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私の安寧?

私の安寧?

 鍵を開けて、扉を開く。右手側のスイッチを押すと、廊下の電気がついて奥の部屋の闇を際立たせる。その陰の中に人型のシルエットを認めて、思わずため息が漏れた。

 今日も一日、無事に終わった。

「ただいまー」

靴を脱ぎ、廊下を進む。手探りで明かりをつけると、ほのかな明かりが変わらない日常を映し出す。

一人暮らしするのが精々な六畳のワンルーム。家具はベッドが一つ、畳まれたテーブルが壁際に一台、クッションが二つ。ダイニングキッチンがあって、そこには最低限の調理器と二人分の食器が小さな棚に収まっている。

そして、部屋の中央に置かれた椅子に、男の子が一人。背もたれに上半身を預け、少しあいた口からは静かな寝息が漏れている。特に変わった様子はない。

「……ただいま」

 少しずつ伸びてきた前髪が目にかかっている。それをそっとどけて、静かな寝顔を見つめる。

 私たちくらいの仲でも、人の顔をこんな近距離で見る機会はなかなかない。けど、ここ最近は毎日のようにこうして彼の顔を見つめることができる。それが、堪らなく嬉しい。私たちのおかれている状況が決して明るくないのは十分わかっているけれど、それでも。

 ずっと、こうしていられればいいのに。

「……ずっと同じ姿勢で疲れたでしょ。ベッドに移ろっか」

 彼は、かれこれ数時間はここに座っているはずだ。姿勢を変えてあげないと、体に負担がかかってしまう。ベッドに運ぶ為に、椅子から抱え上げる。私の力が足りなくて半ば引きずる格好になってしまうけれど、椅子とベッドの距離はさほどない。そっとベッドに横たえてあげた。

 寒くないよう、布団を掛けたところで。

「…………ん」

 彼の瞼が、ゆっくりと持ち上がった。

「……あれ……」

 まだ意識ははっきりしていないようだ。それでも目に映る天井が見慣れないものであるのには気づいたのか、微かに焦点の定まらない目を動かす。その目は、直ぐに私を捉える。

「あれ……?」

「おはよう。起きた?」

 不安にさせないよう、笑顔で呼びかける。と同時に、ポケットに手を忍ばせて中の瓶を取り出す。

「なんで……愛がここに……どうして……?」

「大丈夫。落ち着いて。今説明してあげるから」

 部屋の隅に置いておいた水の入ったペットボトルを手繰り寄せて、それを悦啓の口元に持っていく。

「その前に、これを飲んじゃって」

 悦啓はまだぼんやりしている。差し出された薬と水も素直に飲んでくれた。

「……飲んだよ。それで、今は……?」

「悦啓、昨日急に倒れたんだよ。ここに遊びに来てたんだけど、熱があったみたい。覚えてない?」

「え……?」

 悦啓の目が僅かに光を取り戻す。なにかに気づいたようだ。

「僕がここに来たのって、昨日じゃなくて……」

「……ん。そうだね」

 それ以上喋らせないように、その頭をそっと撫でる。それが引き金になったかのように、悦啓の目はまた光を失う。

「あ……れ……。なんで……」

「お休み」

 もう一撫で。それで、悦啓の目は完全に閉じてしまった。

 この言い逃れは、これで何回目だろうか。

 この言い逃れを、あと何回できるだろうか。

 私が悦啓をこうして監禁したのは、完全な思考と努力の放棄の結果に他ならなかった。

 こんなことしても、なんにもならないのに。そんなことは、分かっているのに。

──刑法第二百二十条 不法に人を逮捕し、又は監禁した者は、三月以上七年以下の懲役に処する。

刑法第二百二十一条 前条の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。──

このことが明るみに出れば、世界は私を許さないだろう。人々は私を裁くだろう。悦啓でさえ、このことは許してくれないかもしれない。そして、私は拗らせたストーカーとして見られ、悦啓は哀れな被害者になる。私と悦啓の関係は永遠に断たれて、もう二度と会うことは叶わなくなる。

そんなこと、私だって分かっている。私が一番分かっている。私が一番恐れている。

けれど、もう疲れてしまった。限界が来てしまった。

私と悦啓の、二人だけの安全な世界を作ること、保つこと。私は、これだけを目標に今まで色々なことをしてきた。沢山の努力を払ってきた。それなのにその世界はあっけなく壊されて、第三者がずかずかと入って来て、私にはそれを止める力はなかった。どうしようもなくなってしまった。

結局、唯一出た結論は、こんな破綻しかない悲惨なものだけだった。

……なんで、そんなに二人に拘る必要があるのかって?

……………………………………………………………………………………………………ふふっ。

知っている。それも、十分に分かっているよ。

悦啓は、全く困ってなんていないこと。私がこれまで散々並べ立ててきた口上は、全部私の勝手で一方的な妄想に過ぎないこと。そんなこと、あの蟹沢とかいう女に指摘される前から分かっていた。

要するに、怖かったのは私だったの。

脅かされていたのは私だったの。

守らなければいけないのは私だったの。

私は、二人が良かった。他の人は要らなかった。入って来て欲しくなかった。

ずっと、二人だけでお泊り会をしていたかった。

それなのに、知らない間に悦啓の世界は広がっていって、知らない人間関係が増えて、もう私が望んでいた二人だけの世界は急速に薄れてしまった。それでも、それに悦啓が怯えていてくれれば、どうとでもなった。高校でそうしていたように、私が門番になることでその世界をどんどん強固にすることもできたし、そうするつもりだった。

けれど、初めてあの喫茶店で働く悦啓を見たとき、それは出来ないことは直ぐに分かったよ。

誰がなんと言おうと、この世界で私よりも悦啓を見てきた人間はいない。そんな私が、悦啓の気持ちを読み違えるなんて、そんなことあるわけないでしょう?

ちゃんと分かっていた。きちんと察していた。だからこそ、『悦啓を守る』を大義名分にしていた私はなにも手出しができなくなってしまった。

完全に詰んだときの、あのときの私の気持ちが分かる?

私は悦啓に二度とあんな思いをさせないように、ずっと笑っていられるように守る。その為に必要なことはなんでもするし、邪魔になるようなことはしない。けれど、悦啓は私の知らない、手の届かない所で笑っている。楽しく過ごしている。おまけによく分からない女がその手引きをしている。

なんで?どうしてそんな所で?

許さない。許せない。壊してやる。

じゃあ、今笑っている悦啓はどうなる?あの笑顔を奪うの?この私が?

それは出来ない。

なら、我慢する?笑って送り出す?

それも出来ない。

どっちにする?

壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。

壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。許す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。壊す。駄目だ。許す。駄目だ。

 どうにもできない。どうしようもない。でもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでも。

 ……………………………………………………………………………………………………………。

 そこで、私の思考は完全にオーバーヒートした。なんでもよくなった。

 ただ、悦啓の側にいたい。二人だけでいたい。

 …………そんなことを言わなくても、そんな顔をしなくても、ちゃんと分かってるよ。 

 私のやってることは犯罪で、いつかそれがばれて、いつかこの安寧も破られることくらい。

 分かってる。ちゃんと分かってるから。

 だから、せめてそれまでは。今だけは。

 どうか、このままでいさせて。

「お休み」


 ──ピーンポーン。



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