妖精の水葬
彗星の窓際に、一斉の真珠が散りばめられた夜を過ぎた、明け方に近い頃のこと。薄氷に浮かぶ、藍色の王国に名前もない妖精が、琥珀に身を染め、そっと瞳を閉じました。
宝石箱の暁色をまだ見る前。愛する人と星座を数え、水の畔で揺らぐ月を、優しげに撫でたその時でした。微笑みを浮かべたその姿のまま、静かに息を引き取ったのです。
優艶とした黒髪に、珊瑚の色をした着物を着付けて、安らかに眠る黄金の肌。国一番と歌われた美しい容貌に、炎の光を魔法の粉に変える才能を持ち、誰からも愛された人でした。それだけに、彼女の唐突な生命の終焉には、誰もが胸を痛めました。
彼女の周りを囲み、各々が携えた色彩を投影した花を持つ妖精達。彼らは名前もない妖精にキスをします。ある者は抱き締めましたが直ぐに離れて、おでこに可愛らしく口づけました。
星屑が呼び合い、黄燐がキラキラと降り注ぐ妖精たちの小さな国の、綺麗で繊細な女王様。しかし今、羽はすっかり萎んでしまって、赤かった唇も青色に染まってしまっていました。
「お前、行ってしまうのだね。」
名前のない女王の最愛の人である王様が、彼女にキスをしました。
「これからお前はイズピレンの海を渡って、遠くに行ってしまうのだ。」
聡明な雰囲気の男でした。王様というよりは羊飼いのような。水の畔で行われる葬式を警護する守備隊長の方がよっぽど、貫禄があったでしょう。
「お前の名前を決めなくてはいけないね。」
王様は微笑みました。
「リディア、リディアという名前はどうかな?特に意味はないさ。私が今、心に降ってきた音を紡ぎ合わせたんだ。」
王様が愛おしそうにリディアの肌に触れました。
リディアの体を王様が、小さなユリの花弁に乗せます。
「このまま、水の流れに乗って、美しい自然の育みへ君は帰っていく。こんなに、早く消えてしまうなんて悲しいけれど、君との時間は、静かで幸せだったよ。」
青い炎が空に浮かび、彼女の最後に残った魔法が、闇に花火を打ち上げました。
「リディア様、よい旅を送ってくださいね。」
リディアの友人であり、お抱えの秘書である妖精が、呟きました。それを合図にしたように、優しい朝焼けが空を照らし、妖精たちの手から仄かな灯籠の光が満ちていきます。
「リディア。」
名前の付けられた妖精は、水の冷たい飛沫と彼らが灯した道しるべを得て、桃色の陽が昇る遥か先へと流れていったのでした。
おしまい
Ps.神楽鳴