第2章第15話 支流
まず手始めにこれを見てくれ。そう言ってフジは机にガラスの瓶を置いた。
ビンの中には虹色に揺らめく霧のようなものが封じられている。
「俗に、魔物とは野に生きる獣の祖先に魔力が宿った結果生まれたものだと言われている。
始まりは猪だ、鹿だ、ウサギだの説はいくつもあるが、重要なのはそれではない。
べオ、ヴァラヴァルディン殿。ここで考えてみて欲しい、そもそも魔力が宿るとは何だ?」
「魔力が宿る…生まれつき空だった魔術回路に何らかのきっかけで素の魔力が流れ、その人の属性に沿った魔法が使えるようになることだと思うが」
「一般論ではそうだ。私もそう習った、しかし。それでは説明がつかないものを見つけた」
それがこれだ。フジは瓶を持ち上げべオに投げた。
ビンの外からは何も見えないが、感覚でわかる。
これは魔力だ、それも何の変哲のないような。空気中に紛れていても、誰にも区別することは出来ないだろう。
「中を見てみろ。覗くのは1秒以内だ」
蓋を開けると、刺激的なにおいが鼻を抉る。
脳裏に色彩が弾け、脳みそをむんずと鷲掴みにされる感覚が走った。
わたしをかいほうして、ここはさみしい、さみしい、あなただったら。わかるで、しょう
さあもっとかいで、あなたのすべてをしるのはわたしだ。け。さ、ささ、さああ
「嗅ぎすぎだ」フジはべオの鼻をつまみ、ビンは閉じられる。
蓋が閉じられたことを口惜しく思う自分がいることに、べオは底無しの不快感を覚えた。
同時に、何か脳が先鋭化する。今までにない、芽が枝先に実り始めるような。
「こ、これはいったい何なのですか…?まるで…まるで意思があるかのような…」
「…こいつは、精霊都市カローナで見つけた。
カローナに着いて見たのは、カイニと同じ風景。
大図書館も魔煙の塔群も、全て血に塗れ。人影などどこにも無し。
アルスを探しに来たのだが、奴の隠れ家はもぬけの殻だった。
死んだと見てもいい、するとそこに一人の男がやってきた」
フジは不服そうに眉をしかめながら瓶を荷物袋の中に放り込んだ。
「カローナではこれが大気中に散乱していた。これを吸った瞬間に、脳を乗っ取られ自死してしまう。処刑人とは、これに適応し力を得た者共の総称。
魔王の残滓、それがこの災厄の正体だ。通常、魔王も死んだら、肉体も魔力もすべて分解されこの世から消える。しかしそいつは別だ、何度死のうとも絶対に死なない。永久の時を生きるもの。べオ、お前だったら分かるだろう?」
「まさか…」
「魔王インディゴ。どうやらこの一連の黒幕はインディゴの残滓を使って何かを企んでいるらしい。
これを教えてくれた男も、インディゴにはなじみが深いだろう。何せあいつを殺した本人なのだから」
勇者アンバー。
フジが告げたその名前、そのとき。
遥か遠方の旅人が微かに反応した。
「…ああ、ようやくだ。運命の支流が合流し始めたのか。
苦節何万、インディゴの死、ペルセウスの暴走、べオの目覚め、しかし。
未だに納得はしていないようだな、こんなところまで来たというのに。
君はあと何回手を伸ばすのだ?もがき続けようと、終わりなど無いと知っただろうに。
この世界の意味、役割を脳に刻まれてなお、変えようともがくんだね。
なれば僕も答えないと、か。こんな黄泉の辺境で出来ることは限られている様けど」
冷たく昏い川を小さな船が泳いでいる。
3人の人影が見えた。
船頭は無感情にオールをこぎ、透明な髪の大男がアストロラーベを片手に目の前の男に語り掛けていた。
「いいや、限られてなどいない!貴方の呼びかけが無かったら、俺はこの異常を察することなどできなかっただろう!94年の人生ではまだまだ足りないらしいな!はははははは!!!」
男は目深に被ったマントを脱ぎ棄て、腰に携えた剣の柄に手を掛ける。
太陽を思わせるオレンジ色の髪、澄んだ海のような青い瞳。
爽やかな笑みを口端に浮かべ、船の先端に足を掛ける。
「不滅の勇者アンバー、ここに参る!永久の眠りを謳歌されるもの、死の神オルフェウスよ!
嘆く死者群を裁くことに飽いた貴方には重すぎる権能を、頂きに来た!」




