守りたいもの
アズレイド軍の陣地から少し離れたところで、飛んで来たアドニスが追い付いてきた。エーリクとの面会の間、兵士たちの様子などを間近で観察してもらっていたのだ。
「とりあえず、あからさまに怪しい奴はいなかったぜ。言葉が分かればいろいろ聞けたんだがなー」
「それはしょうがないさ。お疲れ」
「人間の言葉を覚えることも考えるか」
アドニスに言葉を教えるとなると、オレが翻訳言語の選択を切り替えながら通訳することになるんだろうか。想像するだけで頭が痛くなってくるぞ。徐々に認識阻害を外してから気持ち悪くなるまでの時間は伸びているので、いずれはできるようになるとは思うのだが。
「しかし、ムルト卿が指揮官で助かりましたぞ。他の方だったら、ここまですんなりいかなかったかもしれませんからな」
「そうなんですか?」
確かに話の分かる相手だとは思ったけど、そこまではっきり言うとは、すんなりいかない例を良く知っているんだろうか。
「あの方は私たち商人の事情も理解した上で配慮をしてくれますが、軍人の方の中にはリューベルンをさっさと併合すべしという意見の方も多いのですからな」
「……自分の立場と異なる視点を持っている人間というのは貴重だからな。俺が言うのもなんだが」
警察官は警察官の立場でものを見るってことか。同じアズレイドの人間でも、商人からすれば貿易の裏道であるリューベルンは独立したままの方が良く、軍人にとっては隣国であるラーナの軍事拠点になりかねなり場所は併合してしまった方が良い。なるほど、商人の視点を理解できる軍人としてエーリクの存在は、リューベルンにとってとても貴重なわけだ。
何はともあれ、これで間接的とはいえアズレイドの協力を取り付けることができた。後はこれを利用してて、ラーナ側の要求を双方にとって角が立たない形で落としどころを探すだけだ。
本当にそれで終わってくれるなら、何も問題はないのだが――
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「なあ、アドニス。リアンクラスの英雄に対して、精神干渉系の魔法をかけることができる魔族って存在するのか?」
町へと戻り臨時執政官の執務室へと直行する。クリスとガストンさんがブレソールさんへことの仔細を説明している間に、オレは部屋の隅でアドニスに対して疑問をぶつけていた。
「リアンってやつのことは分からねーけど、どんな相手だって十分な準備期間をかけて大規模儀式を行えば理論的にはかけられるだろーな。ただ、ある程度魔法の資質がある奴なら長期間の儀式中に感づく可能性が高いから、後出しで対策されたらそこで終わりだけど」
「つまり、対策できないような状態にしておかなければダメなわけだ……普段ユストサリア神殿にいるような相手には机上の空論でしかないな」
状況的にあのラーナ軍が怪しいのは確かなのだが、果たして指揮官であるリアンに対して魔族が干渉できるのかという問題が出てくる。ラーナと魔族が結託している可能性はとりあえず考えない。流石にそれはないと思うし、万が一そうだったとしたらお手上げだしな。
「となると、やはり本命はリアンに命令を出す立場の人間が議長みたいなことになっている可能生か。神殿内はともかく、国の組織内なら魔法の才能ゼロでも高い地位にいる奴はいっぱいいるだろうし」
それにこのやり方だと、能力はトップクラスでも地位は高くないリアンは格好の狙い目だ。
「あ、でも、精神干渉系の魔法だと周囲の人間が異常に気付くか? オレやお前でも見破れたんだし、ユストサリア神官が大勢いるラーナじゃなおさらだろ?」
「あれ見破れたのは条件付けが適当だったからだしなー。それに、離れた場所からかけっぱなしだとボロが出やすいけど、近くで適宜修正し続ければかなりバレにくくなるぜ?」
「いや、近くでって、それこそ無理だろ……お前の《シャドウベール》だって簡単に看破されるじゃないか」
祝福された聖印ですらその手の硬貨を解除できてしまうユストサリアを奉ずる国で、魔族本人が潜入するのはいくら何でも無茶すぎる。普段やられているお返しとばかりに、何を馬鹿なことを言っているんだという目で見てやると、やれやれと肩をすくめられた。
「そんなもん、能力の強さしだいに決まってるじゃん。例えばドッペルゲンガーの変身なんて、神そのものの権能クラスじゃないと解除できねーぜ?」
「むう……」
ドヤ顔で言われかなりイラッととするが、言われた内容には心当たりがあったので黙り込むしかない。オレ自身が使役しているドッペルゲンガーの変身能力は、一部の神の権能を再現できる強敵相手でもなければ解除されることはなかった。そしてそんな相手は滅多にいないだろう。
「というか、ドッペルゲンガーそのものが入り込んでいる可能性もあるのか」
「そんなに個体数が多いわけじゃないから、大量に入れ替わってたりはしねーだろうけど、そのくらいは想定しておいた方がいいだろーな」
そんな事態は勘弁してほしい。ドッペルゲンガーは自分より強い――ゲームではレベルで判定されていた――相手には変身できないので、野良のドッペルゲンガーならそこまで怖くはない。デーモンコントラクターと契約している個体は主人と同レベルまで強化されるが、デーモンコントラクターはほとんど知られていないらしいので大丈夫だと思いたい。
「まあ、解除はできなくても見破る方法はあるわけだから、あんまり長期間入り込むのは無理だろうけど、それでも十分怖いな。ゲームだと微妙な奴だったけど」
ゲームだと単に格下の敵の能力をコピーできるだけだったからな。細かい指示も出せなかったから、貴重な能力を持った相手をコピーしても大して使えなかったし。しかし今となっては恐ろしい相手だ。
幸いというか見破ること自体は簡単ではないが、ものすごく困難というわけでもない。ドッペルゲンガーの変身は対象の姿と表面的な仕草や性格などの特徴を完璧にコピーするが、元の人格が消えるわけではないので踏み込まれて突っ込まれるとボロを出しやすいのだ。より深く相手を写し取って誰にも見破れないようにすることもできるのだが、それをすると元の人格がや記憶が消えてしまい、ただのもう1人の本人になってしまう。その禁忌を破ってしまったドッペルゲンガーが登場するクエストもあった。
「ルシア嬢、使い魔との話はもう終わったかな?」
ドッペルゲンガーについて考え込んでいたところにブレソールさんから声を変えられ、現実に引き戻される。そちらを振り向けば、もう報告は終わってしまった様子だ。
「はい。お待たせしてすみません」
「いや、こちらも今終わったところだよ。そして、今度はラーナ軍への使者を出すという話になったのだがね」
ブレソールさんは言葉を切り、クリスへと視線を向けて続きを促す。
「ラーナ軍へは俺とお前だけで行くと提案したところだ」
「私たちだけでですか。相手を警戒してということですね」
ちょうど今、ラーナに対して魔族が工作を行っている可能性について考えていたところだ。いざという時に他の人間が同行していては、脱出するのが極めて困難になってしまう。ただ、やはり問題はある。
「それは分かりますけど、私たちが使者で良いんですか? 町の人間でもないのに」
「それなんだがね。貴方々は町を救った英雄だ。いっそのこと、そう開き直って正面から事実を話した方が、あの国に対しては有効かもしれないと考えたのだよ。特に、リアン・クローズという御仁にはね」
「なるほど、そういうことでしたら」
ブレソールさんがそう判断するのなら、オレたちに反対する理由はない。もとより、危険があるかもしれない場所へ護衛対象と一緒に行くのは勘弁してほしいのだから。
「俺のことも、リアン相手なら問題はないだろうしな」
「そういえば、あの人はそういう人でしたね」
リアンはラーナのユストサリア神官としては珍しくドラゴン信仰にも寛容な人物だ。ラーナ国内では異端の考えであり、リアンが高い地位につけない理由の一つでもある。
「それでは、引き受けてもらえるのかな?」
「はい。もうここまで来てしまいましたからね」
今更ここで抜けるなんて言い出せるほど、神経の太い人間でもないし。いいだろう、どんな罠が仕掛けられているのかは知らないが、乗り込んで綺麗に終わらせてやろうじゃないか。アズレイド軍が睨みを利かせてくれているから、案外あっさり片が付くかもしれないし!
「ありがとう。これが臨時執政官からの委任状だ」
「それはクリスが持っていてください。舐められないためにも、そっちが正使の方が良いでしょう」
「分かった――お預かりします」
仰々しい飾りのついた紙を手渡される。アズレイド軍のところへ行くときにガストンさんが持っていたものと同じものだ。如何にもそれらしく見えるが、これもグランリアナ帝国時代の正式な書式を古書をひっくり返して調べだし、急遽でっち上げた即席委任状である。本当に独立を掲げるには何もかも足りないな、この町。かなりの短時間でこれを用意できる辺り、優秀な人間は多いのかもしれないが。
「重ね重ね、よろしくお願いするよ」
「私からもお願い致しますぞ。クリス殿、ルシア嬢、無事に戻ってきてくだされ」
「ええ、お任せください」
深々と頭を下げるブレソールさんとガストンさん。オレも頭を下げながら、出発の挨拶を口にした。
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東門を目指して歩きながらアドニスと打ち合わせをしていたところに、前方から声がかけられた。
「クリスさん! ルシアさん!」
「アレットか」
「――アレットさん」
手を振りながら駆け寄ってくる彼女は、もういつも通りの明るさに見える。そのことにホッとすると同時に神殿前での大騒ぎを思い出し、少しだけ顔が熱くなった。
「今からどこかへ行くの?」
「ええ。ラーナ軍のところへ使者として行ってきます」
「ラーナ軍……」
オレの返答に、見るからに表情を曇らせるアレット。言葉だけ聞けば心配になるのも無理はないか。
「心配しないでください。向こうの指揮官はあのリアン・クローズですし、何事もなく終わるでしょうから」
そう期待しているのは嘘ではない。内心では、何かあると半ば確信しているけれど。アレットはオレとクリスの顔を交互に見ると、軽くため息を吐いた。
「――2人しかいないってことは、そういうことだよね?」
「いや、まあ……」
鋭いな、アレット。そして相棒、そこで言いよどんだらバレバレだから。
「アレットさん――」
「でも、大丈夫! 心配なんてしてないから! クリスさんもルシアさんも、無事に戻ってきてくれるって信じてるから!」
オレの言葉を遮るように、弾けるような笑顔で胸を張って宣言する。その笑顔に胸が熱くなった。もちろん動機は1つきりではないけれど、結局のところこの笑顔を守りたいというのが、オレの一番の願いなのかもしれない。
これから待ち受ける罠へと飛び込むかもしれないというところで、最良の餞別を貰うことができた。オレはできる限りの笑顔を浮かべながら、アレットへと出発の言葉をかける。なんてことないと、お互いに言い聞かせるように。
「はい。行ってきますね」




