表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編

I fault

作者: 氷憐 仁

初短編はとある恋人たちの雨の日のエピソードです。

#雨の中の蜃気楼、君を苦しめた僕を赦さないでほしい


雨が降り続いている。

僕の足元に広がる水たまりが、曇った空を反射して揺れている。

君が立ち去った背中を、ただ見送ることしかできなかった。

それが、僕の選んだ答えだったのかもしれない。

いや、違う。本当は何も選べなかっただけだ。

君と出会った頃のことを思い出す。

君はいつだって眩しい笑顔で僕を見てくれた。

その笑顔が、僕の世界を照らしてくれていたのに、

僕はその光が怖かった。

「大丈夫だよ、ゆっくりでいいから」

君はいつもそう言ってくれた。

僕が言葉に詰まるときも、

自分の弱さに苦しむときも、

君は決して僕を責めなかった。

でも、それがどれだけ君を疲れさせていたか、

僕は気づいていなかった。

君はただ、僕に寄り添おうとしてくれていたのに、

僕はその優しさを当たり前のように受け取っていた。

君を守りたいと思う気持ちはあったのに、

そのために何をすればいいのか分からなかった。

「君は何も悪くない」

そう言いながら、僕は自分の弱さを君に押し付けていた。

君の中に芽生えた不安や孤独は、すべて僕が作り出したものだった。

それに気づいたのは、君が涙を流したあの日だった。

「もう無理だよ、私だけじゃ支えきれない」

君の声は震えていた。

その言葉の重さを、僕はその場では理解できなかった。

ただ、君が僕のそばから離れることが怖くて、

何も言えなかった。

それから僕たちは、少しずつ離れていった。

君の笑顔は少なくなり、会話もぎこちなくなった。

それでも僕は何もできなかった。

そして今日、君はついに言ったんだ。

「ごめんね、もう一緒にいることはできない」

君を失ったのは、全部僕のせいだ。

君がこんなに傷ついてしまったのも、僕のせいだ。

その事実を受け止めるには、僕はあまりにも無力だった。

君の最後の一言が、雨音に消えていく。

「幸せになってね」

君はきっと本気でそう思っていたのだろう。

でも、その言葉が僕の胸に深く突き刺さる。

君が僕と過ごした時間が、君にとって幸せではなかったのかもしれない。

君が幸せになれる場所は、僕の隣ではなかったのかもしれない。

僕はただ、君の後ろ姿を見送る。

雨の中、君の足音は次第に遠くなり、

やがて何も聞こえなくなった。

立ち尽くす僕の頭の中には、ただ一つの言葉が響いている。

「全部、僕のせいだ」

僕の心の中は嵐のように荒れ狂っていた。

雨が降り続ける中、濡れた服が体に張り付き、冷たい風が容赦なく吹きつける。それでも僕はその場から動けなかった。足が地面に縫い付けられたように、ただ立ち尽くしている。

「全部、僕のせいだ」

その言葉は、雨音に負けじと何度も頭の中で繰り返される。君にとって何が幸せだったのか、僕には分からなかった。分かっていたのは、僕が君を本当の意味で守れていなかったということだけだ。

君が振り返ることはなかった。

最後の瞬間、君の顔をもう一度見ることもできなかった。もしかしたら、君は涙をこらえていたのかもしれない。いや、それとも本当に笑顔で去っていったのかもしれない。でも、どちらにせよ、僕にはその真実を知る権利なんてなかった。

雨音は少しずつ弱まり、街の喧騒が遠くから聞こえ始める。

それでも僕の中の喧騒は止まらない。手に握りしめていたスマートフォンが振動していることに気づく。震える手で画面を確認すると、友人からのメッセージがいくつか届いていた。

「大丈夫か?」

「何かあった?」

僕はそれに答える気力もなかった。ただ、「大丈夫じゃない」と返信したい衝動をぐっと抑えた。

君が幸せになれる場所が、僕の隣ではないのなら——

僕はその現実を受け入れなければならないのだろう。君がいないこの場所で、これからどうやって生きていけばいいのか、その答えは見つからないままだ。

ふと、ポケットの中の鍵が冷たく触れる。

それは君と僕が一緒に住んでいた部屋の鍵だ。君が去った部屋に帰ることに耐えられるだろうか。そこに残された記憶の全てが、僕を追い詰めるのではないだろうか。

僕は雨の中、ゆっくりと歩き出した。行き先も決まらないまま、ただ雨に打たれるままに。きっと、この冷たさが、君のいない現実を少しだけ麻痺させてくれる気がした。

雨は止む気配を見せない。

街灯の明かりが雨粒に反射し、ぼんやりとした光が僕を包む。僕はただ、無意識に歩き続けた。どこへ向かうのかもわからないまま、足が勝手に動いていた。

気づけば、見覚えのある公園にたどり着いていた。

君とよく来た場所だ。初めて手を繋いだベンチも、春には桜が咲き誇る並木道も、すべてが鮮明に記憶に残っている。けれど、今の公園は雨に濡れ、どこか寂しげだった。

僕は雨で濡れたベンチに腰を下ろし、空を見上げた。

雨が顔に当たり、冷たさが心まで染み込んでくる。だけど、それでも泣くことはできなかった。涙はもう、とっくに枯れてしまったのだろう。

「どうしてだろうな……」

声に出してみると、驚くほど虚ろだった。君と過ごした時間を思い返せば、確かに楽しいこともたくさんあったはずだ。それなのに、どうして君を幸せにできなかったのか。どうして、あの最後の瞬間に笑顔で君を見送れなかったのか。

ポケットの中の鍵をぎゅっと握りしめる。

君がいなくなった部屋に帰ることが怖かった。でも、このまま外にいても、何も変わらない。雨は、君がいない寂しさを癒してはくれないのだ。

ふと、近くの自販機の光が目に入る。君が好きだった温かいココアが売られている。何気なく小銭を投入し、ココアを買う。缶の温かさが手に伝わり、少しだけ気持ちが和らぐ気がした。

「君も、これで少しは救われたのかな……」

ひとりごとのように呟き、ココアを一口飲む。その甘さが、君の笑顔を思い出させる。君が最後に残した「幸せになってね」という言葉。その本当の意味を、今の僕はまだ理解できない。

それでも、君が僕の幸せを願ったのなら——

いつか、君の願いに応えるためにも、前を向く時が来るのかもしれない。君のいない世界で、君の分まで生きるという選択肢もあるのだろう。

雨が弱まり、雲の隙間から一筋の光が差し込む。

僕はココアを飲み干し、立ち上がった。今はまだ足元がおぼつかないけれど、それでも歩き出さなくてはならない。君が背中を押してくれたあの日のことを胸に刻みながら。

僕は静かに深呼吸をして、立ち尽くしていた体をようやく前に動かした。

雨はほとんど止んでいて、空には灰色の雲の切れ間からわずかに青空が覗いていた。街の景色がゆっくりと鮮明になる。少しだけ湿った風が肌に触れるたび、どこか現実に引き戻されるような気がした。

ポケットの中に入れていた鍵をそっと取り出し、手のひらに乗せて眺めた。

冷たさが少しずつ消えていく。君との思い出が詰まったあの部屋。今はもう君の気配がなくなってしまったその場所に戻ることが、僕にとってどんな意味を持つのか。答えはまだ見えない。

「でも、帰らなきゃな……」

自分に言い聞かせるように呟いた。その部屋に帰ることで、君と過ごした時間を改めて受け止められるのかもしれない。もしかしたら、そこに残された何かが、僕に次の一歩を教えてくれるのかもしれない。

足を動かし始めると、湿った地面が靴裏にくっつく感触があった。歩みは重かったけれど、前を向いて進むことで、少しだけ心が軽くなる気がした。君と一緒に歩いた道がどこか懐かしく、けれど遠く感じる。

部屋に着く頃には雨は完全に上がり、空が少しずつ明るくなっていた。

ドアの前で立ち止まり、深く息を吸い込む。握りしめた鍵を静かに差し込み、ドアを開けると、そこには懐かしい部屋の香りがほんの少し残っていた。けれど、空気はどこか冷たく、君の温もりが消えた部屋は広く感じた。

机の上に目をやると、一通のメモが置かれていた。

君が書いたのだろうか。震える手でそれを拾い上げ、そっと開いた。

「ありがとう。私はあなたと過ごした時間が、私の幸せでした。」

その文字を読んだ瞬間、胸の奥が熱くなり、止まっていた涙が一気に溢れた。君は本当にそう思っていたのか? それとも僕を慰めるための言葉だったのか? どちらにせよ、この言葉が僕を救ってくれた。

僕は静かに窓を開けた。

外の空気が流れ込み、部屋を包み込む。君が去った現実は変わらないけれど、君の言葉を胸に、僕はまた少しだけ前に進める気がした。

君が願った「幸せ」がどんな形なのか、まだ分からない。

でも、君が大切に思ってくれた僕自身を、もう少しだけ信じてみようと思った。

そうやって一歩ずつ進んでいけば、いつか君の言葉に応えられる日が来るはずだから。

窓の外を見つめながら、僕はぼんやりと空を眺めた。

雲がゆっくりと流れ、青空が広がっていく。雨上がりの匂いが、どこか懐かしいような感覚を呼び起こす。外の世界は、君がいなくなっても確かに続いているのだと感じさせられる。

「そうだ、あの写真を……」

君と一緒に撮った写真が、まだ部屋のどこかにあったはずだ。押し入れの奥にしまい込んでいた箱を取り出し、中を探ると、小さなアルバムが出てきた。

アルバムを開くと、そこには笑顔の君がいた。

僕の隣で、無邪気に笑う君。どの写真を見ても、君は幸せそうだった。ページをめくるたび、二人で過ごした日々が鮮やかによみがえる。初めて旅行に行ったとき、ふたりで迷子になって笑い合った夜、何気ない日常のひとコマ——そのすべてが、まるで昨日のことのように思えた。

でも同時に気づく。

君が笑顔だった瞬間、僕も確かに笑っていた。君の幸せは、僕にとっても幸せだったのだ。その事実が、胸の奥に温かさを灯すようだった。

アルバムを閉じて、そっと置いた。

そして一枚の写真を選び、小さなフレームに入れる。それを窓辺に飾ると、光が写真の中の君の笑顔を優しく照らしていた。

君が幸せを願ってくれたように、僕も君の幸せを願おうと思った。

それは、もう僕の隣ではないかもしれないけれど、それでも君がどこかで笑顔でいられることを祈ることはできる。その想いはきっと、これからも僕の心の中にあり続けるだろう。

深く息を吸い込む。

雨上がりの空気が心を洗い流すようで、少しだけ気持ちが軽くなった。君がくれた言葉と、君との記憶を胸に抱いて、これからの時間を生きていこう。少しずつでも、前を向いて歩いていこう。

君がくれた愛は、僕の中で生き続けている。

そう思えた瞬間、部屋に差し込む陽射しが少しだけ暖かく感じられた。

陽射しの暖かさを感じながら、僕はゆっくりと目を閉じた。

それでも、胸の奥に広がる喪失感は消えない。君の言葉を思い出し、少しずつ前に進むと誓ったはずだった。でもその誓いは、まるで薄氷の上に立つような不安定なものだった。

ふと、視線が机の引き出しに吸い寄せられる。

そこには君が残していったものがいくつか入っているはずだ。僕は恐る恐る引き出しを開け、中を探る。そこにあったのは、君が使っていた古びた手帳だった。最後までページをめくることができずに閉じたままだったその手帳を、今なら読める気がした。

表紙を開くと、君の手書きの文字が目に飛び込んできた。

その文字は、日々の何気ない出来事や思いが綴られていた。君がどんなふうに僕との日々を過ごしていたのかを知ることができる、君の心の一部のようだった。

しかし、最後の数ページにたどり着いたとき、息が詰まった。

そこには、君が僕との時間について悩み、苦しみ、そして最後に決断を下した過程が赤裸々に記されていた。

「彼のことが大好き。でも、それだけでは続けられない。彼が幸せになるために、私がいなくなったほうがいいんだと思う。」

その一文を目にした瞬間、胸に突き刺さるような痛みが走った。

君が僕のことを想いながら、どれほど自分を犠牲にしていたのかが伝わってきた。僕は君を幸せにしたいと思っていたはずなのに、君は僕のために苦しみ続けていた。その現実が、僕を押し潰すようだった。

手帳を閉じ、力なくソファに身を沈める。

部屋に広がる静寂が重くのしかかる中、僕はふと気づいた。君が去っていったのは、僕自身が彼女を本当に理解できなかったからなのだと。彼女を愛していたつもりだったけれど、その愛が彼女を縛っていたのだ。

窓から見える空は、いつの間にか暗くなり始めていた。

部屋に差し込んでいた陽射しはもう消え、代わりに冷たい夜の闇が迫ってくる。僕の中にも、同じように冷たく暗い感情が広がっていく。

「もう遅すぎたんだ……」

呟いた声は、虚しく部屋に響くだけだった。

君がいないこの部屋で、僕はこれから何をすればいいのか分からなかった。記憶と後悔が絡み合い、僕の心を締め付け続ける。その重さに耐えきれず、僕はただその場で膝を抱え、暗闇の中に身を沈めるだけだった。

君の幸せを願おうと思ったはずなのに、その想いすらもう手遅れだったのだ。

そして、僕自身が幸せになる未来もまた、遠い雨雲の向こうに消えていくように思えた。

部屋の中は静寂に包まれていた。

時計の秒針の音すら、いつもより大きく響くように感じる。君の姿がもう二度とここに戻らないと考えた瞬間、その現実がようやく僕の中で完全に形を成した。

胸の奥が張り裂けそうだった。

後悔、罪悪感、愛しさ、すべての感情が渦巻き、飲み込まれてしまいそうになる。君と過ごした日々が、まるで幻だったかのように思えてくる。手の中からこぼれ落ちていく砂のように、僕は何も掴めなかった。

「ごめん……ごめん……!」

呟きが次第に声となり、声がやがて嗚咽へと変わっていく。床に顔を伏せたまま、抑えきれない涙が溢れ出し、部屋の静寂を切り裂くような悲痛な泣き声が響いた。

どれほど泣き続けただろうか。

涙が頬を伝い、床に落ちていく音だけが、今の僕を繋ぎとめている。誰もいない部屋で、誰に向けるでもなく泣き叫ぶ。その声は君に届くはずもないけれど、それでも止められなかった。

「君が……君がいないと……」

言葉は途切れ途切れで、それ以上は何も続かなかった。ただ、喉が枯れるまで、僕は泣き続けることしかできなかった。

雨上がりの空には星ひとつ見えない夜。

部屋の中の闇はますます深くなり、僕の泣き声だけがそこに響き続けていた。君を失った現実を抱えたまま、僕はその夜、一人きりで沈んでいった。


雨空に消えた君の影

届かない声が胸を裂く

雨が洗えなかった傷跡

今も深く刻み込まれている

ひとひらの愛を握りしめ

崩れた未来を見つめてる

君の幸せを願うたび

僕はまたひとつ壊れていく

「もしも」なんて言葉の中に

溺れることしかできなくて

君のいないこの部屋で

光はもう、戻らない

雨音は止まり、静寂の中

ただ君の名前だけを呼んでいる

僕が残した後悔の歌

夜の闇に溶けて消えていく……


夕闇の中、一つの輝きは互いに想い合い、やがて飽和した。


いかがでしたでしょうか。誤字などの不備があればコメントいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ