本物の戦いを越えて
男が受けた衝撃は相当なものだったらしい。一瞬見せた驚愕の表情の後、用心深くオレのことを観察しているようだ。オレの方も、男の言葉に気を取られすぐに次の行動を起こせなかった。僅かな間、時が止まる。
今度も、先に動き出したのは男の方だった。右手に槍、左手に剣という変則的な構えのまま、再び地面を蹴って距離を詰めてくる。対するオレの方は、未だいろいろな思考が空回って上手く頭が働かない。
だがそれでも、半ば自動的に体が動き出す。数多の戦いを潜り抜けた熟練の冒険者であるルシアの体は、廃人プレイヤーとしてオレが築き上げてきた戦術を忠実に再現して見せた。
「――《インスタントカース》」
DoTを刺しながら後退し、突きこまれた槍を杖で払う。発動した魔法が何かに押し戻されるような感覚が生じる。こんなものを感じるのは初めてだ。これが魔法への耐性か。おそらく、この男の持つもともとの高い抵抗力に魔紋による強化も加わって、オレが感じ取れるほどの耐性になっているのだろう。無理矢理突破しようと強く念じれば、抵抗を突き破って相手に届いた感触が返ってきた。
「――っ」
男は僅かに眉を歪めただけだ。突き出した槍をそのまま横へ薙ぎ払って来る。
「――っつぅ……!」
〈契約者のローブ〉が切り裂かれ、鋭い痛みが走った。何とか杖で軌道を逸らすことには成功したが、完全には躱しきれなかった。相手は片手だけだというのに、膂力の差はお話にならないレベルだ。だが、この程度の痛みなら耐えられる。狼に群がられた経験は無駄ではなかった。
むしろ、痛みで頭がクリアになっていく。全くオレは何をやっていたんだ。最初に《マインドブラスト》を選択したことと言い、未だ人を殺すことを躊躇してしまっていたなんて。この男相手にそんな覚悟でいれば、間違いなく殺される!
「こっの……《ダークボルト》!」
痛みに耐え、至近距離で攻撃魔法を放つ。低レベルのスキル故に短いキャストタイムであることを利用し、何とか間合いを開けようとしたのだが――
「ふっ」
再び左手の剣が振るわれ、あっさりと切り払われる。流石に体勢に無理があったのか男も少し後退し、間合いを開けることには成功した。
「どんな反応速度ですか……!」
さっきから魔法を切り払っているあの剣に刻まれている破魔の魔紋。男が実演してくれているように、武器で射撃型の魔法を打ち消すことができるようになる――というのはおまけの効果で、攻撃した対象にかかっているバフを確率で解除するのが本来の効果だ。そもそも、魔法を切り払えるようになるとは言ってもその難易度は恐ろしく高く、ゲームでもロマン枠という扱いだった。それをやすやすと成功させて見せるこの男はいったい何者なのか。
他の傭兵たちと違いすぎる実力に戦慄と共に疑問も抱くが、今はそんなことを気にしていられる余裕はない。この男はPCと比較しても遜色ない実力を持っている。ゲームにも試合という形式でPCどうしの戦い――所謂PvPは存在した。ルシアの対人戦における基本戦術は、DoTを刺してから拘束スキルなどを駆使して逃げ回るというえげつないものだが、レイドボス向けに調整されている今のスキル構成ではPvP用の重要スキルがいくつか欠けている。そしてそれ以上に――
「くぅ――!」
何とか体を捻りながら槍を受け流す。そのたびに、掠めた穂先がローブごと体を切り裂き、痛みと共に視界の端に赤い飛沫が映り込んだ。
オレは今アレットたちを守らなければならないのだ、この場を離れるわけにはいかない。その結果、後衛でありながら前衛相手に踏み止まって戦うという、あり得ない立場を強制されている。それ故に、キャストタイムの長いスキルを使っている余裕が全くない。
「《ダークボルト》!」
「ちぃっ――!」
馬鹿の一つ覚えの如く攻撃魔法を放ち、僅かに間合いを取り戻す。そして、踏み込んできた相手の槍を杖で逸らして致命傷を避ける。さっきからそんな動きの繰り返しだ。切り払われてばかりの攻撃魔法を使い続けているのは、そのお陰で相手の左手を封じられているからというのが大きい。片手でも押し負けて完全には逸らしきれないのだ、両手で振るわれたらひとたまりもない。
「っつあ……」
いい加減痛覚がマヒしてきたのか、傷つけられた痛みが徐々に小さくなってきている気がする。一方、男の攻撃はだんだんと踏み込みが大きくなってきていた。最初はこちらの魔法を警戒して慎重に戦っていたのかもしれない。オレの行動が単調なため、より大胆に攻めてきたというところか。
流石にそろそろ厳しいか。防御に徹する限りは何気に優秀な杖スキルのお陰とはいえ、明らかに技量が格上の相手に良くここまで持ったものだと思う。相手の槍を受け続けて腕の感覚もなくなりつつある。
「魔術師にしては良くやった――!」
今までで一番の踏み込み。今までと同じように杖で受け流そうとして――
「ぎっ……くはっ――!?」
――突如として軌道を変え跳ね上がった穂先が腕を切り裂く。たまらず腕の力が抜けた瞬間、くるりと回転した槍の石突がオレの鳩尾にめり込んでいた。衝撃自体はそこまででもなかったが、一瞬息が詰まる。何も考えられないまま、生存本能に従って後ろへ転がった。
「あああっ――!」
「しぶてえな……!」
直後、男の左腕が突き出され、オレの脇腹を剣が抉る。それまでとは比べ物にならない激痛が走り、灼熱感に抑えきれない叫びが漏れた。だが、痛がっている暇はない。
「く、うぁ……《ダークボルト》――!」
「ちぃっ、まだか――!」
容赦なく追撃してきた男を魔法で止める。何とか離さなかった杖を抱きしめるように体を起こすが、ついに天幕の前を奪われてしまった。男もそれは理解しているのだろうが、もうオレに止めを刺せると踏んだのか、構わずにオレへと槍を向けてくる。
体勢を崩している上、腕と脇腹の痛みでさっきまでのようには体を動かせそうにない。もはや絶体絶命、誰が見てもそうとしか言いようのない状況。だが――
「――ふっ」
「……む? 何が――」
――オレの勝ちだ! 思わずこぼしてしまった笑いに、男が眉を歪めたのが分かった。
「――《ダークジャベリン》!」
「――っ!? はあっ!」
完全なる不意打ち――だったはずの一撃に、男はギリギリで反応して見せた。体を無理矢理捻って飛ぶと共に、剣によって迎撃する。
「ぐうっ……やってくれる――!」
「おおう、マジかい……今の防がれるとは思わなかったわ」
決闘染みた2人の戦いに容赦なく横やりを入れたアドニスは、珍しく本気で驚いたような顔をしている。まあ確かに、オレも今の不意打ちを不完全にとはいえ防御して見せたことには舌を巻くしかないわけだが。
アドニスがすぐそばまで来ていたことは、当然オレには分かっていた。オレにとってさっきまでの戦いは、アドニスが来るまでの時間を稼ぐ戦いだったのだ。
「インプ……! どういうタネかは知らねえが、手前……魔族とつるんでるのか――!」
直撃こそしなかったものの、アドニスの魔法で少なからぬダメージはあるはずだが、こちらを睨みつけてくる男の視線には今までよりも強い闘志が感じられる。魔族との戦場にいた傭兵だけに、魔族への敵愾心が強いのも当然か。
「――っ、しまっ――」
「《ライフドレイン》」
だが、そんなものはもはや関係ない。男がアドニスへと気を逸らしていた間に、オレは十分な距離を取りつつキャストを完成させていた。生命力を直接奪取する呪いを受け、男の体が僅かに揺れる。むう、魔法防御と呪い属性耐性の両方が強化されているだけあって、ダメージはそこまででもないようだ。それでも、散々切り刻まれ抉られた体の痛みが一気に消えていく。形勢は完全に逆転した。
「ちょっと遅かったけど、助かった」
「わりーわりー。間に合ってよかったぜ」
アドニスが加わったことで、男はオレだけを狙い続けることはもうできない。十分なキャストタイムを確保できるようになった時点で、ほぼ勝負は決まった。ゲームにおいて、1対1――アドニスはオレの召喚生物なのだから間違いなく1対1だ――ならデーモンコントラクターはPvPにおける最強クラスの1つに数えられる。
戦いに決着をつけるべく、オレもアドニスもキャストを開始し――
「――って、速っ!?」
男は一切の躊躇なく、オレたちに背を向け脱兎の如く逃げ出していた。オレが使おうとしていた主力のDoT――《カースドブランド》の射程からはあっという間に離脱してしまう。基本的に、非射撃型の魔法は射程に難があるのだ。
「くそっ、《ダークジャベリン》――うお、またか……!」
アドニスの追撃も完璧に読まれていたのか、振り返りざまに切り払われてしまった。
「不利を悟ったら一目散とか……あれが実戦慣れしてるってやつなのかな」
勝利を確信し、気が緩んでいたのは否めない。それでも、こうまで見事に逃げられたのは、相手が一枚上手だったということだろう。《シェイドスフィア》に覆われているせいで、《シャドウバインド》が使用できないのも痛かったが。
「俺だけなら追えなくもねーけど。返り討ちにあうな、アイツ相手だと」
それは間違いないな。根本的にアドニスより強いし、なによりインプの攻撃手段は基本的に射撃型の魔法なので相性が悪すぎる。
「……マジで強かった。思い返してみても、なんで生き残れたのか不思議なくらいだ……」
体はとてもよく動いていたと思う。杖スキルなどの肉体を動かすスキルは、体が動きを覚えているという感じだが、最初に試した時と比べてより体に馴染んできている気がする。徐々にオレがルシアに近づきつつあるということなのだろうか。
「すまん、マスター。俺のミスだな。あんなのを見落としてたとは……」
「100人以上の傭兵の実力を個別に見極めるなんて、時間的に無理だったんだからしょうがないさ。1人くらいは、飛びぬけて強いのがいても不思議じゃないって」
流石に、あのレベルの敵が何人もいるとは思いたくないが。
そんなオレたちのやり取りは、横から恐る恐るといった感じでかけられた声に中断される。
「――ルシアさん……? 大丈夫なの?」
「あっ……ええ、もう大丈夫です。行きましょう」
静かになったことで戦闘の終了を察したのか、アレットの声が天幕の中から聞こえてきた。入り口を開け外へと促す。
「すみません、ルシアさん。貴女が命がけで戦っている時に、俺は隠れているだけだなんて……」
「それが私の役割ですから。お気になさらずに」
天幕から出てきたジルベールさんは、とても申し訳なさそうな表情で頭を下げてくる。いやいや、オレは貴方たちを救出しに来たんだからね。危険な時には、隠れていてもらわないとこっちが困る。声だけでもオレが若い女の子であることは分かるだろうし、男として陰で震えているのが情けないという気持ちは良く分かるけど。
「では、はぐれたりしないように、手を繋いでいきましょうか」
「うん、分かったよ」
少し迷ったものの、オレはアレットの手を取る。彼女を真ん中にした方がいいと思っただけで、特に他意はない……ない。
「あ……」
手袋越しに握ったアレットの手は細かく震えていた。
「大丈夫ですよ、アレットさん。私がついていますし、すぐにクリスとも合流できますから」
「……」
当たり前だ。いかつい男ばかりの傭兵たちのところへ人質として引き渡され、ついさっきまで間近で戦闘の音を聞いていたんだから。しかも、彼女をここに送り込んだのは、今日初めて存在を知った実の父親だ。
「……女将さん――ルネさんも待ってますから」
「――っ! ……そう、だよね……ありがとう、ルシアさん。うん、大丈夫だよ」
彼女をこれ以上傷つけないためにも、何事もなく町へと連れて帰らなければ。オレの身勝手な自己満足かもしれないが、そう決意を新たにした。
さあ、行こう! 気合を入れろ! まだまだ、これからが本番なんだから――




