そこにいたもの
いきなり乱入した来た男は、ずかずかと無遠慮に傍までやってくると、オレとクリスを睨むように見下ろす。何なんだ、こいつは。
男はかなりの痩身で鎧ではなく服を身に纏っている。施されている装飾はそこまで華美なものではないものの、何となく高級品だということはオレにも分かった。それよりも注目すべきはそこに刺繍されている紋章か。リアンや神殿兵の鎧に彫られているユストサリアの聖印と同じ天秤をモチーフにしたものだが、あれはラーナの国章のはずだ。すなわち、この男は神殿ではなく国家に仕えている人間ということになる。
「監察官殿!」
咎めるような声を上げ、立ち上がるリアン。それに対し、監察官と呼ばれた男は皮肉気な笑みを浮かべると厭味ったらしい口調で言葉を返す。
「おっと、これは失礼致しました。しかし、私のあずかり知らぬところで国家の大事に関わることが決められているとあっては、礼儀を弁える余裕すらないほど慌てざるを得なかったのですよ。どうかご容赦ください」
要約すると、何勝手なことしとるんじゃボケ、ということか。監察官の肩書とラーナの国章から推測するに、神殿所属の部隊へと国から派遣されたお目付け役なんだろう。今の僅かなやり取りだけでも、リアンとの仲が相当悪いことが窺える。
それにしても、いきなりビンゴな奴が出てきたな。リアンというかこの部隊に対して強い影響力を持っている立場でありながら神官ではない人間。魔族による工作のターゲットとしてはこれ以上ない人選じゃないか。さりげなくクリスへと視線を送ると、向こうも同じことを考えていたのか目が合う。
「リューベルンに対する要請の内容についてはすでに貴方の同意を得ています。その履行についての詳細のどうするかは私の裁量内のはずですが? それと――この方々はリューベルンの正式な使者です。そのような態度は改められますよう」
ゲーム時代も含めて爽やかイケメンスマイルを決して崩さなかったリアンが恐ろしいほど無表情になっている。というか、人並外れた美形だけにマジで怖い。単に実物はNPCほど聖人君子じゃないだけかもしれないが、以前から対立している相手なのは間違いなさそうだ。
「この者たちがですか……そちらの騎士はともかく、このような見るからに怪しげな輩を使者として送ってくるとは、舐められたものですな」
「監察官殿、何を言われるのか! ――申し訳ありません。ここは――」
見下しきった視線をオレにぶつけてくる監察官。その視線そのものには当然怒りが湧いてくるが、言われた内容の方はむしろ納得しているオレがいる。ついに見た目に突っ込んでくれる人間が出てきてくれたか。もともと怪しさ重視のローブ姿の上に、簡単に繕っては貰ったもののよく見れば穴だらけなのはまる分かりだしな。リアンが怒ってくれたのは感謝するべきなのかもしれないが、クリスはともかくオレの格好は使者としてどうかと思うよ、オレも。
「顔を隠したままの相手と何を話し合うというのですか? 全く無礼にもほどがある」
「――っ!」
「お待ちください――!」
リアンの言葉を遮って、監察官が一歩オレへと歩み寄ってくる。それを止めようとしてか、リアンが慌てて駆け寄ってくると、オレと監察官の間に割って入った。同時に何かの倒れる音。何事かと振り向けば、相棒が立ち上がった拍子に倒れた椅子の音だった。
一触即発の空気が満ちる。部屋の隅に控えている兵士や女性神官までもが息を吞む気配がした。
「――オージェ監察官、どうかご自重ください」
「私が間違ったことを言っているとでも?」
こいつはオージェと言うのか……じゃなくて、流石にこの状況はシャレにならない。監察官の方も引く気がまるでなさそうだし、ここはオレが収集をつけなければ。だいたい、別にオレは顔を晒すことが嫌なわけではないのだから。
「落ち着いてください、皆さん。私が顔を見せればいいのですよね?」
「ほう。物分かりのよろしいお方だ」
「いえ、それは――」
嫌な笑みを浮かべて頷く監察官に、慌てた様子で振り返るリアン。オレは気にせずフードを跳ね上げた。
押さえつけられていた髪が柔らかく広がり、視界の隅で灯りに照らされキラキラと煌めく。冷たい空気が首筋を撫でる感触に僅かに身を震わせた。そういえば、宿の外でフードを取るのはあの城以来だったな。
「な――!?」
「おお――」
「わあ――!」
息を呑み、オレの顔をマジマジと見つめながら硬直するリアン。他の兵士や神官の女性が漏らした感嘆の声が四方から聞こえてきた。ふふふ、そうだよ、こういうリアクションを期待して作ったキャラなんだよ。自分でも思わず見惚れてしまったルシアの美貌を脳内に再生しながら、周囲の反応に満足して悦に入る。直後に、そんなことしている場合じゃないことを思い出したが。
「おっと、椅子が倒れてた」
わざとらしくそんなことを言いながら、音を立てて椅子を戻すクリス。それに反応して、固まっていたリアンが再起動する。
「――っ! す、すみません。大変な失礼を!」
飛び退くようにオレから離れ、頭を下げる。分かりやすいほどに顔を赤くして焦っている姿を見ると、初めに抱いていた敵愾心が消え去っていく気がした。意外に純情な奴だったんだな、お前。
「お構いなく、気にしていませんから。オージェ様、これでよろしいでしょうか?」
「ええ。思っていたよりも話の分かる方のようだ。怪しいと断じたことは訂正しましょう」
監察官に対し、あえて笑顔を作って向けてやると、そんな返答が返ってきた。あくまで謝罪ではなく訂正らしい。それにしても、周囲の人間があれだけ大げさな反応を示したというに、こいつは全くと言っていいほど無反応だったな。もちろんそんなものは個人の嗜好によるのだろうが、今まで素顔を見せた相手は男女の区別もなく魅了してきたルシアの美貌にここまで無反応なのは少し気にかかる。いや、流石にそれは自惚れすぎか。そこまで多くの相手に見せてきたわけでもないし。
「……」
相棒はどう思っているのかと横目で様子を窺うと、睨むような視線を監察官に向けていた。かなり怪しんでいるのだろうか。
「で、では監察官殿、改めて言わせて頂きますが、リューベルン側の提案は私の裁量で決定できる範囲にあると考えます。これまでにも、貴方の意見は可能な限り尊重してきたつもりです。ここは退いて頂けませんか?」
直前の失態を取り繕うように、先程と同じ主張をするリアン。やはりこれまでにも、この監察官からの横槍にさんざん苦労させられていたようだ。
「おやおや、これは異なことをおっしゃいますな。貴殿の裁量の範囲にあるか否かを判断するのが、監察官たる私の役目ですぞ? それに、傭兵どもの掃討は国より命じられし任務。私のわがままのように言われるのは心外ですな」
こいつ、退く気は欠片もなさそうだな。それにしても、傭兵の掃討が国から命じられたというのはちょっと気になるところだ。図ったようなタイミングでラーナ軍が出現したのが魔族の工作による結果だというのが今のところの推測だが、その工作の対象がどの程度の地位にいるかで脅威度はかなり変わってくる。とはいえ、具体的に誰の指示なのかなんて、オレたちに教えてくれるはずもないか。
「――失礼。貴方々はあの傭兵たちを掃討するために、このリューベルンへ来たんですか?」
「え? ――ええ、当初の目的はその通りですね。もちろん掃討と言っても、降伏したものは捕縛するのが前提ですよ」
唐突にクリスが質問をぶつけ、考え込んでいたオレの意識が引き戻される。当のリアンは特に疑問を抱いている様子もなくそれに答えたが、オレは相棒の質問の意図に気付いた。
「最初からリューベルンが目的地だったんですか?」
「そうですが? 傭兵たちの標的がリューベルンであるということで、貴方々の救援が本来の目的です。ああいえ、間に合いもしなかったのに恩着せがましく主張することはしたくなかったのですが……」
だから町へ送った使者はそのことを言わなかったと。それってやっぱりおかしくないか? 心の隅で引っかかっていた違和感と今のリアンの言葉が結びつく。
あの傭兵たちはリューベルンに至るまでの間に、空白地の村々をいくつも襲撃している。その噂はオレがこの町についた時点で広まっているほどだった。だが、あれほどの規模の傭兵団が町を襲撃する可能性については全く想定していなかったのだ。傭兵たちが通ってきたロートリアナ~リューベルン間の街道が完全に封鎖されていたためである。もともと空白地を通る街道ということで、整備もされずに荒れ放題になった結果交通量が激減していたため、封鎖されていても怪しむ者はいなかったらしい。
当初オレたちは、ラーナ軍の目的は彼らの要求の通りロートリアナで犯罪を犯したものの捕縛だと思っていた。だがリアンは、部隊派遣の目的は最初からリューベルンの救援にあるとはっきり言った。ではどうやって、彼らはリューベルンが傭兵たちの目標であることを知ったのか。ただの推測にしては、リアンの言葉は断定的すぎる気がするのだが。
「あの、その情報はどうやってもたらされたものなんですか?」
「どうやって、ですか? 監察官殿、あれは確か――」
「我が国が持つ情報について話すことはなりませんぞ。貴女も何故そのような探りを入れる? そちらとは何の関係もないことだ」
オレの質問に答えようとしたリアンを遮る監察官。というか今、リアンは監察官に話を振ろうとしていたよな。それってつまり、こいつが持ち込んだ情報だったのか?
「――ルシア」
名前を呼ばれ振り向けば、相棒の真剣な眼差しと目が合う。そして、頷きながら監察官を目線で指し示した。考えていることは同じということか。ここまでの様子を見ても、リアンはこのオージェとかいう監察官と対立関係にあることは間違いない。いっそのことメグレ議長のことをぶちまけてしまおうか。一応、怪しい相手がいた場合に、リアンへ協力を求める許可は臨時執政官からもらっている。
「……町の評議会で議長を務めている人間が、何らかの魔法によって精神へ干渉を受けていました」
「何の話を――」
「監察官殿! ――続けてください」
オレの話に割って入った監察官をリアンが止める。この様子ならやはり最後まで話すべきか。
「傭兵からの退去料要求に対し、議長は決裂を前提とした時間稼ぎ目的の交渉を行い、町を危機に陥れようとしていたのです。その事実に気付くのが遅れていたら、貴方々の到着の前に町は制圧されていたかもしれません」
そう、議長の思惑通りに事態が進んだ場合。襲撃中、あるいは制圧直後にラーナ軍が到着した可能性が高い。綺麗にタイミングを合わせているところからして、ラーナに対して同様の工作が行われていたと考えるのが妥当ではないだろうか。
「傭兵たちがリューベルンを襲撃するという事実を知っていたのは、その状況を作り出した張本人以外には考えにくいのです。貴方々をここへ派遣させるよう工作が行われていたのではないでしょうか?」
「工作ですか。しかも、精神への干渉と言われましたね?」
魔族云々はとりあえず伏せて話したが、その部分だけで悟られたか。流石はラーナの英雄だな。
「クローズ殿? まさか、このような話を鵜呑みにされるおつもり――」
「ではお答えください、オージェ監察官。リューベルンが襲撃されるという情報をどこから手に入れたのか。以前お尋ねした時には神殿の人間には話せないと断られましたが、何者かの陰謀の疑いが浮上した以上はっきりさせて頂けますか?」
リアンはすでに疑惑の目で監察官を見ているようだ。もともと、内心ではどこか不審に思うところがあったのかもしれない。一方、監察官に焦りや戸惑いといった様子は窺えない。普通こんな状況に立たされたら、白かろうが黒かろうがもっと慌てそうなものだが。あの時のメグレ議長と比較しても全く様子が違う。
「ですから、それはお答えできませんな。どうも私のことをお疑いのようだが、所詮私などしがない一官僚にすぎません。陰謀など大それたことを――」
「ほう。一官僚ね」
今度はクリスが言葉を遮った。横目で見れば、立ち上がり強い警戒の色を浮かべてで監察官を睨みつけている。その尋常ではない様子に、オレもほんの少し気圧された。
「さっきのアンタ、全く憶する様子もなくルシアに詰め寄ったよな?」
「それがどうした。だいたい、その無礼な口の利き方は何だ!」
ホントにどうしたんだ、相棒。すでに使者としての体面をかなぐり捨ててるけど。オレの疑いとは別の方向で、何か確信しているのか?
「ここは安全が約束された会談の場ってわけじゃない。俺もそちらの指揮官殿も武装しているんだぞ。それなのに、丸腰で堂々とあんなことができたアンタが、ただの一官僚とはね」
「あ――」
言われてみれば、控えている女性の神官を除けば、こいつはこの場で唯一非武装の人間だ。隅に立っている神殿兵だってもちろん武装している。あの時、オレに近寄ってきたこいつに対してクリスは敵対行動の可能性を考えて立ち上がっていた。リアンが慌てて間に入らなければ、武器が抜かれることだってあり得たかもしれない。それなのにあれほど平然としていたのは、確かに常人とは思えない胆力だ。
「何より、ルシアの顔を見てあれほど無反応だなんて――本当にアンタ、人間なのか?」
「……は?」
え、それってそこまで重大なことなの? オレも少し気にはなったけどさ。あの時から人間かどうかすら疑ってたのか。
「――っ!? 監察官殿、まさか――」
お前も驚きすぎじゃないか、リアン。ということは、あの時オレに見惚れてて気付いていなかったとか、そういうことだったのか。
2人の大真面目な様子に、オレはちょっとついていけない。怪しんでいたのは間違いないが、こいつはせいぜい議長と同じで精神への干渉を受けた被害者だと、そう思っているのだが。しかし、そんなオレの考えは、当の本人によって打ち砕かれる。
「――なるほど。やはり、どうしてもボロが出てしまうか」
そう言いながら首を振るオージェ監察官。その様子は、ついさっきまでとはまるで別人のようになっていた――




