決死な私
決死な私
水仙くんの教えてくれた噂話から蛇沼さんの居場所を見つけるのは不可能に近かった。一回、その周辺をあてどなく歩き回ってみたことはあったけど、運よく蛇沼さんと出くわすなんてラッキーは起こらなかった。私は自分の足で直接見つけるのを諦めて、情報をもっと集めることにした。
それには、蛇沼さんが私に近づくために作った道を利用させてもらった。みんなには蛇沼さんのことを思い出したということにして、私のサークルの部長、相手方の部長、サークルのメンバーと辿って、水仙くんが築いた蛇沼さん包囲網に参加させてもらうことで。
この方法は、少なくとも偶然に頼るよりは上手くいった。更に噂を集め、あるいは友達という人たちから直接話を訊いて、私は蛇沼さんの家を見つけることができた。
今私の目の前にある、二階建ての小さなアパート。ここに、蛇沼さんが一人で住んでいる部屋がある。
──もし本当に悦啓がなにかのトラブルに巻き込まれてるのなら、警察に相談するのがいいんじゃないか──
──本当に悦啓を助けるなら、俺たちが下手に動くべきじゃないんじゃないか?──
水仙くんの言葉と、心配そうな表情が蘇る。サークルのみんなも、急に話を変えた私を心配していた。特に私の友達たちは、私がなにかを隠していると思ったようだった。もしかしたら、私が危険なことに首を突っ込もうとしていることも察しているのかもしれない。
そう、危険なんだ。私がこれからしようとしていることは。
水仙くんの話が正しければ、今の蛇沼さんは普通じゃない。私を尾行してきたあのときよりも冷静さを失っている。まともに話ができるかも怪しい。そんな人のもとへ、私は単身丸腰で話をしに行こうとしている。危険なのは私が一番分かっている。そして、今自分の体が小刻みに震えていることも。
けど、私が話しに行くのは蛇沼さんじゃない。枷下くんだ。
私は、最近の枷下くんを近くで、ひょっとすると蛇沼さんよりも近くで見てきた。あのときの枷下くんは、とてもじゃないけど蛇沼さんが言っていたような状態ではなかった。あそこでのアルバイトを楽しんでくれていたと私は信じているし、天地神明に誓って枷下くんを貶めるような下心は持っていない。お店の常連さんともリラックスして話せるようになってきていた。あんなことをしてしまった私とも、少なくともあそこでは笑って話に付き合ってくれた。蟹満さんとも上手くいっていたし、短い間とは言えまだ一度も休んだことはない。
それなのに、急に姿をくらます?蟹満さんにも、私にもなにも言わずに、唐突に全てを拒絶するような態度をとる?
そんなことはないはずだ。枷下くんが、自分の意志でそんなことをするとは思えない。
……いや、もしかしたらそうなのかもしれない。これら全ては懲りない私の自分勝手な思い込みで、本当は枷下くん自身が嫌になってしまったのかもしれない。
けれど、枷下くんの考えがどちらにしろ、誰もそれを本人から直接聞いていない。私たちを嫌っているのか、そうじゃないのか、どれも今の時点では私の想像でしかない。そんな憶測の為に、私は枷下くんを諦めたくない。きちんと自分の手で箱を開けて、猫が生きているか死んでいるか確かめなければいけない。
そんなこと、警察に任せればいい?私が危険を冒す理由にはならない?
確かに、これをするなら警察に頼った方がいいのかもしれない。今の状況を説明して、ここを教えれば、警察はきっとあのドアを蹴破って枷下くんを引きずり出してくれるだろう。それが妥当だと、みんな考えるんだろう。
でも、それじゃ駄目なんだ。そんなことをしても、なんの解決にもならないんだ。
例えば、枷下くんの意志に反して蛇沼さんが幽閉していたとしたら?
警察は蛇沼さんをどこかへ連れていってしまうだろう。きっとすぐには帰ってこれないだろう。そうなってしまったら、残された枷下くんはどうなる?例え今、監禁まがいのことをしていたとしても、蛇沼さんはずっと枷下くんを守ってきた。支えてきた。蛇沼さんの代わりになれるような人は、まだ一人もいない。唯一の支えを失ってしまったら、きっと枷下くんが今までのように喫茶店で働くことはないだろう。
枷下くんが自分の意志で閉じこもっていたとしてもそうだ。二人の安息の世界を部外者に踏み荒らされたら、ましてやその指金が私たちだと知れば、外の全てを憎むことになってしまうかもしれない。そうなったとしても、今までのような光景は望めなくなる。
結局のところ、私たちのような部外者が、自分たちの理屈や常識であの二人に踏み入っては駄目なんだ。どこまでいっても私たちとあの二人には大きな差があって、それは少し頭を捻ったからといって埋まるものじゃないんだ。それを弁えなければ、あのときと同じ過ちを犯すだけになる。
私にできること。それは、正義を振りかざして割り込むことじゃない。私は部外者で構わない。私には一生理解できないことがあっても構わない。けど、それでも私はあなたの近くにいたい。仲良くなりたい。そう伝えることだ。その可能性はあるか、尋ねることだ。
そういう場に、警察はいらない。これは私の問題で、私がやるべきことだ。
「……ふー……」
中々震えが収まってくれない。しばらく頑張ってはみたけど、収まるのを待っていたら日が暮れてしまいそうだ。深く深呼吸をして、アパートの敷地に足を踏み入れる。
蛇沼さんの部屋は、アパートの二階の角部屋だ。そこに行くには二階にある全ての部屋の前を通る必要があるけど、どこも人の気配がしない静かな部屋だった。たまたまいないのか、誰も住んでいないのかは分からない。
とうとう、蛇沼さんの部屋の前まで来た。郵便受けの上には『蛇沼』と書かれたプレートがあって、これのおかげで部屋を突き止めることができた。
「ふー……」
部屋の前で、もう一度深呼吸。
覚悟を決めろ。もう後戻りは出来ない。これ以上、譲るわけにはいかないんだ。
震える指で、インターホンを押す。
──ピーンポーン。




