朝銀、破綻の謎②
全演植氏ですが、もう競馬ファンなら誰もが知ってる冠名さくらのオーナーです。
全演植氏、具次龍氏、が初めて金日成に面会したのは1986年2月に遡ります。
このとき、総連の下部組織である商工連は40周年記念感謝団というのをピョンヤンに送っている。
このときの団長が全演植氏だ。
さて、この訪朝団の特筆するところは、21人の個人が計50億円の献金を贈ったという事だ。
全演植1億円、具次龍1億円・・・などと記されている。
そして、この献金によってかどうかはわからないが、この両者は金日成から勲章を貰っている。
ところで、商工連というのは朝鮮総連の下部組織なのだが、総連内ではそれまで身分は低かった。
しかし、このときの献金のせいで、金日成から特別に個別面談を許され、さらに教示を貰っている。
そして、全演植氏は総連副議長に商人身分で初めて着いた。
ちなみに、このとき全演植と並んで金日成とのツーショット写真に収まった男に文東建氏がいる。
この人は、ビルマアウンサン廟テロで出てくる兵庫県商工会会長である。
そして、全演植氏と共に総連副議長となった。
全演植が団長となった86年の訪朝団が金日成から受けた教示が、その後の日本からの献金増大への転換点になっている。
その教示とは、核兵器開発の意思表示ではなかったか、と思われる・・・ということだ、この教示の事を「マルス」と在日の間では呼んでるらしい。
具次龍氏と全演植氏が商工連40周年感謝団で北朝鮮に行って、1億円献金して、勲章もらって総連副議長になった。
さて、許宗萬氏という人物がいる。現在の総連議長だ。
そして、「金正日ー許宗萬体制」というのがあった。
これが悪名高い、集金マシーン体制だ。
この頃から在日は総連から金を搾り取られるようになったらしい。
許宗萬氏が、総連の副議長に就任したのが、この1986年9月の朝鮮総連14回大会である。
つまり総連の許宗萬体制が確立したのが1986年。
許宗萬が「集金マシーン」と言われたのがこのときからだ。
ただ、このときの総連議長は韓徳銖であった。
この人は、文化人だったらしい、たぶん集金は下手だったのだろう。
まあともかく、このとき3人の凄腕集金マシーン副議長が就任した。
1番手はラングーンテロで名の上がった文東建。
2番手は、さくらコマースの全演植。
そして3番手が許宗萬である。
そして結局、許宗萬が最後に生き残った。
文東建は翌年1987年に死んでいる。
ラングーンテロ等を見てると凄腕工作員だったのだろう。
文東建は神戸の闇市上がりの大物商人だった。
総連の前身、在日朝鮮統一民主戦線時代から、
在日の間では名は売れてたようだ。
たぶん、後に出てくる在日韓国人の大物、六本木幽霊ビルの鄭建永などとも交友はあったのだろう。
ともかく、全演植氏は商工連40周年感謝団で北朝鮮に行って、金日成に1億円献金して、勲章もらって総連副議長になった。
そして、朝鮮総連は「金正日ー許宗萬体制」時代になった。
許宗萬氏が、総連の副議長に就任したのが、1986年9月の朝鮮総連14回大会。
つまり総連の許宗萬体制が確立したのが1986年だ。
許宗萬が「集金マシーン」と言われたのも、このときからだ。
ただ、このときの総連議長は韓徳銖であった。
まあともかく、このとき3人の副議長が就任した。
①ラングーンテロで名の上がった文東建、
②さくらコマースの全演植、
③許宗萬である。
文東建は翌年1987年に死んだ。
神戸の闇市上がりの大物商人だったらしい。
作家 高祐二が「神戸の闇市を駆け抜けた文東建の見果てぬ夢」という本を書いている。
ところで、この時、朝銀は総連の下部組織であった。
人事権は完全に総連に握られていた。
ゆえに、総連は朝銀を利用して在日韓国人の資産を脱税し隠匿し、片っ端から北朝鮮に献金し出した。
安倍総理はさっさと総連を破産させねばならないのだが、
ここで考えたいのは何故、朝銀は北朝鮮が核開発できるほどの巨額の金を日本で調達できたのか?ということだ。
そこで具次龍氏の存在がクローズアップされてくる。
彼の北の送金王としてのデビューは、1967年に遡る。
同和信用組合というのが上野にあった。
朝銀東京信用組合の前身である。