俺の人間関係
俺の人間関係
本当は、タピオカをダシにナンパでもしようかと思っていた。けれど何故か気が向かなくて、ダラダラと甘ったるいタピオカをすすっている間に蛇沼と出くわした。もしこれがナンパ中だったら、きっと気まずいことになっていたに違いない。その点は不幸中の幸いというべきか、なんというか。
けど、その後の会話はお世辞にも愉快だったとは言えない。この前俺が悦啓を騙して合コンに連れ出したことは大方本人から聞いたんだろうが、訳の分からん釘を刺しに来たというだけのことだったらしい。
「悦啓は……昔色々あって、女性が苦手なの。だから、無理に女性と会わせるようなことしないで。女性恐怖症みたいなものなの」
悦啓が合コンを意図的に避けているのは知っていた。けど、女性恐怖症ってなんだ?あいつは、普段の授業では普通に女子とも話している。まあ、俺みたく積極的に話しかけているって訳じゃないが、少なくとも話しかけられれば受け答えはしていたし、なにより蛇沼とは仲がいい。そんなのは女性恐怖症とは呼ばない。
けど、それを指摘したとき、蛇沼はこう答えた。
「私は大丈夫だけど、他の人はダメなの」
思わず笑ってしまった。蛇沼は本気で怒ってたが。けど、俺としては笑うしかなかった。
蛇沼と初めて言葉を交わしたのは、大学入学から一か月程たって新歓も落ち着き、みんながそれぞれのサークル内で人間関係を作り始めた頃だった。親睦会的な集まりで、向こうから声をかけてきた。俺は、まさか大学生活がこうも幸先よく始まるとはと喜んで連絡先を交換した。
この時、なんで蛇沼がああも積極的に俺に声をかけてきたのか悟ったのは、ちょうど俺が蛇沼の紹介で悦啓と知り合った頃だったか。
蛇沼と悦啓が大学でもよく一緒にいることは知っていた。小学生の頃からの仲だというし、今更驚くことでもなかった。ただ、より蛇沼を近くでみるようになって、蛇沼の行動すべてが悦啓のためにあるような、ある種の不気味さのようなものを感じ始めていた。蛇沼は入学早々かなり顔が広かったが、そのやり取りなどを見ている限り、その中には蛇沼本人が仲良くしたいと思っているような奴は一人もいないように見えた──俺も含めて。それは、何気ない会話の中にもはっきり表れていた。悦啓に関わる話──悦啓そのものだけじゃなく、あいつの受けている講義だとかの直接悦啓に関係ない話まで──と、俺や蛇沼本人に関わる話では、明らかに食いつきが違った。
そういう事実に気づき始めた頃に悦啓を紹介され、俺は直感的に何故蛇沼がわざわざ俺と関係を築こうとしたのか悟った。どうして俺が選ばれたのかは分からないが、きっと俺は悦啓の友人役に選ばれたんだろうと。
正直、不快だった。それが打算的に俺に近づいた蛇沼に対してか、明らかに異常な関係を呑気な顔で続ける悦啓に対してか、どちらに対しての不快感かは分からない。けど、俺は蛇沼の紹介を笑顔で受けた。いっそのことこのまま利用されて、枷下悦啓がどんな人間か、二人がどんな関係なのかじっくり見てやろうと思ったからだ。
分かってはいたが、それからの蛇沼は露骨に俺から悦啓の動向を聞き出そうとするようになった。本人は上手く隠していたつもりだろうが、すでにそういう疑いを持っている俺からすればそれは明らかだった。それでも、俺は蛇沼の望む通りに動き続けた。
そうするうちに、はっきりと分かった。
悦啓は、女性恐怖症なんかじゃない。確かに苦手にはしてるらしい。その理由を蛇沼は言いたがらないが、大まかなところは俺にも分かる。けど、それを加味したところで、女性恐怖症ということにはならない。悦啓は憶病になっているだけだ。女性と、友人以上の関係になるのが怖くて仕方ないんだろう。けど、世の中の女性が全て悦啓や蛇沼のイメージするような人間じゃない。
俺が強引に合コンに連れ出したのも、悦啓の女性嫌いは大したものじゃないと分かっていたからだ。そして、そんなものに振り回されるのが馬鹿らしくなったからだ。
なのに、蛇沼は悦啓が致命的なトラウマを植え付けられたと信じて止まない。悦啓は女性に触れると死んでしまうとばかりに頑なに女性を遠ざけようとする。そりゃあ、吹き出したくもなる。
なんにせよ、これで俺が蛇沼の信頼を失ったのは間違いない。蛇沼は、今度は俺をも悦啓から遠ざけようとするかもしれない。利用価値のなくなった俺は蛇沼に見限られ、悦啓はなにも知らず、いわれるがままに蛇沼の後に付いて俺との関わりを断つ。のかもしれない。
「……あほくさ」
なんなんだこの茶番劇は。踊るだけ踊って、くたびれもうけじゃねえか。
気づけば日はすっかり落ちていた。露店は店じまいをして引き上げ、道を歩く人もインスタ映えを狙う学生が減って居酒屋を渡り歩く社会人が増えてきた。
もう帰ろう。なにをする気力もなくなってしまった。
あの後、二週間程大学に行かなかった。講義の出欠をいくつか落としたのは痛いが、二人と顔を合わせる気にはどうしてもなれなかった。かといって家に籠るのも性分じゃないし、行く当てもなくふらふら出かけていた。今日も、とりあええず乗った電車から降りることもなく、ぼーっと窓の外を眺めている。
と、ポケットの中でスマホが震える。
「……?」
開いてみると、見慣れない人からメッセージが来ていた。誰だっけ、これ……あ、思い出した。この前の合コンの時に交換した人だ。蟹沢花恋さん。悦啓を連れ出した時に一応交換はしたが、あの時は殆ど話さなかったし、その後も連絡は取っていなかった。それがなんで急に?
『突然すみません。紹介して欲しい人がいるんですけど、いいですか?』
『紹介して欲しい人?誰ですか?』
人を紹介して欲しいという連絡自体は偶に来るが、まさかこの人から来るとは。そんなイメージがなかったから、なんか以外だ。
無視するのも変だしと返信すると、すぐに既読がつく。
『この前お会いした時にいた、枷下くんという人なのですが』
……まさかこんな時にその名前を聞くことになるなんて。でも、何故だ?こういうとあれだが、枷下はこんな風に紹介を求められるような奴じゃない。少なくとも、遊びたいからとかそういう理由ではなさそうだ。
『人の関わる話だから、一応理由とかを聞いてもいいですか?』
いつもはこんなことは聞かないが、警戒心が鎌首をもたげてしまう。既読はすぐ付いたが、今度は返信に少し時間がかかった。
『私の友人で、枷下くんに会いたいって人がいるんです』
なんだろう、あんなことがあったばかりだからかもしれないが、さっきから嫌な予感しかしない。車内は冷房が効いていて涼しいのに、じんわりと汗が滲んでくる。
『私の高校生の頃からの友人が枷下くんを知っているみたいで、どうしても会いたいって言ってるんです。名前は芥原菜子っていいます』
…………………………。
一瞬、全ての思考が止まってしまった。だが、既読をつけてしまった以上返信はしなければならない。そうとは分かってはいたが、それでもスマホの電源を落としてしまった。
芥原菜子。覚えている。顔も、名前も、どんな奴なのかも。
これは蛇沼、悦啓、俺、誰にとっての災厄になるんだろうか。