法と正義と暴力と
「ユストサリア……いや、ますます分からないんだけど?」
まず、神の気配を感じるというところからして謎だが、それを置いておくとしてもラーナ軍にユストサリアの神官が従軍していたからといってそこまで不思議なことでもないだろう。コイツがこんなに慌てている理由は、単に魔族の天敵だからということなのか。
「あー……前にユストサリアの聖印に近づくと《シャドウベール》が消えかねねーって話はしたよな?」
「そういえば、そんなこともあったな」
自分の危機感が伝わらないことに業を煮やしたのか頭を抱えて唸りながらも、口調は若干落ち着いたものになってきた。直前までの恐慌状態からようやく復帰してきたようだ。
「正式な祝福を受けた聖印は、その神の権能の一部を複製したようなものなんだよ。規模の小ささに比例して影響の範囲はものすごく狭いけど、それでも触れれば《シャドウベール》が消滅するくらいの力はあるだろうな」
「あの時のお前のビビり様はそのせいだったわけか」
思い返してみると、さっきの慌て方はあの時の様子をより酷いものにしたと見えなくもない。
「それでも、同じ建物の下にあっても、《シャドウベール》が揺らいだりはしてねーわけよ。聖印の影響範囲なんてそんなもんだからな。だが今回は違う」
「……それって、直接影響を受けたってことなのか? ずっと離れているはずなのに?」
「ああ。集団に気付いて詳細を確かめようと近づこうとしたところで――まだ人間がゴマ粒程度の大きさにしか見えない距離でだぞ。ヤバさが分かるだろ!」
力説しているうちに感情がぶり返してきたのか、アドニスの表情は極めて必死なものになる。オレの方もコイツがここまで狼狽える理由がやっと分かってきた。聖印とは比べもにならない規模の祝福を受けたナニかが同行しているということか。ただの一神官ではあり得ない。
「お前が慌てふためいてた理由は良く分かった。だけど、それと町にとっての問題とは別だからな」
ラーナの正規軍、それも相当高位の神官が従軍しているとなると、何の目的でここを目指しているのかが気になるところだ。単純に傭兵たちを討伐しに来たというのは考えずらい。本来であれば信頼してしかるべき法と正義の神を信奉する国とはいえ、この町の置かれている微妙な立場からすれば、傭兵たちの脅威がなくなった今、諸手を挙げて歓迎できる相手ではない。
「ラーナの正規軍か。まずはブレソールさんたちへ知らせてからだが……何しに来たのかは確かに気になるな。いくら何でもタイミングが良すぎるだろ」
オレから説明を受けたクリスも、険しい顔で考え込んだ。魔族の手が伸びていたと推測されているメグレ議長は、ラーナ軍が来ると繰り返し主張していた。何の根拠もない話だったし結局間に合っていないわけだが、傭兵との戦いが終わった直後に姿を見せるなんて、何かあると疑わない方がおかしいだろう。
「魔族の暗躍を疑っていたところへ、普通じゃあり得ない強さのユストサリアの力を持ったナニかが来るというのも……」
何かがおかしい。出来過ぎているようで、微妙に噛み合っていない出来事の連続。すぐには言葉にできないものの、強烈な不安が心の奥底から湧いてくる。
「アドニス! オレたちはこのことをブレソールさんたちと話し合って来る。お前は周囲の偵察に加えて、推定ラーナ軍の監視もしていてくれ」
「はあ!? いやいや、ちょっと待って、マスター。その両方を並行してやるのは純粋にきついし、なによりラーナの連中には近寄りたくねーんだけど!」
オレの無茶ぶりに、意外に冷静にツッコミを入れてくるアドニス。ほぼいつも通りに戻ったようで何よりだ。
「なら偵察がメインで監視はできれば程度でいいや。無理に近づくのは危険だろうしな。監視の方はすぐにでも人を出してもらおう」
流石にラーナ軍相手にアドニスの存在がバレるのはまずいからな。
「それなら了解だ。だけどこれだけは気を付けてくれよ、マスター。確かにユストサリアは魔族の天敵だけど、人間の味方ってわけじゃねーんだからな? 神ってのは、自らの定義に背く奴には、それが誰であろうと容赦しねー連中なんだから」
「……どういうことだよ?」
「とにかく、油断するなってことさ。じゃ、行ってくるぜ!」
意味深な忠告を残すと、さっさと空へと戻っていく。あっという間に小さくなったその姿を見送りながら、オレはその意味を考えていた。
######
「なるほど……また、厄介なことになりそうだね」
オレからの報告と推測を聞いた商会長は、顔に手を当てて大きなため息を吐いた。降ってわいた新たな問題にこれまでの疲労が一気に出たのか、かなり疲れた表情をしている。少し心配になるほどに。
「使い魔では正確な確認ができないようなので、俺が見てきた方がいいかもしれませんね。本当にラーナの正規軍だと確定したわけではないですし」
「ふむ、それは是非お願いしたい――と言いたいところなのだが……竜戦士殿が接触されるのは少々良くない事態になるやもしれん」
「それは……そう言うことですか」
ハイランダーに寛容なアズレイドとは対照的に、ユストサリア神殿が絶大な影響力を持つラーナではドラゴン信仰は厳しく取り締まられているため、クリスに対しては良い感情を抱かれない可能性が高い。一般の民衆ならともかく、取り締まる側の正規軍となるとなおさらだろう。ゲームにおけるハイランダー関連のクエストには、ラーナからのドラゴン信仰の民を保護するというものもあった。《竜眼》で遠くから見る程度なら何も問題はないはずだが、相手が出した先触れと出くわす可能性もあるか。
「あの、ブレソールさん。仮に相手がラーナ軍だとして、こちらの許可なく町に近づいてくることはあり得るんですか? 建前上は中立の自治都市ですよね、ここ?」
「リューベルンの自治権はラーナも認めているものだが……軍隊の接近に関する取り決めはないのだよ。驚愕すべきことにね」
「ええ!?」
はあ!? それじゃ自治権もクソもないんじゃないの? 属国が宗主国に防衛を委任しているとかならともかく、どちらの国にも属していない中立ということなら軍事的にも中立なのが当たり前じゃないのか。
「何の取り決めもないって、本当にただ放置されていただけの空白地だったんですね……」
今まで散々呆れた目で見られてきたオレだが、今回ばかりは逆の立場にならざるを得ない。平和ボケとかいうレベルじゃねーぞ。
「呆れられるのも仕方ない。一応、旧帝国法による自治都市の権利を主張してはいるのだが、所詮帝国の国内法でしかないからね」
「帝国が消滅し、ラーナは完全な独立国家。従う理由は全くないというわけか」
苦虫を嚙み潰したような表情でため息を吐く相棒。まあ当然ではあるのだが、オレと同じ感想を抱いているようだ。
「建前でも法によって保護されていれば、ユストサリアを信奉するラーナならそれを尊重してくれると思っていましたけど、そんな甘い期待をしている場合じゃないってことですね」
「法と同時に正義も標榜している国だ。そこまで無体な真似はしないと――思いたいのだがね」
言葉ではそんなことを言ってはいるものの、その表情は全く逆の心境を物語っている。オレたちの会話を聞いていた周囲の評議員たちの間にも動揺が広がっているようだ。
そこに突然、バタンと議場の扉が開かれ1人の兵士が駆け込んでくる。うろ覚えなので確信は持てないが、おそらく神殿の入り口にいた兵士の1人だ。
「失礼します! ご報告が」
「む――よろしい。何があった?」
「ラーナの使者が来ました。町への受け入れと責任者への面会を求めていますが、いかが致しますか?」
「ラーナからの使者――!」
騒然となる議場内。ほとんどの評議員たちは狼狽えるばかりでまともな意見が出てこない。そんな中、最初に動いたのはオレの横にいるクリスだった。
「ラーナ軍は町の傍まで来ているのか?」
「いえ、軍は城壁からギリギリ視認できる程度の距離で停止しています。町まで来ているのは使者の1名のみです」
離れた場所で停止しているということは、一応こちらのことを尊重してくれているのか。しかし今更だけど、完全に上司と部下のやり取りだな。防衛戦の時、町の兵士は事実上クリスの指揮下にあったので、その関係がそのまま続いているのかもしれない。
相棒の言葉が切っ掛けとなり、場の空気も徐々に落ち着いていく。やはり、向こうが最低限礼節を保った相手だと分かったことは大きい。
「分かった。使者は受け入れるしかないだろう。ここまで案内をしてきてくれ」
「えっ……ここで会うんですか?」
「む? なるほど、ルシア嬢の言う通りだね」
使者を拒絶するという選択肢は存在しないのは良いとして、この場所は他国の使者を迎える場所としては微妙じゃないか。そんな思いがつい口から出てしまったのだが、ブレソールさんは意外にも賛成してくれた。うん、そうだよな。このとっ散らかった部屋はまずいよな。
「ラーナの使者をリアナ神殿で出迎えるのは、少しばかり挑発的にすぎるか。そうだな、臨時の措置として私の屋敷を使うとしよう」
「え、あ……そうですね」
おっと、理由はそっちの方だったか。確かにあの国の使者に選ばれるような人間は間違いなくユストサリアの信徒だろう。リアナ神殿とユストサリア神殿の中は別に悪いわけではない――ラーナでも戸籍を管理しているのはリアナ神殿だ――が、ケチをつけられるリスクは負うべきではないということか。ちなみに、リューベルンにもユストサリアの神殿はあるにはあるが、このリアナ神殿より遥かに小さく、間違っても使者を迎えるのに使えるような建物ではない。
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商会長の屋敷の応接室。その中で、使者とブレソールさんの面会が行われている。オレとクリスは隣接した控室で待たされていた。ラーナ側の目的が読めない現時点ではこちらの手の内を晒さない方がいいという判断によるものだ。
「――終わったようだな」
「え、聞こえてたんですか?」
唐突なクリスの言葉に驚かされる。直前まで普通にオレと会話していたというのに、中の様子も伺っていたのか。
「流石に内容までは分からなかったけどな」
その言葉に続くように僅かにここまで響いてきた扉の開閉音が、相棒の正しさを示している。少し間を開けて、コンコンと応接室へと続く扉を叩く音がした。隣に控えていた使用人の女性がすぐに反応して扉を開けてくれる。
「やあ、待たせたね」
部屋に入ると、渋い顔をしたブレソールさんが出迎えてくれた。分かってはいたことだが、使者が携えてきた内容は面白いものではなかったようだ。
「ラーナは何と言ってきたんですか?」
「うむ、簡単に纏めてしまえば要点は2つ。1つがラーナ領内で罪を犯した者の引き渡し。もう1つが善意によるリューベルンへの部隊駐留の申し出だ」
「善意ですか……」
傭兵の襲撃に遭って大変だろうから守ってあげよう、ということか。何とも図々しい申し出だ。
「犯罪者の引き渡しというのは? 傭兵たちのことですか?」
「おそらくはな。罪状はロートリアナでの密貿易や暴力行為、武装解除命令拒否――等々だ」
「まあ、そういうことをやったと言われても不思議ではない連中ですけど」
それにしたってタイミングが良すぎる。ラーナの港町で不法行為を働いた傭兵たちへの討伐軍が、その傭兵たちが中立の町を襲って返り討ちにあった直後に到着。その上で駐留要求――建前上は善意での協力――とは、たとえ本当に偶然だとしても馬鹿にしすぎではないだろうか。
「さらに面倒なことに、あれはラーナ国軍ではないんだよ」
「国軍ではない、ですか?」
「国からの要請で派遣されてはいるものの、自分たちはユストサリア神殿の兵士だと言っている。故に中立であるとね。本当に神殿所属の部隊だとして、兵も指揮官もラーナの人間なのに中立とは面白いことを言うものだ」
「そ、そうですね……」
そういうブレソールさんの表情は全く面白そうじゃないけど! 最大限に好意的に解釈すれば、自治都市としての体面に配慮して受け入れやすくしていると言えなくもないかもしれない。
それにしても、ユストサリア神殿の兵士というのは少し気になるところだ。ゲームにおいてラーナの神殿兵と言えば、ラーナではトップレベルの精鋭兵だった。あの傭兵たちも兵士としては間違いなく古参の強兵だったが、神殿兵はそれを軽く上回る。それが派遣されているとなると、武力に訴えられた場合、防衛は非常に困難かもしれない。
そのことを伝えると、ブレソールさんの顔はますます険しくなり、しばしの間沈黙がその場を支配する。
「結局、十分な武力を持たぬものに、何かを決める権利は得られないか」
深い深いため息と共に、そんな言葉が沈黙を破った。
「あの、向こうへの回答の期限はいつまで何でしょう?」
「今夜は現在の位置で野営をするが、明日の昼までには回答が欲しいそうだ。少なくとも、犯罪者の引き渡しはそれまでにして欲しいと強く要求された」
「向こうもいつまでの野営を続けるわけにはいかないでしょうしね」
もっとも、それだって向こうの都合にすぎないのだが。それでも、強引に町の中へ入ろうとはしない辺り、最低限こちらのことを尊重しているのだろうか。
「駐留の申し出はあくまで善意なわけですから、さっさと引き渡して帰ってもらうことはできるんですよね?」
「流石にそこまで無体な真似はしないだろう。ここまで形を整えている以上な。軍事力を背景にしたラーナの要求を我々が丸呑みした。その事実が残るだけで終わってくれるはずだ」
全く、だけではないよな、やっぱり。アズレイドからすれば、リューベルンがラーナの要求を受け入れたなんて面白くないだろうし、一度受け入れられたのだから次も次もとエスカレートしていく可能性もある。町の人間、特にブレソールさんのような立場からすればできる限り避けたい事態だろう。
一方でオレからすれば、それで終わるのならいいじゃないかという気持ちもあるのだ。引き渡すのは町の人間ではなく襲撃者である傭兵なのだし、これ以上の被害を覚悟してまで突っぱねることかとつい思ってしまう。おそらくだが、町の一般の人々も多くは同じ気持ちを抱くのではないだろうか。
相棒はどう思っているのかと顔を窺うと、何とも難しい表情をして考え込んでいた。紛れもない武力による恫喝に対する正義感からくる反発と、それに対して意地を貫くことによって失われるかもしれない命の重さ。天秤の両端に載せられた2つの錘がせめぎ合っているのか。おそらくブレソールさんの中にも、比重は異なれど似たような葛藤があるのだと思う。
だがもう1つ、第三の要素があることを忘れてはならない。
「――議長をあんな状態にした魔法を使った魔族。裏にその存在がいる以上、ここでラーナと敵対するのはまずいと思うんですよね」
「……そうか。確かにそれもあったね」
ラーナの、ましてやユストサリア神殿の部隊が魔族と繋がっていることは流石にあり得ないはずだ。アドニスが感じ取ったというユストサリアの力も、魔族が相手をすることを考えると、できれば味方につけておきたい。ただ、100%ラーナを信用できるかというと、そうではないのが難しいところだ。
「議長はラーナ軍が来ることを主張し続けていた。果たして、本当に無関係と言えるのか?」
「そうなんですよね。そこが怖いところです」
クリスがその理由を代弁してくれた。それこそが魔族の策略なのかもしれないが、どうしても疑惑の目を向けてしまう。
「全く困ったものだね。とりあえず、我々だけで決められることでもないし、評議会へと戻るとしようか。傭兵への尋問の結果もそろそろ出ている頃だろう」
「……はい」
傭兵への尋問の部分で嫌な想像をしてしまった。おそらくその想像はそう外れてはいないのだろうが、できれば考えたくない。
「少しでも情報を集め、最善の道を模索するとしよう。最後までね」
ブレソールさんの強い意志を秘めた言葉に、オレもクリスも頷いた。どんどんスケールが大きくなっていく事態へなし崩しに巻き込まれてしまっているが、ここまで来たら乗り掛かった舟という思いも強くなってくる。可能な限り、町のために尽力したい。
だがこの時、そんなオレの密かな決意をひっくり返すような大問題がすぐそこまで迫っていたのだ。
リューベルン、ラーナに続く第三の役者が――




