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最後通告と私

最後通告と私

 夏の日は長い。とはいえ、時間と共に夜は着実に迫る。仄かに影が差し始めた日差しのなかを、わざと人気のない道を選んで歩く。私の家はこの区画にあって、どこに行けばいつ頃にどのくらいの人気になるのかは分かっている。その知識を総動員しながら、最適な場所とタイミングを探す。

 道中、道脇に設置されたミラーを目だけ動かして確認する。

 一瞬、不自然な影が映った。

 間違いない。いる。

 蝉の声がうるさすぎるせいか、それとも靴の材質のせいか、足音は全く聞こえなかった。けど、私の背中は痛いくらいにその存在を感じていた。

 計画通り、針に引っ掛けることはできた。あとは、いつ釣り上げるかだ。

 この辺り一帯は何年も前に開発された住宅街で、そのときの流行りだったのか所々に小さな公園を設けている。公園とは言っても、時世なのか遊具は殆ど置いていない、ベンチとそれを囲む木が何本かあるだけの、遊ぶにはつまらな過ぎる広場のようなものだ。

 けど、面と向かって話すならそこが一番いいだろう。

 歩くペースを若干速めて、目の前の角を曲がる。角を曲がってすぐの所に公園の入り口があって、追跡者が私の姿を捉えきる前に公園に入った。そのまま中程までは速足で進んで、一気に振り返る。

 私に巻かれると思ったんだろう、半ば走るように公園に入ってきたその人は、振り返った私を見て足を止めた。

 日差しに照らされて、私は初めてその追跡者の姿をはっきりとみることができた。その人は、この前私に道案内を頼んできた女の人だった。あのときとは打って変わって温和とは正反対の表情で私を睨んでいるけど、間違いない。

 正直にいって、驚いた。まさかあの人だったなんて。けど、その驚きは面には出さない。

「初めまして」

 そう、私は、今初めてこの人と互いに誰かを認識した状態で話をする。

「あなたが、蛇沼さんですか?」

「……悦啓になにをするつもり」

 その人は、私の質問にはっきりとは答えなかった。代わりに出された枷下くんの名前が、その答えということなのだろう。

「私はなにもするつもりはありません。あなたこそ、私になにをするつもりですか」

「お前たちのしようとしてることを止める。芥原ごと、二度と悦啓に近づけないようにする」

 蛇沼さんは、今にもとびかかってきそうな面持ちで、歯の間から絞り出すような声でそう言った。

 水仙くんの推察は当たっていた。蛇沼さんは、私が芥原と組んでなにかを企んでいると思っている。

「あの人は関係ありません。私は、もう連絡を取ってない」

「嘘。悦啓に近づいたのも、取り入って仲良くなったのも、また悦啓をいたぶって遊ぶために決まってる。また、悦啓を絶望させるつもりだろ!」

「違います。確かに、私は枷下くんに近づきました。女性を怖がる枷下くんに、私の一方的な都合で無理を言って、私から逃げないように頼みました。そうです、私は、出来ることなら枷下くんに取り入りたいと思ってる。あんな人と一緒くたにしないで、特別扱いで彼の世界に入れて欲しいと思ってる。仲良くしたいと思ってる。けど、私は彼をいたぶるつもりも、絶望させるつもりもありません」

「嘘をつくな!」

 赤みが差してきた公園に、蛇沼さんの叫び声が響く。その叫び声は全てをかき消そうとしているようにも聞こえた。

 蛇沼さんが、一歩こちらに踏み出す。より近い距離から、より大きな声で私を抑え込もうとしているかのように。

「そんな戯言を誰が信じると?それらしいことを言って、結局お前の自分勝手じゃないか!今まで私たちの周りにいた連中となにも変わらない!幾らでも嘘をつく、幾らでも陰口を叩く!どうせすぐに気が変わって、何食わぬ顔で悦啓を傷つけることになる!そのことを訊けば覚えてないなんてシラを切って、挙句の果てには悦啓の妄想だとか言い出す!中途半端に期待させて、中途半端に期待して、勝手に気変わりして、勝手に失望して、どいつもこいつも、あいつもお前も、どうせみんな自分勝手な奴らばかりなんだ‼」

 一歩、また一歩と蛇沼さんが近づいてくる。歩が進む度、その叫びはより大きく私の頭の中を駆け巡る。

 自分勝手。

 水仙くんの話に乗っかって芥原を枷下くんに引き合わせたとき、私はなにを考えていた?

 きっと傷つける。

 私は今の枷下くんとの関係を一方的に築いた。彼が内心でそのことで傷を負ってないと、誰が証明できる?

 勝手な期待。

 私は枷下くんになにを望んでいる?仲良くなること?女子だからといって避けるんじゃなくて、私本人を見てくれること?なら、彼が私本人を見た上で、それでも私を拒んだら?私はなにを思う?彼をどう思う?

 無責任な失望。

 自分可愛さに目を瞑ってきた芥原の行動を目の当りにしたとき、私はどうした?なんで縁を切った?そんなこと、前から薄々分かっていたことじゃないの?この後、同じようなことを枷下くん相手に絶対にしないと?

 気づけば、蛇沼さんは私のすぐ目の前に迫って来ていた。お互いの瞳まで見える距離で、蛇沼さんは畳みかけるように言葉を続ける。

「私はそういう連中を散々見てきた!私たちの周りにはそんな連中しかいなかった!悦啓は、そんな連中のために背負わなくてもいい傷を幾つも幾つも負った!もううんざりだ!これ以上、誰にも悦啓を傷つけさせはしない!お前や、芥原がまた悦啓を傷つけようとしても、私が許さない!私は、絶対に悦啓を守る!」

「じゃあ、あなたのそれはどうなんだ‼」

 蛇沼さんの表情が固まった。私が一歩踏み出すと、反対に一歩退いた。

「さっきから黙って聞いてれば、身勝手な妄想を次から次へと、自分勝手なのはどっちだ!」

 無責任な失望?

 今まで目を背けていた現実を目にしたとき、私は芥原に失望した。同時に、自分にも失望した。私が縁を切ろうとしたのは、芥原そのものじゃない。芥原と馴れ合っていた私だ。私は、もう二度とあんなことはしない。身勝手に枷下くんに失望することもないだろう。そんな私とは、もう縁を切った。

 勝手な期待?

 もし枷下くんが私をきちんと見た上で私を拒むなら、それも仕方ないだろう。幾ら縁を切ったとはいえ、私には枷下くんに対する前科がある。私は、枷下くんが私をどう裁こうとも、それを受け入れるつもりで近づこうとしている。勿論、判決になんの感情も抱かないわけじゃない。もし拒まれれば、きっと悲しいし、残念だろう。けど、その責任は枷下くんのものじゃない。責任は私が負う。決して、勝手ではない。

 きっと傷つける?

 傷つけたかもしれない。本当はストレスかもしれない。けど、逆に傷つけていないかもしれない。ストレスになっていないかもしれない。それが分かるのはこの世に枷下くんただ一人で、私はあずかり知らないこと。「かもしれない」で人間関係そのものを諦めるなんて、そんな馬鹿な話を私は認めない。もし枷下くんが私を嫌うなら、嫌えばいい。私にはそれを受け入れる用意がある。

 自分勝手?

「そう、私は自分勝手!枷下くんに近づいたのも自分の為で、それが枷下くんの過去を刺激するかもとか、あなたがどう思うかなんてこれっぽっちも考えてない!」

 突然叫びだした私に、蛇沼さんはびっくりしたみたいだった。けど、その叫びの内容を咀嚼して、また勢いを取り戻そうとする。

「だったら、」

「けど、それはあなたも同じでしょ!」

「──は?」

「分かってないなら教えてあげる、みんな自分勝手よ!私も、芥原も、あなたたちの周りに居たっていう人も全部!けどね、自分勝手なのはあなたたちも一緒!あなたも、枷下くんも、私も、私が会ったことさえないような無関係な人も、みんな自分勝手なの!」

 自分勝手と言われた瞬間、蛇沼さんの顔が真っ赤になる。

 まだ分かっていないのだろうか。自分がしようとしていること、「守る」という言葉の意味を。

「あなたはここ何日かあの喫茶店に来てたみたいだけど、そのときに枷下くんの働いてるところはちゃんと見たの?あのバイトは私が紹介したものだけど、じゃあ枷下くんはあそこにいることを嫌がっているように見えた⁈私にはそうは見えないし、だから枷下くんを傷つけるようなことはしてないって信じてる!なのにあなたは、本人がどう感じてるかも分からないのに、私が悪だって決めつけるの?親睦会で私と芥原が前まで仲が良かったって聞いて、それだけで私とあの人がなにか企んでるって決めつけるの?そんなの自分勝手よ!」

 自分勝手、という言葉がでる度に、蛇沼さんはたじろいでいた。今まで他の人を排除するために使ってきた大義名分が、まさか自分に牙を剥くとは思っていなかったのだろう。

 残念ながら、その言葉は誰にでも牙を剥く。誰か一人の味方にはなってくれない。

「さっきあなたは枷下くんを守るって言ったけど、一体何から守るつもりなの?今の枷下くんは、守られる必要があるの?誰に傷つけられてるの?助けを求めてるの?」

 蛇沼さんは、すぐには答えなかった。当たり前だ。そんな脅威はどこにもないんだから。

 あるとすれば、それは蛇沼さんの心の中にある。

「結局、なにが枷下くんを脅かしてるかなんて知らないんでしょ!脅かされてるのはあなたの方で、今までの二人の環境に部外者が入ってきたから、それが気に入らないだけなんでしょ!私が敵に見えるのも、枷下くんが危険にされされてるように見えるのも、そう見た方があなたにとって都合がいいからそう見てるだけ!全部、あなたの自分勝手!」

「…………」

「…………」

 私の叫びが空に消えていってから、私も蛇沼さんもなにも言わなかった。

 けど、蛇沼さんが私の言うことに納得したわけでも、自分の考えを変えるつもりもないことはその目を見れば明らかだった。とはいえ、私ももう言いたいこと、言えることは言い切ってしまった。これでも駄目だというなら、これ以上ここで話していても仕方ないだろう。

「……私は、これからもこれまで通りにする。喫茶店には行くし、枷下くんとも話す。枷下くんに断られるまでは。あなたが私をどう思おうが、これだけは譲らないから」

「……………………」

 蛇沼さんは、やっぱりなにも言わない。私は、蛇沼さんの射るような視線を背中で感じながら公園を出た。

 気づけば、もうすっかり日が暮れていた。

 夜が始まる。


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