第1章第8話 駒は動く①
「…チッ!何も出来ぬのか!この腑抜けどもが!」
そう叫び、椅子を蹴倒す。
第2皇子ガーベラは苛立っていた。
今年で74歳になる。
ガーベラの前では、妖酔の影が跪いていた。
「…すべてが狂ったのは!24の時だった!
第1皇子コーラルを毒殺し!儂が王になるはずだった!
…だと言うのに!あのアッシュめが!儂を抜いて!王に成った!
最悪と呼ばれた魔王インディゴを倒したから、だと!?
ふざけるな!前王ゲルクは愚かだった!
儂が王に成るために!貴様のために!何十年と心を殺し続けたと思う!?」
ガーベラは剣を抜き、戸棚に切りつける。
「…だから今だ。カトリーナがいたのは幸運だった。
ようやく王に成れるというのに…!
…魔王インディゴの復活、レドールのドラゴン退治の功績、
インディゴとアッシュの密談、その全てが儂に牙をむいておる…!」
ガーベラは飲みかけのワインを、妖酔の影に投げつける。
「…貴様らが、暗殺に失敗したせいで!
もう猶予はないのだぞ!」
ガーベラは妖酔の影を蹴る。
何度も蹴る。
妖酔の影は何も言わずに、ただ耐えていた。
ガーベラは剣を振りかざす。
「…ガーベラ様、ただいま戻りました」
ドアの近くに女が立っていた。
髪は白く、肌は黒い。
纏った金の鎧も、エルドラドの人間ではないことを示している。
「おお!ヂュヂカ!帰ったか!
南の反乱分子はどうだった?」
「はい、大したことはありませんでした。
私一人でも制圧できるレベルでしょう」
「ほっほ、そう謙遜するな!
ああ、ワインがあるんだ!
どうだ?一杯いかないか?」
ガーベラは上機嫌になり、
コップにワインを注ぎ始める。
「…申し訳ありません。
この後訓練が控えていますので…」
「あぁ…なら仕方がないな…。
…もう寝る、鍵は頼むぞ」
そう言ってガーベラは寝室に入っていった。
「…役立たずめ」
ヂュヂカは妖酔の影に、唾を吐く。
それでも、妖酔の影は動かなった。
「消えろ」
そう言われ、妖酔の影は消える。
ヂュヂカも、ガーベラの部屋の鍵をかけて出ていった。
ヂュヂカは自分の部屋へ帰るため、廊下を歩く。
給仕たちとすれ違う。
顔は合わせないが、好奇の目がヂュヂカを刺す。
ーーこの視線が嫌いだった。
ヂュヂカは両親を知らない。
奴隷市で死にかけていた彼女を、
拾ったのはガーベラだった。
最初は気まぐれだったのだろうか。
7歳と41歳。
自分に都合のいいメイドにでもするつもりだったのか、
最初はマナーを教えられたが、苦手で全く覚えられなかった。
皿も洗えない、料理も作れない、掃除をすれば逆に汚す。
最後は剣を持って、教官と殺し合わされた。
…勝てたのだ。
逃げたふりをして、首を刺した。
それでも死ななかったから、
目を刺して、口を刺して、最後に心臓を刺した。
予想外だったのだろう。
あの方…ガーベラ様は、私を直属の兵にしてくれた。
女の身でありながら、兵を仕切る。
何度、奇異の目に晒されただろう。
だが、それでも立ち続けた。
この体を血に染め、指も数本は無い。
そんな私をガーベラ様は、信頼してくださっている。
だから、尽くす。
たとえ魂が地獄に行こうとも、怖くはない。
満足して死ぬことができるだろう。
そんなことを思いながら、部屋のドアを閉める。
そこには、黒い鎧を纏った騎士がいた。
首をつかんで、押し伏せられる。
「…喋るな、首を振って答えろ。
…貴様はガーベラの側近か?」
「…無礼者め!」
首を絞める力が強くなる。
「…聞くぞ、貴様たちに力を与えているのは誰だ、
そいつの目的は?」
「…カハッ…!」
息を吐き、ドラウの手に噛みつく。
「…喋る気は無いと言う事か。
…その覚悟に答えてやろう」
首を絞める力はさらに強くなった。
息ができない。
ゆっくりと意識が消えていく。
gururu?
声が響いた。
暗闇の中で、眼が泳いでいる。
次第に姿が現れていく。
それは肉の塊だった。
血が、筋肉のように脈動している。
眼は5つあり、それぞれ歪で大きさも位置も違う。
開いた口からは、腐臭がしていた。
guooooooooooooooooo!!!!
肉が伸び、ドラウに巻き付く。
「ぐはっ!…まさかこれがオルトロス!?
これが神なのか!?…ぐがああああ!!」
ドラウは壁に叩きつけられる。
気を失ったドラウは、地面に崩れ落ちた。
「どうしました!ヂュヂカ様!?」
側近の兵たちが飛び込んでくる。
「うっ…なんだこの腐臭は?
それにこの魔族…何が起こったので…?」
兵が部屋に足を踏み入れたのと同時に、オルトロスの姿が消える。
「…私にも分からない…だがそいつは侵入者だ!牢に捕らえておけ!」
ドラウは兵士たちに連行されていく。
「…あれが?あんなものに力を借りていたのか…?」
ヂュヂカは、オルトロスがいたところを手でなぞる。
ジュっと音がして、手袋が溶けた。
「…これは危険だ。
こんなもので勝とうとも、品位を落とすだけ…」
ヂュヂカは戦慄した。
人の手が及ばない魔窟。
想像もつかぬ何かが、動いている。
自分達は、そこに足を踏み入れたかもしれぬという事実に…。
決戦の時は、近づいていた。




