19.予知と名乗るその微笑みは、私の『死』を確信していた
応接室の扉が開かれた瞬間、オリアナはわずかに息をのんだ。
そこにいたのは、旅装を整えた神官姿の若い女性と、王国騎士団の紋章を肩に刻んだ青年だった。
(やっぱり……)
オリアナは心の中で呟く。王都へ向かう道中で見かけた神官、それはやはりライラだった。
だが、ライラはオリアナには気付かなかったのだろう。特に驚いた様子はない。
ヘクターも、ライラの傍らに控えるように立っていた。
以前に見かけたときと同じく、きちんと整った所作の騎士だったが、どこか落ち着かないようにも見える。
視線を合わせた瞬間、彼の瞳にわずかな揺れが走った。すぐに目を伏せるその動作には、迷いとためらいが滲んでいる。
(彼も……何か知っているのかしら……)
オリアナは疑問を抱くが、それを口にすることはできない。
応接室の中は、穏やかでありながら不思議な緊張感が漂っていた。
「このたびは、お時間をいただきありがとうございます。私、神殿に仕える神官──ライラと申します」
ライラが深く頭を下げた。声は明るく、丁寧で、どこか親しみを感じさせるものだった。
「こちら、王国騎士団第三隊所属のヘクターさまです。オリアナさまと面識があると伺っておりましたので、ご同席をお願いしました」
紹介されたヘクターが一歩前に出て、改めて静かに頭を下げる。
「……再び、お目にかかれて光栄です。公爵夫人」
「ええ、お久しぶりですわね」
オリアナは微笑んで答えながらも、胸はざわめいていた。
(やっぱり、『物語』とは違う……)
本来、ライラがオリアナと会うことなどなかった。
『物語』では、彼女は幼なじみであるヘクターを助けるため、命を賭けて奔走する健気なヒロインだったはずだ。
オリアナとは交わることのない別の登場人物。ましてや、二人で邸宅を訪ねてくる場面など、記憶のどこにもない。
「実は……私には少しだけ、『未来を見る力』がございます」
「……未来を見る……?」
思わず聞き返すと、ライラはまるで恥ずかしそうに笑った。
「ええ、たいしたものではありません。ご神託のような、ふっと胸に下りてくる感覚と申しましょうか。私自身にも、なぜ視えるのかはわかりません」
オリアナは眉をひそめる。
その力が本物だという証拠など、どこにもない。
それに、『物語』にはライラにそのような力があるなどとは書かれていなかった。
「でも、それが間違いないのだと、先日……確信したのです」
ライラの声が、少しだけ低くなる。
「王都の誕生祭で──特別な宝石を身に着けられましたね」
オリアナは、息をのんだ。
確かに、あの夜、青く透き通る宝石を胸元に飾っていた。
それはサディアスの瞳の色に似た宝石を望み、彼が贈ってくれた特別なものだ。
「……ええ。そうですが……」
思わず答えてしまった自分に驚く。だが、ライラは構わず続けた。
「その宝石を、王妃殿下に献上するように求められましたね。そして……お断りになった」
ぴたりと、空気が凍ったような気がした。
オリアナは、その言葉をゆっくりと噛みしめながら、真正面に座るライラの表情を観察する。
ライラは穏やかに微笑んだまま、オリアナを見つめている。
(……その出来事は、きっと『物語』の中での話)
現実では、王妃は宝石に興味を示したものの、献上を求めたりはしていない。
むしろ、夫婦仲が良さそうな様子に満足げだった。
サディアスの心を掴んでいるのならば、今後オリアナが駒として役立つだろう、という打算を感じたものだ。
それなのに──ライラは、まるで『物語』をなぞるように語った。
それも、オリアナの知らない『物語』の部分だ。まだ『物語』が始まる前の出来事。
(どういうこと……?)
オリアナはどう答えるべきか迷う。
すると、ライラが柔らかく微笑んだ。
「……やはり、驚かれましたか。ご安心ください。これはすべて、『見えた』未来の一部に過ぎません。驚かれるのも無理はありません。予知とは、往々にして当人にとっても信じがたいものですから」
その言い方には、確信があった。
まるで、こちらの動揺すら想定内だと言わんばかりに。
(違う……この人、『予知』ではなく、『確信』している。まるで、未来を実際に『知っている』かのように)
それが一番の違和感だった。
予知というならば、もっと曖昧なはずだ。
だがライラの口ぶりは、まるで既に起きた出来事を語るように確信に満ちていた。
それも、おそらくは本来の『物語』だったであろう、現実とは違う出来事を。
そして──ライラは続ける。
「……それがきっかけとなって、公爵夫人は命を狙われることになるのです。そして、このままでは……命を落としてしまう」
ぞくり、と背筋を冷たいものが撫でていく。
微笑を崩さぬまま、ライラはまっすぐにオリアナを見つめた。
「だから、私は──」
微笑を浮かべたまま、ライラは言った。
「……公爵夫人を助けたいのです」
その言葉は、一見すれば慈愛に満ちた申し出だった。
けれど──。
オリアナの胸の奥に、ひやりとした違和感が残る。
助けたいと言いながらも、ライラのその微笑みには、なぜか温かさが感じられなかった。
(……この人は、本当に『私』を助けようとしているの?)
そう問いかけた心の声が、どこか虚空に吸い込まれていくようだった。




