杉嶋事件
朝銀破綻の謎は、
朝鮮総連本部ビル売却問題へと繋がっています。
朝鮮総連本部ビル売却問題は、
緒方重威氏という元公安調査庁長官のスパイ疑惑ヘ繋がっています。
そして緒方重威元公安調査庁長官スパイ疑惑は、
日経新聞杉嶋事件へと繋がっている。
さてそれでは「杉嶋事件」ですが、
日経新聞杉嶋タカシ記者という人がいました。
1999年12月4日、この人が北朝鮮に拘束されたという事件です。
杉嶋タカシ氏は北朝鮮旅行が好きで、計5回行っています。
退職後に行った5回目の北朝鮮旅行のとき、
北朝鮮側から拘束されました。
1999年12月4日の事でした。
そして2002年2月12日に解放されたわけです。
さて、私が興味のあるのは、2002年7月25日、154回国会で、杉嶋タカシさんが証言したこの部分です。
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私は、1986年の第1回の訪朝の後、同じ日本経済新聞社に勤めている同僚記者に、内閣情報調査室と公安調査庁関東公安調査局に連れていかれまして、その当局から日本の安全のために協力してほしいと懇請され、ささやかな愛国心から協力を約束しました。
内調で私を担当したのは、
当時1課課長代理で防衛大学1期生の内山實人氏と調査官の小島勝成氏でした。
一方、公安庁は、担当官が何人もかわりましたけれども、
私が拘束される寸前の担当官は黒岩和英氏と小林又三氏でありました。
正直申し上げて、私は、この人たちに協力することこそが、愛する祖国日本の平和と安全を守り、祖国への忠誠心を示すことだと考えて協力に励みましたが、結局彼らに裏切られた思いです。
といいますのも、この人たちは、特に公安庁に手渡した写真やビデオ、供述資料、これがことごとく北朝鮮情報当局に渡ってしまっていることが取り調べの初期の段階で露呈され、慄然としました。
これはもう機密が漏れているというより、敵国側に情報提供するシステムができ上がっているとしか言いようがありません。
情報を保管している部屋に出入りできるすべての職員が疑わしいとさえ言うことができます。
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さて、ここで、杉嶋さんが北朝鮮に洗脳されて、こんな証言してるんだろう、と疑うこともできます。
なんせ2年2ヶ月に及ぶ拘束ですから、洗脳するには十分な時間でしょう。
しかしながら、この証言がされた時期は2002年7月25日です。
まだ「総連本部ビル売却問題」で元公安調査庁長官である緒方重威氏が北朝鮮協力者ではないか?との疑問が噴出する5年も前の国会答弁なのです。
朝鮮総連本部ビル売却問題で、緒方重威元公安調査庁長官が、北朝鮮の協力者としてマスコミに登場したのが、2007年5月31の事です。
もしこの「杉嶋さんの証言」と「朝鮮総聯ビル売却問題」の時期が逆だったら、マスコミ報道は、どうなってたでしょうか?
ヤッパリ公安調査庁と北朝鮮は繋がってると思ったでしょう。
杉嶋さんの証言は信用できないと思われたでしょうか?
杉嶋さんが北朝鮮に洗脳された上で、このような証言をしたとは疑う人は、もし緒方重威氏の事件を前もって知っていれば、グンと少なくなるのではないでしょうか?
なにせ、記下のような日本の権力中枢にいた緒方重威氏が、
2007年6月1日、朝鮮総聯ビルの競売回避のため、
移転登記先になった訳ですから。
1984年11月 公安調査庁調査第二部長
1986年4月 公安調査庁総務部長
1988年12月 最高検察庁検事
1990年4月 長野地方検察庁検事正
1991年12月 最高検察庁公安部長
1993年7月 公安調査庁長官
1995年7月 仙台高等検察庁検事長
どうですか、この経歴。
もし、この期間、緒方重威氏がバリバリの北朝鮮の土台人であったとするならば、オウム事件との関連が疑われます。
煽るわけじゃないですが、
オウム地下鉄サリン事件が1995年3月20日、
国松警察庁長官狙撃事件が1995年3月30日なわけですから。
ちょっと上記の緒方重威氏の経歴と見比べてみてください。
国会答弁で出てきた公安調査庁で担当になった黒岩氏や小林氏が、
本人の意思だったかどうかは知りませんが、
杉嶋タカシ氏の情報を北朝鮮に漏らしていたのは確かです。
意思に反していようがいまいが、
不本意ながらでも、上司命令で北朝鮮側に情報を流したとも考えられます。
特にこの公安調査庁職員の小林又三氏という名前は大変重要です。
何故なら後、九州西南海不審船事件で、再び名前が出てくるからです。
国会答弁では、しっかりこのように怪しい人の名前が出てるのに、
そして当初は週刊紙などには平気で実名報道がされていたのに、
最近では、どのネット記事も氏名をイニシャルとかでボカしている。
更にネット情報もどんどん消されているようです。
そもそも、こんな実名が杉嶋事件で出たことで、後続記事が沢山出てもいいはず、しかし今ではネットでもあまり触れられていないようです。
芸能人の浮気報道ならすぐに名前をだすくせに、
政治になると、こうやって杉嶋タカシさんの証言があるのに、
マスコミは自主規制する。
今どうしてるんだこの人たちは?
それが全く報道されないのはいかがなものでしょうか。
小林又三氏は北海道に飛ばされたっていう小さな記事をネットで見つけました。
残念ながら実名はイニシャルでした。
たぶん緒方重威氏の事件が出る前は、最も報道しにくかったのでしょう。
さすがに世論も公安調査庁や内調の内部にそんなスパイがいるかもしれないなんて疑わなかったんでしょう。
しかし、今や、緒方重威氏の事件で、スパイはいるという方に世論は大きく傾いている。
ゆえにもっと堂々と報道すべきでしょう。
まあ、それだけ朝鮮総聯が本部ビルの登記を緒方重威氏のペーパーカンパニー「ハーベスト投資顧問」に6月1日から6月18日の間だけであっても、変更したという事実は大きかったというわけです。
この名変の意義は大きいという事です。
代金決済がまだだし、契約書が買い戻し特約が付いていたから大した契約ではないとか、いろいろ言われてますが、私に言わせれば、一旦名義変更されれば善意の第3者に転売されてしまうこともあるわけで、もうそれは九段の総連ビルを総連は手放したも同然なのです。
もし緒方重威氏がWスパイだったら、総連ビルを速攻で転売してたでしょう。
取り壊され、朝鮮総聯が泣こうがわめこうが、文句が言えなくなるわけです。
だから、この所有権移転登記は、朝鮮総聯議長許宗萬にとっては、
ものすごい博打だったはずです。
逆を言えば、緒方重威はそれだけ朝鮮総連の信頼が厚かったといえるのです。
ちなみに朝鮮総聯は「権利能力なき団体」ですから、
この時の朝鮮総聯ビルの所有権名義は「朝鮮中央会館管理会」という名義であった事を付け加えておきます。