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刻の終わりのナイチンゲール  作者: ツインシザー
悪魔
9/39

3 襲撃者


 遠くで喧騒が聞こえる。

 ティアリアリスはぼんやりと、その喧騒を認識した。まだ夢の中に半分ほど浸っているが、少しづつ目が覚めてくるのがわかった。

 いったい何だろうか?目をうっすら開けても、まだ周りは真っ暗だった。おそらくは深夜を少し過ぎたあたりか。寝入ってから体感で3時間くらいしか立っていない気がする。

 遠く――いや、違う。周り中、あちこちから、騒ぎのようなものの声が聞こえる。

 おそらく何かが起こっている。


 悲鳴

 馬のいなな

 鎧の接触音

 そして金属のぶつかり合う、甲高い音


 近くの木箱からガタリと音がした。

「ふぐぅ!?(誰!?)」

 ビクリと肩を震わせるが、返事はない。ただのきしみだ。自分がこの状況に動揺し、冷静でなくなっているのがわかった。暗闇に覆われ、喧騒が辺りからあふれ、身体の動きが制限されている。

 こんな状況であれば、焦るのも無理はないだろう。だからと言って、木箱がきしんだ程度のことに驚いていては、この後の状況に対応できない気がする。

 落ち着こう。

 しばらく深呼吸を繰り返し、脳に酸素を送る。頭も、体も、だいぶ平常のコンディションに戻ってきたはずだ。しかし心はまだ動揺している。自分の脈拍がいつもより速い。理由は、外で何が起こっているか、おおよそ理解したからだった。


 この馬車の外で、周り中で、殺し合いが起こっている。


 ――どうしよう。

 今、縛られている状況でできることなど、そうないだろうが、誰かに庇護を求めるか、逃走か、怪我人がいるなら治療か、このまま隠れているか。取れる選択肢としてはそんなところだろうか。

 どうする?

 ティアリアリスは自分に問いかけた。

 逃げるつもりなら、おそらくこれが唯一のチャンスである。

 このまま領主のところまで連れて行かれてしまえば、自分の自由が侵害される確率がかなり高い。そして最悪の場合は死。処刑される。

 それだけはなんとしても回避する。そのためには、このチャンスの間に逃亡しなければいけない。

 逃亡は確定として、けれどティアリアリスには今すぐに逃亡に踏み切れない何かがあった。

 逃亡をすることは、自分のできることから逃げ出すことになる。

 それは何からの逃げなのか、領主か、兵士か、兵士と争う何かなのか、それとも―――怪我人か。

 ティアリアリスは心の天秤を傾けた。

 自分の命と、怪我をしているだろう兵士の命の重さを、量りに掛けたのだ。


 ・・・・・・治療して、それから隙を見て逃げよう。

 それがいい。綺麗な水を汲んでくるとか言えば、きっと兵士達から離れることができるはずである。

 そうと決まれば行動は早いほうが良い。

 私は決意すると、ままならない体勢のまま、尺取虫のように馬車の入口まで這って移動し始める。

「ふぐっ、ほごっ、ふぅ、ふぅ、(もうっ、このっ、ふぅ、ふぅ、)・・・・・・ふぐぐはがーはがひへふはね(・・・・・・跳ねたほうが早いですかね)」

 疲れた。

 数メートルは移動しただろうか。馬車の入口が見えるようにはなった。しかし、外が真っ暗である。確か寝る前、お花摘みを許された時には、いくつか火が焚かれていたのを覚えている。

 その入口から、黒い人影がぬるりと現われた。音など微塵もさせず、まるで闇が人の形を作ったかのように。その黒い人影は瞳のところだけが青く光っている。

 その瞳が自分を見下ろす。

 ピクリと眉を上げたあと、その人影は自分の脇を通り過ぎ、馬車の奥へ入っていった。私はその人影を目で追う。これは・・・・・・嫌な感じがする。

 その人影はもどってきて私を片腕で持ち上げると、そのまま馬車の奥に私をほおり投げた。

「悲鳴は殺す。暴れても殺す。だが協力するならば逃走にくわえてやる」

 その人影、全身に黒い衣装を着て、同じく黒い布で頭部や口元を覆った人間の男は、そう言いながら私の猿轡を手早くほどいた。

「貴様はどこの間者だ?どんな任務を受けている?」

 男は私の首元にナイフをあてながら詰問した。そこは首の動脈。この男は、どこを切れば効率よく人を殺せるのか、そういうことを知っている人間なのだ。

「わ、私は、間者ではないです。任務も、ないです」

 そう答えると、私の口を片手で押さえたかと思った瞬間、ナイフを右足のモモに突き立てた。

 刃を――突き入れられた。だが異物の感触と、血が流れるのがわかるだけで、痛みはない。痛みを感じる直前に、私の神経がそれをブロックしてしまったかのように。

 男は再度、質問を繰り返した。

「どこの組織だ?任務は?」

「わかり・・・ません。そんな物、ない・・・!」

 私は答えた。適当に話を合わせればいいだろうに。男は私の顔をチラリと見た後、質問を変えた。

「王子はどこだ?答えられなければ殺す。王子はどの箱に隠れている?」

「おうじ・・・?馬車があるって・・・。私はそれしか知りません」

 あのウルフベアとの戦いがあった日、その時に王子が乗っているという馬車の付近で毒や傷ついた兵士を治療しただけだ。そもそもの王子本人の顔を見たことがないのである。聞かれてもまったくわかるはずもない。

「王子がいなくなったのですか?」

 自分でそう質問しておいて、これは違うな、という気がした。この黒ずくめの男が王子を探しているのは、王子がいなくなったから探しているわけではないのだろう。王子を狙って襲撃しに来たら、王子に隠れられたのだ。

 やはりこの喧騒は、人と人の争う声だったのか。王子を狙った襲撃者と、それを守る兵士達――そういう話である。

「貴様に関係ないのだろう?。時間の無駄だったか。悪いが―――


 突然、側の木箱がはじけとんだ。


 ティアリアリスにはそのように見えたのだが、正確には雄叫びと共に木箱のフタを跳ね上げ、男が2人立ち上がったのだ。

『うおおおぉぉぉぉぉおおっ!!』

 2人の男は叫びながら、黒ずくめの男に襲い掛かる。黒ずくめの男は驚いた様子も無く、スッと距離をとり2人の攻撃を回避する。

「ティアさん!平気ですか!?生きてますか!」

「ああああああすいません、すいません!怪我なんかさせちゃって。もっと早く出てくれば良かったのに、くそぅ!あのやろう!」

 暗くていまいち判然としないが、アーロイとロージェルの2人のようだ。

「えええ?あの、えーと、アーロイさんと、ロージェルさんですか?」

「そうです。ずっと入ってました」

「はい。ティアさんが白か、黒かを判断するためには、そばで見張っているしかないだろう、ということになったんで」

 すいません、と頭を下げられた。

 けれどまったくの逆だ。私は助けられた。彼らがいなければ、このまま殺されていたに違いない。黒ずくめの男は私達から距離をとっており、まだ危機が去ったというわけではないが、それでもこれほど心強いことはない。

 たとえそれが、見張っていても黒か灰色かを判別するしかないような微妙な理由だったとしても、である。

 というか、それ、普通は灰色までしかならないよね・・・・・・。ロージェルさんはわかっててやってそうだけど、大丈夫だろうか?。

 2人の兵士と黒ずくめはじりじりと距離を測っている。黒ずくめの手には眺めのナイフがあるが、2人は素手である。むりもない、箱の中に隠れるとき、まさかこんな状況になるとは思ってもみなかったのだろう。しかしそうなると人数の多さはそれほど有利にはならない。

「ティアさんは足の治療を。こっちは自分らでなんとかするんで」

「は、はい。でもこれ、手が届かなくて・・・」

 縄から腕が抜けないかとがんばってみるが、無理そうだ。するとロージェルがアドバイスをくれる。

「その縛り方なら縄はほどけませんが、腕をまたぐといいっすよ」

「あ、ほんとだ・・・ありがとうございます」

 どうにかこうにかがんばって、背中側にあった腕を体の前に持ってこられた。これならば回復魔術を使うことはできそうである。

 私が治療を始めるとほぼ同時に、2人は黒ずくめの男へと踊りかかったのだった。




 傷を治し、そのまま、足の縄をほどく。かなりきつく結ばれていたが、なんとか足の自由を取り戻すことができた。

 縛られていた箇所をさする。赤く、あざになってしまっているが、どうせこれもそのうちに回復するだろう。

「ティアさん!縄を!」

 アーロイの声にそちらを見ると、2人が黒ずくめの男に組み付き、床に押し倒しているところだった。

私は急いで、自分を縛っていた縄を二人に渡す。2人は手馴れた感じで、黒ずくめの所持品を漁りながら縄で拘束していく。

「ふぅ、終わった。こいつはここに転がしておくとして、どうする?。王子探すか?」

 アーロイがそう問うと、ロージェルは男の持っていた道具の物色から顔を上げ、考える。

「班長からはティアさんの護衛をしろって言われてるからな。俺たちのせいで王子に何かあっても、班長が責任とるだろう」

 あまり人望の無い王子である。

「そういうことなんで、ティアさん。ここに隠れてていいですよ。自分らが守りますんで」

「そうですか?ありがとうございます」

 私はほどかれた腕の跡をなでながらそう答えた。

「ですけど、申し出はありがたいのですが、私、どうしてもやりたいことがあるんです」

「あぁ・・・逃げるのと、怪我人の治療と、どっちなのかなー・・・」

「え、あっ、逃げるんですか?えっ、ど、どうしよう」

 せっかく守ってくれる、と言ってくれた2人の気持ちを、私は素直に受け止めることができなかった。

「・・・・・・そのことは今は考えないように、置いておきましょう。それより、何でこんなに暗いんでしょうか?襲撃されているなら、明りをつければいいと思うのですが?」

 私は話を変えた。もし、逃げると言い出して2人が手伝う、などと言ってくれたら、それはとても迷惑を掛けることになる。明確な答えはもらってはいけないだろうと思ったのだ。

「おそらく、敵に風斬り精霊の術の使い手がいるんでしょう。あれは火を持つ者を見つけたら、勝手に火ごと斬り刻んでくる精霊ですからね。迂闊に火を点けるわけにはいかないんです」

「・・・イタチみたいな姿をしてそうですね?」

「トンボですよ。20cmくらいのトンボ。羽が刃物みたいに鋭いんですが、こいつが体当たりしてくるんです」

 なるほど、スカイフィッシュの様な物だろうか。

 私は少し考え、2人に協力を申し込む。私のやりたいことはあるが、そのために何をすればいいのか、わからないからだ。

 そしてしばらくの相談の後、私達はそれを実行することにした。


「では、飛んで火に入る風精霊。やってみましょうか」






 遠くで荷馬車が燃えていた。

 馬車一個、丸々燃やしたらしい。どうせ燃やすのならば薪を積んだ馬車にすればいいものを、食料の積んである馬車を燃やしたらしい。

 そしてその火を刻もうと、風精霊たちが馬車にぶつかっては、火花みたいに弾け、散っているのが見える。こんな状況でもなければ、いい見世物だったろうにと思う。

 風精霊がやられたということは、どうやら作戦も終了段階にあるようだ。セロは仲間の逃走の準備をすべく、急いで兵隊の列から離れようとしていた。

 これまでセロは、王子がいなくなったことでくるった作戦の修正に走り回っていた。兵士に混じり、彼らの情報を拾い上げながら、王子の居場所を探す。

 それでも見つからなかった。襲撃時には優勢だった状況も、それほど経たぬ間に拮抗することになった。それもこれも王子がいないことで、人数を分散するしかなかったからだ。

 作戦前になんとか人数をかき集め、風斬り精霊の術と夜目の術というアドバンテージを用意した。自分が集めた情報も伝えてある。しかし、もうアドバンテージはその機能を失った。精霊は消え、明りがともされ始めた。

 時間がない。逃走の準備にうつらなければ、仲間は討たれるか、つかまってしまうだろう。

 そう思い怪しまれないよう注意をしながら行動し始めたのだが、何があだになったのか、セロは呼び止められることになった。

「そこの兵士!所属と名前を言いなさい」

「はい・・・第3小隊3班 資材部のセロ=マルカスです。自分に何か用でしょうか」

 声の方に振り返ると、2人の兵士を後ろにつれた女隊長が立っていた。彼女はセロを品定めし始める。 突然のことに内心では動揺しているが、表情には出さない。

「よし、お前もついてきなさい。これから王子を迎えに行きます」

 その女隊長はそう言った。

 なんてことだ。セロは表情がくずれそうになるのをなんとか押さえ込むのに大変だった。

 この女、自分達が命を賭して探している王子の居場所を知っているのだ。

 クソめ。そう叫びたくなるのを我慢し、反論する間もなく先を進み始めた女隊長のあとを小走りで追いかける。いいだろう、ぜひとも王子のところまで連れて行ってもらおう。

 セロは馬車の準備のことがチラリと頭をよぎったが、こと、この状況になったのでは、作戦の中で王子の居場所を知ることができるのは、自分しかいないだろうと思い、女隊長についていくことにした。

 このまま王子も討てず逃げ帰るわけにはいかない。セロは仲間の逃走より、作戦の成功に重きを置いたのだ。

 自分だけが王子を見つけ出せるという優越感と、”兵士”であれば命令に従わざるを得ないという没役感情が、セロにその選択をさせた。




 隊が野営をしている場所から、およそ1キロメートルほど離れた位置に、少し小高い丘と数本の木が生えている場所があった。

 その木に寄りかかるように、一人の兵士がしゃがんでいる。

 目深に兜をかぶり、体に合わない鎧を着た、

 ―――兵士の格好をした、王子がいた。

「サフィロ王子、ご無事ですか」

 女隊長がそう聞くと、王子は兜をくい、と持ち上げ、不機嫌そうな顔で自分達を見回した。

「遅いよ。まったく暗殺者の始末にどれだけ時間かかってるんだよ。ほんっとつかえないなぁ」

「・・・・・・申し訳ありません。夜光魔術を使える者もいたのですが、どうやら真っ先に狙われたらしく」

「っそ。いいよどうでも。それより、もう安全なんだろうな?。オレは早くこの汗臭い鎧脱ぎたいんだけど」

 王子はそう言いながら立ち上がった。明らかになれていないのだろう、鎧の重さにフラフラしている。

 襲撃から王子を隠すために兵士の格好をさせ、変装がばれぬために護衛も付けず、そしてあらかじめ合流地点を決めておく。

 なんとも用意周到なことだ。まるで襲撃が事前にわかっていたのでないかといぶかしんでしまう。

 ともあれ、ようやく王子を見つけたわけではあるが、どうしたものか。指笛を鳴らしても味方まで届くか怪しい距離である。だがここでもう暫く安全確認に時間をかけられてしまえば、王子の暗殺は失敗に終わるだろう。

 どうする?笛で知らせるか?。しかし音が届かなければそれまで。聞くものがいなければそれまで。そして笛を鳴らした自身は間者だとばれることになり、それまで。

 笛を鳴らすことは、あまりに博打すぎる行動でしかない。

 だが、それでもどうにかするしかないのだ。セロは自身の置かれた状況を、今更ながらに理解していた。

 おそらくもう作戦は失敗している。

 アドバンテージは無く、いくつもあった剣戟けんげきの音は小さくなっている。仲間のほとんどがやられてしまったのだろう。兵士達は急速に連携を取り戻しつつある。

 これで失敗でないとはありえない話だ。だがセロは、それを認めることはできない。

 それは、作戦が失敗すれば、その責任はどこにあったのか、何が要因だったのか追求されるからだ。王子があたかも襲撃を予見したかのように姿をくらませ、そして逃走用の馬車が作戦地点に用意されていない。そんな情報が組織にもたらされてしまえば、どう判断されるだろうか?。


 セロは組織を裏切った。


 状況を積み重ねただけではあるが、そう判断される。たとえセロが王子の居場所を探るために隊長と行動を供にしていたのだと弁解しても、馬車を用意しなかったという不信感はぬぐえない。そして怪しい者は間者として使えない。いつ自分達の組織に致命的な刃を突き立てるかわからない者を飼うほど、組織はおろかではない。火急速やかに処分されるだろう。

 セロにはもう、後がないのだ。

 気がつくと自分は、あの道端に転がっていた死体のように、運がない側へと墜ちようとしていた。

 黒と灰で彩られた自分の過去。死が隣り合わせにあった、そしてそこから抜け出した後も、自分の根幹をつかんで離さなかった、あの恐怖が

 今、自分にひたひたと歩み寄ってくるのを感じていた。


 だが、まだ終わってはいない。まだこの作戦はついえていない。自分ならこの盤上をまだ、ひっくり返せる。組織に、自分の有用性を示すことができる。

 セロはいつの間にか出ていた手汗を服にこすり付けてぬぐった。心臓がドクンドクンと早鐘を打っている。

 おそらく表情も隠せてはいないだろう。しかしこの暗さのせいか、まだ見とがめられることはない。

 女隊長は王子に現在の状況を説明した後、兵士の一人に持ってきていた王子の衣装に着替えるように命令した。兵士はかなりしぶっていたが、断ることもできず、あきらめて衣装に着替え始めた。

 セロはあたりを警戒している風を装って王子に近づく。

 ―――第2王子 サフィロ=イズワルド=サリア

 イズワルド帝国の王子にして、その身に3匹の悪魔を宿す者。その力は先のグラッテン王国との戦争でも発揮され、戦場一つをまるごと凍りつかせたという逸話のある王子である。

 だがそれも、こうして近くで見ればただの年若い少年でしかない。悪魔を宿していようが、呼び出す前に近づいてしまえば、あとは身体能力の差がものを言う。

「王子、武器を所持していなければ偽装を怪しまれます。少し重いかもしれませんが、良ければ私の剣を使いませんか?」

 そうしてセロは腰にたずさえている剣を鞘から抜き出してみせる。

 剣を鞘から引き出すときの鞘走りの音を聞いて、兵士達がこちらを向いたのがわかる。セロは刃先を自分に、柄を王子に方に向け、差し出す。

「お前、オレが剣使えないと思ってるだろ?。これでも剣の教練ではなぁ―――」


 ブスリと、王子の腹を貫いていく感触が、この手に伝わってくる。


 セロは、王子が剣を受け取ろうとした瞬間に、刃と柄を半回転させ、そのまま王子に突き刺した。王子の背中からは、貫通した刃がその刃先を赤黒い液体で塗らしていた。

 王子は自分の腹に刺さった剣を驚きの表情で見下ろした後、セロの顔を見て口を開こうとした。しかしそれは言葉にならず、王子は膝から地面に倒れ付した。


 女隊長が抜剣し、自分に斬りかかってくるのが見える。セロはそれを避けることなく肩口で受ける。

 すでに自分の目的は達したのだ。口からは勝手に笑い声が漏れ出していた。

 終わった。もう、なにもかも終わった。これで楽になれるのだと、そうした思いがセロの中から笑い声となってあふれていた。

 もう、人生を偽らなくなくていい。もう、死の足音におびえなくていい。あぁ、自分のいびつな在り方が、ようやく終えられることができる。

 セロは王子の横に引き倒されながら、自分の心をがんじがらめにしていた仄暗く冷たい鎖が消えていくのを感じていた。

 女隊長が何かを叫んでいる。自分に何かを尋問しているのだろう。しかしもう、どうでもいい。王子は殺したのだ。

 セロは幸せな笑顔を浮かべながら、傍らの王子を見やる。

 王子は腹に刺さった剣を抱えながら、呼吸を荒くしていた。

 王子はまだ死んではいなかった。もう意識はないようだが、まだ生汚く、死の淵に指を掛けている。

 死ね――そういう言葉が、セロの口から紡がれる。

 死ね 早く死ね 自分の演じてきたモノの終幕のために、その終幕を最高に彩るために お前の死が必要なのだ。

 セロはなぐられた。それでもその言葉を紡ぐのをやめなかった。

 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

 王子から、その命の灯火が流れ出すように、黒紫の霧のようなものが流れ出す。それはどんどん量を増し、あたり一面を覆い始める。




 夜が終わりに迎い朝を迎える間の、途中の時間。隊の集団から離れた小さな丘の上にそれは出現した。


 五つの頭を持ち、一つの巨体と一つの尻尾、それを支える太い四肢を持つ、巨大な多頭蛇だった。


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