2 生徒
一日が終わった。
ちがった。
一日の授業が終わった。
夕方の色合いを増してきた陽光に、人のいなくなった教室が照らされている。木製の机にイス、大きな黒板に、消しきれなかったチョークの跡。自分が異世界の学生だった時の教室にくらべれば、時代的にもう少し古くなるが、それが味わいのある、なつかしい気持ちにさせられる学び舎となっていた。遠くからは学生の声がする。きっとクラブ活動でもやっているのだろう。ティアリアリスはハイライトの消えたような目で、自分に与えられた教科書を眺める。日常的に使う用語ならなんとかわかるが、専門的なものになると、もうわからなくなる。なので、
今日一日、何もできませんでした。
教師の言っていることの意味を理解することがいっぱいいっぱいで、何をどうすればいいのかさっぱりだった。
唯一できたのが、やはり数学と昼に出された給食だった。
豆カレーごはん、おいしゅうございました。
コルルナ村での食事に塩味が足りなかったのはあの村のみのことだったようだ。おそらくウルフベアが大量発生したせいで、食材の輸送が滞っていたためだったんだろう。
2杯ほどおかわりしてしまった。
お昼の給食を頭の中で反芻しつつ、今日の授業を記したノートを確認する。
1ページ目だけ、この世界の文字。あとはもといた世界の文字で、たぶん大事なのだろうと思われるワードだけチョイスして書いてあった。
ダメだなこれ。
私はそっとノートを閉じる。今日も王子のところで勉強しようかと思ったが、今日からは寮に部屋が用意されるので確認に行けと言われていた気がする。
うーん、と悩んでいると、私の横に誰かが立っていた。
かわいらしい女の子が一人。クリーム色の髪を左右に分け、さきっぽの方だけみつあみにした10歳くらいの女の子だ。私が怖いのか、それとも引っ込み思案な性格なのか、横に立ってモジモジしている。
「・・・・・・?」
「あ、あの・・・!、掃除、だから・・・」
なるほど、掃除の邪魔なのか。
わたしはゴメンゴメンと謝りながら、立ち上がる。机を移動するのだろうかとあたりを見るが、他の机はそのまま、どころか、教室には彼女しかいなかった。
あれー?、掃除って一人でするんだっけ?
「・・・もしかして、魔術でささーっと掃除できちゃったりするんですか?」
私がそう聞くと、その子はびくりと肩を震わせた後、泣きそうな目で私を見てくる。あ、この子、隣りの席の子だ、と今更ながら気がついた。
「で、できない、から。あの・・・これ」
そう言って私に自分が持っている箒を手渡してくる。
「と、当番だから・・・」
なるほど、と納得して適当に辺りの塵を箒であつめてみる。
彼女は後ろの席から順にイスを机の上に載せ、机を移動させ始めた。
たどたどしい・・・私にはちょっと小さめな机だが、小学生くらいの女の子が運ぶには大変そうに見える。
端から移動させているのだが、五つくらい移動すると息が上がってきたのか、少し休憩をはさむ。それだけの時間がたっても、他に掃除をする人間が増えそうな気配もなかった。
そういえば、隣の席の彼女はずっと一人だったような気がする。今日一日確認していたわけではないが、休み時間に私がひきつった顔で教科書やノートと格闘している間も、隣の席には動きがなかったように思う。
彼女は友達が限りなく少ない。そういうことだろう。
私は彼女が持ち上げようとしたイスを押さえる。ひっと小さい悲鳴をあげ、びくりとおびえるのがわかるが、私は気にせず彼女にほほえみかけた。
「自己紹介をしましょう。私はティアリアリス。ティアリアリス=ハイドン。あなたは?」
「え、あっ、あの・・・ツェ・・・ツェツィア・・・」
「ツェチア?」
「・・・・・・・・・・・・ちがう」
何度か名前を聞いて、正しい発音を理解する。その間も人と話すのが苦手なのか、こちらのことをほとんど見てこない。
「さて、では自己紹介も終わりましたし、本題に入りましょう。ツェツィアさん、」「は、はい・・・」「私と手を組みましょう」「・・・・・・」
もう一度言う。
「私と、手を組みませんか?」
ツェツィア=ハリン
王都の住民街でパン屋を営む夫婦の一人娘だ。
現在は学園の寮に住みつつ、一般科を目指して勉強に励んでいるのだそうだ。
年の頃は11。背の高さは私よりも頭一つくらい低く、125cmくらいだと言う。
「なるほど、その貴族の女の子たちは、あなたに掃除をすべてまかせてさっさと帰ってしまったと」
「・・・うん」
私は机を軽々と持ち上げ、移動させる。慣れれば2つ一遍に運ぶことも可能だ。私が机を移動させ、その間にツェツィアが箒で床を掃くという、役割分担が生まれていた。
「・・・・・・すごい・・・」
「それほどでもないです。昔ちょっと人体改造を受けたおかげですね。それよりもツェツィアさん」
私はあらかたの机を移動し終わったので、ツェツィアに向き直り話しかけた。
「割とこんな、むちゃな条件を飲んでいただいて、ありがとうございます」
そう言うと、ツェツィアは掃除の手を止め、こちらをちらりと見てから頭を左右に振った。
「・・・・・・慣れてるから」
ううん、なんだろう、ちょっと難しいことになっている。おそらく彼女は他人から面倒ごとを押し付けられることに慣れている、と言っているのだ。
私が言い出したことを考えれば、そうなってしまうのも仕方ないのだろうが。
私がツェツィアに出したのはこんな話だった。
・勉強のわからないところを教えてほしい。
大事である。細かいところも含めれば、これが事の大部分を占める。
・日常生活のフォローをしてほしい。
大事ではあるが、一度軌道にのせれば、あとはなんとかなるだろう。とりあえずは生活用品やらなんやら、町でそこそこの値段のお店とかおしえてほしい。あとはまぁ、この学園にいるうえでの暗黙の了解みたいなやつとか。
・もし、良ければ友人関係を築きたい。
ちょっと難色を示された。
かわりとしてこちらが出したのが、
・ツェツィアさんの手助け。
のみである。
他にできることもないのでこんなバランスの悪い交渉なのだが、ツェツィアはこの話を飲んだのだった。
「さぁ、掃除をさっさと終わらせてツェツィアさんに寮まで案内してもらいますよ」
「・・・・・・わかった」
友人関係にはかなり遠そうな感じだが、今はこれでいいのだろう。
私は、私を怖がっている彼女には言いたくなかったのだ
私と友達になってください
きっとそう言えば、彼女は了承するだろう。ほとんど断ることをしなさそうな彼女のことである。
しかし内心はどうだろうか。彼女が本心から納得するかどうか、私にはわからない。
そんな友人関係は、嫌だったのだ。
掃除を終わらせ、教室の戸締りをし、寮への道をいっしょに歩く。
ほぼ無言である。
ときたま、あっち とか こっち と指示される。
所々に手入れされた庭木にある石畳の道を行くと、校舎とは趣の違ういくつかの建物が見えてきた。
赤いレンガで造られた、4階建てのオシャレな建物である。
「わー、ステキです。すっごくステキな建物ですよ、ツェツィアさん!」
「・・・・・・」
私はテンションがあがっていた。流石は王都である。校舎も趣があってステキだったが、こちらはよりヨーロッパ風な感じがしてこれからの生活が楽しみになってくる。
「・・・そっちは貴族寮」
あっち、とツェツィアが指したのは、レンガの建物より2階分低く横にひらべったい、微妙な建物だった。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・ぷっ」
あ、笑った。かすかにではあったが、ツェツィアが笑ったのに気がついた。
しかし、そっかー・・・。いやまだ、まだあきらめるのは早い。
ヴェルクリットさんからいただいた、この”ハイドン”の効力を確かめてみよう。
「ツェツィアさん、もしかすると私の宿舎は貴族寮かもしれません。先日、養子になったばかりですが、私の養い親になってくれた方は貴族の一員らしいのです。確認に行きましょう!」
「・・・・・・あ・・・」
私はツェツィアの手を取り、貴族寮へと向かう。
入口にフルフェイスの兵士が2人たっていた。その一人がこちらを確認し、すっ、と私達の進行を妨げる。
「ここに何か用がおありでしょうか?おありでしたら用件をうけたまわります」
男性の声でそう言った。この学園に男性がいたことに驚いた。
「あ、どうも、お仕事ごくろうさまです。私、今日からこの学園に入学したんですが、こちらに部屋が用意されていないかと思ったので、確認できる人に聞いてみてもらえませんか?」
「わかりました。しばらくお待ちください」
そう言って兵士の人は寮の中に入っていく。
ふと、ツェツィアの手を握ったままだったことに気がついた。ツェツィアは、と見ると、残された兵士が怖いのか、完全に私の背中に隠れていた。
あぁ、良かった。私だけが怖がられてたんじゃなくって。
しばらく待っていると、後ろから人の声が聞こえてきた。16,7歳くらいの制服を着た女子が6人ほど。この貴族寮の入口に歩いてくる。
その中で、一番ハデそうな女生徒がこちらを見て声をかけてきた。
「あら、あなたたち、この寮に何か用かしら?」
「あの、私の部屋がないかと思って、今兵士さんに確認してもらってるんです」
「ふうん?。見ない顔だけど、転校生か何かかしら?中等部よね?。貴族の子女の転入となれば話題になるはずですけれどね」
そう言って私を値踏みしてくる。
「メヌエットさま、貴族といっても男爵の方かもしれませんよ。春の入園時には男爵家の方々もこちらに入寮できるのではないかとこられてましたわ。お間違いになられるのも仕方ないかと」
「あら。ではあちらの学生寮の方ではないかしら。あちらはもう確認されましたかしら?」
「い、いえ、まだです」
その時、寮から兵士の方が出てくる。「おっと、王女様方、お帰りでしたか。ん?そちらの御二方とお知り合いですか?」
「・・・いいえ、こちらのお二人が部屋をお探しだというので、話を聞いていたのです」
王女と呼ばれた女性が答える。
ゆるいウェーブのかかったきれいな金の髪を腰まで伸ばし、制服の上からでもわかる大きな胸を、燐とした背筋とスタイルで支える、とてもキレイな人だった。
王女様。ということは、あの王子のお姉さんだろうか。王子とは違い、とてもしっかりした印象を受ける。ご友人もいるし。
「そいや、さっきの話はどうでした?本当に第4の中隊長が入院されてましたんで?」
兵士がそう聞くと、王女はこちらをちら、と見た後、兵士に向き直った。
「・・・申し訳ありませんが、被術者のことは申し上げられません。ただ、そういうことです」
「なるほど、そういうことですな」
兵士はわかりましたありがとうございます、と言った。
その中隊長が入院患者となったので、入院患者のことは外部には話せない、という院内ルールが適用されたとかなのだろうか。暗黙の了解っぽかった。
しかし、中隊長と言われると、もしかするとヴェルクリットさんのことだろうか。
「でも、会うことはできなかったのですよね。面会謝絶らしくて、とても心配ですわ」
さきほどメヌエットと呼ばれていた女生徒がそう言うと、他の生徒からも同じようなことが言われる。
「いったいどうなっているのでしょう。魔術院の先生方でも治せないようなご病気なのかしら」
やはりヴェルクリットさんのことだろう。私も彼女の容体は気に掛かる。
「あの、お話中失礼ですが、先ほど言われていた・・・」「おっと、すいません。さっきの話ですね」
そう言って兵士の人が私の方にやってくる。いやいや、さっきの違いだ。
「この寮への新しい入寮予定はありませんでしたよ。向こう一月は確認したので、間違いはありません。もし、あっちの学生寮にも部屋がないようでしたら、学園事務に行ってみてください」
そう言ってその兵士はもと立っていたところに戻る。その時さりげなく、王女様方に手を振って愛想の良さをアピールしている。
「あら、こちらへの入寮ではなかったのですね。とても残念ですが、そういうこともありますわ。でも授業でごいっしょになられた時は、身分など気にせずよろしくお願いしますわね」
メヌエットがニコリとしながらそう言うと、彼女の取り巻きらしい生徒達がクスクスと笑う。なんだろう?少し嫌な空気だ。
私がそう思うのと同じ事を感じたのか、ずっと後ろに隠れていたツェツィアが私の袖をひっぱっている。
これは早めにおいとましよう。
「・・・ありがとうございます。失礼します」
そう、頭を下げてツェツィアをつれて彼女達のとなりを通り過ぎる。
ふと、王女の横を通るとき、彼女が少し、怒っているように見えた。ほんのチラリとしか見えなかったので気のせいかもしれないが、私はそれが気になってしまい、振り返って王女に声をかけてしまった。
「あの、王女様?」
「・・・・・・何かしら」
「みなさんは他の入院患者の心配はされないのでしょうか」
空気が変わった。
クスクス笑いがピタと止まり、その笑顔のまま、王女の取り巻きたちが私を見ている。
「その中隊長といっしょに、4人の患者が入院されたはずですけど。しかも、そのうちの一人はもしかすると、あなたの弟さんではないかと思うんです。でも弟さんの心配はどなたもされてないよに思うのですが」
「・・・・・・そう、あなた、耳がおはやいのね。もちろん心配しています。・・・・・・もういいかしら」
そう言われ、私はハイ、としか答えられなかった。
王女はそのまま、女生徒達をつれて寮の中に入ってゆく。
いっしょに連れられてゆく女生徒から、嫌な目で見られていた。
これは・・・しまった。
もしかすると、いきなり踏んではいけないところを踏んでしまったかもしれない。
さて、寮であるが、ティアリアリスの部屋は貴族寮ではなく、学生寮に用意されていた。
寮母さんに入寮の挨拶をし、部屋へと案内される。この時にはツェツィアはいつの間にかいなくなっており、少し悲しい気分になった。貴族寮でのこと、彼女にも嫌な気持ちにさせただろうし、謝っておきたかったのだが。
少しふくよかなシスター服の寮母の後を追って、2階の角部屋に案内される。
そこそこの広さのところに、2段ベッドが一つ、一人用のベッドが一つ、そして机が3個ある。3人部屋なのだろう、しかし部屋には人が一人しかいなかった。
メガネの奥からでも、そのクリクリした瞳が良くわかる、茶髪のショートカットの女の子である。
「君が新しい子かぁ。ボクはリンリー=ノコット。中等部一般科の生徒だよ。でも初等部の新しい子って聞いてたんだけど、君、ふけてるねぇ」
ふけてません。
「ティアリアリスです。よろしくお願いします。学力不足のために初等部に入れられただけで、ふけてませんよ」
「ふん?ふんふん。ティアリアリスっと。ねぇ君、苗字は何さん?年齢は?」と、リンリーはポケットから取り出した手帳に何か書きながら聞いてきた。
「ハイドンです。15歳」
「おっと、ボクの一つ下かぁ。ねぇねぇ、一体なんでこんな時期に入学することになったのか聞いてもいいかな?」
手帳を手に、目をキラキラさせながら聞いてくる。なんとなくではあるが、マスコミな感じの女子である。
私はそれに答えずに、彼女に聞いた。
「リンリーさん、私はどのベッドを使っていいんですか?」
「あー、2段ベッドの下ね。机はそっち。ベッドの上はシャルアっていう騎士科志望の脳筋女子が使ってるから気をつけて。9歳だけど家が男爵なんで気に入らないことがあるとすぐ噛み付いてくるから」
わーい。
とても楽しそうなルームメイトだ。
「男爵でも貴族寮に入れないんですか?」
「そうだよー。男爵は多いからねぇ。そういや君も男爵家だったりする?ハイドン男爵って確か二つくらいあったよね」
違います、と言うとそれ以上詮索されることはなかった。
ここは思ったより身分が物を言う世界なのだろう。もし子爵だということが知られると、ちょっとした騒ぎになりそうである。
私がいただいた”子爵”はハイドンさんのものである。ハイドン家はヴェルクリットとヴェルクリットの父である家長のヴァンレンとその妻、弟のヴァーユとその妻の計5人によって成っていた。私はこのヴァーユ夫妻の養子ということになる。ヴェルクリットさんが全快したころにいっしょに帰郷し、紹介すると言われている。まだ一度もお会いしたことが無いのだが人当たりの良い騎士らしい。
そんな事情なのだが、当面身分のことはだまっていようと決めた。
「ねぇねぇ、君は何でこの学園に来たの?こんな時期に入学ってことは相当なわけありでしょう?教えてよ」
「・・・・・・リンリーさんはそういった話が好きなんですか?」
「おっと、ゴメンね。ボクは冒険者ギルドか情報誌社への就職を目指してるからねぇ。情報が大好きなのさ。そして情報を扱うのなら、その情報は正しくなくてはならない。だから色々突っ込んで聞くこともあるんで、不快にさせたらゴメンね。というわけで教えてよ」
「・・・魔術の勉強がしたくて来たんです。ただ、出自不明の私が魔術を使えるというのを国の人に理解してもらい、いろいろと手続きをとるのに時間がかかったからこんな時期に入学することになったんです」
大体ウソは言ってない。
「あ、そうなんだ。なんだか大変そう。出自不明ってとこ詳しく聞いていい?」
「嫌です」
そう言うと、リンリーはうんわかったー、と軽い返事で引いてくれた。もっとしつこいかと身構えていたので驚いた。某世界のマスコミのせいで悪い先入観があったようだ。
「君さ、魔術ってどれが使えるの?系譜があるなら教えてくれればあててあげるよ」
系譜とは大雑把に言うと、魔術の先生の名前である。誰に教わったかで修得した魔術の種類が予想できるのだろう。
「回復魔術です」
「それだけ?」
「あと、解毒魔術・・・」
そう言うと、リンリーはちょっと小首をかしげてこう言った。
「普通だね」
そうですか。
「初等部の3期生くらいかなぁ。あともう3年くらい頑張らないと進級できなさそうだね」
「ちょっと待って、進級ってどういうことですか?」
「進級試験があるじゃない?1系統の初級魔術2個じゃ先は長そうだよ」
筆記試験の結果で初等部に入れられたんじゃなかったのか。いやまぁ、文字も読めない生徒を上の学年に入れてもついていけないわけだが。
「りんりーさん、」「リンリーでいいよ」「ではリンリー。もしかしてですよ、もしかして―――魔術さえできれば飛び級できます?」
「飛び級?って言うか、魔術科になら進級できるよ。今度の進級試験は1ヵ月後だね。年3回で、夏休み前にあるから」
「よし。よし!」
うれしくなり部屋でガッツポーズを取っていると、リンリーがつぶやいた。
「変なルームメイトだなぁ」
私は少し理不尽なものを感じた。