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私の夫は妻を殺す悪役公爵──その未来、絶対に阻止します!  作者: 葵 すみれ


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22/41

22.すべてを語った夜、彼はただ『好きです』と、そばにいてくれた

 夜の公爵邸は、静寂の中にあたたかな灯りを宿していた。

 星明かりも届かぬ曇り空の下、庭の噴水からは微かな水音だけが響いている。


 その静けさの中、オリアナは一人、テラスの手すりにそっと手を添えていた。

 風は春の名残を残しながらも、どこか冷たく、肌をなぞるたびに迷いをかき立てる。


 サディアスに、打ち明けるべきか。

 それとも、やはり黙っておくべきか。


 けれど、もう決めたはずだった。

 あの笑顔に、あの手の温もりに、あの言葉に、救われた夜──あの人なら、きっと受け止めてくれると、そう思ったはずだった。


「……オリアナ、こんなところにいたのですか」


 声に振り返ると、そこにはサディアスが立っていた。

 部屋着の上に軽く外套を羽織ったその姿に、オリアナの心はわずかに和らぐ。


「ごめんなさい、眠れなくて……少しだけ、外の空気を」


「いいえ、構いません。私も、少しあなたと話がしたいと思っていました」


 彼の言葉に、オリアナは瞳を見開いた。


「話……?」


「ええ。……昼間の来客について、です」


 サディアスの目は鋭さを帯びていたが、それは問い詰めるものではなかった。ただ、静かに、真実を待つ瞳だ。

 オリアナは口元を引き結び、小さく頷いた。


「……サディアス。私……お話ししなければいけないことがあります」


 オリアナの声は、震えていた。

 けれど、その瞳には迷いはなかった。


「少し、長くなります。……変なことを言うと思われるかもしれません。でも、どうか……」


「あなたの言葉なら、私は最後まで聞きます」


 そう言って、サディアスは彼女の隣に立ち、並んで夜の庭を見下ろした。

 そして、オリアナは語り始めた。

 自分が見た未来のこと。

 『物語』という書物のような記憶のこと。

 その中で、自分がサディアスに殺されることになっていたこと。

 それを変えたくて、この世界であがいていること──。


 風の音がすべてを包む中、オリアナの声だけが、静かに、途切れることなく続いていった。

 オリアナの手はかすかに震え、何度も言葉を探しながら、それでも正確に、すべてを伝えようとしていた。

 そして語り終えたとき、オリアナは俯き、声を絞り出すように問うた。


「……信じられませんよね。私も、自分で何を言っているのかわからないときがあるんです。それでも、どうしても──あなたにだけは、伝えたくて……」


 沈黙が降りた。

 風がカーテンを揺らし、テラスに置かれたランタンの火がふるふると震える。

 オリアナは俯いたまま、口をつぐんでいた。自身の言葉が信じてもらえるものではないと、どこかで覚悟していた。それでも打ち明けたのは、信じたいという一心だった。


 そんなオリアナの前で、サディアスはひとつ、深く息を吸い込んだ。

 そして、ゆっくりと口を開く。


「……初めて会ったとき、私はあなたを怖がらせてしまったかもしれません」


 その言葉に、オリアナはわずかに肩を震わせた。

 サディアスは、彼女の反応を受け止めるように、優しく続けた。


「あなたのことが知りたかったのに、どう話しかけていいかわからなかった。想いを伝えたいのに、うまく言葉にできなかった。……それがずっと、悔しくて」


 彼は、自嘲するように微笑んだ。

 けれど、その笑みはどこまでも静かで、あたたかかった。


「あなたが怯えた目で私を見るたび、何度も諦めようとしました。私なんかが傍にいていいはずがないと……でも、それでも、あなたを想う気持ちは消えなかった」


 オリアナが、ゆっくりと顔を上げる。

 その瞳には、信じたくても信じきれない、不安の揺らめきがあった。


「それでも……私の話を聞いて、あなたは変わってしまうかもしれないのに」


「変わりません」


 サディアスは、きっぱりと断言した。

 そして、少しためらいがちにオリアナの手を取る。


「私は……あなたのことが好きです。初めてあなたに出会ったあの日から、ずっとずっと、あなたのことばかりを考えてきました」


 その手は、かすかに震えていた。

 けれど、決して離れることはなかった。


「あなたが何を知っていても、どんな過去を見ていても関係ありません。私にとってのあなたは、今ここにいる、あなたです」


 真っ直ぐな視線が、オリアナの瞳を捉える。


「運命に抗いたい。あなたが恐れている未来から、あなたを守りたい。私は、あなたとともに生きていきたいのです。これから先、何が待ち受けていようと、あなたのそばにいたい」


 心の底から絞り出すような声だった。

 飾り気も、打算もない。

 それはサディアスという男が持つ、すべての感情が込められた、真実そのものだった。


「だから、どうか……私を信じてください。あなたがどんな未来を語っても、私はあなたの手を離さない」


 その言葉に、オリアナは息をのんだ。

 頬を伝ったのは、こぼれるまいと我慢していた涙だった。


 オリアナは、そっと自分の手を、彼の手に重ねた。

 冷たい指先が、サディアスの手のひらで温められていく。


「……私も……信じたいです。あなたとなら、きっと……未来を変えられるって、そう思えるから……」


 ふたりは、ただそっと見つめ合った。

 夜の空には雲が切れ、月の光が静かに差し込んでいた。


 やがて、オリアナは涙をぬぐうと、表情を引き締めて口を開く。


「サディアス……お話があります。ライラのことです」


「ええ。私も、気になっていたところでした」


 オリアナは、今日の出来事──ライラとの面会とその内容を、順を追って語った。

 サディアスは一言も遮らず、黙って彼女の言葉に耳を傾けた。


 鉱山の抜け道。神殿への逃亡。星輝石への執着。そして、どこかおかしいと感じたあの不自然な笑顔。

 オリアナはすべてを語り終えたあと、そっと彼を見つめる。


「……ライラは、私を殺そうとしているのだと思います。……魔物に襲わせて」


 その言葉に、サディアスの目が細くなった。

 怒りではない。冷静に状況を受け止め、判断を下すときの目だった。


「では、私が後を追いましょう。あなたに気づかれない距離を保って鉱山へ向かいます」


「でも、それは──危険です。もしも、何かあれば……」


 オリアナの言葉を、サディアスは軽くかぶせた。


「私は強いですよ、オリアナ。剣も、魔術も、誰にも負けない。……これだけは、自信があります」


 淡々とした声だったが、そこには確かな誇りが宿っていた。

 サディアスが、自分を卑下することなく、まっすぐに『自信がある』と言い切ったのは、オリアナが知る限り初めてだ。

 驚いて彼を見つめると、彼はほんの少しだけ目を伏せ、照れくさそうに口元を緩めた。


「ずっと、自分にできることを探してきました。何も持たない私でも、せめて力だけは、と。あなたを守るための力です。だから、安心してください」


 静かに語ると、サディアスはまっすぐにオリアナを見つめる。


「……あなたを守ることに関してだけは、誰よりも自信があります」


 心が、じんと熱くなる。

 この人なら、大丈夫だ。そう思わせる、揺るがぬ言葉だった。


「……わかりました。私、ライラに気づかれないように、自然に従います。騎士として、ヘクターも同行すると思います」


「彼は……味方になる可能性もある。だが、ライラに操られているなら……判断が必要ですね」


「ヘクターは、きっとどこかで気づいています。ただ、まだ迷っているだけだと思います」


 オリアナの声は柔らかかった。

 その優しさを、サディアスはまっすぐに受け止めるようにうなずく。


「……必ず、あなたを守ります」


「信じていますわ、サディアス」


 ふたりの間に、再び静寂が流れる。

 けれど、それはもう不安の沈黙ではない。

 約束と、信頼と、未来を信じるための沈黙だった。

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