3 ツェツィア=ハリン
ツェツィア=ハリンは人が苦手だ。
子供の頃、顔にそばかすがあり、そのことを近所の男の子にからかわれたのが原因だった。
自分のことを言われたのであれば、まだ我慢はできたかもしれない。でもその子は、ツェツィアの家がパン屋だったことを知っていて、パンにもツェツィアのそばかすが入ってて汚い、と言ったのだ。
ツェツィアはそれ以来、人が怖くなった。人に見られるのが嫌になった。外に遊びに出ることもなくなったし、それまで両親の手伝いに行なっていたパンの販売もしなくなり、工房の隅でパン生地を粘土代わりにして遊んでいる暗い子供になった。
学園に入学した後もそれは変わらず、頼まれたり、押し付けられたりしたあれこれを、唯々諾々と一人でやっているような、人との軋轢を極力回避する毎日を送っていた。
今まで会話らしい会話をした覚えも無い。
手をつないだことだって記憶にない。
自分が唯一心安らげるのは、この学園に入ったことで一つだけ使えるようになった魔術、スライム召喚魔術で呼び出したスライムをこねて心を落ち着けている時間だけだった。
今はその、心安らげる時間が邪魔されていた。
夕飯の食事を終え自室に帰るところで、今日途中入学してきた変な入学生につかまってしまったのだ。
その生徒はなぜかとてもやる気になっていて、ツェツィアを彼女の自室に連れて行くと勉強を教えろと言って新品の教科書を取り出した。
なぜ私が教えなくてはいけないのか。自分より3つ4つ年上の彼女である。専門的な教科ならしかたないが、一般的な知識ばかり教えろと言われる。
ツェツィアは内心の不満を押し殺し、彼女に勉強を教える。
嫌といえる性格でもないのだから。
「初代帝王のイズワルドが始天0年にイズワルド帝国を宣言。圧倒的な力でへる・・・へるねいあ大陸の中央を制圧すると・・・圧倒的な力ってなんだろ。魔術?」
「・・・・・・あ「”悪魔”だね。初代イズワルドはこの世界で始めて悪魔を使った人間なんだよ」
ツェツィアが説明しようとするのを横からメガネを掛けた女子が説明してしまった。
「・・・・・・」
「歴史の教科書には”悪魔”のこと載ってないですよね?魔術の教科書かなぁ」
「「・・・・・・そ「国家機密だよ。公然の秘密だけど、帝国は悪魔の所持を否定しているからね。たぶんお城の書庫にでも行かないと悪魔のことが載ってる本はないんじゃないかな」
・・・・・・なんだろうこの気持ち。自分が説明しなくてもいいというのに、なんだか心がささくれて行くようだ。
「ティアは悪魔に興味あるの?。知りたいなら情報売ってあげてもいいけど、正直オススメしないよ。帝国の暗部に目をつけられるかもしれないからね」
「ちょっとあなたたち!やめなさいよ!私のけいれきに傷がつくような話をこんなところでしないで!」
今度はこの部屋のもう一人の住人、長い黒髪をポニーテールにした少女が激高しながら立ち上がって言った。
「シャルは聞かなかったことにしていいよ」
「そんなの無理でしょうが!」
シャルと呼ばれた少女がメガネの女子に食って掛かる。しかし慣れているのか、適当にあしらわれていた。
「2人うるさいので出て行ってください。ツェツィアさん、ゴメンね。続きをしましょう」
ツェツィアはそのやり取りを聞いていて、目を白黒させていた。
この女子――ティアリアリスは、今日入寮したばかりの生徒である。それがどうしてこんな気安いことを言えるのだろう。クラスは違うが、確かあの黒髪の少女は貴族だったはずだ。
それに夕方の時も。貴族にかかわろうとしたり、あまつさえ王女様に話しかけるなど。いったいどれだけ物怖じしない性格なのだろうか。
そもそも、私に対して「手を組もう」と言うのがわからなかった。なぜ自分なのか。自分などより、もっと適した人間がいるだろう。せいぜい、席が隣りで放課後に話しかけた、ということくらいしか関わりはない。
なぜ、たったそれだけの人間に話しかけられるのか・・・。
ツェツィアは、とても自分にはできないことばかりするこの娘に衝撃を受けていた。
私には、とても出来ない―――。
いつもであれば、自分の作り上げた殻の外のこと。どれだけ周りが楽しくしていても、どれだけ周りが争っていても、まったく気にしていなかった。
なのになぜか、今日だけはその殻がうまく作れていない気がする。
おそらく、貴族寮に行くとき、ティアリアリスに手を握られてから。
今までだって、授業の一環でダンスを踊った時などで、他の生徒と手をつないだことはあった。けれど授業であれば心の準備が出来ていた。終わればそれきり。またいつもと同じ静かな生活があった。
そうだ、今日はスライムをこねていないから。だから心が落ち着かないのだ。
早く一人になってスライムを無心にこねたいな。そう思った。
「ええと、これが10ジム。絵は3代国王妃リチェルマイレウ。こっちが50ジムで絵が8代国王ティム=イズワルド=なんちゃらの若い頃。・・・これが100ジムでえーと・・・」
「・・・・・・ティム=イズワルド=アスティナ。100ジムの絵が12代国王ロイ=イズワルド=ミーナ」
「そうそう。ロイ~ミーナ。今日会った王女様と同じ名前ですね」
「・・・・・・それはミーラ様・・・」
「でしたか。人の名前は覚えにくいなぁ」
ティアリアリスがぼやいているのを、横にいるツェツィアは困った顔で見ていた。
今は社会科目の勉強として、この国のお金とそれに掘られている肖像画のことを教えているところだ。
「ちょっと!ミーラ様の名前を間違えるなんてあなた不敬にもほどがあるわよ!」
ポニーテールの少女がティアリアリスに怒鳴る。
これには少し同意してしまう。自国の王族の名前を間違えるなんて・・・と思ってしまうのだ。
「そうですね。ごめんなさい、今度からは気をつけます」
ティアリアリスも悪いと思ったのか、素直に謝る。が、メガネの女子が口を差し込んできた。
「ティアはしかたないんじゃないかなぁ。どうもイズワルドの知識に接する場所にいなかったみたいだし、地方の村の出であれば自分の所の領主と国王くらいしか知らないってこともあると思うよ」
「なっ、そ、それでも!不敬なことにはかわりないでしょ!」
メガネの人はそうなんだけどねーと呟く。
「でもなんていうかねー・・・ティアはそういうのとは違う気がするんだよね。きちんとどっかで知識を学んでるようなんだけどね・・・」
「リンリー、確かに私はこの国の生まれではありませんし、きちんと私の国の学校を卒業した身です。ですが、そういう詮索はしないでもらいたいです。これからこの部屋でいっしょにすごす人間に、警戒心をいだいていかなければいけないというのは、とても嫌なことです」
リンリー、と呼ばれたメガネの女子は、片方の眉だけ上げて見せた。
「・・・・・・そうだね、ゴメン。そのあたり、きちんとしなきゃだよね。ティアは私に聞かれることが嫌なのかな?それとも情報をどう扱うかわからないことが嫌なのかな?」
「どちらかと言えば後者です」
「わかった。全部説明するね。今、時間いいかな?」
そう言ってリンリーが私達を見回す。それはたぶん、時間だけの話ではなく、リンリーとティアリアリスの話に私とシャルもかかわるか?という意味合いを含んだ確認だった。
わたしは答えられなかった。ハイともイイエとも。リンリーとティアリアリスの間に、重苦しい雰囲気が流れているのがわかる。私はこの場の雰囲気が恐ろしくて、でも自分の意見をはっきりと言うこともできなくて、硬直していた。
「・・・・・・待ちなさい。聞き捨てならないわ」
口を開いたのはシャルだった。
「この国の生まれではない?あなた、そう言ったの?」
そうだ、ティアリアリスはそう言った。この学園は他国の生徒を受け入れていない。もしここに、他国の人間がいるとすれば――。
「いいました」
「悪いけどリンリーの話なんてどうでもいいわ。みんな手伝いなさい」そう言いながらシャルは自分の机の横に置かれている木剣を取った。
「間者を捕まえるわ」
そう言い放つと同時に木剣でティアリアリスに打ちかかる。その小さな体躯からは考えられない速度だ。
パシッと音がして、ティアリアリスが自分に振り下ろされた木剣を両手の平で挟み込んでいた。
ティアリアリスはそのまま剣を抑えながら、シャルの左足の脛を思い切り蹴飛ばす
「ひぎゃ!?」
シャルが左足を引いて体がぐらつくと、そのまま木剣をひっぱってシャルを転ばせる。
転んだシャルに覆いかぶさり、シャルの自由を奪うと――
脇腹をくすぐり始めた。
「びゃっきゃははっ誰か、助けっ!きゃははははははっひゃひい、がふっひゃひゃひゃひゃひゃ!だれっきゃげふっぎゃはっひゃひゃひゃひゃひゃじゅるっ、びゃひゃっ、げっ、えぐったすっ、えげっ、えげっおごぉ・・・・・・」
部屋にはシャルの泣き笑いだけが、永遠とひびいていた。
リンリーは2人の様子をぽかんと見ている。
私はあまりの展開に、頭がまっ白になってしまっていた。
そうして長く続いていたティアリアリスのくすぐり地獄も、シャルが涙や鼻水をたらしながらぐったり動かなくなったことで終わりを迎えた。
「少し、2人で話してきますね」
ティアリアリスはそう言って動かなくなったシャルを小脇に抱えたまま、この部屋で唯一扉のあるトイレに入って行く。
のこされた私達はお互いに顔色を伺う。私はちらっとだけだったが。
「・・・・・・いやぁ。おもしろかったね」
えええええええええ?
15分ほどだろうか。長くボソボソとした話し声が終わり、トイレの扉が開く。
「汗をかいちゃいましたね。お風呂ってまだ入れるんでしょうか?」
2人の動向を固唾を呑んで待機していた私達に、ティアリアリスがにこやかな笑顔でそう言った。
「入れるけどね。この時間じゃぁ温くて誰もいないだろうね」
「それは好都合です。さっきの話はお風呂から出てからしましょう。シャルさんもいろいろなモノを流しましょうね」
「サー!イエッサー!お姉さま、お背中お流ししますわっ」
・・・・・・あれ。
ティアリアリスの後から出てきたシャルは、人が変わったように従順だった。
「なにそれきもち悪い」
ずばっとリンリーが言った。
「うるさいわよ庶民。騎士においては階級は絶対なのよっ」
「シャルが従順になるなら私も階級とろっかなぁ。まぁいいや。じゃぁお風呂いこっか。君もくるだろう?」
リンリーが私を誘ってくる。正直なところ、もういっぱいいっぱいでここから逃げ出したい。ここにいると私の心が耐えられそうにないのだ。
だけど断りの言葉が口からでない。なんと言えば、相手が嫌な思いをせずに断れるのかわからなかった。
私が困っているのを察したのか、ティアリアリスが助け舟を出してくれた。
「ツェツィアさんは人が苦手みたいですから。お風呂ならなおさら嫌かもしれませんが、どうでしょうか?私達といっしょでも平気ですか?」
確かに裸での付き合いは学校で話すのより苦手だった。守るものがない、というのは私をさらにちっぽけなものに変える。
「・・・・・・は、はいっ、入らなくても・・・平気・・・だから」
私はやっと、なんとかそう言った。この学校に来て、初めて断った気がする。もうせいいっぱいの勇気をふりしぼったのだ。
「それはダメです。女子たるもの、お風呂に入らず、何日も同じ服、同じ下着ですごすとかありえません!」
ティアリアリスは突然怒りながらそう言った。
「いつ縛られて荷馬車の奥にほっぽられるかわからないんですよ!。綺麗にできるときに綺麗にしないと!」
そうして私の断りなどなかったかのように、彼女にひきずられながらお風呂に行くことになった。
「せま。ぬる。この世界は温泉常備ではなかったのかっ」
騒ぐティアリアリスを無視して、私はのろのろと服を脱ぐ。あまりにのんびりしていたから、脱衣場にはもう、私しかいなかった。
嫌だ、という思いがさっきからうずまいている。
私の平穏を掻き乱さないで。
涙がこぼれそうになる。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
学園に来てから誰かといっしょに風呂に入ったことはない。いつも人のいなくなった頃を見計らい、一人で入っていた。
たまに人と会うこともあったが、会話などなく、そそくさと洗い、終わらせていた。
だから嫌だった。
――逃げてしまおうか。
脱ぎかけの格好のまま、脱衣所から出てしまおう。そして自分の部屋に行き、布団にくるまって私の世界を取り戻すのだ。
もう、それしかない。
私は降ろしたばかりのスカートを拾い、脱いだ上着をつかんで出口に駆け出す。
しかしその時、腕からリボンがするりと落ちてしまう。
「あ・・・」
焦っているのか、拾おうとする手を2度、3度すり抜けてしまう。
コトコトと音がして、風呂場へと続く扉が開かれる。
「ツェツィアさん、まだです・・・・・・」
見られてしまった。
きっと察しの良い彼女のことだから、私が何をしようとしているのか、わかってしまったに違いない。
私は泣きそうな目で、彼女を見上げる。
彼女はとてもきれいだった。まだ水がしたたっていない全裸の体が、魔玉の明りでうかびあがる。細くしなやかな手足にスレンダーな体。お姫様みたいに細いのに、シャルに襲われたときには驚くほど力強く動いていた。ゆれる金の髪は羅紗のようにさりさりと透明な音をならしそうに見える。緑とも青ともつかない宝石のような瞳が、今は私のことで困った色をうかばせている。
あぁ、きっと私もこんなに綺麗だったら、暗い性格にならなかったのにな。
そう思った。
この人の物怖じしない性格は、自分に自身があるからなのだ。
私とは違う。私は彼女とは真逆の、みすぼらしい人間なのだから――
「ツェツィアさん、早く入りましょう?」
・・・・・・
「あの2人にはツェツィアさんを困らせないよう言っておきましたから」
・・・・・・嫌
「そう言えばシャルアさんが鳥のおもちゃを持って入ってましたよ。かわいいと思いませんか」
・・・・・・嫌だ
「ツェツィアさん・・・?」
嫌だ嫌だ嫌嫌嫌嫌嫌ぁ
「・・・・・・嫌っ。わっわたっ、私にっ、入ってこないで!」
私は気がつくと、そう叫んでいた。
自分の口から出た言葉に、自分で驚いてしまう。
その場にペタリとしゃがみこみ、いつの間にかポタポタ落ちる涙を手の平で隠す。
わかっているくせに!
私がここから逃げ出そうとしていたのを、あなたはわかっていたくせに!。
私は私がこんなことを言ってしまったのを、彼女のせいにし始めていた。
「・・・・・・わかりました」
彼女はそう言うと、私の前にしゃがみこみ、私を抱きしめた。
「やっ、やだっ・・・放しっ」
「わかりました。ツェツィアさんの言う通りにしましょう」
ぜんぜん言う通りにしてくれなまま、彼女はそう言う。
私はこの腕から逃れようともがくのだが、まったく逃れられる気配がなかった。
「放し、って・・・!」
「わかりました」「わ、わかって、ない・・・!」
「いいえ、ツェツィアさん、これは取引なんです。あなたは私に抱きしめられるのをこばみますか?。それとも、私にあなたの心に入ってこられるのをこばみますか?」
彼女はどちらかです、と私にささやいた。
そんなのはひどい。どちらも嫌だ。こんなのは取引とは言わない。
「あなたに入らないかわりに、私の好きなときに抱きしめさせてください」
それは最低の取引だった。
どちらをとっても、ツェツィアの日常が侵食されてゆく。
何もなく、誰ともかかわらず、空気みたいな安寧の連続が、”取引”というまがい物の束縛で投げ捨てられてゆく。
しかし、それがわかっていても、私にはもう、この人を拒絶する気力は残っていなかった。
たった一度の反抗で、心がへこたれてしまった。
私は取引を受け入れたのだ。
その夜の話し合いは深夜まで続いた。
ツェツィアは自室に帰ったのでリンリー、シャルア、ティアリアリスの3人での話し合いである。
リンリーは自身の持つ情報のやりとりのルールを説明。本人の同意なしに他者にその情報を教えることはないということ。そして他者の情報がほしい場合、金銭や物品取引のほか、自分の情報か、もしくはリンリーが提示する自身の情報の開示権で交換可能であること。
ティアリアリスはその条件を信じ、2人にきつく口止めをした後、自身の情報を話した。
異世界の人間であること
魔術がつかえたこと
向こうの世界の獲得能力がこちらでも使えること
王子や兵士を救ったこと
王子の専属看護師になるためにこの学園にきたこと
そのために貴族の養子になったこと
それらを話し、代わりにティアリアリスはリンリーに情報を求めた。
この世界にいる、自分と同じ世界から来た人間の情報を。
しかしそれは得られなかった。なので継続して情報を探すことをお願いする
仲間を、探してほしいと