俺の後始末
俺の後始末
俺は、お世辞にもまっとうに生きてきたとは言えない。ここで言う「まっとう」というのは、正々堂々、全力で、という意味だ。これまでのところ、なにをするにしても俺は抜け道を探して、出来るだけ手を抜ける方法を見つけてはそこをくぐっていた。周りの奴らがそうしていたように。
だが、「まっとうに」やることが間違いだと思ったことはなかった。自分で試したことはなくても、まっとうにやれば必ず報われるのだろうと心のどこかでは思っていた。
悦啓の女子コンプレックスを克服する。その為にその原因である芥原と対面させ、過去を乗り越えさせる。これが最善手だとあのときの俺は考えた。これ以上女子を避け続けても埒が開かない、本人が駄目なら第三者である俺が多少強引にでもその機会を作るしかない。これこそが正攻法で、他の手はないだろう、と。
それで、実際はどうだったか。
俺は、悦啓の負ったダメージを軽んじていた。高校が同じで、悦啓が受けていた仕打ちを傍観していたからという理由で、全てを知った気になっていた。本人と対面してどうのこうのといった次元にはいないことを想像すらしていなかった。
逃げ出した悦啓を性懲りもなく追った、あのときの悦啓の目が、記憶に焼き付いて離れない。
自分の浅はかさを指摘された気がして、俺はあの日以降悦啓に連絡を取っていない。あのあと蛇沼からもなにかメッセージが来ていたが、あのことを責められるんじゃないかと思うと見ることすら出来なかった。
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いや、違う。俺は、この期に及んでまだ言い訳に走っている。
本当はそんなことは全然考えていなかった。俺はもっと自分勝手な、自分の為でしかない理由であんなことをしたんだ。連絡を取っていないのも、あの絶望的な失望の目にそんな性根を見透かされた気になって、罪悪感と気まずさから避けているだけだってのに。
俺は、正々堂々という言葉が嫌いではないが自分で実践しようと思ったことはない。今回も、卑怯にもこのまま一切の交流を断ってフェードアウトしようと考えていた。
けれど、そんなことも言っていられなくなってしまった。なにがどうしてこうなったのかは知らないが、蟹沢さんに不穏な気配が近づいている。向こうが言い出したこととはいえ、蟹沢さんを引き込んだ俺の責任は重い。少なくとも彼女にだけは、一切の飛び火がないようにしなければならない。まっとうな人間ではないとしても、それくらいの責任は負わないとだろう。
話を聞くところによると、なにかの拍子で蟹沢さんと悦啓は距離が近くなったようだ。友達とか恋人とか、そういうのではないだろうが、傍目に見れば十分親しいと思えるような距離感にはなったに違いない。バイトを紹介して、しかもバイト先に通っているとなれば、俺だって仲がいいんだなと思う。
それは蛇沼も同じだったろう。そして、俺よりもその事実に敏感に反応したに違いない。
女子に怯える悦啓を守るため、蛇沼は本人には悟られないようにしながらも悦啓の全てを管理しようとしていた。友人や講義、サークル、果てはバイトまで、悦啓が勝手に決めないようにそれとなく先回りして、自分の手中に収めようとしていた。悦啓自身がそのことに気づいていたかどうかは分からない。だが少なくとも従順ではあった。だから、今までは上手くいっていた。蛇沼も悦啓も、安全な箱庭の中で平穏な日々を謳歌していたはずだ。
それが、蟹沢さんが女子でありながらも悦啓に近づき、バイトを紹介したことによって崩された。そもそもなんで蛇沼がそんな隙を晒したのかは疑問だが、蛇沼が入っていたサークルの殆どが夏休みに合宿を計画していたし、周りへの体裁から行かざるを得なかったのかもしれない。が、合宿から戻って悦啓のアルバイトに気づくのにはそう時間はかからない。
少し目を離した間に悦啓に知らない女が近づいていて、尚且つアルバイトなどという自分が許可していないことをしていることを知ったら、蛇沼がどうするのか。想像に難くない。何としてでもどういうことなのかを調べ上げて、自分の支配を取り戻そうとするに違いない。
蟹沢さんの友達と蛇沼が接触したという親睦会のことを聞いてみると、確かに蛇沼は親睦会を開いたサークルに所属していた。が、間違っても積極的に参加していたわけではなかった。わざわざ幹事役を買って出るほどの熱意は絶対に持っていない。なんらかの手段で蟹沢さんの居るサークルを調べて、近づくためにそんなものを開いたんだろう。
そして、蟹沢さんと芥原の繋がりを知った。よりにもよって最悪な部分を切り抜いた形で。
間違いなく、今の蛇沼の中では蟹沢さんと芥原は同列の扱いになっている。悦啓に近づいたのは芥原と組んでまたいたぶる為だと考えているかもしれない。
とはいえ、そこから先が全く分からなかった。蟹沢さんはまだ蛇沼本人との接触はないというし、機先を制するのか、もう少し様子を見るのか。こればかりは本人を見てみないことには分からない。とはいえ、俺が蛇沼の居ない間にしたことを考えると、直接コンタクトを取るのも難しい。
しばらく考えた末、スマホを手に取った。とても「まっとう」な方法とは思えないが、思いつくのはこれしかない。
『最近蛇沼と連絡が取れないらしいんだけど、何か知らないか?』
俺は、こんな趣旨のメッセージを蛇沼の知り合い数人に送った。俺が居場所を知りたがっているということは隠して、あくまで風の噂のように。探し人のような深刻さは出さず、「そういえば」といった感覚で受け取られるようにして。
俺の知る限り、蛇沼のプライベートに頻繁に触れている奴はいない。こんなことを言われれば、誰もが蛇沼の不在を思い出すだろう。そして、そのうちの何人かは興味本位で蛇沼と連絡を取ろうとする。その一つ一つは大した効果はないだろうが、塵も積もれば山となる。些細な興味が大きな監視網になってくれはしないだろうか。
蛇沼の築いてきた、近いようで遠い、広大な人間関係を逆手に取る。
これが、今の俺にできる最善手だ。




