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私の夫は妻を殺す悪役公爵──その未来、絶対に阻止します!  作者: 葵 すみれ


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19/41

19.予知と名乗るその微笑みは、私の『死』を確信していた

 応接室の扉が開かれた瞬間、オリアナはわずかに息をのんだ。

 そこにいたのは、旅装を整えた神官姿の若い女性と、王国騎士団の紋章を肩に刻んだ青年だった。


(やっぱり……)


 オリアナは心の中で呟く。王都へ向かう道中で見かけた神官、それはやはりライラだった。

 だが、ライラはオリアナには気付かなかったのだろう。特に驚いた様子はない。


 ヘクターも、ライラの傍らに控えるように立っていた。

 以前に見かけたときと同じく、きちんと整った所作の騎士だったが、どこか落ち着かないようにも見える。

 視線を合わせた瞬間、彼の瞳にわずかな揺れが走った。すぐに目を伏せるその動作には、迷いとためらいが滲んでいる。


(彼も……何か知っているのかしら……)


 オリアナは疑問を抱くが、それを口にすることはできない。

 応接室の中は、穏やかでありながら不思議な緊張感が漂っていた。


「このたびは、お時間をいただきありがとうございます。私、神殿に仕える神官──ライラと申します」


 ライラが深く頭を下げた。声は明るく、丁寧で、どこか親しみを感じさせるものだった。


「こちら、王国騎士団第三隊所属のヘクターさまです。オリアナさまと面識があると伺っておりましたので、ご同席をお願いしました」


 紹介されたヘクターが一歩前に出て、改めて静かに頭を下げる。


「……再び、お目にかかれて光栄です。公爵夫人」


「ええ、お久しぶりですわね」


 オリアナは微笑んで答えながらも、胸はざわめいていた。


(やっぱり、『物語』とは違う……)


 本来、ライラがオリアナと会うことなどなかった。

 『物語』では、彼女は幼なじみであるヘクターを助けるため、命を賭けて奔走する健気なヒロインだったはずだ。

 オリアナとは交わることのない別の登場人物。ましてや、二人で邸宅を訪ねてくる場面など、記憶のどこにもない。


「実は……私には少しだけ、『未来を見る力』がございます」


「……未来を見る……?」


 思わず聞き返すと、ライラはまるで恥ずかしそうに笑った。


「ええ、たいしたものではありません。ご神託のような、ふっと胸に下りてくる感覚と申しましょうか。私自身にも、なぜ視えるのかはわかりません」


 オリアナは眉をひそめる。

 その力が本物だという証拠など、どこにもない。

 それに、『物語』にはライラにそのような力があるなどとは書かれていなかった。


「でも、それが間違いないのだと、先日……確信したのです」


 ライラの声が、少しだけ低くなる。


「王都の誕生祭で──特別な宝石を身に着けられましたね」


 オリアナは、息をのんだ。

 確かに、あの夜、青く透き通る宝石を胸元に飾っていた。

 それはサディアスの瞳の色に似た宝石を望み、彼が贈ってくれた特別なものだ。


「……ええ。そうですが……」


 思わず答えてしまった自分に驚く。だが、ライラは構わず続けた。


「その宝石を、王妃殿下に献上するように求められましたね。そして……お断りになった」


 ぴたりと、空気が凍ったような気がした。

 オリアナは、その言葉をゆっくりと噛みしめながら、真正面に座るライラの表情を観察する。

 ライラは穏やかに微笑んだまま、オリアナを見つめている。


(……その出来事は、きっと『物語』の中での話)


 現実では、王妃は宝石に興味を示したものの、献上を求めたりはしていない。

 むしろ、夫婦仲が良さそうな様子に満足げだった。

 サディアスの心を掴んでいるのならば、今後オリアナが駒として役立つだろう、という打算を感じたものだ。


 それなのに──ライラは、まるで『物語』をなぞるように語った。

 それも、オリアナの知らない『物語』の部分だ。まだ『物語』が始まる前の出来事。


(どういうこと……?)


 オリアナはどう答えるべきか迷う。

 すると、ライラが柔らかく微笑んだ。


「……やはり、驚かれましたか。ご安心ください。これはすべて、『見えた』未来の一部に過ぎません。驚かれるのも無理はありません。予知とは、往々にして当人にとっても信じがたいものですから」


 その言い方には、確信があった。

 まるで、こちらの動揺すら想定内だと言わんばかりに。


(違う……この人、『予知』ではなく、『確信』している。まるで、未来を実際に『知っている』かのように)


 それが一番の違和感だった。

 予知というならば、もっと曖昧なはずだ。

 だがライラの口ぶりは、まるで既に起きた出来事を語るように確信に満ちていた。

 それも、おそらくは本来の『物語』だったであろう、現実とは違う出来事を。


 そして──ライラは続ける。


「……それがきっかけとなって、公爵夫人は命を狙われることになるのです。そして、このままでは……命を落としてしまう」


 ぞくり、と背筋を冷たいものが撫でていく。

 微笑を崩さぬまま、ライラはまっすぐにオリアナを見つめた。


「だから、私は──」


 微笑を浮かべたまま、ライラは言った。


「……公爵夫人を助けたいのです」


 その言葉は、一見すれば慈愛に満ちた申し出だった。


 けれど──。


 オリアナの胸の奥に、ひやりとした違和感が残る。

 助けたいと言いながらも、ライラのその微笑みには、なぜか温かさが感じられなかった。


(……この人は、本当に『私』を助けようとしているの?)


 そう問いかけた心の声が、どこか虚空に吸い込まれていくようだった。

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