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刻の終わりのナイチンゲール  作者: ツインシザー
悪魔
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5 多頭蛇 ヒュドラ


 馬のいない王子の専用馬車に、私と木箱に入れられた兵士2人が乗せられている。兵士の2人はおなじみのアーロイとロージェルだった。

 作戦が立てられ、多頭蛇の対処や馬車に王子を引っ張り込む要員を兵士の中から募ったところ、この2人が声を上げたのだ。

 毒に耐性のない2人は、目的地までの間、木箱に入っていてもらう。とは言っても、中心部までたったの4,500メートルだから、それほどかからずに到着するだろう。

 作戦通りにいけば。


 いくわけがない。

 当初、馬車に入れられた私達を長いロープでひっぱる案が出された。一本でまっすぐ目的地までひっぱるのではコースがはずれた時の修正がとれないだろうから、2,3地点から三角形を作るみたいな感じで適度に調整しひっぱる案が出た。しかし丘には木や藪が所々に生えている。これらにロープがひっかかってしまう。

 ではどうするか?


 私はこの案を出した人間は、アホだと思う。

 何で言ってしまうのか。

 口に出す前に実現可能かどうか考えなかったのだろうか。

 のる方ものる方である。

 モノを知らない小娘の世迷い事を、実際にやろうと言い出すなど。

 おそらく、脳に致命的なプロテインがあふれている。

 副隊長のことだが。


 そうして今、私達と、私達の乗った馬車をとりまく兵士達は、黒霧に包まれた丘の直線状にある山の稜線から、太陽が現われるのを急く気持ちで待っていた。

 辺りが明るくなるにつれ、その丘の異様な姿が際立ってくる。白く枯れた草木が丘を覆いつくし、その頂上あたりから黒い霧が下へとゆっくり漂い降りて来ている。他の緑あふれる場所に比べ、そこだけ彩色を忘れたような白黒の世界が存在していた。

 夜の暗闇で覆い隠されていた異常な場所。それがはっきりわかるにつれ、兵士達からもれ聞こえる声で、彼らはそこを恐れ、忌避しはじめているのがわかった。何人もが偵察に向かい、そのほとんどすべての兵士が毒に犯された姿で倒れ、運ばれてきて治療を受けているのだ。自分たちの力の及ばない、死に近い場所――黒の丘。

 作戦を立てるにあたり、そう仮称された場所に私達はこれから向かうのだ。




 山の稜線が輝き、太陽が昇り始める。

 日の出だ。

 この世界では毎日あたりまえに訪れる光景も、今は切実に待望した瞬間だった。

「日が出たぞ!開放準備!」

 副隊長の命令でいくつもの木箱に兵士たちの手が掛けられる。

「放て!」

 合図と供に、木箱がいっせいに開けられ、中から縄を結ばれた風斬り精霊が飛び出してくる。

 精霊は少し辺りを飛び回った後、いっせいに太陽へと飛翔し始める。

 同時に馬車も動きだす。

 はじめはゆっくりと。しかし、だんだんと速度を増してゆく。


 私達を乗せた馬車は、馬ではなく縄につながれた風斬り精霊によって黒の丘を駆け上がり始めたのだ。


「ムリムリムリムリっ。こんなの絶対に無理ですよ!まっすぐ進むわけないじゃないですか!」

 私はガタンゴトンと激しく揺れる馬車のカーテンに捕まりながら、そう悲鳴を上げる。

 そもそも太陽に直進する精霊は地上の道の良し悪しなどいっさい考えないのだ。馬車の行く手に岩があろうが崖があろうが直進してしまう。まるでブレーキの壊れた自動車のようだ。

「いたっ、こんなっ、いたっ、状態でっ、王子のとこまで行けって!不可能です!」

 体と言わず、頭と言わず、体中あちこちにぶつけていると、外から自分を呼ぶ声がする。

「――ス!、ティアリアリス!。ここで1/3だよ!後はあんたに懸かっている。絶対にタイミングを逃がすな!ティアリアリス、頼んだよ。あんたに私たちの全てを賭ける。王子を・・・頼む!」

 窓から外をみれば、途中まで馬車に併走していたらしい副隊長が後方へ流れていくのが見えた。外の草木は白く枯れて、すでに毒の範囲内であることがわかる。馬に無理をさせてここまで付いてきていたようだ。

 窓から消える直前に、私は彼女と視線を交わした。

 その目は、泣きそうだった。泣きそうで、そして切望していた。

 こんな出たとこ勝負のような不確実な作戦に頼らざるを得ないほど、彼らは追い詰められていた。

 私は部外者だった。こんな状況になってさえ、失敗するのもしかたない、間に合わなくともどうしようもないのではないか。そう、心の片隅で思ってしまっていた。

 けれどあの眼差しは、確かに私の中の芯に火を灯した。


 大切な、誰かの命を救ってほしい


 覚えている。この想い。

 ずっと、私が受け止めてきた想いだ。

 そして私の中にもある、助けたいという想い。

 私は看護師なのだから


「・・・・・・必ず・・・助けます・・・!」


 この声は彼女には届かないだろう。それでも、私はそう、答えを返した。




 向かい合った椅子の間にわりとちょうど良くはさまっている木箱から、ときおりくぐもった声が聞こえる。私もカーテンにつかまりながら、ぐるんぐるん振り回されているのだ。箱の中はいったいどうなっているのだろうか。アーロイとロージェルの2人が無事なことを祈ろう。

 私は馬車の前方にある小窓から、外の様子を伺う。

 すでに視界は霧でほとんど何も見えない様子だった。だがそれでも、太陽の光は届いてくる。うっすらと、大きな何かの影が進むほうに見える。

 おそらくそれが、多頭蛇――ヒュドラ。

「アーロイさん、ロージェルさん、そろそろです。これから馬車の扉を開けます」

 そう言って私は馬車の扉を開け、外の空気を取り入れる。

 濃密な腐食の気配

 程なく、私の体に不調が現われる。

 以前少量を摂取したときとはまるで違う、体が痒い――いや、痛い。

 痛い、痛い痛い痛い痛い

 涙が流れる。その涙は視界を赤く染める。鼻から、口から、トゲの付いた生水を飲み込むように、肺に毒物を流し込んでゆく。息ができない。息をするのが怖い。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いならば


 息をしなければいいのだ。


 私は息をとめる。

 問題はない。私の体はしばらく無酸素状態でも活動ができる。あちらの世界で、そう作り変えられたのだ。

 この世界でもその機能があるのかはわからないが、おそらくできるはず。

 そしてもう一つの機能 抗毒機能が私の中に入った毒を、無効化し始める。

 凝固し、止まっていた血管が流れ始める。気道の痛みもやわらぎ、赤くなっていた視界は、本物の涙が流れることでだんだんとクリアになってゆく。

 これで体内は浄化された。

 体表を刺激する毒は、私の体を腐らせようとする。

 しかし、作成した抗毒薬と、異様な自己治癒能力によって、一進一退の攻防を繰り広げている。

 毒に、抗うことができる。

 とはいえ、病気に抗うのには体力を消耗する。今は毒と拮抗しているようなこの体だが、いつまでもつかはわからない。

 私は扉から乗り出し、外の様子を見る。大きな影までもうほとんどない。

 副隊長から渡されたナイフを、ポケットから取り出した。

 それを馬車に結び付けられている、縄の根元あたりに当て、力をいれてザクザクと切断した。

 これで風斬り精霊は自由だ。ご苦労様。

 おそらく、黒い霧の上空を、太陽に向かって飛んでいた彼らは、この後も死ぬまで太陽を追いかけ続けるのだろう。闇の中で生きてきた生物をむりやり呼び出す魔術。

 割とひどい魔術だ。

 そしてそれとは別の、呼び出されてもいないのに勝手に現われた”悪魔”。

 この事態の元凶に、引き手のいなくなった馬車は慣性だけで進み、ドォンと大きな衝撃と供に到着した。


 ほとんど馬車から身をを乗り出していた私は、その衝撃で馬車からほおり出される。

 地面をコロコロと転がった後、何かにぶつかって止まった。

 少しめまいがするが、急いで頭を上げ、そのぶつかったそれを見上げる。


 木だ。


 真っ白い木。

 馬車はその木にぶつかって斜めに止まっており、私はその根っこに引っかかった状態だった。

 枯れた葉が舞い落ちる。薄ら闇の中、白い葉がハラハラと降ってくる。

 蛇はどこだろうか。私が蛇だと思った影は、まさかこの木だった?。

 なんてことだ。

 なんということだ。蛇がいない

 木を蛇と見間違い、縄を切ってしまった。なんということだ

 作戦が、失敗する。

「ティアさん!今、今いきます。オレらがヒュドラを相手にしますから――」

 馬車の中から声がする。ダメだ。今出てこられては、彼らの献身が何の意味もなさず、ただ危険にさらすことになってしまう。

「待ってください!蛇がいません!出てきてはダメです!」

 そう声をかける。喉が痛くなるが、それ所ではない。

 どうする?この霧の中、王子を探して歩き回るしかないのか?。

 ここであきらめるわけにはいかない。

 みんなの希望を背負っている。いくつもの命が、私の行動に賭けられている。この身、この足がまだ動くのだから、まだ完全に失敗とはいえない。

「私が、探してきます!」

 蛇の影を探して、その足元にいるだろう王子を見つけ、お姫様だっこで連れ帰ってやる。

 私が立ち上がると、馬車が横転した。

 まるで私が横転させたようなタイミングだが、違う。

 転がされた馬車の陰に、その数倍の大きさの巨体があった。その巨体は五つの太く、長い首を持ち、私を見下ろしている。

「ヒュドラ!?」


 それは巨大だった。

 赤黒いヌラヌラとしたウロコに覆われ、馬車を一薙ぎで転がせる大きな体。そこから伸びる5本の首は、私の胴よりも太く、長い。その頭を持ち上げれば、高さは7階の建物にまで届くだろう。

 今、その首は私を取り囲むようにとぐろを巻き、その10の眼でこちらの隙をうかがっている。

 ・・・動けない。

 動けるはずがなかった。その、たった一対の瞳に見つめられただけで、私はヘビに睨まれたカエルのように、自分の無力さを感じていた。あまりに大きすぎる。おそらく、森で会ったウルフベアさえも一飲みにするであろう大きさだ。

 私が何をしても、このヘビには一瞬で終わらせられる程度のことでしかないのだ。

 乾いた口が、ゴクリと喉を鳴らす。

 その瞬間にヒュドラの2つの首が私に襲い掛かってくる。――早い

 私は避ける間もなく蛇にからめ取られ、中空に吊り上げられてしまった。

 ヒュドラは自分の頭の位置まで私を持ち上げ、その縦長で赤黒い瞳で私を観察する。

 シュルル、と舌を鳴らした後、ヒュドラは口を開けた。

「毒ノ効かぬ個体カ。娘、ナニをしに来タ?」「ナゼ毒ガ効かぬ?魔術デハあるまい。悪魔ノしわざか」「ココにナニを求める?サフィロの死カ?サフィロの死後、我トノ契約カ?」

 3つの頭が同時にしゃべりはじめる。

「言葉、しゃべれるのですか!」

「さも」「あり」「ナン」

 わーぉ。

「・・・・・・この娘、悪魔ノ匂いがスル」「古い匂いダ。――・・・ラプラス」

 私を吊り上げている二首のヘビがそう言った。

「ら、ラプラス?」

「ラプラス」「悪魔ラプラス」「スベテの力学を識るモノ」


 ラプラスの悪魔――


 そうして、五つの頭が私に向けられる。面白い物を見るように、五つの方向からじっくりと観察される。

 それは野生によって私のどこからおいしく蹂躙しようかというモノではなく、まるで研究対象をこと細かに分析する、理知的な眼差しだった。

 これは・・・これならば、言葉でなんとかなる。王子を助けるために、協力してもらうことさえ、可能かもしれない。

「あ、あの!降ろしてください!。私は王子を、王子達を救いに来たんです!。早く治療しないと、王子様が死んでしまいます!」

「アレは世ヲすねている」「心ノ一片で死を望んでイル」「ゆえに我ト契約を交わすコトができタガ、我ノせいで人から遠ざかる」「そしてサラに世ヲすねる」「愚者ナリ」

 割とひどい評価だった。

 自分の悪魔からもこんなことを言われてしまう王子とはいったいどんな人物なのか、興味がある。が、どうもこのヘビ、王子の生死などどうでも良さそうに見える。

「だ、だから死んでもいいってことですか!?よくありません!。まだ生きているのなら、私が救います!その後でなら、どうぞ勝手にすねてればいいんです!」

 私は足をばたつかせる。が、巻きついたヘビは解ける様子がない。

「フム、娘」「ナゼ救う?」

「なぜって・・・!助けたいからです!」

「自己欲カ」「傲慢ナ」「愚者ナリ」

 ひどい評価だった。

「ダガしかし」「ラプラスが施す何ラカの要素が」「この娘ニある」

「あのラプラスをして、整えねばナラヌナニカが」「ある」

 実に興味深い

 そう言ってヘビはしゅるしゅると私を地面に降ろし、解放する。


 やっと地に足が付いたのだが、だめだ。足に力が入らず、ヘナヘナとへたり込んでしまう。

 そんな私をヒュドラは見下ろした後、その一本の首がヒュドラの背後を指し示す。

「娘、ならばやってみろ」「今しばらく、お前ガ何をナスのか」「見てイヨウ」「愚者だがナ」「楽しみではアル」

 うるさいわ。このヒュドラ、どうも同じ首が同じようなことを言っている気がする。具体的には左から2本目。

 そう、言いたいことだけ言うと、ヒュドラは黒い影のように霧に同化し、解けるようにいなくなった。

 ヒュドラはもう、見当たらない。そしてあたりの霧――毒も、心なしか薄くなってきたように思える。

 霧が晴れようとしている。

 私は、まだ力の入らぬ足を腕で支えながら、何とか立ち上がる。そしてあのヒュドラの指し示した場所、まるで突っ込んできた馬車からソレをかばうようにしていた、その場所に、私は進んでいく。

 ふらふらしながら近づくと、いた。何人かの人影が、白く枯れた草原に転がっていた。

 その数――4。

 兵士の鎧を着ている者が3。少し意匠が良い鎧を着ている者が1。

 トリアージが、わからない


 彼らの全てが、もうどうしようもないほどに終わり際にあった。


 3人の体は紫の水死体のように膨れ膿を流し、紫になっていない一人は腹に剣が刺さり多量の出血で青白く、息をしていなかった。


 猛毒と、腹部損傷による出血性ショック――そして心肺停止。


 だめだ。

 だめだ、命が消える。

 毒の3人は脈が計れない。呼吸もわからない。生きているのか、死んでいるのかさえ判然としない。さらにこのうちの一人は肩口に怪我を負っている様子だ。

 毒に犯されていないこの人物が、おそらくは王子。一人逃げてきた兵士の言っていた通り、剣で刺されているし、毒に犯されていないのは、毒を操る悪魔を使役しているからだろうと予想できる。

 だが、王子は終了している。


 私は考える。これから助けるのなら、どうすればいいのかを。


 誰なら、助けられるのかを。

 私一人の力で、できることの取捨選択を。

 私は手を掲げる。

「―――この者達の体より、毒よ退け」

 左手の周りに、いくつもの輪が重なり、大きな多重円を描き出す。

 届け。

 私はありったけの思いで、倒れている3人に魔術を掛ける。外見に変化はない。だがそれでいい、今必要なのは脳と心臓、そして呼吸器系からの毒の除去だ。それを3人に掛ける。まったく同じ処置であれば、ほとんど同じ魔術でなんとかなるのではないか?。そう思っての行動だった。

 魔術は発動した。今まで見たことないほど、大きな輪――方陣を描いている。緑の光が彼らを包み、プツプツとした何かが彼らの体内から溶け出しているのが見えた。


 そして私は右手を王子にかざす。


「我は求む。この者の魂に輝きを・・・」

 だが、怪我は治らない。王子の腹には剣が刺さったまま、私の右手の魔術は発動された。

 私は右手の方陣を確認する。2つ

 その一つを意識して止めてみる。止まれ、そう念じると、一つの方陣がブレ、光の粒子粒になって霧散した。

 すると、今まで私から王子に流れていた、小さな光の流星雨が止まる。

 やっぱりだ。

 この魔術、アイネの時も、黒ずくめの襲撃者の時も、私の中から何かを奪い、被術者に与えていた。

 今まで聞いた魔術の話と使ってきた感触で、この魔術は本来なら方陣一つで怪我が治せるはずなのだ。アーロイの怪我を治したときのように一つだけで足りるはずの魔術。

 ならば、もう一つの方陣は


 ―――輸血


 幾人もの黒ずくめを治していたときに感じた、貧血時の症状と同じ感覚。魔術を発動するとき、何かが減っている感覚がある。そしてそれとは別に、この方陣によって命のカケラが消耗しているのを感じていた。あれはその通り、自分の血を分け与えていたのだ。

 血液型など関係なしに、私の体から血を対象に輸血できる魔術。それが、私の判断によって、勝手に付与され発動していたのだ。


 私はもう一度、魔術を発動する。


 今度は意識して、輸血と思わしき魔術を大きく。だめだ。ならば今度は多重に。

 そう、意識して魔術を発動すると、今度は成功した。私が求めるまま、幾重にも連なった、大きな方陣が描かれる。

 それは流星雨などというものではない。蛇口を最大にひねった水流のような勢いで、私から王子へと光の粒が流れ、吸い込まれていく。

 ちょっと多すぎたかもしれない。

 方陣の数を調節しながら、この魔術の本来の機能、傷の回復作用を刺さったままの腹部にかけてゆく。少しでも出血を抑えるために、傷口を小さくするのだ。

 だが、流石にいくつもの並列作業は難しすぎる。自身の血液が減っていることもあって、思考が途切れそうになる。

 体にも不調があらわれている。

 まだ、まだもって。

 ここで倒れるわけにはいかないのだ。これは一時的処置でしかない。剣で斬られた者と、刺さった者。この2人はまた別の処置をしなければ、助からない。

 私だけでは、手が足りないのだ。


「ティアさん!」

 そう声をかけられ、私の後ろから2人が走ってくる音が聞こえる。そちらをチラリと目をやると、簡素な服に、毒対策として顔を布で覆ったアーロイとロージェルが駆け寄ってくるのが見えた。

 2人には毒の症状がほとんど見られない。どうやらヒュドラがいなくなた後に倒れた馬車から抜け出してきたのだろう。辺りを見れば、霧も丘の高いところからどんどん晴れてきているのがわかる。

「ティアさん、王子は・・・みんなはどうなんですか?」

 声から、おそらくアーロイだと思われる彼が私の横にしゃがみ、倒れている兵士達の様子を見る。

「これは・・・生きてるんですか?」

「まだ、死んでいません」

 私にはそう答えるしかない。毒に犯された3人は、大分見込みがでてきている。おそらく毒蛇の毒と同じように血液凝固作用があるのだろう、その毒が薄れ、斬られた兵士の傷口から、血が流れ始めたのを確認できる。

 そして王子。私が見つけたときにはすでに心停止だったが、その直前までヒュドラが現われていた。副隊長の話を信じるのならば、まだ心停止からそう時間はたっていない。心停止から脳死までは5分――私の魔術で酸素を含んだ血液を輸血できているのであれば・・・。

 ロージェルはいっしょに持ってきた包帯などの医療道具を私の近くに広げている。

 あぁ、彼らがきた。それだけで、力がわいてくる気がした。

 まだなんともならない状況でも、きっとなんとかなる。命を助けるために、可能な限りの協力をしてくれる彼らなら。

「まだ、なんとも言えません。でも、なんとかなります。必ず、なんとかします。だから、だからアーロイさん、ロージェルさん――」

 2人は、わかっている、というように小さく首肯した。その目は強い意思に彩られている。そしてそれは、私も同じだった。

「私に、力をかしてください」

「もちろんっすよ。自分らを好きに使ってください」

「あなたの指示に従います。何でも言ってください」

「ありがとうございます。では、ロージェルさん、心臓マッサージ、人工呼吸というのはご存知ですか?」

「いえ、わかりません」

「そうですか。教えます。ではアーロイさん」

「なんですか?」

「アーロイさんには力仕事と、簡単な応急手当をしてもらいます。そして少し実験的なことになるのですが・・・」

 私はちょっと言いよどむ。

 それでもこの作業にはアーロイが良いと思ったのだ。同じ班の仲間から、血の気が多い、と言われる彼が。

「まかせてください!ティアさんのお願いなら、何だってしてみせますよ!」

「ありがとうございます。ではお言葉に甘えさせていただきますね」

 血の気の多いアーロイさん。一度も試したことはないが、先ほどの輸血の方陣を逆にすればいいだけだろう。

 大丈夫。私には失敗する気がしなかった。






 ハンスは見ていた。その光景を。

 山間が煌き、朝日がその姿を見せ始める。それを合図として、作戦作業に携わっていた兵士達が、馬車につながれた精霊らしきものを解き放った。

 馬車は走り出す。

 自分達、偵察班がろくな情報も拾えず、おめおめともどってきた、あの黒の丘へと向けて。


 ハンス――第3小隊8班の槍兵であるが、今回の作戦では、王子が閉じ込められているといわれている、黒霧の丘の偵察を命じられていた。

 だがそこは生き物のいない、死の場所だった。草木は白く脱色したようなありさまで枯れており、鳥の声も、虫の姿もない。そんな場所では人も蝕まれた。

 入った班員が次々と体を悪くしていった。

 ハンスは生来の臆病さゆえに班の後ろを歩いていたのだが、まず先頭の班長がやられた。次に度胸のある、克己心の高いものがやられた。彼らは情報を得るために、深く踏み入りすぎたのだ。

 班員同士をつなぐ荒縄を引き寄せ、彼らを回収する。

 目鼻から血を流し、咳が止まらず、体をけいれんさせていた。

 恐ろしい

 なんと恐ろしい。

 ハンスは恐怖で足が震えてた。ひざがガクガクと、力がはいらないのだ。

 彼らと同じように、自分も咳が止まらなくなてきていた。冷や汗が流れ、体の振るえがかみ合わせの悪い鎧をカチャカチャと鳴らす。

 他の班員もみな、青い顔をしている。

 帰ろう――

 誰からともなく、そんな声が上がった。

 倒れた二人を助けるため。そんな免罪符を片手に、ハンス達は元の道を引き返した。

 だがそれしかなかった。それ以上のことなど、どうしてもできそうになかった。たとえそこに自分達の国の王子がいると言われても、その姿を垣間見るほどに近づけないのだ。

 自分達にはそれでせいいっぱい、いや、偵察任務に付いた、他の班すべてが、同じような状態だった。

 ほどなくその情報は、他の班や小隊にも知らされる。

 兵士達の間に、王子をあきらめよう、という声が、少しづつ、少しづつ広がっていくのを感じていた。

 無念だった。

 無力だった。

 この国のためと武器を取り、兵士に志願し、入団試験を潜り抜け、背中をあずけられる仲間と出会い、自分達の強さを実感していたというのに。

 奇しくも、ウルフベアの事件から、再び毒のせいで自分達は負けようとしていた。


 だが、上層部はまだあきらめてはいなかった。

 空が白済み、夜が終わりを迎える頃、最後の作戦が行なわれようとしていた。


 ハンスは倒れた班員のつきそいを仲間に任せ、その作戦を見に、黒の丘のすそ野にきていた。

 自分の他にも、何人もの兵士が作戦を見守っていた。

 それは、むちゃくちゃな作戦だった。

 人をのせた馬車を、精霊に引かせて丘を駆け登るのだという。

 そんな馬鹿なと思った。

 こんな作戦がうまくいくはずもない。

 だが、その間にも作戦は準備され、馬車には一人の少女が乗り込もうとしていた。

 あの娘だ。

 うつくしい髪と、心を落ち着かせる色合いの衣装を着た―――緑の聖女

 彼女が一人で乗り込むのだという。

 確かに毒を治せるのは、今この騎士団には彼女しかいなかった。

 だが、彼女には間者の疑いがかかっていたはずである。

 ハンスも彼女の無罪を頼むために、嘆願書に意見を書いた。

 だが彼女はずっと縛られ、馬車に閉じ込められていると聞いていた。

 それが・・・なぜこんなところにいるのか。王子を助けるために、彼女を利用しようというのだろうか。


 いや――いや、ちがう。

 あの時見た彼女ならば、ハンスの知っている彼女ならば、そこに助けが必要な人間がいれば、救うために飛び込んでいってしまう。

 彼女は、そんな人だ。

 だからこそ、聖女と呼んだ。

 彼女の献身は、そこにいた自分達に、確かに届いたのだ。

 そしてまた、今回も。

 彼女はたった一人で、あの恐ろしい霧の中へと飛び込もうとしている。

 ハンスは、彼女の行いを最後まで見守ろうと思った。

 自分の願いを彼女に託して――






 おそらくは年のころ、14か15。

 可憐で美しい容姿に、細くしなやかな手首。兵士と比べても、守られるために存在しているような、華奢きゃしゃな少女は

 日の出と供に黒の丘へ駆け上がり、王子と隊長含む、数人の兵士を救い出した。


 このあと、”緑の聖女”の名は大きく市井しせいの間に広まることとなる。

 たった一人で死の丘から王子を救い出した、本物の聖女として。


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