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緊褌一番な私

緊褌一番な私

 あの日以来、なんだか背中がぞわっとすることがある。誰かといても、一人でいても、不意に背後を振り返るようになった。視線を感じたような気がするけど、きっと被害妄想だろう。

 蛇沼さんという、突然私の周りに現れて、それでいて目の前には一度も姿を現さない存在に、神経が過敏になっているのかもしれない。それに、水仙くんの「蛇沼には気をつけろ」という言葉も不安を駆り立てていた。

 けど、あくまで妄想は妄想。蛇沼さんのことを気にするようになってから数日、私の周りにはなんの影響も起きていなかった。枷下くんもシフトがある日は毎日喫茶店に来ているし、私は暇があればそこに通っていた。

 とはいえ、流石に気になって枷下くんに蛇沼さんのことを訊いてみたことがあった。

「枷下くん。蛇沼さんって知ってる?」

 なんてことのない雑談の中で急に知り合いの名前を出されたからか、枷下くんは目を丸くしてテーブルを拭いていた手を止めた。

「え?愛のこと、知ってるんですか?」

 このとき、枷下くんは自然に蛇沼さんのことを下の名前で呼んだ。

「うん。なんか、蛇沼さんのサークルと私のサークルで交流会があって、そのときに蛇沼さんも居たみたい。って言っても、私はそのとき休んでたんだけど、友達と私の話をしてたみたいなんだよね」

「愛が蟹沢さんの話を?」

 枷下くんの表情に怪訝の色が混ざる。やっぱり、私と同じところが気になったらしい。

「蟹沢さんって、愛と知り合いだったんですか?」

「いや。私は全くその人のこと知らなくて。けど、話の内容を訊いてみると枷下くんのことも知ってるみたいだったからさ。なにか知らないかなって思って訊いてみたの」

「…………」

 枷下くんは、そこで何故か黙り込んだ。その視線は私を外れて、なにか考え込んでいるようにも見えた。

「……あー、もしかしたら、僕が急にバイトを始めたから、気にしてるのかもしれないです。でも、大丈夫なので気にしないで下さい」

 結局、枷下くんはそうとしか答えなかった。いや、答えにもなっていなかった。なんで蛇沼さんが私のことを知っているのかとか、気にしてるというのはどういう意味なのかとか、私が突っ込んで訊きたいことはいくらでもあった。

けど、私は決してなにも知らなかったわけではなかった。水仙くんから二人のことはある程度訊いていて、そこから推測できることもあった。そして、なによりも私と枷下くんの距離感でそんな込み入ったことを訊いてもいいのかという遠慮もあって、そのときの私はそれ以上問い詰めるようなことはしなかった。

 それからは、何事もなかったかのように通い続けている。何もなく通い続けられている。

「こんにちはー。枷下くんも元気?」

 いつものように扉を開ける。今日も枷下くんと蟹満さんが迎えてくれた。

「いらっしゃいませ」

 最近は、枷下くんの接客も板についてきた感がある。私を客だと割り切ってこそのものだとは思うけど、笑顔も自然になってきて、話にも付き合ってくれる。もしあのときの合コンでこんな態度を取っていたら、一緒にいた子たちの枷下くんへの評価もきっと変わってただろう。

「よお蟹沢。今日もご苦労なことだな」

 他のテーブルにオーダーを取りに行っている枷下くんの代わりに、蟹満さんが水を持ってきてくれる。そのついでにニヤつきながら肘でつついてきた。

「いいじゃないですか、家が近いんですから」

「またまたー。本当は別の目的があるんだろ?」

 あまりにも私が足しげく通うからだろうけど、どうも蟹満さんは私と枷下くんの関係を誤解している節がある。実際のところは、私はまだそんな次元にすら立っていないというのに。でも、そんなことを逐一説明するのは面倒だしと、適当に流していた。

 けど、今日はそんなことも言っていられなかった。いつもならここで引き下がる蟹満さんが、こう言葉を続けたから。

「青春してるのはいいことだけど、痴情のもつれとかで変なことにはならないでくれよ?ライバルもいるみたいだしな」

 ライバルもいる。

 その言葉に、頭よりも先に口が反応した。

「ライバル?どういうことですか?」

「なんだよ、やっぱり興味はあるのか。いつも枷下くんを外から見てる女の子がいるんだよ。気づいてないのか?」

「──‼」

 後ろを振り返る。できる限り慎重に外を探しても、人影は見当たらない。

「そんな簡単には見つからないよ。隠れてるからな。ま、そうはいってもあんなに長いこと居られれば流石に気づく」

「蟹満さん。その人は、いつ頃からここにいましたか」

「え?いやー……気づいたらいたって感じだったから、明確にいつからかは分からないな。けど、ここ三日はずっといるぞ。あ、あと、何回かここでコーヒーを飲んでたこともあるぞ」

「…………」

「なんだ、知り合いか?」

 私は、そんな人は知らない。けど、その人は私を知っているに違いない。その正体には心辺りがある。

 なにが、何事もなく、なんだろう。ただの知らぬが仏じゃないか。私の見えないところで、なにかをするために着々と近づいてきていたんだ。しかも、そのなにかが私や枷下くんにとっていいこととは限らない。

「蟹満さん。お会計お願いします」

 いつもよりちょっとだけ早く席を立つ。枷下くんは接客で忙しそうにしていて、私には気づかない。けど、その表情は不満を持っているようには全く見えなかった。そんな枷下くんを見る限り、私は間違ったことをしたとはとても思えない。

「枷下くん」

 店を出るとき、私は大きな声で忙しなく動き回る枷下くんを呼び止めた。

「それじゃあ、私たちは待ってるから、あとで来てね」

「……え?」

 枷下くんは突然のことに固まっている。当たり前だ。そんな約束はしていないんだから。けどそれ以上の説明はせずに店を出た。

 彼女が私の後ろでなにをしようとしているのか。ここではっきりさせよう。


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