フォーリンダーク
《シェイドスフィア》の効果範囲を抜ける。もっとも、オレたちは灯りを持っていないので、何か目に見える変化があるわけではない。クリスが事前に脱出経路を確保していたので、ここまではとてもすんなりと来ることができた。とはいえ、問題はここからだ。
「人数は少ないが街道は封鎖されているな。強行突破できない相手ではないが」
「アレットさんたちがいるのに、それはちょっと……迂回できますか?」
「向かって左手側へ抜けよう。そっちの方には火が見えない」
《シェイドスフィア》の外であっても、こちらは灯りをつけずに行動できるのに対し、敵はつけなければ行動できないというのは大きな差だ。こちらからすれば、一方的に相手の位置を知ることができる。そこまで考えて、ふとあることを思い出した。
「――クリス。アレットさんたちを助け出す前に、灯りをつけずに整然と行動している20名ほどの集団を見かけたんですが、そちらの方では見ていませんか?」
「……いや、気付かなかったな。人間以外の種族はいなかったとなると……それこそ、ライカンスロープくらいしか思いつかんぞ」
オレが戦った男の場合は、魔法を使って暗視能力を得ていたというのがアドニスの見立てだが、そんなことができる人間は非常に稀なはずなのだ。魔法を使える人間が希少な存在であることは、町の人たちからも聞いていた。そうなると、人間でかつ夜目の利く集団として考えられる可能性は、ほぼライカンスロープになる。だが、そうとは考えにくい理由もあるのだ。
「はい。でも、ライカンスロープってラーナから東にはほとんどいなかったような――そうだ、お2人はその辺ご存知ではないですか?」
オレの知識はあくまでゲームにおけるものだ。この世界では違っていることもままある。馬上の2人に確認のため尋ねてみた。
「獣化病の人? うーん……私はあったことないし、良く分からないわね」
「……そうですね、ラーナでは獣化病は悪しきものとされているので、完全に治癒してしまうのが普通という話は聞いたことがあります。なので、ライカンスロープの方がそれほどの人数いるというのはちょっと考えにくいですね」
「そうですか……ありがとうございます、ジルベールさん」
ジルベールの話は、ゲームにおける設定とほぼ一緒だ。それに、思い返してみればあの集団の傭兵たちも他と同じく金属製の鎧を身に着けていた。その点からも、ライカンスロープとしてはやはりおかしい。ゲームではシステム的に布系の防具しか装備できないという制限があったクラスだが、現実的に考えても、あんな鎧を着て獣化したらいろいろと酷いことになると思う。
「正体も気になるが、灯りをつけずに先回りされているとなると厄介だな……」
「ですね。それに、あの集団は他の傭兵たちとはどこか異質な感じがしましたし」
他の傭兵たちには目もくれず、まるで別の目的があるかのように行動していた。《シェイドスフィア》の中でも行動できるのなら、あの男のように人質奪還を阻止しに来てもよかったはずだ。来なかったお陰で救出できたわけなのだが、目的の分からない集団がいるというのはとても不気味である。
「異質か……町に何もなければいいんだが――ん、ハイペリオン?」
最初にそれを察知したのはハイペリオンだった。突然、何かを訴えるようにクリスを鼻先でつつきだす。
「すまん、少し静かに――これは、馬の蹄の音か!」
耳を澄ませた相棒が振り向いた先へ目を凝らせば、チラチラと闇に揺れる炎が遠目に見える。
「音が近づいてくる……?」
アレットの怯えた声。その指摘通り、蹄の音も炎の光も少しずつ大きなって来ている。
「俺たちが見えている……いや、違うか――クソッ!」
「誘導されたってことですか――!」
町という目的地が固定されている以上、街道封鎖されれば取れる迂回路の選択肢なんて右か左かしかない。そのどちらを選ぶか、灯りの数で簡単に誘導されてしまったというわけか。
「ルシア! 《シェイドスフィア》の再使用は?」
「出来たらとっくに使ってますよ! 騎兵の数は最大でも12、3しかいないはずです。私たちだけ離れて迎え撃ちますか?」
あの男が混じっていた場合、アドニスなしだと少々手間取るかもしれないが、相棒と一緒なら負けることはないだろう。アレットたちと距離を置かなければならないのがかなり不安だが。
「そうするしかないか――っ! なんだ!?」
後方から放たれた火矢と思しき一条の光が夜空に走る。それだけなら驚くほどのことではないが、その明るさが尋常ではない。空中に放たれてから1秒にも満たない時間ではあるものの、かなりの範囲を照らし出した。あっけにとられるオレたちに、ジルベールがその正体を解説してくれる。
「あれはたぶん特殊な燃料を使った火矢です。燃え方が激しすぎて通常の灯りには不向きですが、ああいった使い方には向いていますね」
「そんなものが……」
流石は商会長の息子だけあって博識だ。対策方法なんかも知っていてくれると、より助かったのだが。今の光が合図か何かだったのか、向かって右手側に並んでいるおそらく松明だろう灯りが、こちら側へと動き出すのが分かった。
「下手に足を止めていては包囲されますね……これでは、離れて迎撃するのも難しいですか――!」
逡巡している間にも敵騎兵との距離は縮まっていき、次々と後方から放たれた火矢の光が闇を裂いて地面を照らす。このままでは補足されるのも時間の問題だ。
「もうこちらの位置が把握されるのも時間の問題ですし、魔法で敵騎兵を牽制します。ジルベールさん、いざという時にはアレットさんと2人で町を目指してください」
「それは……はい、分かりました!」
とは言ったものの、そんな危険な博打をさせるようなことにはできればしたくない。いったん意識を集中し、アドニスとの距離を確認する。こちらへ向かいつつあるのは間違いないが、まだすぐには来れそうにない。
もうオレの目でも数を数えられるほど、敵の騎兵は接近してきている。その数、10。それを確認したオレは、走る速度を落とすことなくキャストを開始する。
夜空に走った光がオレたちを一瞬だけ照らし出した。同時に、キャストが終わった魔法を先頭の騎兵――の足下を狙って放つ。
「《ダークボルト》」
彼我の距離はおそらくまだ200メートル以上ある。射撃型の魔法なら一応届くとはいえ、動いている目標にまともに当てられる距離ではない。実際、オレの放った魔法は大きく狙いを外し、隊列の中ほどに着弾する。
「ヒヒィィーンッッ!」
地面が弾ける音と共に馬の嘶きが響き渡り、巻き上がる土煙の中、混乱した1頭に騎手が振り落とされるのが見えた。
「やるな! これならいけるか」
「――いえ、ぶっちゃけ今のはまぐれです」
オレがどこを狙って撃ったかなんて、見ている側からは分かるわけもない。変に期待されても困るので、そこのところは正直に申告する。それでも今の一撃を警戒したのか、騎兵たちはやや速度を落として散開し始めた。よし、牽制としては十分だ。
「私は撃つのに専念しますから、防御は任せました!」
「応! 任せとけ!」
すでに弓でも届く距離だ。魔法以上にあてにくいとは思うが油断はできない。射撃魔法が苦手なオレでも、さっきみたいなまぐれあたりを起こすわけだし。
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騎兵との射撃合戦を開始してから10分ほどが経った。暗闇によるアドバンテージに加え、オレの魔法を脅威とみなして距離を詰めてこれない騎兵たちとの追いかけっこは、こちら側が有利なまま着実にゴールへと近づいている。もう町の灯りがかなり大きく見えるようになっていた。
異変を感じたのはそんな時だった。
「《ダークボルト》――っく……はぁ……はぁ……」
スキルを発動させた瞬間、くらりと一瞬目眩を感じた。足がもつれそうになったのを慌てて立て直す。
「はあっ! ――ルシア、大丈夫か?」
その様子を見逃さなかったのか、飛来した矢を切り払いながらクリスが心配そうな声をかけてくる。
「……大丈夫です。何でも――っつ――」
何でもないと答えようとして、ズキリと刺すような頭痛に思わず顔をしかめてしまう。おかしい、これはただの疲労ではない。走り続けて肩で息をしているのは確かだが、それとは別に体に異常が起きている。
「どうし――っちぃ!」
高く放たれた火矢が一瞬俺たちを照らし出し、続いて通常の矢が飛んでくる。オレを振り返ろうとした相棒は、素早く反応して切り払った。
マズい、少し間が空いただけ、その分距離を詰められる。
「《ダークボルト》――ぐぅっ――」
頭痛と目眩を気合で押し込め魔法を放つ。直後、更なる痛みと虚脱感に倒れ込みそうになるが、何とか堪えることができた。
何なんだ、こんな時に。後、もう少しだっていうのに! 自分の体に苛立ちながら、アドニスの気配を探る。オレの体に何が起こっているのか。こんな時には最も頼りになる小さな従者は、戻ってくる途中で側面の傭兵たちの牽制に移ったのか、あれから姿を見せていない。
「ルシア! ――っクソッ!」
「ルシアさん!?」
相棒とアレットの声がどこか遠く聞こえる。本格的に意識が朦朧としてきているようだ。それでも機械的にキャストを続け、魔法を放つ。
「はぁ……はぁ……」
頭痛、目眩、虚脱感、それらの次に襲ってきたのは猛烈な寒気だった。魔法を使うたびに命の炎が1つ1つ消えていくような、本能的な恐怖を伴う深くて黒い死の寒さだ。
それでやっと分かった。これは魔力の枯渇だ。理屈なんて何も知らないが、体が、本能が教えてくれているのだ。これ以上魔法を使うと命に係わると。
「ジルベール……さん……町まで……急いでください」
「ルシア! お前――!」
何を言い出すのかとでも言おうとしたのだろうか。しかし、クリスは言いかけた言葉を飲み込んだ。このままではすぐに破綻する。ならもう、賭けに出るしかない。そんなことは相棒も分かっているはずだ。
「――クリスさん、一直線に町を目指して大丈夫ですか?」
曖昧になりつつある意識の中、ジルベールの覚悟を決めた声が聞こえた。いざという時が来たと、皆まで言わずとも悟ってくれたようだ。
「ああ。振り落とされないようにしていればいい。ハイペリオンが連れて行ってくれる」
クリスの言葉に、任せろとばかりにハイペリオンが小さく嘶く。
「分かりました……どうかご無事で――!」
「ルシアさん――!」
2人の声を遮り、クリスの叫びが響く。
「行け! ハイペリオン!」
主人の言葉に、ハイペリオンは一気に加速すると、巨体に似合わぬ速度であっという間に遠ざかっていく。その蹄の音を聞きながら、オレは膝から崩れ落ちた。ぐるぐると世界が回り、上下の感覚が全く分からない。
「ルシア――!」
相棒の叫び。近づいてくる蹄の音。飛んでくる矢の風切り音。あらゆる音が遠くなっていくなか、バクバクと激しくなっていく動悸のとカチカチと歯がぶつかり合う音だけが妙に大きく響く。
何度となく夜空に上がった強烈な光がオレたちを照らし、クリスの振るう刃が美しく煌めく。光が消える間際、相棒の体が作り出す影がオレを優しく覆った。薄れゆく意識の中、濃紺のマントを翻すその背中は、本当に――本当にムカつくほどカッコ良くて、頼もしい。
ああ、大丈夫だ。それまで感じていたあらゆる悪寒をあっさりと吹き飛ばすほどの安心感に包まれながら、オレはゆっくりと目を閉じる。
爆発するようなマナの流れと、裂帛の気合。そんな激しすぎる子守唄を背景に、オレの意識は闇へと沈んでいった――




