古城を抜けて
「たっだいまー! へいへい、マスター。俺が恋しかったかーい?」
窓を開けて出迎えてやったのに、第一声がそれかよ。でも、その声に安堵している自分がいて、少し腹立たしい。
「お帰り。どうだった……ん? なんだそれ」
見ると腕に何やら抱えている。見た目は林檎のようだが、異世界なんだし未知の果物かも知れない。
「あ、これ? お土産の林檎。食べる?」
「あ、ああ。ありがとな」
普通に林檎だった。差し出されたそれを受け取り、観察してみる。なかなか美味しそうな林檎だ。少なくとも野生で生えているようなものには見えない。ということは、人の手によって栽培されているということになるわけで。
「――って、人がいたのか!?」
思わず叫んでいた。人がいるという希望が出てきたのだ。
「いたよー。ただ、マスターは街って言ってたけど、そこは街って程大きくはなかったんだよな。別物かもしれん」
「最低限、食料と水が確保できるならそれでいいさ……それぐらいはできそうだったか?」
「そこまで小さな村ってわけでもねーから、大丈夫だと思うぜ」
どうやら飢え死にの心配はなくなったらしい。心底ホッとする。それと同時に、疑問が湧いた。
「ちょっと待て、この林檎はどうしたんだ? まさか、盗んだんじゃないだろうな?」
コイツが金なんか持っているはずもない。
「盗んでない盗んでない。林檎持った猿がいたから魔法で脅かしたら、落として逃げてったんだよ」
「……」
つまり、これは猿が盗んだ林檎ということか。猿が持っていたとか、一度地面に落ちたとか、その辺りはギリギリ許容範囲内だが、盗品はアウトだ。盗んだ場面を見ていないのなら、黒に近いグレーなのだろうか?
「食べねーの?」
「……悩ましいが、やめておく。その村はそこまで遠くはないんだろ?」
喉が渇いてきているのは確かだが、そこまで遠くないのなら我慢しよう。盗品な上に、猿が落した林檎だしな。
「俺が一直線に飛んで10分はかかってねーと思うけど、マスターは森の中を歩いていくんだぞ?」
「いくら森っていっても、バロンに乗っていけばお前が飛ぶのとそこまで大差はないだろ?」
バロンというのは、オレがナイトメアに付けた名前だ。ナイトメアの死亡時のペナルティタイムは1時間なので、もうそろそろ召喚できる。騎乗用動物としての速度は普通の馬と変わらないが、所持アイテムがほとんどロストしてしまったこの状況ではとても頼もしい。そう思っていたのだが――
「いやいや、何言ってんだマスター。バロンの奴はまだ当分召喚できねーだろ。それまでここにいる気かよ?」
「はあ?」
何を言ってるんだ、お前は。反射的にそう言い返そうとしたところで、嫌なことに思い当たった。ゲーム中でも1日の経過や季節の移り変わりが存在したが、その時間の流れはリアルのそれよりかなり速かった。ペナルティタイムの経過も同じだとしたら。
「……1ついいか。お前がやられた場合の再召喚可能になるまでの時間ってどのくらいだ?」
「んー、それって要は分体の再生にかかってる時間だからなー……まあ、邪魔が入らずに専念できて、5時間くらいかかってるかな?」
ペナルティタイムってそういうことだったんだ。などと思える余裕はもちろんなく、驚愕の事実に真っ白になる。ゲームでのインプのペナルティタイムは僅か5分。その60倍である。ということは、単純に計算すればナイトメアの場合は60時間ということになる。まだゲームだった間に10分くらいは経過していたはずなので、その分減っていると仮定しても、丸2日以上召喚できないことになる。
「い、一応試してみるぞ。もしかしたらできるかも――」
「お、おう――って、ここでか!?」
焦燥のあまり、アドニスの慌てる声も耳に入らない。《サモン・デーモン》のキャスト開始し――強制的に中断された。ゲームにおいてペナルティタイム中に召喚しようとした時の感覚と同じだ。
「ダメだ……」
「あー……元気出せよ、マスター。それと、やっぱり林檎食った方がいいんじゃねーか?」
励まされてしまった。改めて手の上のリンゴを見つめると、土を払った跡があることに気付く。
「歩きだと、どのくらいかかりそうなんだ?」
学生時代になら森を散策したこともあったが、あくまで整備された歩道を歩いただけだ。人の手の入っていない森の中を進むのがどのくらい困難なのか、現代人には想像し辛い。
「歩きとなると俺には分からねーな……ま、1時間や2時間程度じゃ無理ってのは間違いねーと思うぜ」
心が折れる。汚したくないので、杖を置いて手袋を外した。ローブの袖で林檎を磨く。少し埃っぽくなっていたかもしれないが、やらないよりはマシだろう。
シャリ。齧ると程よい酸味と甘みが口の中に広がり、乾いた喉が歓迎するかのように鳴った。落ち込んでいた気分が回復していく。我ながら現金なものだ。
「――美味い」
「そりゃ良かった。食ったら出発するか? 今から出ると、途中で日が暮れるかもしれねーけど」
シャリシャリ。林檎を齧りながら考える。ゲームでの話になるが、森の中ではオレにとって脅威となるほどの相手はいないはずだ。
「《ダークビジョン》があるから、暗いのは大丈夫だと思う。それよりも、少しでも早く村に着きたい」
暗闇を見通せるようになるスキルだ。オレがゲームを始める以前、サービス開始してしばらくの間は、光源のない暗闇は本気で何もできなくなるほど真っ暗で、暗視系スキルの重要度が非常に高かったらしい。種族スキルで暗視を持たない人間が不利過ぎると非難が殺到し、あの運営には珍しく、アップデートによってかなり緩和されたんだとか。そんな経緯もありオレはこのスキルをろくに使ったことが無かったのだが、これからは役に立ってくれそうだ。
「試してみたけど、すっぽり被ったフードの裏地がはっきり見えるって、なかなか新鮮な感覚だった」
「ほうほう。他のも試したのか? どうだった?」
答えようとして、食べながらはやりにくいと思い直す。ちょっと待ってと仕草で伝え、林檎を食べるのに専念する。口が小さいのか、なかなか食べきれなかった。
「ん――ふぅ……何か拭くものないか?」
何とか手は汚さないように努めたものの、口の周りはべとべとになってしまった。
「俺が持ってるわけねーじゃん」
「しまったな、どうしよう」
ローブで拭うのは嫌すぎる。他に使えそうなものというと、身分証は論外だし、〈マナハーブ〉が包まれている紙も中身がダメになってしまいそうだ。仕方ない、舐めるだけで我慢しておこう。舌で唇を舐めているルシアの姿を想像して、少しだけ体が熱くなった。
残った芯を窓から投げ捨て、杖を拾う。マナーはよろしくないが、早めに土に返ってくれることを期待しよう。
「時間が惜しいし、移動しながら話そう」
「いいけど、城の中は分かってるのか?」
アドニスの問いには頷いて答える。オレの予想が正しければ、問題はないはずだ。
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城内の構造は、やはりゲームの『グランリアナの古城』と基本的に同じように思える。ただ、ゲームではいくつもの魔力障壁によって通路が寸断されており、ギミックを解除しながら複雑な経路で進まなければならなかった。
「障壁がないと、わりとシンプルだな」
心配な点があるとすれば、玉座の間のように崩れて通れなくなっている場所があることだが、今のところ通路の壁に亀裂が走っているようなこともなく、玉座の間から離れるにつれ状態が良くなっているように思える。
「で、マスター。魔法を試してみて、おかしなところとかなかったのか?」
「試した範囲では問題はなさそうかな。ただまあ、呪い属性の魔法とか、1人じゃ試せないのも多かったから、後で動物相手にでも試しておいた方がいいかもしれない」
「ふーむ……お、だったら猿が良いんじゃね? 試す相手としてはうってつけだろ」
さっきの林檎の猿のことか。おそらく盗んだものだったとはいえ、林檎を強奪した上に呪いの実験台にするとか鬼畜過ぎる。いや、悪魔か。
「……まあ、出会えたら考えるか。それで、魔法以外のスキルも試してみたけど、主に体を動かすスキルはゲームとは微妙に変わってる気がするんだよな」
杖を掲げる。オレの場合、体を動かすスキルの大半は杖のスキルだ。汎用スキルツリーに分類される武器スキルの1つ。杖の場合は武器としての扱いに加えて、魔法の使用に関わるスキルも含まれている。
「ゲームの時はスキルに応じた動作補正が自動で入る感じだったけど、今は体がより自然に動きを覚えてるんだよ。ゲーム中でやってた動作とはいえ、不気味なくらい自然に体が動くから、ちょっと怖いぞ」
思い返せば、このバカを打ち落とした時も無意識のうちに体が動いていた。ゲームの時は、しっかりと意識しないければ動けなかったのに。
「あー……それもなんか、魔族が相手の技能をコピーする時の感覚に似てるなー」
「え、そうなのか!?」
それは犯人に繋がる思わぬヒントかもしれない。思わず振り向く。
「ほら、ドッペルゲンガーがまさにそんな感じらしいぞ。つっても、魔族に限らず技能を魔法で身に着けるんなら、感覚としては同じなんじゃねーかな」
「……そうか」
だとすると、犯人の特定には役立たないか。まあ、この世界の魔法によって行える範疇のことだと分かっただけでも進展があった。せっかくなので、1つ疑問に思っていたことを訊いてみる。
「そうだ、この世界の魔法についてなんだけどさ、翻訳の魔法ってあるのかな?」
ゲーム中にもそれらしい魔法が出てきた場面があった気がする。
「あるけど、それがどうしたんだ?」
「いや、ポー――」
言いかけて気付いた。この話をしたら、己の間抜けさを暴露することになってしまう。これ以上、主としての威厳を損なうようなことはしたくない。すでに底辺な気がしないでもないが。
「……ポーチの中に身分証が入っててさ、書かれてる文字は分からないのに意味だけ理解できるんだよ」
情報を得るためには仕方ないと、涙を飲んで話す。案の定、呆れた目で見られた。
「……いや、いいけどさ。そりゃ間違いなく翻訳魔法だな。意味が直接分かるってことは、その中でも言語を一時的に習得しちまうタイプだ。多分だけど、常時かかってる状態なんじゃねーかな」
「やっぱりか。それじゃさ、今こうしてお前と話せてるのは?」
文字を読む時は元の文字はそのまま見えているのに、会話では元の音が聞こえたりはしていない。そもそも、アドニスが喋っている言葉は最初から日本語だ。翻訳されているようには思えない。そう、説明する。
「ふうん? 俺からすると、俺もマスターも普通に俺たちの言葉を話してるんだけどな……マスターがそう感じてんなら、元の言葉に対する認識阻害がかかってんのかも? そうだな、俺が話してる言葉は自分の知らねー言葉だって、強く意識して見な。口の動きをよく見るといいかもしれん」
言われた通りにしてみる。よく見ると、確かに口の動きと話している言葉にタイミングのズレがある――そう意識したとたん、アドニスが実際に話している言葉が聞こえてきた。全く意味の分からない、音の連なり。それでも、文字を読んだ時のように不思議と内容は理解できる。気付いてしまうと、文字を読んでいた時以上に気味が悪い。
「これ、頭が痛くなって――っ!?」
ウソだろ。オレの口から出ている言葉も日本語じゃない。思わず口に手を当てた。自分でも気づかないうちに知らない言葉を喋っていたとか、いくら何でも不気味過ぎる。
「ま、慣れてないなら当然そうなるわな。そのために認識阻害をかけてるんだろうし。無理そうなら、意識しないようにすりゃ戻るはずだ。しっかし、こりゃ相当高度な魔法だぞ」
狼狽えるオレを見て、アドバイスをくれた。大人しく従う。アドニス自身は感心したように唸っていた。
「――あ、直った。これさ、慣れた方がいいとか、そういうことはあるのかな?」
どうやら普通の翻訳魔法はこんなサービス機能はついていないようだし、慣れようと思えばできるものなんじゃないだろうか。その部分が気になった。
「その魔法がマジで永続すんなら、そのままでいいかもしれんけど、そうじゃねーなら慣れとかねーと言葉を覚えれねーからなー。翻訳魔法って、相手の言葉を覚えるのにも使えるからさ」
「なるほど」
相手の言葉はそのままに意味が理解できるのだ。確かに、言葉を覚えるのにはこれ以上ない状態だろう。リアルでは英語すら怪しかったオレでも、この優秀なサポートがあればマルチリンガルになれるかもしれない。少しだけ興味が湧いた。
「慣れるように、頑張ってみるか」
「ま、無理しない程度にな」
言葉のわりに満足そうな態度に、少し嬉しくなった。いかん、どうも力関係が逆転しつつある気がする。気を引き締めなければ。
何度目か分からない決意を固めているところで、北側の門へ続く扉に着いた。途中に障害物もなく、ゲームでの苦労は何だったんだと思えてくる簡単さだった。まあ、オレは苦労してなかったけど。
「――っ、眩しいな」
薄暗い城内に慣れた目が痛い。思わず、フードを目深に降ろしてガードした。そのまま、徐々に慣れてくるのを待つ。
「――うわ……」
戻った視界を埋め尽くす、圧倒的な自然。知らず、声が漏れた。
視界の端から端まで木々の間に切れ目が見えない。オレが知る森とは全然違う。覚悟はしていたが、まるで足りていなかった。上からでは見えなかったが、城門はほとんど森に埋もれ、かつてはあっただろう道も痕跡すら認められない。
「ここを、行くのか……?」
斜め上に浮かぶナビゲーターに、恐る恐る尋ねる。
「イエス!」
無慈悲な宣告。さっきした決意は、すでに粉々に砕け散った。
「いけるいける。俺がちゃーんと方向は指示するから。遭難とかあり得ねーし」
いや、理屈の上ではそうだろうけど!でも人間、理屈だけでは行動できないわけで。
「いいか、マスター。これを乗り越えないと、水も食い物も寝る場所もないんだぞ」
「うう……」
そうだ。選択肢なんて元々なかったのだ。
腹を括るしかない。朽ち果てた扉の代わりに門を閉ざす、蔦のカーテンをかき分ける。
オレの、この世界での最初の試練が始まった――