凶事、魔多し
無事にリューベルンへの帰還を果たしたオレたちは、神殿へ向かう前に母兎亭に寄って行くことにした。クリスの〈ブレストプレート〉を回収するためだ。
すでに夕暮れ、アドニスからの報告通り、町の中は静まり返っている。あれだけ賑わっていた通りにも、人影はちらほらとしか目につかない。その数少ない人影も、武器を帯びた用心棒や私兵らしき姿ばかりだ。通りがかりに、彼らの装備や物腰を軽くチェックする。実際に戦場帰りの傭兵たちをこの目で見た今となっては、アレットが全然違うと言っていた理由が良く分かった。今の状況で分かりたくはなかったが。
「アルマンさんも言ってたけど、あれじゃさっきの傭兵を相手にするのはきつそうか……」
「ああ。どのくらいいるのかは知らないが、数倍程度じゃ蹴散らされそうだな」
相棒もオレと同じ見解のようだ。傭兵たちが本気で襲撃してきたとしたら、まず防衛は不可能だろう。
「マスター! ざっと見ただけだが、やっぱり町の中には傭兵の姿はねーな」
「そうか。ありがとな。とりあえずは安心だな」
母兎亭の看板が見えてきたところで、アドニスが偵察から戻ってきた。クロスボウに撃たれた傷は《レストアユニット》――自分の召喚生物のHPを回復する魔法スキル――によって完治している。
町中に1人も傭兵らしき姿がないということは、交渉中は立ち入らないなどの約束が守られているということだろう。最低限の節度はある相手なのか、町側の交渉が巧みだったのか、どちらなのかは分からないが。
母兎亭の扉の前まで来たが、中から人の気配を感じない。こんな状況なので、客がいないのは当然かもしれないが、僅かに嫌な予感がした。
少し乱暴に扉を開く。中には誰の姿も見当たらない。
「女将さん! ルシアです! 今戻りました!」
静まり返っていた宿にオレの声が響く。少しして、ドドドドと慌しい足音が聞こえてきた。あの重い音は、間違いなく女将さんだ。
「ルシアちゃんかい! 戻ってきてくれたんだね!」
「女将さん! 無事でしたか。良かった……」
現れた女将さんは、沈んでいた顔を綻ばせて喜んでくれた。その様子にホッと胸を撫でおろす。だが、それは一瞬のことだった。
「……女将さん。アレットはいないのか?」
「――っ!」
後ろにいた相棒の言葉に、オレもその異常に気付く。あのちょっと引くくらい元気なアレットの姿がない。この状況だ、喧しさが鳴りを潜めていても不思議じゃない。でも、あれだけ騒いでいたクリスが帰ってきたのに出迎えないなんて、おかしくないか。彼女はこの宿の住み込みの従業員だと言っていた。なら、こんな時に宿にいないなんてありえないだろうし。
「……女将さん?」
問われた女将さんの顔は、見ていてこちらも苦しくなるほどに歪んだ。悲しみ、心配、憤り、様々な感情を堪えているように見える。
扉の前で感じた嫌な予感が、一気に膨れ上がるのを感じた。
「――彼女に何かあったんですか?」
「……アレットは……町の外の傭兵のところに……」
「えっ……傭兵のところにって――!」
まさか、嘘だろ!?いったいどうして……まさか――
「――人質ですか?」
「……あ、ああ、そうだよ。あいつらと退去料の交渉をする間、人質を差し出さないといけなくなったと言われて……」
退去料――町を襲わずに立ち去って欲しければ金を出せということか。それはいい、予想していたことだ。人質を取るという行為は許せないが、取る理由も理解できる範囲内だ。町の中に傭兵たちが踏み込まないのも、そのお陰なのだろう。でも何でアレットが人質になる?普通、町の有力者の家族とかじゃないのか、こういう場合。アレットはただの宿の従業員じゃないか。
「なんで……何故、アレットさんが?」
その質問に、女将さんが浮かべた表情は――やりきれない怒りの表情だった。
######
リューベルンの中央に座す、リアナ神殿。近年急速に拡大した町の規模に見合った建物とはお世辞にも言えないものの、素朴な造りながらも歴史を感じさせる佇まいは、町の人々の信仰の中心として親しまれているそうだ。人々の交流の場としても重要な役割を担っており、町の評議会の議場としても使われている。そして今、退去料の支払いについての話し合いがそこで行われているらしい。
オレとクリスは神殿の前まで来ていた。太陽は完全にその身を隠し、月のない夜は恐ろしいほどに暗い。入り口の両脇に焚かれた篝火が、2人の町の兵士を照らし出している。残念ながら、昨日の2人ではなかった。そうであれば、話が早かったのだが。
「再確認……よし、大丈夫だな」
「お、おう。あれだけしっかり落としたからな」
ダイアウルフ討伐で草と土と血でぐちゃぐちゃになっていたオレとクリスの格好だが、女将さんにも手伝ってもらってすっかり綺麗になっていた。汚れが染みつかないという上位装備の特性は本当に素晴らしい。
「ちゃんとカッコ良くしてろよ? ハッタリが重要なんだから」
「任せとけ。カッコつけるのは得意だからな」
「……いいけど。自分で言うと間抜けだぞ」
バサリと、濃紺のマントを翻すクリス。〈ブレストプレート〉と共に完全装備となった今、悔しいが本気でカッコ良かった。
「お前は……その杖があると、一気に怪しさが増すな」
「それが目的だからいいんだよ」
オレの方はと言えば、〈縛鎖の魔杖〉に巻いたいた布――狼相手に振り回していたせいですでにボロボロになっていた――を外し、見るからに禍々しい全貌を晒している。今この時は、怪しまれる心配よりも、実力ある魔術師として見てもらう方が大事なのだ。
これからオレたちは議場へと乗り込まなければならない。昨日町に来たばかりのよそ者が相手にしてもらうためには、見た目で分からせるのが一番だと、この世界に来てからの経験で思い知った。
「よし、いくぞ」
並んで入口へと近づいていくオレたちに、兵士たちが気付いた。2人とも、オレたち――主にクリス――を見て驚きの表情を浮かべる。昨日の騒ぎの場にいたのだろうか。
「失礼します。評議会が開かれているのはここでよろしかったですね?」
「――っ! は、はい、そうですが」
クリスの一歩前に出て尋ねれば、何故か酷く慌てさせてしまった。ひょっとしたら、この怪しすぎる格好と若い女性の声が合ってないのかもしれない。
「俺たちも入れてもらいたいんだが、構わないか?」
完全なる部外者でありながら、堂々とした態度のクリス。しかも、普段より威圧感マシマシだ。流石は警察官、こういうのは得意だな。偏見かも知れないが。兵士たちは突然のことにかなり戸惑っている。
「え、いや……そ、そう言えば竜戦士殿はダイアウルフ討伐に向かわれたのでは?」
「ああ。倒してから異常に気付き、さっき戻ってきたところだ」
あっさりと言うクリスに、兵士たちの表情が驚愕に染まった。というか、ダイアウルフ討伐のことも普通に知っているのか。まさか、マジで町中に広められてたりするんじゃないだろうな。
「それで、入っても構わないか?」
「い、いや……どう何でしょう、班長?」
詰め寄られた兵士は困った様子で、もう1人へと助けを求めた。なるほど、向こうが上司か。
「え!? ど、どうも何も……り、竜戦士殿、評議会中は議員の方以外は立ち入れない決まりなんですよ。なので――」
「今の町の状況に助力したいと考えている。だから入れて欲しい」
「そ、それは……願ってもないことですが――いや、しかし……」
クリスの申し出に、班長はかなり迷っているようだ。額に手を当て考え込んでいる。だが、すぐには通してくれそうにない。こんなところで押し問答する時間が惜しいのだが。仕方がない、ここは魔法の力を借りるとしよう。迷っているのなら、押してやればいい。
密かにキャストを開始し、相棒の背中に隠れる。
「《デモンズウィスパー》――『助けてもらうべきだ』」
声を潜めてのつぶやきは、班長の心のうちから働きかける。頭を抱えていた班長はハッと顔を上げると、クリスを見て頷いた。
「――分かりました。お入りください」
「は、班長!? いいんですか――」
驚きの声を上げる部下を、班長は手で制し、真剣な表情で諭す。
「……今は町の危機だ。手を貸してくれるという人を、決まりと突っぱねるのが正しいとは思えん――どうか、お願いします」
そう言って、オレたちへ深々と頭を下げる。その様子に、少しだけ心が痛んだ。本人も迷っていたこととはいえ、魔法で都合がいい方へ後押ししたオレに、頭を下げられる資格なんてない。
「……ああ、感謝する」
そんなオレの様子に気付いたのか、クリスは簡単にそうとだけ言うとオレの肩に軽く触れた。
「ありがとうございます。貴方の決断に、感謝を」
そう言いながら、オレも深く頭を下げた。
######
班長さんが取り次いでくれた神官は、襲われた猟師の治療に駆けつけてきていたあの男性だった。オレたちを見て僅かに驚きの表情を浮かべたが、何も聞かずに議場へと案してくれた。
「――、――!」
「――――、――。――?」
「――――。――――」
扉の前まで来ると、あまりに重なり合って意味が分からなくなっているほどの、激しい言葉の応酬が向こう側から漏れ聞こえる。ひしひしと嫌な予感が強くなっていく。
退去料を誰がいくら出すとか、そう言う話し合いでここまで荒れるだろうか?もっと根本的な、支払うかどうかですら揉めているんじゃないだろうか。
「どうぞ、お入りください」
「はい……」
神官の男性が扉を指して促した。返事をした声は微妙に震えてしまっている。ここまで来て、緊張に胃が締め付けられ始めた。この扉を開けて中に乱入すれば、間違いなく一斉に注目を浴びるだろう。この世界に来てから、意図せず注目を集めてしまったことは何度かあったが、自らその状況を作り出すというのはハードルの高さが全く違う。
「大丈夫だ」
肩に置かれた手に振り向き仰げば、相棒と目が合った。落ち着かせるような声色。元々のお互いの体よりも、かなり身長差が広がってしまったせいか、妙に頼もしく思えてしまう。
「――あ、ありがとうございます。もう大丈夫です」
そんなことを思ってしまったことが気恥ずかしくて、一歩前に出てクリスの手を振り落とした。
だいたい何なんだ、気軽に手を置いて。昨日はかなり過剰に反応していたくせに、今日はもう肩だろうが頭だろうが気安くポンポン触りやがって。おまけにお姫様抱っこまで。オレよりルシアの体に慣れてるんじゃないか。これがリア充の余裕ってやつか、クソが。
心の中で、どうしようもなく小さい悪態を一気に並べる。さっきまでの胸が痛くなるほどの緊張は、気付けば随分軽くなっていた。
「では――」
扉を開く。煌々と照明が焚かれた議場の中は、薄暗い廊下とは打って変わって非常に明るい。暗闇に慣れていた目が一瞬眩む。
一歩踏み出し中に入ると、それまでの騒然としていた議場内が徐々に静かになっていき、替わりに朗々と良く通る誰何の声が耳に届いた。
「む――何者か?」
目が明るさに慣れてくる。高校の通常教室程度の広さの部屋の中に、長椅子がいくつか並べられ、扉から入ったオレの正面にはそれと向かい合うように演壇が設置されている。配置としては、小さな教会の礼拝堂を思い起こさせた。もっとも、中にいた人たちのてんでバラバラな立ち位置から察するに、ちゃんと使用されてはいないようだ。
「会議中、失礼させていただきます。今、この町が置かれている状況について、我々の力が助けになるかもしれないと思いまして」
「なに?」
誰何の声の主は、オレの正面、演壇を挟んで部屋の反対側の、1人だけ普通の椅子に腰かけている初老の男のもののようだ。何者かという問いを完璧にスルーしたオレの物言いに、あからさまに鼻白んでいる。だが、その表情も、オレと隣のクリスの格好を目でなぞると徐々に変わっていく。見た目ではったりを利かせる作戦は有効だったようだ。
「おお! クリス殿にルシア嬢、戻られましたか!」
正面の男だけでなく、部屋の中の大部分の視線が剣呑な空気をはらんでいる中、1人喜色を浮かべて歓迎してくれる人物がいた。
「ガストンさん! はい、先ほど戻ったところです」
圧倒的なアウェー感の中、たった1人でも知り合いの顔があったことで、一気に緊張が解れていく。
というか、貴方評議員だったんですね。議員と言っても別に選挙でえらばれるわけではなく、納税額が一定以上だとなることができるシステムらしいが、ガストンさんの雑貨店はそんなに儲かってたのか。
「うぉっほんっ!」
再会を喜び合えたのは一瞬だけ、わざとらしい咳払いに遮られた。正面に座っている男だ。いや、いつの間にか立っていた。
「貴殿らは、どうやらマイヤール殿のお知り合いのようだが……その格好からすると、昨日から噂になっている竜戦士殿とその従者かな?」
「はあ?」
ちょっと待て、従者ってなんだ。オレの扱いはそんなことになってたのか。ものすごく抗議したいが、今はそれどころではない。
「どういう噂かは知りませんが、竜戦士であることと、ガストンさんに良くしてもらっていることは事実ですね」
今度はクリスが前に出る。オレに対しては威圧的な視線を向けてきた男も、相棒を前にしては僅かに動揺したのが見て取れた。
「そ、そうか。だが、ここは神聖なる評議の場。町の住民でない貴殿らが立ち入って良い場所ではない。お引き取り願おうか」
「待ってくだされ! クリス殿らは我らに力を貸してくれると言っておられるのですぞ?」
クリスに気圧されながらも居丈高に言い切った男に対し、ガストンさんが抗議してくれた。1人だけでも味方がいるというのは、本当に頼もしい。
他の評議員たちの様子を窺うと、クリスが件の竜戦士ということが分かったからか、最初の剣呑な視線はだいぶなくなっている。むしろ、助けが来てくれたという空気すら漂い始めているように思える。あの男の頑なな態度はむしろ浮いているのではないだろうか。
「それは聞いていたとも。だが、だからと言って部外者がここに足を踏み入れてよいはずがないだろう?」
「確かに決まりではそうかもしれませんが、今この町が置かれている状況を考えますと――」
「無論それは分かっている! ただ、物事には正しい順序というものがあるのだ」
別の評議員からも疑問の声が上がるが、それをぴしゃりと遮るとオレたちに向かい直した。雰囲気からして、単に門前払いにしようというわけでもないらしい。
「竜戦士殿。貴殿の助力の申し出は大変ありがたい。だが、ここは町の方針を決める評議の場。貴殿の申し出については我らで話し合った後、返答させていただく。ご理解いただけたなら、速やかにお引き取りを」
なるほど、そう来たか。確かに彼の言葉は一見すると正論だ。決まりを無視して乱入してきたオレたちの申し出を、突っぱねるでもなくちゃんと聞いた上で評議会の審議にかける。それを待っていろと言うのは、この緊急時に何をボケたことをというツッコミを除けば、非常に理にかなった主張に思える。
だが、この男の正論が決して本心からのものでないことを、オレたちは半ば確信している。
「――そうですか、分かりました。ですがその前に、お尋ねしたいことがあるんですが、よろしいでしょうか?」
「ん? 何かね?」
大人しく引き下がると思ったのか、オレの言葉に気にする様子もなく尋ね返してきた。
「念のため確認させていただきますが……貴方がこの評議会の議長を務めておられる、プロスペール・メグレさん、ですよね?」
女将さんから教えられたその名前。顔までは分からなかったが、状況を見るにこの男で間違いないはずだ。明らかに一番偉そうだし。果たして、男は鷹揚に頷く。
「まさしくその通りだが。貴殿らは異邦人だ。議長への礼を失したことを咎めはせんよ」
「これは失礼致しました。では議長閣下、貴方にお尋ねしたいことは1つ――」
ここまで抑え込んできた怒りが、堪えきれずに燃え上がりそうになる。震える拳をきつく握りしめ、声を押し殺しながら、ギリギリで睨みつけるだけで済ますことができた。
「――貴方の娘、アレットさんのことです」




