06.またやらかしましたね、旦那さま。しかもお茶会で
「こちらへどうぞ、奥さま」
使用人に案内され、オリアナはサディアスの私室に設けられた応接スペースに足を踏み入れた。
テーブルには、上質な茶器とともに、オリアナの好物ばかりが丁寧に並べられていた。
焼き林檎のタルト、ラベンダーの香るフィナンシェ、繊細な砂糖細工のフルーツゼリー。
オリアナは、その一つ一つに目を輝かせた。
(……なんて綺麗)
サディアスは黙って立ち上がり、椅子を引いてオリアナを迎え入れた。
「……お身体の具合は、いかがですか。夜風に当たられたので」
「お気遣いありがとうございます。体調は、特に問題ありません」
オリアナが微笑むと、サディアスはわずかに目を細めた。その眼差しに、どこか探るような色を感じるのは気のせいだろうか。
「それは良かった。……どうぞ、冷めないうちに」
促されるまま、オリアナは席に着く。
サディアスはオリアナの向かい側に腰を下ろした。
「お好きなものを、どうぞ」
「……ありがとうございます」
オリアナは小さく礼を言い、そっとフォークを手に取った。
そして、焼き林檎のタルトにゆっくりとナイフを入れる。
さくりと小気味よい音がして、香ばしい香りがふわりと広がった。
一口サイズに切り分けて、そっと口に運ぶ。
「……おいしい」
思わずつぶやくと、サディアスは満足そうにうなずいた。
「それは良かったです」
サディアスは穏やかな表情でオリアナを見つめ、カップを口に運んだ。
その仕草の一つ一つが優雅で美しく、思わず見とれてしまうほど美しい。
(本当に……綺麗な人)
サディアスはオリアナの視線に気がつくと、わずかに首を傾げた。
「……何か?」
「いえ、あの」
オリアナは慌てて視線を外す。
「その……お気遣いいただき、ありがとうございます」
「いえ」
サディアスは短く答えた。そして、再び沈黙が流れる。
オリアナは、フォークを持つ手を止めた。
(何か……話した方がいいのかしら)
サディアスの意図がわからないまま、ただ向かい合ってお茶を飲んでいるだけというのは落ち着かない。
けれど、何を話せばいいのかもわからずに、オリアナは俯いた。
そんな様子を察したのか、サディアスは小さく咳払いをして口を開いた。
「……王都に、手紙は出されていますか?」
「え?」
唐突な質問に、オリアナは驚いて顔を上げた。
「手紙、ですか?」
「はい。……王妃殿下に」
その言葉に、オリアナは目を見開く。
(やっぱり……)
これが本題だったのだと、すぐに理解できた。
サディアスはやはり、自分を王妃の間者と疑っている。
このお茶会は、和やかな時間ではなく、彼の中での確認作業。
優しく見えた手のひらの裏にあるものが、冷たく重たく感じられた。
控えている使用人たちが、息をのむ気配が伝わってくる。
オリアナは小さく息を吸い込み、答えた。
「……いいえ。王妃殿下とは、ほとんど関わりがございません。お便りも、届いておりません」
努めて冷静に返すと、サディアスはわずかに視線を逸らした。
「そう……ですか」
その言葉の意味を測りかねて、オリアナは黙るしかなかった。
並べられた菓子が、どれも自分の好みであることさえ、今は罠のように思えてしまう。
結局、お茶の時間はぎこちないまま終わった。
サディアスの本心は見えず、オリアナの警戒は深まるばかりだった。
✧・━・✧
私室での茶会を終えたサディアスは、執務室へ戻るなり、ソファにぐったりと沈み込んだ。
「……やはり、私は……会話が壊滅的に下手ですね……」
向かいに控えていた執事ウォルターは、静かに一礼したあと、咳払いをひとつ。
「……奥さまを緊張させるような言い方をなさったのは、事実でございます」
「……はい」
サディアスは項垂れたまま、肩を落とした。
「せっかくお菓子で喜んでいただけたのに……どうしてあんなことを……」
「『王妃殿下に手紙を出されていますか』というのは、少々……唐突すぎましたね」
そこへ扉がノックされ、ジェーンが入ってきた。
「お茶会、どうだったんですか?」
ウォルターとサディアスが無言のまま顔を伏せているのを見て、ジェーンはすぐに察する。
「……また、やらかしましたね?」
「……はい」
サディアスが力なくうなずくと、ジェーンは腕を組んで大きなため息をついた。
「今度は、何を言ったんです?」
「……王妃殿下に手紙を出しているかと」
「……はあ!? それ、奥さまに『あなた、王妃の密偵なんでしょう』って言ってるようなもんじゃないですか!」
「……密偵だなんて、そんなつもりは……」
「でも、聞こえ方としてはそうなんですってば!」
ジェーンはぴしゃりと言い切った。
「それに、奥さまは妾腹で、王妃とは血のつながりがないんです。ご存知ですよね?」
「……はい」
「じゃあなおさら、そんな聞き方は失礼です。王妃とは関わりが薄いからこそ、そうした距離を大事にしているかもしれないのに」
「……」
サディアスは黙って俯く。
代わって、ウォルターが静かに続けた。
「旦那さま、ご自身で『ご家族のことを聞いてみたかった』とおっしゃっていましたね」
「……はい」
「でしたら、そう言えばよかったのです。『王都と離れて暮らしておられるので、何かとご心配ではありませんか?』などと」
「……なるほど」
「奥さまはおそらく、唐突な質問の裏に何か意図があると思われたでしょう。だからこそ、身構えてしまったのです」
「……私は、疑ってなどいなかったのに……」
「けれど、そう『見えてしまった』のが問題なのです」
サディアスは深くうなずいた。
「伝えるべき言葉は、ただ心に浮かんだことを口にすればいいわけではない……」
「少しずつ、ですね」
ジェーンがようやく少しだけ口調を和らげた。
「奥さまは、逃げ出すようなことはなさらなかったのですよね。それだけでも、旦那さまを完全に拒んでいない証拠です」
「……そうですね」
サディアスは小さく息を吐き、視線を窓へ向けた。
「……次は、もっとちゃんと話せるように……なりたい」