1 日のあたる世界
鳥の声が聞こえる。
ティアリアリスの始めの認識はそれだった。
冷たく真っ暗な、魂の凍りつくような場所からふっと浮かびあがってくるような感覚。
ここは暖かい・・・。
全身がそれを理解している。心地よい鳥の声、肌をなぜる風のゆらめき、そして全身を包む、大きな温もり
これは・・・何?
ティアリアリスは体の緊張がとけていることに気がついた。
ずっと、今まで張り詰めていた心のとがった部分が、やわらかくなってゆく。
そうか、思い出した
ティアリアリスは目を覚ました。
眩しさに目を細めた後、目が光に慣れてくるのを待つ。
そこは木々の合間にできた草地だった。
それなりの広さの場所に、足元を隠す程度の背丈の草がびっしりと生えている。
その緑が、陽光を受け輝いていた。
「太陽・・・」
いったい幾日ぶりの日の光だろうか。
確か300日は日にあたった記憶がない。
手を開き光を受ける。手をかざし光を透かし見る。
あぁ、温かい・・・。
「これは・・・天国というものですか」
ティアリアリスはそうつぶやいた。
まるで世界が変わったようだ。
あの終わりの場所から、こんな安らぎの与えられる幸せな場所へ、いったい誰が連れてきたというのか。
そう考え周りを見回す。
人影は何も無い。
同僚も、装置に寝ていた研究者も、自分の上司も見当たらない。
そしてふと、おかしなことに気がついた。
自分の手が――腕が、生身なのだ。
両腕は機械だったはずだし、視覚の補助ツールもあったはずだが、今はそれが機能しない。確かめてみないとわからないが、他の機能もなくなってしまったかもしれない。
まぁ、ここが天国であれば必要ないわけだが。
一応そのほかの物も確認してゆく。衣装は元のまま、緑が基調のフワリとしたスカートのドレスに、薄緑のエプロンを掛けた、クラシックな看護服。ポケットに入っていたいくつかのカード類、薬品類は無く、かわりに見たことにない銀貨と色とりどりの宝石類が入っていた。包帯とナノシートはそのままだが・・・いや、鼻を近づけてみると、どうもナノマシンがいない気がする。ナノマシンの有無は青色ライトを当てると発光するので確認できるのだが、今はライトを持ってない。胸元のペンはあった。しかしこれはどうやらインクで書くペンのようだ。
まるで意味がわからない。
ティアリアリスは首をかしげた。
入れ替わった物の基準が不明瞭だ。それでもつじつまを合わせようとしたら、2世代か3世代、もしかするとそれ以上前のモノに入れ替えた、とも考えられる。
ひとまず銀貨を見てみることにした。
明らかに文字らしき線図形の並びがあり、両面に絵が彫ってある。偉そうなおじさんと、反対側が竜のようだ。
文字にも絵柄にも見覚えはないが、これを持たせた者は、私がこれを使う境界内にいるということなのだろうか。
そもそもここはどこなのか。
誰か研究者のイタズラだろうか。確かネットワーク内に擬似空間を作り出す系の研究をしていた人物がいたはずだ。知らず知らずのうちにその実験台にされたのだろうか?。
それにみんなは――。
同僚達の顔を思い出す。ついさっきまで、いっしょにあくせく働いていた仲間たち。
そしてあの人。
最後の最後に私の心に衝撃を与えた人。
あぁだめだ、思い出すと落ち着かない気分になる。
ティアリアリスはうろうろとその場を歩く。
三度深呼吸し、自分のほおを両手で押さえる。
落ち着いた。
たぶん。
そして問題はその後だ。その後、時間は止まったのだ。
自分は時間の止まる瞬間を見た。
ほんの刹那の、その瞬間を。
そして――
差異
私は差異なのだと。
”何か”に言われた気がする
何か、大きくて、小さくて、這いずって、あふれて、偉大で、異常で、異形で、生物のようで、生物ではない。死と生と何もかもをごちゃまぜにして塗りたくった絵の具のような。
怖いもの
神々しく怖いもの
考えるとココロが冷たい塊で押しつぶされそうになるモノ。
ココロが すくむ。
だめだ、考えるな。
私はここにいる。この温かい場所に。
今はそれだけで十全。
世界と供に止まらなかっただけでなく、太陽の下にいられることを喜ぼう。
もしかすると仲間たちだって、この近くのどこかにいるかもしれない。
探したっていい。いや、探そう。探して話をしたい。指示してほしい。頭をつかうことは他の人にまかせたい。まかせよう。
何もわからない、という状況に不安を覚え、誰かを探すことにした。
しかし辺りは草原と木々が生い茂った林である。目印となる物も何も見当たらない。
なので、まずはどの方角に進むか決める。
・・・・・・・・・・・・どっち行っても同じだな。
なんとなく木々が少なく木漏れ日の多い方角へ、とりあえずまっすぐ進むことにした。
まっすぐ進み続けて小一時間ほど。
ティアリアリスは選択が失敗したのではないかと考え始めた。
どんどん木々が増えてきている。すでに林という密度を越え、森へと入り込みつつある。
日差しもほとんど入らず、藪が多くて歩きにくい。
人家とまでは言わないが、川や道でもあればそれ伝いに移動しようと思っていたのだが、そのようなものも見つかる気配がなかった。
休憩しよう。
ちょうど腰を掛けるのに良さそうな倒木を発見したので、腰を下ろし足を休ませる。
倒木は程よい太さをし、いまだ朽ちておらず手触りも悪くない。なかなか良い場所を見つけたと思い、ティアリアリスは木の根元の方へと目をやった。
するとそこには、巨大な数本の爪でえぐり取られた跡があった。
「・・・・・・」
なるほど。倒れて間もない生木だからきれいなわけだ。
爪跡の大きさから、それを行なったであろう、生物の大きさを想像してみる。
熊だろうか。
そもそも実際の熊を見たことが無いので憶測に過ぎないが。
まぁとりあえず、
ここを離れよう。
そう決意して、耳を澄ませ、あたりを警戒しながら腰を上げる。
音が聞こえた。
まるで人間の悲鳴のような。
もう一度耳を澄ませる。
子供の声だ。
木々の奥、そう遠くないところから、子供の声が聞こえる。
命の危機に瀕している声が聞こえる。
ティアリアリスは一瞬逡巡した後、声の方へ走り出した。
助けられるなら助けましょう。
藪をはらい、木の根を飛び越え、枝を押しのける。
最悪、自分を犠牲にして時間を稼げばよい。
たった短時間で、彼女は自分の命の価値を決定した。
そういう風にティアリアリスは生きてきたのだから。
それは確かに、熊のような生き物だった。
木々の間から、黄土色の体毛に包まれた、2メートルほどの獣がいた。記憶にある熊よりも顔が前へ長く伸びており、頭から背中へ鬣が生えている。
その足元、子供がいた。
二人――1人は女の子だろうか、ぐったりとしている。もう一人少年で、その子を抱えたまま、後ずさりしようとしている。
しかし、もう間もなく、獣の爪が振り下ろされ、二人はバラバラにされる。
「ねぇ!」
まっすぐ獣に走りながら大声を上げる。良かった、獣はこちらを振り返り、警戒してくれたのか体の向きを変える。
私はポケットからナノシートを取り出す。粘着性と遮断性の高さから、目を覆い隠してしまえば、かなりの間取れないはずだ。
ナノシートにはこんな逸話ある。曰く、宇宙で船外活動をしていた宇宙飛行士が、あやまって宇宙服に穴を開けてしまった。あせった宇宙飛行士が取り出したのはビニールテープではなく、ナノシートだった。これを穴の上に貼り付けたところ、はがれることなく、空気の放出を防いでくれたのだ――と。
おそらくはナノシートを医療関係者に売り歩くための作り話であろうが。そんな話が一看護師の耳に入ってくるあたり、目的は成功していたのだろう。
私はシートの保護フィルムをはがし、獣に走り寄る。
10メートル、5メートル、3メートル
右腕をふりかぶって、叩きつける。
だが獣はちょうど牙をむき、振り下ろされた腕を噛み砕いた。
骨が削られる音が 体内から聞こえる。何かが切れ、零れ落ちるのを感じる。
だが不思議と痛みを感じなかった。
まるで機械の腕のように。
獣は咥えた腕を2,3度振り回した。それに引きずられるように、私の体もボロ布のように振り回される。
獣は一度口を開き、再び、今度は私のくび元を狙って口を開けた。
私はその口の中に、ボロボロになった右腕をつっこんだ。
腕は肩口まで飲み込まれ、肩――三角筋に牙がつきたてられる。
私はやはり、振り回されながら、子供に声を掛ける。
「早く逃げて!今のうちに、遠くへ!」
ありったけの懇願をするが、足がすくんで動かないのだろう。少年はこの惨状をただ、見上げている。
早く逃げてくれなければ、失われる。
血が。命が。そしてチャンスが。
獣は気道を腕でふさがれ、苦しいのか、私の体を両の爪でつかんで、引き剥がす。
体に爪が刺さり、私は痛みを感じる。
ああ、良かった。
今度は痛かった。
ナース服を真っ赤に染め上げながら、私は草はらに投げ出される。
息が荒い。起き上がろうにも体がやたらと重く感じる。これはだめかもしれない。腕一本を犠牲にして逃げれるほどの体力は、すでに失われている。
今更機械の万能感に頼りきりだったことを感じながら、なんとか左腕で体を起き上がらせる。
獣は自分の喉をかきむしっていた。
呼吸ができないらしく、えずいて、転げまわる。
そしてだんだんと動きが散漫になり
――死んだ。
そういえば右手に持っていたナノシートがない。
・・・・・・
ナノシートってすごい。
安全のために動かなくなった獣を大きめに迂回して、子供達二人に走り寄る。
まだ覚めやらぬ恐怖の色が見える瞳が、私に向けられている。
私はそのまま、子供達の前にひざをおり、抱きしめた。
腕にすっぽり入ってしまう、小さな体躯を抱きしめながら、
「大丈夫です。――もう、大丈夫だから」
そう声を掛け、少年が落ち着くのを待った。時間的に女のこのことを考えると長くは掛けられないが、この子を落ち着かせられないままでは、女の子の治療ができないだろうと思いこんな行動をとった。
それから少し体を離し、少年があたふたしているのがわかる。よかった。少なくとも、その瞳からは恐怖が感じられなかった。
もう一人の女の子に視線を向ける。
意識はないようだが、背中が上下している。
「では、この子の手当てをはじめます」
そう言って、私は女の子を治療し始めた。
まずは反応――ない。呼吸――荒い。脈拍――弱い。瞳孔確認――縮小を確認。次、怪我の確認。
右大腿外側から右臀部への4本の裂傷。この程度ならナノシートを貼り付けておけば勝手にナノマシンが滅菌やら組織再建やらなんとかしてくれるのだが、どうもいないっぽいし。
出血だけでも抑えるために手持ちのナノシートをすべて使って傷口を覆う。女の子の体格は推定身長100cm、体重20kg 血液の20%――300ccちょっとの出血で命が危うくなるが、すでに出血によるショック症状が出始めている。縫合、そして輸血を急がなければならない。
「君、ここから家は近いですか!?急いで傷口を縫わなきゃいけないの!」
「ЮlШkБбШЬF?」
それは聞いたことの無い言語だった。
しかし私はわかった。
”アイネ、死んじゃうのか?”
一度も聞いたことの無い言語が、私の頭の中で確かに形になったのを感じる。
そしてその同じ言語で私はもう一度、家の場所を聞く。
「い、家はもう一つ丘を越えたところだよ。遠いから、死んじゃうよ」
「まだです。近くに治療できるところは?」
「わ、わかんないよ。術士様なんて僕の村にはいなかったよ。いつも隣村まで行って、来てもらうんだって・・・」
術士、というのは医者だろうか。この国では医者はそれほど多くはないのだろうか。そうなるとやはりなんとかして傷を縫合しないと。
「近くの家は・・・」「あの、ねえちゃん、術は使えないのか?」
少年は私を見ながらそう言った。
「術・・・?医術ですか?」
「いじゅつ?魔術だよ。術士様はいつも魔術で治してくれるぞ。ねえちゃん冒険者なんだろ?。冒険者なら魔術使えるんじゃないのか?」
「いえ、私は・・・ぼうけんしゃ?」
なんだろうか。魔術や冒険者というのは。ファンタジーゲームに登場するアレなもののことだろうか。
「われはもとむこのもののたましいにかがやきをって言いながら手をかざしてぴかーってするんだ」
「げーむ・・・の話ですか?」
「んもぅっ!」
少年は理解できていない私を押しのけ、女の子の傷の上に手をかざす。
「われはもとむこのもののたましいにかがやきを!たましいにかがやきを!」
そう何度も呟くが、なにも起こらない。起こるわけがない。
「ひかんないっ!たましいにかがやきを!」
少年の瞳からは涙が零れ落ちる。
本気なのだ。この子は本気で、この女の子を治したくてやっているのだ。
治したい――助けたい――命を
守りたい
私にはその気持ちが良くわかった。
私も、助けたい。
守りたい。
この子を助けられるのなら、何だってできる。
そう、できる気がしたのだ。
私は女の子の傷口に手をかざす
「この者の魂に輝きを」
すると、私の両手の周りに円形の奇妙な輪が現われ、緑に光りだす。
それはとても暖かな光だった。ありえない光景に驚くと同時に、理解する。
今まで自分の知っていた医療知識と同じように、この光が人を癒す、理の異なる医療技術なのだと。
私はその光を傷口に近づける。
私の両手から小さな輝きが傷口へと流れ出す。小さな小さな流星雨のように、緑の光が私の中から流れ出し、女の子の中に入ってゆく。
体が少しだるく感じるのと対照に、女の子の呼吸がおちつき、肌に赤味がもどってくる。
これ・・・、ど、どうすれば・・・?。いつまで手をかざしていればいいのだろうか。
加減がわからずも、そのまま手をかざし続ける。
「すごい・・・」
少年はそう言い、倒れている女の子のほおをつつく。それからちょっと考えた後、傷口をナノシートの上からつついた。
女の子は痛がるそぶりを見せない。もう少し強くつついたあと、確認するようにティアリアリスを見た。
私は頷いて、ナノシートを端から少しだけ剥がすよう、お願いする。
傷口が消えていた。出血の跡と、少しへこんだような爪跡の痕跡があるが、どこにも真っ赤に分かたれたザクロのような傷はなくなっていた。
これが、魔術。
ここで人を救う技術――。
私はこの時理解したんだと思う。ここは天国ではなく、まるでちがう、別の世界に迷い込んだ、いや、迷い込まされたのだということに。
そしてどうやら、この世界の知識や技術を、自分は都合よく与えられたのではないかということに。