薄気味悪い彼女
薄気味悪い彼女
──ブッブッブッブー。ブッブッブッブー。
「……んー、何……」
着信音と僅かなバイブレーションで目が覚めた。なんで……アラームは切ったはずなんだけどな……。
スマホを取り上げて見てみると、着信音の正体はアラームじゃなかった。電話だ。
「……はーい。もしもし?」
「うわっ、めっちゃ寝起きじゃん」
電話越しに聞こえる声は驚きと、僅かな笑いを滲ませていた。うるさい、こんな時間に電話を寄越すのが悪い。
「今何時か分かってる?ついでに、何の日かも」
「えー……?」
そこまで言う程のなにかがあったっけか……。カレンダーで日付を確認してみる。
「あ」
「思い出した?」
「ごめん、直ぐ行くっ!」
やばい、寝過ごしたっ!
「ごめん、ホントにごめんっ!」
私が集合場所に着いたのは、約束の時間から一時間ちょっと遅れた頃だった。当たり前だけどみんなはもう揃っていて、私を見つけると笑って席を空けてくれた。
「珍しいね、花恋が遅刻なんて。それも寝坊で」
「うう……こんなはずじゃなかったんだけど……」
今日は私が入っているサークルの定例ミーティングだった。このサークルは一応インカレ系スポーツサークルということになっていて、活動方針の決定と反省という名目で大学の会議室を借りて集まっていた。けど、私がここに参加するようになってから一度もそんな話をしているのを見たことがない。強いて言うなら、活動方針の決定くらいはしてるかもしれないけど。大体いつも次はなにをして遊ぶかを考えている。
けど、活動方針の決定なんてすることがあるのかどうか。私はたまたま行けなかったけど、ついこの間どこかの大学と合同で親睦会なるものを開いたというし、立て続けに何度も集まるかどうかは怪しい。現に、定刻から一時間以上は経っているのに話し合いをしていた跡がない。みんな銘々勝手におしゃべりしていた。
「もしかして、もうミーティング終わった?」
「うん。この夏休みのサークル全体での活動はもうこれくらいでいいかなって話になって、終わり。今は借りた時間を消化中」
聞いてみると、あっけからんとそんな答えが返ってきた。まあ、遅れてきた身としてはありがたい結論かもしれない。
「にしても、なんで寝過ごしたの?」
「いやー、実は昨日遅くまで映画観てたから……」
別に嘘はついていない。部屋の掃除をしていたら古い映画のDVDが出てきて、興味本位で観始めたらそのまま止まらなくなってしまった。途中から掃除も翌日のミーティングもすっかり忘れて、夜中の三時頃まで掛けて観終えたあとに満足感と共に寝た。その結果がこれだった。
「なにそれー。花恋ってたまに抜けてるよね」
「気を付けてはいたんだけどなぁ……」
「この前の集まりのときだって本当は寝坊したんじゃないのー?」
友達の一人が悪い笑みを浮かべながら肘でつついてくる。
「違うって。ちゃんと事前に行けないって連絡したでしょ!」
「冗談だって。でも、来ればよかったのにね」
「ねー。せっかく友達が来てたのに」
「え?友達?」
言っているのはこの前の親睦会のことだろうけど、友達って誰の事だろう。あの大学で私のことを知っている人は数人しかいない。
「なんか、花恋に会いたがってる人がいたの。そもそもあの親睦会を提案したのも花恋がいるって知ってたからなんだって」
「へえ……もしかして水仙くん?」
あの人がわざわざ私に会うためにそんな大がかりなことをするとは思えないけど、枷下くんはそんなことしないだろうし、消去法的に水仙くんの名前を挙げてみる。
けど、みんなは一様に?マークを浮かべた。
「いや?蛇沼さんって人だよ?女の人」
「え?」
「え?」
奇妙な間。
「……私、そんな人知らないよ?」
蛇沼なんて名前は聞いたことがないし、勿論そんな人は知らない。会ったこともない。
みんなの表情が一瞬固まる。けど、すぐに笑いに変わった。
「まさかー」
「どうせ忘れてるんでしょ?今日みたいに」
「いや……」
少し考えてみる。けど、本当になんの心当たりもない。私は人の顔を覚えるのが苦手な方ではないし、わざわざ会おうとするくらいならそれなりに話したりもしたはず。なのに覚えていないなんて考えにくい。
私の反応を見て察したのか、みんなの笑顔が剥がれ落ちる。心なしか雰囲気も少し重くなった。
「その蛇沼さんって人、他に何か私のこととか自分のこととか言ってなかった?」
「うーん……」
「あれ、あの人なにか自分のことって言ってたっけ……私たちと少し話した後は男子の席に行ったり幹事のこととかしてたから……」
「あ!ほら、一個食いついてきた話があったじゃん!」
「あ、そうだよ。芥原さん?の話には興味持ってたみたいだったよ」
「……え?どうゆうこと?」
なんでここでその名前が出てくるの?もともとの不気味さに加えて、話がよくない方向に向かっているような予感が重なる。
「ほら、花恋が仲良くしてる高校のときの友達っていたじゃん?話の流れで、たまたまその人の名前を出したら、蛇沼さんが詳しく教えてくれって言ってきたの」
もうあの人とは連絡を取ってないけど、この子たちはそれを知らないのか。けど、問題はそこじゃなくて、なんでその人がそこに興味を持ったのか。私は知らないから、当然あの人側の繋がりから来た人ってことになる。けど、あの人の知り合いならわざわざそんなことに興味を持たないはず。なら、私ともあの人とも距離がある人?だとしたらかなり距離がありそうだ。向こうが一方的に私のことを知っているのかもしれない。だとしたら、こっちから相手を特定するのは難しい。
「ちょっと部長に聞いてみよ。結構話してたし、なにか知ってるかも!」
その提案で、揃って部長の所に行く。不参加だった私の代わりに友達が聞いてくれた。
「ぶちょー。この前の親睦会、上手くいきました?」
「え、なになに、みんな揃って。なんのこと?」
「ほら、蛇沼さんのこと狙ってたみたいだから、上手くいったのかなーって」
部長は、こんなサークルの部長をやってるくらいだから遊びに関してはかなりの熱量を持っていて、ナンパなんかも上手い。
けど、蛇沼という名前を聞いた途端、部長の笑みは苦笑いに変わった。
「ああー……蛇沼さんね。確かに少し話したけど……」
「けど?」
「なんか……よく分からない人だったね。それなりに話したけど、あの人自身のことはなにも分からなかったし、ただただ喋らされただけだったよ……」
「…………」
こんなことを言う部長は初めて見た。そんな長い付き合いでもないけど、どんなタイプの女の人も苦手にはしない人だと思っていた。周りのみんなも同じようなことを思ったようで、私たちはお互いに顔を見合わせるしかなかった。
結局、あの後みんなであれやこれや話しても、蛇沼さんの正体についてはなにも分からなかった。不気味ではあるけど、警戒すべきなのかそれともただ私が忘れているだけなのか、それすらも分からない。
けど、一つ試してみたいことがあった。家に帰ってから、それを試してみることにした。
『水仙くん。ちょっといいかな?急ぎで訊きたいことがあるの』
あの人のことは知っているけど、そこまで詳しくはない。そんな距離感を持っているのは水仙くんもそうだった。それに、仮に高校のときには知らなかったとしても、今通っている大学は同じわけだから、顔の広い水仙くんなら知っている可能性は十分にあるんじゃないかと思った。
けど、水仙くんからの返事はすぐに来なかった。前はもう少し早かった気がしたけど、忙しいのかな。
『ごめん、返信遅れた。どうかした?』
結局、返信が来たのは次の日の朝だった。悶々としながら寝たせいで朝の五時に目が覚めてしまったけど、丁度返信が来た。
『突然ごめんね。蛇沼さんって知ってる?』
焦っていたせいで唐突な切り出し方になってしまったせいか、水仙くんからの返事には少しの間が空いた。
『蛇沼?蛇沼愛のこと?』
やった。当たった。
思わずそう呟いてしまった。けど、もしかしたら感覚で訊いた水仙くんが本当に知ってるなんてついてる。
『その人だと思う。その人、私と芥原のことを知ってるみたいなんだけど、私はその人のことを知らないの。だから気になって』
『もしかして、蛇沼に会った?』
『私は会ってないけど、私の友達に会って私とは知り合いだって言ったみたい。それと、芥原のことも気にしてたらしいんだけど』
また水仙くんからの返信が途絶えた。今度の間はさっきの何倍も長かった。
『蟹沢さん。もしかして、最近悦啓と仲良い?』
しばらくまんじりともせずせずに待って、ようやく来た答えはこれだった。けど、どうしてここで枷下くんの名前が出てくるのかが分からない。
『どうして枷下くんが出てくるの?何か関係があるの?』
すると、水仙くんは蛇沼さんについて教えてくれた。
枷下くんは蛇沼さんと同じ高校に通っていて、芥原のいじめに巻き込まれていたこと。蛇沼さんはそのときから枷下くんを守ろうとしていて、それは今も続いていること。けど、段々とそれが異常な程にエスカレートしている節があること。
『蛇沼は、はっきり言って異常だ。全ての行動を悦啓のためにするくらい、悦啓に固執してる』
水仙くんは、蛇沼さんは『異常』だと言い切った。
『蛇沼の行動は、全部悦啓を守るためのものになってる。けど、その「守る」ってのは悦啓に人を近づけないってことだ。女は絶対に近づけないし、男だとしても蛇沼が無害だと判断した奴しか近づけない』
私が枷下くんにアルバイトを紹介したこと、バイト先にちょくちょく顔を出していることを伝えると、水仙くんは一言、
『それだ』
と言ったあと、こう続けた。
『多分、自分が知らない間に悦啓がバイトを始めたから、紹介した蟹沢さんが悦啓にマークされたんだ。それで、蟹沢さんが芥原と繋がりがあったってことを蛇沼は知ったんだよね?』
『私の友達がそのことを蛇沼さんに話したみたい。そしたら、蛇沼さんは凄い興味を持ってたって言ってた。私はもう芥原とは連絡を取ってないんだけど、友達はそのことは知らないから、ただ仲がいいってことだけ伝えたみたい』
『芥原は、蛇沼が一番憎んでて、警戒してる奴だ。そいつと蟹沢さんが仲がいいなんて知ったら、蛇沼は間違いなく蟹沢さんを敵だと認識すると思う』
そして、水仙くんはこう続けた。
『蟹沢さん。蛇沼には気を付けて』




