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私の油断

私の油断

「蛇沼さん。今度合宿があるんだけど、蛇沼さんも来ない?」

「え?合宿、ですか?」

 ある日、義務感九割話の流れ一割で幾つも掛け持っているサークルの一つに顔を出してみると、顔見知りの二年生にそう持ち掛けられた。時期としてはもう上半期が終わろうとしていて、夏休みも目前という七月の上旬。確かにそろそろそんな話が出てくる頃だったけど、全く気付かなかった。それに、気づいたところでなんの意味もない。

 そこは、ただ顔を広くする目的で入ったなんてことのないありきたりなサークルだった。どれくらいありきたりかというと、「体育会系サークル」なんて謳っておきながら部室に顔を出せば今日はどこで飲むかという話しかしていない、そんなどこにでもあるようなサークル。だから強化(笑)合宿なんて行く気なんて全くなかったけど、にべもなく断るのも悪い気がしたのと、周りの人達の押しが思いの外強かったのとで、そのときは結局有耶無耶にしてしまった。

「合宿?そういうのがあるの?」

 試験が終わって、一通り授業も終わった今日、私は大学の帰りに悦啓の家にふらっと向かった。悦啓の学部は昨日の内に授業が終わっていて、インターホンを押すとすぐに出てきた。私も悦啓も、比較的家から遠い大学を選んだおかげで今は一人暮らしをしている。いつものように上がらせてもらって、気兼ねなくベッドで休んでいると、押し付けられた合宿のプリントが悦啓の目に留まった。

「あー、なんかあるみたい。夏休みだからって」

「へえー、なんか楽しそう」

 興味深そうにプリントを眺める悦啓の表情は、心なしか輝いているように見える。

 悦啓は、どのサークルに入っていない。入学したばかりの頃は私も悦啓も人と接するが怖くて、まずは私が色んなサークルに入ってみて、そこから悦啓に合ってそうなサークルを紹介することにしようと私が決めたから。けど、私はまだどこも紹介していない。やっぱり大学は色んな人がいて、ここなら大丈夫、といえるようなところは一つもなかったし、別に入らなくてもいいんじゃないかって考えもあった。

「愛は行かないの?合宿」

 熱心にプリントを眺めていた悦啓だったけど、不意に私の方を向くとそれを差し出してくる。

「んー……でも、結構忙しいし……」

 嘘。この夏休み、私は殆ど予定を入れていない。入れるつもりもない。まあ、悦啓はそうとは知らないけど。

「確かに、サークルだけでも沢山入ってるしね……大丈夫だよね?無理してないよね?」

 けど、真面目で優しい悦啓の瞳は微かに震えていた。私の瞳でその震えをそっと抑えるように、撫でるように見つめ返す。

「……うん。大丈夫だよ」

 仮に本当に忙しかったとしても、誓ってもいい、私はこういうつもりだ。

 それが私一人でどうにかなるような問題なら、なんの問題もないんだから。

「そっか。ならよかった」

 悦啓は表情を緩めると、膝に手を添えて立ち上がった。

「もうこんな時間だし、晩御飯も殆ど出来てるから食べていきなよ」

「え、いいの?」

 思わず声のトーンが上がる。悦啓は料理が上手いけど、最近は中々食べる機会がなかった。

「疲れてるでしょ?ゆっくりしてなよ」

「やったー。あ、じゃあついでに泊まってっていい?」

「いや、家はそんなに離れてないじゃん」

 ちっ。即答された。久し振りついでにこれもいけるかなと思ったけど、駄目か。

「あー、やだなー、疲れたなー、動けないなー、これは一キロも歩けないなー」

 ベッドの上で手足をばたつかせて、遺憾の意と強い抗議を表明してみる。モデルはこの前道端で駄々をこねていた四歳くらいの男の子。

「……はぁ。仕方ないなぁ」

 悦啓はしばらく幼児退行した私を無視して料理の準備をしていたけど、五分くらい頑張っているとついに折れてくれた。泣く子と地頭には勝てないとは、このことか。

「ほんと?んじゃ、着替え用意してくるね」

「やっぱり動けるんじゃん!」

 

 自分の家で泊まりの準備をして戻ると、ちょうど晩御飯の準備が終わったところだった。悦啓がエプロンを外しながら廊下に顔を出す。新妻感が凄い。

「おかえり。早かったね」

「ダッシュで行って、全速力で戻ってきた」

「やっぱり元気じゃんか」

「なに作ったの?」

「豚の生姜焼き」

「お、いいね」

 悦啓は昔から家庭的な料理を作ることが多かった。私のお母さんよりも家庭的だったかもしれない。

 悦啓が出しておいてくれた円卓に、二人で向かい合って座る。テーブルの上には、ご飯にお味噌汁、生姜焼きにはキャベツの千切りが添えてある。うーん、ここだけは新妻というより熟年夫婦感。

「んじゃ、頂きまーす……あ、美味しい。やっぱり悦啓って料理上手いよね」

「そう?愛も同じくらいできるじゃん」

「んー、でも最近はそんなに頑張ってないしなー」

 こんな話をしていると、昔のことを思い出す。昔っていっても、ほんの一年前のことだけど。

 私たちがこういうふうに一緒に料理を作ったりしていたのは、夏休みとかの長い休みのときが殆どだった。私の両親はいつもは家にいたけど、長期休暇中には何日か家を空けることがあった。小さいときはその間祖父母の家に泊めてもらっていたけど、悦啓と仲良くなって、ある程度大きくなってからは頼み込んで私の家に二人で過ごしていた。二人であれこれふざけながらご飯を作ってはその味に一喜一憂したり、夜中の真っ暗な家でかくれんぼやお化け屋敷ごっこをしたりした。

 一年に何日かの、二人だけの時間。私にとっては、一番幸せで無邪気な時間だった。多分、悦啓にとってもそうだったんだと思う。悦啓はその頃からすでに親に対しても一種の緊張みたいなものを抱えていたし、それが増した高校生になってからもその関係は変わらなかった。

 外ではあらゆる人に怯えていた悦啓にとっても、みんなに牙を剥いていた私にとっても、大事な時間だった。あれがなかったら、私も悦啓もとっくに潰れていたかもしれない。

 悦啓も同じことを思い出していたのかもしれない。特になにも話さずにお互い黙ってご飯を食べている間も、悦啓の表情には仄かに笑みが混ざっていた。私の勝手な思い込みかもしれないけど。

「ごちそうさま」

「ごちそうさまでした。片付けは僕がやっとくから、先に休んでていいよ」

「え、流石にそのくらいは私がやるよ。作ってもらったし」

「大丈夫だから。どうせ大した手間じゃないし」

 そういいながら、悦啓はもうキッチンに移動して片付けを始めている。まだ立ち上がってすらいない私は完全に出遅れていた。

「分かった……けど、なにか手伝うことあったら言ってね」

 一応そう言ってはみたけど、片付けは悦啓の言うとおりすぐに終わるだろう。仕方ないから、手元にあったリモコンを取ってテレビをつけた……けど、面白いのやってないや。

「……そういえばさ、」

 ぽちぽちと意味もなくチャンネルを切り替えていると、片付けを終えた悦啓が私の隣に腰を下ろす。

「ん?なに?」

「やっぱり、合宿行ったら?」

「え、どうしたの急に」

 その話はもう終わったものだと思ってたから、面食らってしまう。

「だって愛、最近ずっと僕と一緒にいるじゃん。他の友達もいるのに」

 その通り。水仙との一件から、私はなるべく悦啓と一緒にいるようにしていた。あの後水仙の姿は見ていないけど、警戒は解いていない。けど、流石に悦啓もそのことには気づいていたか。

「僕がこの前あんなこと言ったから気にしてくれてるんだろうけど、あのくらいなら僕は大丈夫だから。忙しいならあの合宿じゃなくてもいいけど、とにかく愛だけの時間も取ってほしい」

「……」

 驚いた。悦啓にこんなことを言われるなんて、思ってもみなかった。それだけ、余裕が出てきたってことなんだろうか。去年、いや入学直後の悦啓でも、こんなことは言わなかったと思う。

「分かった?」

 悦啓に引くつもりは全くないらしい。ここで突っぱねるようなことをしたら、その方が悦啓は気にしてしまうだろう。

「……分かった。考えとく」

 そう答えると、悦啓は満足そうに頷いた。


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