもり?』って思われますよ、絶対!」
「そんな……いや、でも私は本当に……剣と魔術しか取り柄が……」
「わかってますけど! だったらせめて、薔薇の花でも背負いながら振るってください!」
「それは無理です……」
しゅんと肩を落とすサディアス。
その姿は、演習場で標的を真っ二つにした直後とは思えないほど、どこか所在なげで、不器用な少年のようだった。
ウォルターはやや困ったように口を開く。
「旦那さまは、たしかに剣と魔術の腕前は一流ですが、それを『穏やかな日常の中での誠意』として示すには、やや過激すぎるかと……」
「でも……話すと、緊張してしまって……」
「奥さまの気持ちを考えてください! 何を考えているかわからない不愛想な夫が、突然剣技を披露してきたら、どう思います!?」
「……怖い」
「ほらっ!」
ジェーンはサディアスに詰め寄る。
「まず、旦那さまはもっと表情筋を鍛えるべきです! あと、剣の稽古も、もうちょっと笑顔を意識して!」
「笑顔……できるだろうか……」
「旦那さまは、ちょっと笑っただけで破壊力抜群の美男子なんですから! もっと自信を持って!」
「……はい」
サディアスは肩を落としてうなずいた。
「わかりました……努力します」
✧・━・✧
午後の陽が傾きかけたころ、オリアナは書庫からの帰り道、ふと演習場の方から響いてくる鋭い音に足を止めた。
風を切る音。氷が砕けるような鋭い魔力の気配。
何かあったのかと思い、庭園の縁を回って音のする方へと近づく。
そこは、普段あまり人が立ち寄らない古い演習場だった。
塀越しにそっと覗くと、そこには一人、剣を振るうサディアスの姿があった。
「……!」
見惚れるほどの正確さ、美しさ。
氷の剣閃が宙を走るたび、まるで空気そのものが震えるような錯覚すら覚える。
無駄のない動き、完璧に制御された魔力、そして、冷徹とも言えるほどの静けさ。
オリアナは、一瞬息をのんだ。
(あれが……サディアス……)
それはまさに『物語』で描かれていた悪役そのものだった。
主人公ヘクターの前に立ち塞がる、氷の魔術と剣技を操る公爵。
剣を抜けば誰よりも強く、冷酷で、容赦がない。
そして──オリアナを殺した張本人。
(まさか……私に見せつけているの?)
偶然目撃したのではなく、わざと見えるようにしているのではないだろうか。
あの美しさと恐ろしさを兼ね備えた動きは、『お前など、いつでも葬れる』と示しているかのようだ。
そして次の瞬間、サディアスがゆっくりと顔を上げ、口元にわずかに笑みを浮かべた。
その表情は、柔らかいものではない。
勝利を確信したような、獲物を見据えるような──あまりにも冷たい、鋭い笑みだった。
氷の冷気を纏った剣を手にしたまま、標的の残骸を前に不敵に微笑む姿は、まさに悪役そのもの。
(……怖い)
オリアナの背筋にぞわりと寒気が走る。
(まさか……これは、警告?)
前日の茶会で感じた微かな温かさも、問いかけの裏にあった冷たさも、すべてが腑に落ちた気がした。
(剣が彼の言葉……)
オリアナはすぐにその場を離れた。
これ以上見ていては、怯えた顔を晒してしまいそうだったから。
けれど、胸の中には、どうしようもなく重いものが沈んでいた。
(やっぱり、この物語の中で私は……消される運命なの?)
その思いが、足取りを鈍らせる。
大丈夫、気のせいかもしれない──そう思いたかった。
けれど、震える手のひらが、確かに告げていた。あの剣は、自分に向けられていたのだと。
背後で剣が風を裂く音が、まだ耳に残っていた。
けれど、オリアナは振り返らなかった。
演習場の奥に立つ白銀の影は、今もこちらを見ている気がしてならなかったから。
それでも、足を止めてはいけないと、自分に言い聞かせる。
──怖い。
そんな言葉を口にすれば、すべてが崩れてしまいそうで。
だからただ、足早にその場を離れ、自室の方へと戻っていく。
そうして角を曲がったときだった。
「奥さま、失礼いたします!」
廊下の先から駆けてきた侍女が、わずかに息を切らしながら頭を下げた。
「王都より、使者が到着いたしました」
「……使者?」
オリアナは立ち止まり、反射的に問い返す。
「はい。ただいま玄関にて対応中とのことです。旦那さまへのお知らせも、これから──」
そう言いかけた侍女が、ちらりと背後に視線を向けた。
その視線の先に、サディアスがいた。
演習場から戻ってきたらしく、手にしていた上着を腕にかけ、無言で歩を進めてくる。
その表情は読めない。けれど、先ほどまで剣を振るっていた男の気配が、なおも彼のまとう空気の中に残っていた。
オリアナは思わず身を引いた。
視線を合わせるのが、今は少し怖かった。
「旦那さま……!」
侍女が小さく声をかけ、軽く会釈する。
サディアスは一瞬だけオリアナに目を向けたが、すぐに視線を逸らし、無言のまま歩き去っていった。
その背中を見送りながら、オリアナは小さく息を吐いた。
(……王都からの使者)
嫌な予感が胸をざわつかせる。
王家からの文書など、朗報であるとは思えない。
(何か、厄介なことに違いないわ)
胸にわずかな不安を抱えたまま、オリアナは静かに侍女に声をかけた。
「……あとで、お知らせの内容を執務室に確認しに行きます」
「承知いたしました」
侍女が丁寧に頭を下げ、足早に去っていく。
オリアナは廊下に一人取り残され、もう一度だけ、演習場の方角に視線を向けた。
静まり返ったその空間には、誰もいないはずだ。なのに、ひやりとした空気だけが、まだ残っているように感じられた。