表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私の夫は妻を殺す悪役公爵──その未来、絶対に阻止します!  作者: 葵 すみれ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/41

31.筋書きがあるなら、書き換えるまで──これが私たちの反撃

 陽が傾き始めた書斎に、茶の香がふわりと広がっていた。

 窓際のレースカーテンが風に揺れ、薄金色の光を机の上に落としている。


 サディアスは書類の束に目を通していたが、区切りをつけるようにペンを置き、向かいのティーカップに視線を移した。


 オリアナが、その湯気の立つ器にそっと口をつけている。

 深く濃い香りの紅茶は、この屋敷に来てから彼女のお気に入りとなった銘柄だった。


 静けさが心地よい午後──。

 けれど、その奥にはわずかな緊張が張り詰めていた。


(……ヘクターは、もう王都に着いた頃かしら)


 そう考えただけで、胸の奥がふっと冷える。

 今はこうして、落ち着いた日常が続いている。

 けれどそれが『かりそめの平穏』でしかないことを、オリアナは理解していた。


 ライラの影は、まだ消えていない。

 王妃の手が、いつ、どこから伸びてくるかはわからない。


 それでもできる限り、こうして穏やかな時を大切にしたかった。


 ──その静けさを破ったのは、サディアスの低く落ち着いた声だった。


「……明日は、あなたの誕生日ですね」


 カップを持ち上げようとしていた手が、ふと止まる。


「……え?」


 オリアナは一瞬、何のことか理解できなかった。

 けれど、次の瞬間に思い出す。


(……そう、だったわ。明日……)


 誕生日。

 思い出さなくなったのは、いつからだろう。

 誰も祝ってくれない日。誰にも気づかれない日。

 ジュリアナのように盛大な宴が開かれることはなく、ただ一人、何でもない日のように過ごすだけだった。


「……ご存じだったのですね」


 カップを持ち直しながらそう言うと、サディアスは少しだけ首を傾げて答える。


「記録を調べました。……あなたのことを、知りたかったので」


 その静かな言葉に、オリアナの胸がじんわりと温かくなる。


「……嬉しいですわ。ありがとうございます」


 そう言うと、サディアスはわずかに目を伏せる。

 どこか照れているような、言葉の続きを探しているような沈黙だった。

 けれど、オリアナの心には、別の記憶が浮かんでいた。


 ──『予知』と称してライラが囁いたあの言葉。


『誕生祭のあと……まだはっきりした日はわかりませんが、公爵さまが用意したワインに毒が仕込まれます。それを口にして、あなたは──』


 ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。


「……サディアス。もしかして、明日のために……ワインなど、ご用意なさっていたりしますか?」


 ほんの少しだけ、声が揺れた。

 けれど、サディアスは驚いたように目を見開いたあと、すぐに表情を戻して頷く。


「……ええ。あなたに合いそうなものを選びました。数日前に手配しています」


「……やっぱり」


 息を吐くように呟いたオリアナに、サディアスが目を細める。


「なにか……心当たりが?」


「あります。王妃が、そのワインに毒を仕込むつもりです。……『物語』では、あなたが私を殺すとされていました。でも、本当は違った。あの毒は、王妃が盛ったもの。あなたは、罪を着せられただけだったのです」


 サディアスは静かに頷いた。

 それ以上は何も言わなかったが、その沈黙が答えだった。


 彼は、信じてくれている。

 この世界に潜む『物語の呪い』を。

 そして、それを破るためにオリアナが戦おうとしていることも。


「……対応しておきます。ワインは差し替えましょう。給仕にも、信頼のおける者だけを」


 言葉少なでも、その声には確かな力があった。

 彼がオリアナを信じてくれていることが、痛いほど伝わってくる。


 不安が、少しずつ溶けていく。

 それは、きっと信じられる相手がいるというだけで、こんなにも心強いものなのだ。


 オリアナは静かに、紅茶に口をつけた。

 あたたかさが、喉を通って胸の奥へと落ちていく。


 そしてそっと、自分の心にも言い聞かせた。


(筋書きをなぞるつもりなら──その先を、私が書き換えてみせる)





 夜の帳が下り、静寂に包まれた公爵邸に、灯のともる小さな広間が用意された。

 普段は使われない私的な食堂──けれど今夜は、食器も花も一つひとつ丁寧に選ばれていた。


 控えているのは執事ウォルターと侍女ジェーン、それに料理の給仕係が二名。

 サディアスは、ワインの封を解きながら静かに言う。


「この銘柄は、あなたのために選びました」


「ええ、ありがとうございます」


 オリアナはグラスを受け取り、控えめに笑った。

 差し替えられたそれは、間違いなく無毒のもの──だが今夜、必要なのは味や香りではない。


(誰かが見ている)


 控えの一人。目線、立ち位置、姿勢。そのすべてが『普通』すぎる。

 けれど、そこに滲む違和感。

 たった一つ、意図の漏れがあるだけで、全体は静かに歪む。


(あれが、運び屋……でしょうね)


 王妃、あるいはライラが仕込んだ目撃者。

 毒が仕込まれていたかどうかではなく、『飲んで倒れた』かどうかを報告するための者だ。

 だからこそ、倒れる必要があった。


「それと……誕生日の贈り物です」


 サディアスが取り出したのは、細長い木箱だった。

 中には、薄金の細工を施された髪留めが収められていた。

 氷の結晶を模したかすかな装飾が、彼の瞳の色に似た淡い光を宿している。


「……素敵ですわ。こんなふうに贈り物をもらったの、はじめてです」


 それは真実だった。

 胸にじんわりとしたぬくもりが広がっていく。


「……似合うと思いました」


 不器用な一言。けれど、それがとても愛しかった。

 オリアナはグラスを持ち上げ、淡い琥珀の液体に目を落とす。


「……では、乾杯を。静かな一年に」


 サディアスが軽くうなずき、ふたりはグラスを合わせた。

 音が、澄んだ鈴のように小さく響く。


 そして──。


「……っ」


 口元に運んだ直後、オリアナは眉をひそめ、喉に手を当てた。


「奥さま……!?」


 すぐにウォルターが反応し、ジェーンが布を手に駆け寄ろうとする。

 だが、サディアスが手で制する。


「部屋に、運びましょう。医師を。……騒がず、速やかに」


「はっ……!」


 オリアナは椅子にぐったりと身を預けた。

 まぶたの隙間から、視線がひとつだけ自分を見ていたことを確かめる。

 その顔に浮かぶ、わずかな『ほくそ笑み』のようなもの。


(見届けたわね。なら、広めてくれる)


 毒が仕込まれていた──そして、公爵夫人は倒れた。

 そう噂が立てば、王妃も、ライラも、『物語通り』が進んでいると信じる。


 だが、それこそが──こちらの仕掛け。


(同じ筋書きで来るなら、先回りするまで)


 視界の端で、サディアスがそっと彼女を抱き上げた。

 驚くほど優しく、揺れもない。


「……ありがとう、サディアス」


 かすかな囁きに、彼の腕の力がほんの少しだけ強まる。



✧・━・✧



「まったく……隠し持っていたなんて、いい度胸ね」


 王妃は扇で口元を覆いながら、吐き捨てるように言った。


「星輝石を、あの娘が手元に置いていたなんて。報告がなければ、気づかないところだったわ」


 その声には、確かな苛立ちが滲んでいた。

 あれだけ献上を求めたのに、なお隠し通していたとは不敬も甚だしいといったところだろう。


「……でも、あなたのおかげで知ることができた。あの鉱山の石が、あの娘に渡っていたなんてね」


 王妃は冷たい笑みを浮かべ、ライラの方を見やる。


「王家のものとは言わないけれど……あれは『王家の事業』で得られた成果。そう言えば、誰も逆らえないでしょう?」


 ライラは無言のまま、静かに頷いた。


「だからこそ、あの娘から取り上げるのに、正当な理由が必要だったの。……彼女が死ねば、すべてが片付く。あとは、『誰がやったか』という筋書きだけ」


 王妃は一つ、息を吐くように笑う。


「公爵が王女の命を狙ったと広まれば、あの家の評判も地に落ちる。彼女に寄せられていた哀れみや同情なんて、所詮はまやかし。そう信じさせればいいのよ」


 その視線には、冷酷な計算しかなかった。


「……あなたの『予言』は、本当に役に立つわ。今後も期待しているわよ、ライラ」


 その言葉に、ライラはうっすらと微笑むだけだった。

 王妃は、何の疑いもなくライラを信じていた。

 自分の意志で仕掛けたつもりでいながら、すでに誰かの手のひらの上にいるとも知らずに。


 ──そして、その夜が明ける頃。

 王都の社交界の片隅で、誰かがぽつりと口を開いた。


「ご存じ? ファーレスト公爵の奥方が、晩餐の最中に……」


「えっ、まさか毒……?」


「本当かどうかは知らないけれど、突然倒れたって。医師も呼ばれて、いまだに意識が戻ってないとか」


「ファーレスト公爵が、妻に毒を?」


「王家への挑発ではなくて?」


「いや、愛人か何かがいるという噂も──」


「まさか……あの冷たい公爵が?」


「でも、公爵夫人って、王女さまですものね。面倒な相手を押し付けられたって、前から言われてたし」


 事実など、誰も確かめようとはしない。

 それよりも耳にした話を面白おかしく語り、脚色し、次へと渡していく。


 その噂が、やがて確信へと変わる頃。

 新たな幕が、またひとつ上がろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ