side/フェリクスⅢ
長い長い夜が明け、太陽が地平線と別れを告げたころになって、ようやく戦闘による被害状況が明らかになってきた。もっとも、最大の脅威と見られる女魔術師を取り逃がしたとの報告が入ってからは、町側の夜襲を警戒して夜が明けるまで陣地防衛に専念させていたため、行方不明者の捜索などにそれほどの時間をかけたわけではない。
「――死亡19、重傷8、軽症35……そして、行方不明20。最終的な被害は以上だぜ」
「軽症者を含めても、動けるのは86人か……」
天幕の中、向かい合うフェリクスと小隊長クラスの部下たち。その内の1名の報告に、フェリクスはため息をつく。これだけの被害が僅か2人――プラス1匹――を相手に出たというのだから、頭も痛くなるというものだ。しかも、追い詰めこそはしたものの、結局その2人にはまんまと逃げられてしまった。
「負傷した連中からの聞き取りは終わったか?」
「ああ。やられた相手の姿を見てない奴からも、何が起こったのかできる限り聞いといた。まずは――」
別の部下からの口頭での説明から負傷の原因を推測しつつ、昨夜の自身の戦闘を振り返る。複数の情報を統合して分析すると、あの恐ろしく大規模な闇の魔法を展開し、フェリクスと交戦したあの女魔術師は、魔族しか使わないような魔法を主に使用しているのは間違いない。インプを従えていたことからも、彼女が魔族と何らかのかかわりがある可能性は非常に高いと見るべきだろう。
だが、あの女自身は魔族じゃねえ。あれだけの魔力を持つ魔族にしては肉体が脆弱すぎる。
魔術師との戦闘でその身を穿った時の手応えを思い出しながら、フェリクスはそう結論付けた。人間をはじめとする地上の生物は肉体的な強さと魔力の多寡は基本的に無関係だが、魔族の場合は非常に強い相関性がある。ある程度の個体差はもちろんあるものの、強大な魔力を持つ高位魔族は肉体的にも人間を大きく超越しているのが普通だ。その点、あの魔術師は魔力だけなら高位魔族に匹敵していながら、肉体的な強さはフェリクスよりだいぶ劣っていた。
魔族と同じ魔法を使い、インプを従える、人間の魔術師。遭遇したその時こそ、人類の敵対者であると信じてきた魔族と繋がっている反逆者とすら――自らの行いを棚に上げつつ――思ったものだが、今となっては、魔族相手の戦場という恐ろしく狭く特殊な世界で生きてきた自分の見識が及ばないだけと考えるようになっていた。
きっかけとなったのは、魔術師とインプの会話だった。会話していた時の様子から、どうやら向こうは傭兵風情に魔族語など分かるはずもないと考えていたようだが、長年魔族と戦っていたフェリクスは初歩的な魔族語の会話であれば問題なく理解できる。部下からの報告を待つ間、その内容を振り返ってみて思ったのは、魔族という存在は、自身がこれまで認識していたよりもずっと人類に近いのではないかということだった。
この歳にになって、今更そんなことに思い至るとはな。戦場で殺し合うだけの相手だったのだから、無理もないんだろうが。
自嘲するような笑みを浮かべたフェリクスへ、部下の1人から困惑した声がかかる。
「――大将? 何か気付いたのか?」
「……気付いたことならいくつかあるが――」
今考えることではないと思考を切り替え、部下への言葉を吟味する。これからこの傭兵団をどうするのか。フェリクス自身はどうするべきか。得られている情報から、最善の道を選びださなければならない――もちろん、フェリクスにとっての。
「負傷者は良いとして……念のため確認するが、行方不明になった20人についての情報は全くないんだな?」
「全くありません。港で合流した奴ら、全員まとめていなくなっちまってる。魔族の襲撃に怖気づいて逃げ出したんじゃねえですか?」
情けない奴らだと馬鹿にするような口ぶり。だが、フェリクスにとってその情報は、ある最悪の可能性を示唆するものだった。
薄々感づいちゃいたが、どうやら完全にハメられたらしい。
具体的な内容が分かったわけではないものの、彼を死地にて何度も生き延びさせてきた勘がそう告げている。ならば、出すべき指示は1つしかない。
「――よし。各小隊の再編を急がせろ。完了次第、町を攻撃する」
「っ! や、やるのか、大将? やれるのか?」
「嫌だってわけじゃありませんが……あの魔術師たちは厄介ですぜ?」
淡々としたフェリクスの指示に、部下たちは緊張した面持ちになると恐る恐る問い返す。魔族を思わせる魔法を使う魔術師に、白兵戦では手も足も出なかった戦士。たった2人。だがその2人に何人もの仲間が殺されたのだ。数だけは多い烏合の衆と高を括っていた町の戦力は、彼ら2人の登場で大きく向上してしまった。
「冷静になって考えてみろ。夜という極めてこちらに不利な条件の下、あの程度の被害で済んだんだぞ」
フェリクスは余裕に満ちた態度で部下たちを説得する。
「そして、敵の魔術師が魔力切れを起こしていたのは確実だ。その場で意識を失うほどの魔力切れとなると、丸一日以上は目を覚まさねえ」
澱みなく揺るぎなく続けられる言葉に、居並ぶ面々の表情は徐々に明るくなっていく。
「ってことは、後はあの戦士を何とかしちまえば――」
「白兵戦を避け、針鼠にしてやればいい。どんな強大な魔族であっても、統率された数の力さえあれば打倒できる。今回もそれと同じだ」
信頼する傭兵隊長の自信に満ちた態度に、弱気になっていた部下たちは完全に立ち直っていた。自分たちのリーダーはいつだって彼らを勝利に導いてきたのだから。昨夜の襲撃だって、フェリクスによる事前の対策と冷静な指示が無ければ、もっと悲惨な状態になっていたはずだ。それを知っているからこそ、部下たちはその言葉を疑わない。
「時間が経てば経つほど、魔術師が復帰してくる可能性は高くなっていく。だから再編成は可能な限り急がせろ。いいな?」
「りょーかいだ、大将! 任せといてくれ!」
「直ちに、準備を始めます!」
彼らの返事に頷くと、いくつか細かな指示を出してから解散させる。そして、1人になった天幕の中で、自分自身の準備を開始するのだった。
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もうかなり日が高くなった、野営地中央の広場。いくつかの天幕をどかして作ったスペースに80人の傭兵が集結していた。生存者の内、重傷者と偵察に出ているものを除いた全員にあたる。
「そういえば団長。団長もかなり負傷したと聞いたが、もう大丈夫なのか?」
尋ねられたフェリクスは、軽く手を振りながら余裕の笑みを浮かべて見せる。
「もう何ともねえよ。だいたい、もともと手前に心配されるほどの傷じゃなかった」
その言葉は半分本当で半分嘘だ。傷自体が大したことなかったのは事実だが、呪いによって直接削り取られた生命力はまだ完全には回復しきっていない。全身にぼんやりとした不快感と甘い痛みが残っていた。フェリクスの鎧に刻まれた抗呪の魔紋はかなり上位の呪いであっても抵抗できるはずなのだが、あの魔術師は易々とそれを突破して見せた。つくづく、あんな化け物のような相手とやり合って、無事に逃げおおせたものだと今でも思う。あの敵には、その圧倒的な魔法の力量とは裏腹の、どこか抜けたものを感じたのだが、果たしてそれはただの気のせいだったのか。
またアレとやり合うなんてことは避けたいもんだ。向こうから殴りこんでこなきゃいいんだが。
やはりあの魔術師が最大の懸念だと、心中で独り言ちる。以前部下を説得する際に話した内容は、あからさまな嘘は何一つ言ってはいないものの、フェリクスにとって都合の悪い部分を意図的に伏せていた。魔術師が魔力切れにより気絶したのは間違いないし、自然に回復を待ったなら丸一日は目を覚まさないというのも嘘ではない。だが、あれほどの魔術師が魔力を回復させる手立てを何も用意していないとはまず考えられない。その手の魔法の品は値が張るものだが、フェリクスたちが要求した退去料と比べれば、必要経費程度でしかないだろう。
「――ギー」
「はっ!」
傍らに立つ副官の名を呼ぶ。多くの部下たちの中でも、一際長くフェリクスの片腕として働いてきてくれた男だ。
「本隊の指揮は手前に任せる」
「はっ……は? どういうことでしょうか、隊長?」
突然のことに、疑問の表情になる副官。今までに指揮を預けられたことは何度かあったが、それはフェリクスが指揮をとれない事情がある場合だ。
副官の疑問に、フェリクスは声を潜めて答える。
「俺は偵察に出ている小隊と合流し、魔術師を仕留めに行く。さっきは変に尻込みされねえように、丸一日は目を覚まさねえと断言したが、んなもんは個人差がある。手間取っているうちに復活されちゃ面倒だからな」
「な、なるほど……」
またも大部分は真実であるフェリクスの言葉。副官も疑問は抱きながらも、一応は納得をする。
「しかし、それならば隊長自身が行く必要はないのでは?」
「他の奴に任せられるなら俺もそうしてえが、こればっかりは俺が一番の適任だからな」
“魔断”の二つ名は伊達ではない。魔族や魔術師、魔法を使う者へ対処能力において、フェリクスに匹敵する傭兵は前線でも数えるほどしかいなかった。それ故に、副官も頷くしかない。
「了解しました」
「おおそうだ。他の連中には上手いこと言っといてくれ。戦の前に下手に士気を落とされちゃ困る」
「……了解しました」
「おいおい、そこまで露骨に嫌な顔するもんじゃねえぜ?」
あからさまに嫌そうな顔になった副官を笑顔で宥めながら、長年の副官に心の中で最後の別れを告げる。
今までありがとよ、ギー。手前は優秀で便利な副官だったぜ。最後まで俺のために働いてくれ。まあ、恨むんならマーレンのクソ海賊どもを恨んでくれや。
海賊商人から預かった20名。彼らが痕跡も残さず姿を消したことで、フェリクスは自身が嵌められたことを確信した。その真意は分からないが、この町を自分たちが襲うことが何かの引き金になっている、そう己の勘が告げていた。
ならそれを利用させてもらおうと、フェリクスは開き直ったのだ。ずるずるとここまで傭兵たちの面倒を見続けてきてしまったが、本当は契約を解除された時点で解散するべきだった。あくまで、フェリクス自身のためには。中途半端な面倒見の良さと、傭兵隊長としてのちっぽけなプライドが彼自身を追い込んでしまった。自分はその被害者であるとすら、彼は真面目に思っている。
丘から見下ろすリューベルンの町。東西から多くの商人たちが集まる交易の町は、幾重にも絡まった悪意の糸によって、いよいよ試練の場へと引きずり出されようとしている。
だがその直前、最初の鐘を鳴らした張本人は、何もかもを投げ出したまま人知れず舞台から立ち去った。




