救出作戦
魔族。魔界の住人にして、地上への侵略者。ゲームの中でもこの世界でも、それは変わらない。もっとも、彼らが単純な人類への敵対者ではないことは、オレの目の前にいるコイツを見ていれば良く分かる。
ゲームにおいては大陸中で出現していた魔族だが、この世界では東のラーナのさらに向こう、旧グランリアナ帝国領東部を制圧していて、活動はその周辺に留まっている。この町の人々の魔族に対する危機感の無さからして、これは間違いのない事実だ。もし、メグレ議長に魔族の手が伸びているのだとすれば、この地域の人間にとってはとてつもない衝撃なのではないだろうか。
「念のため確認しておくけど、魔族以外には不可能ってわけじゃないんだよな?」
「まーね。てか、魔族以外で一番怪しいのは、マスターの同業者だぞ」
「デーモンコントラクターがか? そりゃまあ、オレも同系統の魔法を使えるわけだしな」
効果にかなり格差があるけど。
「それだけじゃねーぞ。マスターとの契約で俺にかけられている意識誘導は、あの議長とやらにかけられているのと同じかそれ以上の代物だからな」
「……マジで?」
主人に対して反抗できなような刷り込みがされていることは聞いていたし、直感的に似ているなとは思ったけど、アレと同じものだったのか。気になってクリスの陰から伺うと、議長は未だ苦しみ続けているようだ。
「でも、お前は苦しんだりはしてないよな……というか、議長は何でああなったんだ?」
「ありゃ、本人のもともとの意思と魔法で無理矢理誘導された意思が、大きく矛盾したからだろーな。マスターの追及がトリガーになったわけだ」
本来の議長であれば根拠もなくラーナ軍が来るなんて信じるはずがないところを、無理矢理魔法で信じ込まされていた。でも、知性が損なわれているわけじゃないから、オレや商会長による追及で議長の中での矛盾が大きくなっていき、ついには破綻してしまったのか。それでも魔法自体は解けていない辺り、よほど強力なものなのだろう。
「……お前も場合によってはああなる可能性はあるのか?」
オレ自身、自分では全く理屈の分かっていない契約でアドニスたちを縛り付けている。議長の様子を見ていると、罪悪感を感じずにはいられない。
「うーん、どーだろ。俺の場合は誘導されるまでもなく、美人なマスターでラッキーとしか思ってねーし!」
「訊いたオレがバカだったわ……」
それで矛盾が起きないということは、コイツ本来の意思でこうだということか。とりあえず、このことは置いておこう。今はそれどころじゃないし。
メグレ議長の急変により、評議会は中断してしまっている。このままでは、何も決められないまま時間切れという最悪の結末を迎えかねない。解決の糸口を探るため、議員の中で唯一の知り合いであるガストンさんと、オレたちの味方をしてくれた商会長さんを呼び集めた。
「クリス殿にルシア嬢。すみませんな、せっかく助力を頂けるというのにこんなことになってしまって」
ガストンさんの顔には焦燥の他に後悔の色も濃く浮かんでいる。アレットのことを見過ごしてしまったことに責任を感じているのだろうか。
「いえ、この場にガストンさんがいてくれてとても心強いです。商会長さんも先ほどはありがとうございました」
「いや、礼を言うのはこちらの方だよ。貴女がアレット嬢のことを話してくれなければ、メグレの思惑にまんまと嵌っていたところだったやもしれん」
そう考えれば、今の状況は最悪よりはまだ一歩だけマシとも言えるのか。
「おお、そうだ。まだ名乗っていなかったね。私はブレソール・ロジュロ。リューベルンの商会を取りまとめる立場にあるものだ」
「はい。では、ロジュロさん――」
「ブレソールと呼んでくれ、お嬢さん」
「――分かりました、ブレソールさん」
もう、お嬢さんと呼ばれるのにも慣れてきたな。オレはクリスも含めた3人に、メグレ議長が何者かの魔法によっておかしくなっていることを説明する。ただし、犯人が魔族である可能性が高いことは伏せておいた。相棒はともかく、後の2人が下手にパニックになったら困る。
「――な、なんと、そのようなことが……」
「つまり、その何者かは、傭兵たちによってこの町が襲撃されることを望んでいるわけか」
相棒は、こちらへ何か言いたげな視線をよこす。何者かの正体が魔族である可能性に気付いたのか。ゲームでは、似たような魔族の計画を潰すシナリオがいくつかあったしな。
「こうなっては致し方ない、なんとしてでも金をかき集めて退去料を捻り出さねばならないが……なかなかに厳しいね」
苦渋の表情を浮かべるブレソールさん。その言葉に、オレは先ほど疑問に思ったことを訊いてみた。
「あの、議長が法外な額だと言っていましたが、それほどあり得ない金額なんですか?」
「うむ……退去料は帝国正金貨で100枚相当。公国金貨に換算すればざっと2000枚といったところか。ここにいる者たちの資産を集めれば不可能な金額というわけではないがね。法外といいたくなる金額なのは間違いない。なにより問題なのは、現金で用意せねばならないことだよ」
まだお金の価値がぱっと分からないオレにも、金貨2000枚というのが相当な額であることは理解できる。しかも、資産を売却するような時間などないから、全て手持ちの現金から用意しなければならないわけだ。評議会がこんな有り様では、全員にお金を供出させるのにも手間取るだろうしな。
「念のため確認しておきますが、金額についての交渉なんかはしたんでしょうか?」
「無論、最初にね。しかし、向こうは、払えないのなら奪っていくまでという態度だ」
傭兵たちにしてみれば、この町の戦力は自分たちの敵ではないと判断しているわけだ。
「不可能寸前の無茶な要求に、短い刻限。連中にしてみれば、端から襲撃すること前提なんだろう。その上で、要求通りに支払われればそれでよし。その程度のことだったんだろうな」
「むむう……」
クリスの言葉を聞いていたガストンさんは青ざめた顔で呻く。よく見れば、体も震えているようだ。こういう見方は偏見かも知れないが、リューベルンの人々は技術や社会の水準から想像する中世くらいの人々としてはとても良い人が多かったと思う。もちろん、それはいいことだけど、見方を変えれば平和ボケしていると言えなくもない。現代日本人のオレがそう感じるなんて相当かもしれないが。戦争は遥か遠くの出来事。そんな空気は1日の滞在でも良く感じられた。そして今、現実に身に降りかかってきた時、戦いが避けられないことを知った時、恐怖に竦んでしまうのは仕方のないことだろう。
お金による解決ができないのなら、武力によって防衛するしかない。町の危機に駆けつけた時点で、それは覚悟していたことではあるのだが、問題はアレットたち人質の存在だ。彼女たちを取り戻さなければ戦うことすらできない。
ああ、クソ。どうすればいい? 焦りのせいか思考が纏まらない。
「……ルシア。人質の居場所は判明しているんだよな?」
「え? はい、それは大丈夫です」
頭を抱えていたところへ相棒からの声を潜めて話しかけられた。アドニスの偵察で居場所については判明している。傭兵たちはテントを張って野営しているらしく、アレットたちが囚われているテントはその中央付近にある。当然のことながら、簡単に救出できるような位置ではない。
「ですが、救出は難しいと思いますけど」
「困難なのはわかっている。だが、この件、魔族がかかわっているんだろ。さっきはガストンさんたちの手前、言わなかったみたいだが」
やはり気付いていたか。クリスの口調はかなり深刻だ。魔族が裏で暗躍しているのだとすれば、全ての前提はひっくり返される。例えば、オレとクリスの戦力を背景に再交渉を迫るといった選択肢も本来であればあるのかもしれないが、戦いを望んでいる魔族の手が評議長にだけ伸びているとは限らない以上、人質を抑えられている状態では危険すぎる。
「やはり、交渉の余地はないか。もう、戦闘が起こることは前提で行動するしかないのかもな」
「そうかもしれませんね……」
だから――人質を救い出す。そう、この相棒は言っているのだ。
「何者かが町の襲撃を画策しているのは、すでに疑いようがない。防衛を前提とした行動を取っていくべきだ」
声の大きさを戻し、クリスは断言した。オレもそれに続く。
「そうですね。議長の意識を操作していたものが裏にいる以上、退去料を支払った場合であっても、それで終わりになる可能性は低いと見て行動するべきですし」
「――良く分かったよ。竜戦士殿とその連れ合いの魔術師がそう言うのだ。もう、腹を括るしかないというわけだね」
オレとクリスのやり取りに、ブレソールさんは、その穏やかな外見とは裏腹の揺るぎない意志を感じさせる眼差しで頷いた。この人だってガストンさんと同じこの町の住民であるはずなのに。見た目では、ガストンさんよりは1世代年上のようだし、こういった経験もあるのかもしれない。でも、連れ合いって表現はちょっとやめて欲しいな。単なる旅の連れという意味で使っているのかもしれないけど。
「戦いが避けられないのなら、この町の武力の大半を束ねる私が迷っていることなどできないからね。なに、伊達に長く生きてはいないよ」
そうか、この町の戦力の大部分は商会の私兵なんだから、防衛の指揮を執るのは商会長であるブレソールさんになるわけか。つくづく、この人が話が分かる人で良かった。
「――では、ブレソールさん。町の防衛の責任者としての貴方にお訊きします。俺たちが人質を救出することを認めてもらえますか?」
クリスは極めて単刀直入に核心に切り込んだ。そこまで言い切るということは、救出のための方策が何かあるのだろうか?
「……私が全てを決められるわけではないが、議長のあの様子を見せられて反対する者はそうは出ないだろうね。息子の命可愛さに言っているのではない……と言えば大嘘になるが、戦いが避けられないのであれば憂いを除く必要があるのも事実。どうかお願いするよ、竜戦士殿」
深々と頭を下げるブレソールさん。そうか、人質になっているのは息子さんだったのか。こうなればもうやるしかないが、いったい我が相棒はどんな手段を考えているのだろう。
「クリス。貴方には、人質を救出するための何らかの作戦があるんですよね?」
「もちろんだ。ただ、成立するためにはいくつか条件がある。それを確認するために、イ……使い魔での偵察で分かった情報を詳細に教えてくれ」
答えに迷いは全くなかった。自信たっぷりに断言する姿は、正直カッコいい。そのカッコよさに免じて、インプと言いかけたことには目を瞑ってやろう。
アドニスからの詳細な報告を――当人にもこっそり確認しながら――仔細漏らさず説明する。
「――よし。もう何度か詳細の確認のための偵察といくつか実権をしてから細部は詰めることになるが、これなら十分いける」
「そうですか。それは分かりました。ところで、具体的な作戦の内容は今教えてくれるんですよね?」
オレの催促に、クリスは口を開こうとして、直前に何かに気付いた表情になる。そして、ニヤリと笑った。
「そうか、なるほどな。お前が思いつかないのはそういう訳か。いいか――」
そうして相棒が語った救出作戦の根幹は、とても単純で、とても有効で、そして俺にとっての盲点だった。
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結局議長は正気を取り戻すことなく、大部分の評議員たちも狼狽えるばかりで評議会は解散することになった。ブレソールさんの喝に何とか気を持ち直した一部の議員が、防衛の準備と退去料の捻出に奔走している。
オレとクリスは人質救出作戦の詰めの作業を行っていた。詰めと言っても、参加する人数が非常に少ないためそこまで時間のかかることではなく、敵に気取られないように慎重に進められている防衛準備が整い次第決行に移せる状況にはすでになっている。問題は、敵野営地への潜入方法について、いくつか検討している中から、どれが最もリスクが小さいかが議論となっていた。
その最中、傭兵側の使者が町へやって来たことによって、状況は急変する。
「ガストンさん! 何があったんですか?」
「おお、来られたか!」
ガストンさんが対応の責任者に選ばれたらしく、オレたちが駆けつけた時には、慌しく周囲に指示を飛ばしているところだった。
「傭兵たちから何か追加の要求が?」
「ええ、そうなのですよ。急に様々な物資を要求されましてな。人質のうち1名を解放するという条件で、直ちに用意せよと」
物資の要求か。1名でも人質が解放されるなら越したことはないが、急に来たというのが気になる。例えば、こちらの防衛準備に感づいて武器を差し出させる、なんてことだとかなりマズい。
「要求されたものの具体的な内容は?」
「燃料と水と食料。それから木材や縄といったところですな。前の3つは分かりやすいですが、後者は何に使うのやら」
確かに謎だな。水や食料にしたって、今更要求するのはおかしいだろう。それも、人質と交換してまでということは、かなり危急の必要性が出てきたということだ。そこまで考えて、1つの可能性に思い当たる。
「――まさか、防衛の準備ですか……?」
「……なるほど、魔族への備えか。木材や縄もそれなら納得できる」
小声でクリスに伝えると、同意が帰ってきた。これがまともな防御施設のある街であれば攻城の準備の可能性もあるが、リューベルンに対してそんなものは必要ない。逆に、防衛のための陣地を構築するための資材だと考えた方がしっくりくる。
そうだとすれば、魔族の斥候を偽装したことが、ここに来てオレたちにとって非常に都合のいい状況を作り出してくれたことになる。
「まさに僥倖って言うんでしょうか、こういうの。物資の搬入をするのなら、潜入に使えるかもしれません」
「だな。ただまあ一応は、お前の工作の成果だろ。なら単なる幸運じゃないさ」
そう言ってもらえるのは嬉しいが、正直、このタイミングで結果に繋がるなんて予想できたわけがない。
「ガストンさん! すぐにブレソールさんを含めて町の防衛に携わっている主だった人たちを集めたいんですが」
「おお! 事情は良く分かりませんが、直ちに手配致しますぞ!」
まだまだ夜明けは遠い深夜の町。アレットたちを救出すべく、オレとクリスの作戦は動き出した。




