マナとゆかり、賢者の語らい。
「いいわよ」
穂乃香ちゃんの容姿となったゆかりは、ふてぶてしくもベットに横になるなりそう言った。
「少しは私の気持ちにもなって欲しいものだわ」
思わず口に出た言葉は、紛れもなく私の本心だった。
対して、ベッドに転がるゆかりは、こちらを見ることなく言葉を返してきた。
「嫌よ、マナの考えてることなんて、難しすぎるもの。想像するだけで、頭が痛くなるわ」
普段のゆかりのセリフなら、なんとも思わなかったかも知れないけれど、穂乃香ちゃんの姿で言われると、どうにも気持ちを揺さぶられる。
普段であれば、軽口で返すところで、言葉に詰まってしまう。
そこを、ゆかりは目を閉じながら突いてきた。
「ほらね、マナ、アナタ考えすぎよ。世界はね、望むと望まざるとに拘わらず、絶えず動き、変化しているのよ」
そのセリフを聞いて、私は、ああ、と納得してしまった。
これがゆかりと私の決定的な違いなんだ、と。
私は元々何もない空っぽな人間だった。
そんな私に、生きる喜びを、人と触れ合う心地よさを教えてくれたのが、あの子、だった。
今でも感情を出すのが得意ではないけれど、多少は人間らしくなれたのも、彼女のお陰だし、今私が医療部門を担当するきっかけになったのも、彼女のお願いからだった。
「ね、マナは頭が良いでしょ? だから、お医者様になってくれないかな? そうしたら、たくさんの人を救えると思うのね! 私も……」
あの子はその先を言うことはなかったけれど、私なりに考えた続く言葉はある。
『私も助けて欲しいから』
それは、半分以上私の願望である。
いつもニコニコと笑っていた、とても心の強い彼女が、私に見せた弱さ……そうであって欲しいという願望だ。
何でもそつなくこなすゆかりではなく、不器用で応用の利かない私を選んで頼って欲しい、頼ったのであって欲しいという……。
彼女は現代医学では説明の付かないものを抱えていた。
原因の定かではない体調不良、かと思えば、超人的な力の暴発、その反動による体の崩壊……。
どれほどの苦痛なのか、想像するだけで体が震えそうなほどの痛みを身に受けてなお笑う彼女、そして、そんな彼女に私は救われた。
自分がとてつもない苦境にあるのに、それでいて、なお人のために考え行動する彼女は、救われるべき人だったと、今でも思っている。
だからこそ、当時の私も、彼女の言葉を受けて医者の道を志したのだ。
けれど、現実は物語のようにはいかなかった。
彼女を失った私は、研究に没頭し、いくつかの成果を生み出し、そして絶望した。
私は無力だと、空っぽなのだと思い知ったとき、傍らにいたのはゆかりだった。
ゆかりは、私に似ているところがある人間だ。
私のように彼女に救われて、多分、私と変わらないほどに彼女に心酔していた。
そして、何より、彼女の最期に立ち会った一人でもある。
でも、ゆかりは私とはまるで違う。
私は彼女の幻影にこだわり、彼女に執心して、一時期彼女の最期の言葉を忘れてしまってさえいた。
それを思い出させてくれたのもゆかりだ。
「アナタ、託されたでしょう? 『マナ、私の穂乃香を守ってね』って」
絶望に浸って悲劇のヒロイン気分だなんて、と、私は盛大に苦笑したのを思い返すと、恥ずかしくて仕方が無い。
だからこそ、穂乃香ちゃんを守り助けることに全力を傾けるつもりだったのに、やはり、私とゆかりはまるで違うのだ。
彼女は、前に進み、私は立ち止まっている。
地下室に降りる前の自分とゆかりの行動がそのまま私たちの有り様だったのだ。
「私だって、自分が穂乃香お嬢様を代用品と考えていないか、自分を疑うことはあるわ」
突然ゆかりがそんなことを言い始めた。
「穂乃香お嬢様に対する執着は、彼女に抱いていた思いをすり替えているだけなのかも知れないとも思う」
私はゆかりの独白に何も答えない。
いや、答えられない。
何しろ、私の中にもあることだ。
自分が穂乃香ちゃんではなく、穂乃香ちゃんを通して彼女を思い描いているのではないかという疑念だ。
だから、わたしはその先の言葉が知りたくてゆかりを見た。
穂乃香ちゃんの姿をしたゆかりに、彼女の導き出した考えを聞くために……。
「そういう部分が自分の中にあるのは間違いない、けど、だからって、この穂乃香お嬢様を愛おしく思う気持ちも嘘じゃない。代用品だと思っている部分がないとは言えないけど、唯一無二だと思ってるのも事実」
ゆかりは笑みを浮かべながら言った。
「人の気持ちは計算式では表せないから、心を示す公式なんて世界のどこにもないわよ、マナ」
私はつんと鼻の奥に痛みが走ったのを感じ、気合いで涙を堪える。
そして、器具を準備する振りをして、ゆかりに背を向けた。
「ゆかり、容易くあの子の言葉を引用しないで」
私の抗議の言葉に、ゆかりはいつになく子供っぽい仕草で笑った。
「割と似てたでしょう?」
背中越しに聞くその問いの言葉は、まさに、あの子のようだった。
「これは真似って言えばそれまでだけど、私の中に彼女が生きている証でもあると思うのよね」
「でも、所詮、本物ではないのよ!」
気づけば、私は怒鳴っていた。
本物じゃない……それは私の絶望の根幹だから、だ。
けど、私の大声に、ゆかりは動じた様子も見せずに笑みを浮かべて言葉を返してきた。
「確かにそうだけど、じゃあ、マナが納得する『本物』って、実在していたの?」
「え?」
何を言っているのよ!
そう怒鳴りつけようと思ったのに、私の口からは声が出なかった。
声が出ない。
別にゆかりに何かをされたわけじゃない。
私の無意識が私の体に作用した結果だ。
つまり、私はゆかりの言葉に、思うところがあったと言うことだ。
そう結論づけたところで、ゆかりが再び口を開く。
「マナの目指す『本物』って、マナの中での『彼女』でしょう? マナの理想とする『彼女』、でもそれって、『本物』なのかしら?」
ズキッと心に響く言葉に、私は苦笑するしかなかった。
私の視点で観測して組み上げた理想の彼女は、私の中の『本物』でしかない。
わかっていたこと、でも、わかっていなかったことだ。
それを認めるのは悔しかったが、しかし、知ってしまった以上、科学者の端くれとして認めないという選択肢は私にはなかった。
「本物とは言えないわね。少なくとも……」
私はそう言ってため息をついた。
つまりは簡単なことだ。
私の思い描く理想の『本物』は、あくまで私の視点での……ということでしかない。
もし仮に、彼女が蘇ったとしても、私は『本物』だと認識しない……かも知れない。
「……本当、嫌なことに気づかせてくれるわね」
私は心の底から、ゆかりへの文句を口にした。
「でも、大事なことでしょ? だって、マナが『本物』だと認識していないだけで、『本物』に出会ってるかも知れないじゃない?」
ゆかりが真面目な顔で口にした言葉に、私はなぜか寒気を覚えた。
けど、ゆかりはそんな私の反応が目に入っていないかのように、袖をまくり白い腕を晒す。
「調べるんでしょう? 魔法で肉体を作り替えたら、どこまで他人になれるのか……」
ゆかりの言葉に、私は震える声で頷く。
「そうね。魔法で肉体ごと作り替えたら、他人になれるのかには科学的検証が必要ね」
いつか自室で焼き捨てた報告書の内容を思い浮かべながら、私は採血キットを手に、穂乃香ちゃんの姿のままのゆかりに歩み寄った。