アンブッシュ
「聞いたよ、聞いたよ! 森の主の討伐を引き受けたんだって?」
討伐の打ち合わせを終え、母兎亭まで戻ってきたオレたちを出迎えてくれた声が、これである。まず森の主ってなんだよ。ダイアウルフが出たのは30年ぶりだって猟師の人が言ってたぞ。
「アレットさん、森の主ではなくぽっと出のダイアウルフですよ。それに、引き受けたのではなくお互いに協力するんです」
「流石は竜戦士様! 英雄譚として末代まで語り継ぐわ!」
「……語り継ぐのは勘弁してくれ」
一応説明を試みるが、案の定全く聞いてくれない。吹聴する側からしてみれば話なんて盛った方がいいんだろうが、される側からするとたまったものではない。現時点でこのグレードアップ具合だと、いずれは魔竜討伐の伝説にでもなっていそうだ。
「あー……すみません、ちょっとお願いがあるんですが」
「――肖像画飾るのもいいかな――ん? なに?」
説明は無駄だと判断し、さっさと用件を切り出すことにする。
「長さを測れるものってあります? それと、単位についても教えてもらいたいのですが」
「長さの単位? ああそっか、ミルスレアは帝国の外だったから、いろいろと違うんだっけ。ちょっと待ってね……えーと、この辺に――」
勝手に納得して棚をあさり始める。どう誤魔化すかも考えていたのだが、全く必要なかったな。こういう時、ミルスレア出身と思われているのは便利だ。
急に長さの単位について知る必要が出てきたのは、ダイアウルフ討伐の打ち合わせの際、距離について話していた時にその部分だけ通じなかったからだ。メートルって何と言われた時は非常に焦った。どうやらオレたちが使っている単位とこちらでの単位のズレが大きいために、部分的に自動翻訳が働かないらしい。
「あったあった。とりあえずこれでいいかな?」
アレットが取り出したのはロープだった。上から垂らすとオレや彼女の身長と同じくらいの長さがある。
「これが1パースの長さよ。昔は地域によってバラバラだったらしいけど、帝国によって統一されたから旧帝国領ならどこでも同じなんだって」
パースという単語は今までに何度か耳にしたな。長さの単位だったのか。ロープを受け取って見てみると、黒い線で5つに区切られている。
「この線は何ですか?」
「それは1ピットごとの区切り。5ピットが1パースね。これも帝国に統一されるまではバラバラだったらしいけど、それっていくら何でも不便すぎると思わない?」
「とても思います」
お金はまだしも、長さや重さの単位が統一されてないのは勘弁してほしい。メートル法万歳。
「……目算だと、1ピットが30センチくらいか? ルシア、お前の身長っていくつかわかるか?」
この体の身長とな。身長についてはキャラメイク時にさんざん悩んだ挙句、高くしても低くしてもしっくりこなかったので、結局ほぼ初期値にしたはずだ。ほぼというのは、完全に初期値だとつまらないのでほんの少しだけ高くした記憶がある。
「えーと……確か160センチより少しだけ高いはずです」
「そうすると、1パースが150センチ弱ってところか。目算とも合うな」
オレの身長と比べてみると、だいたい10数センチ足りない。靴の分を考慮するとそのくらいだろう。
「センチっていうのが、ミルスレアで使う単位なの?」
「え、ええ。そうなんです」
間違いなく違うが、ここは誤魔化すしかない。すまん、アレット。多分実害はないから許してくれ。
「うーん、初めて聞くわね、ところでさ、何の長さを測りたいの?」
「大雑把に距離をつかみたいだけなんですが。そうですね……だいたい100から200パース前後の長さが分かれば」
「ああ、それくらいの長さならちょうどいいのがあるわ。ついてきて!」
そう言って外へ飛び出していくアレット。オレたちも後を追って宿を出る。アレットは通りの中央まで行くと、向かい側のやや離れたところにある一角を指し示した。遠目にも一際目立つ、商会の大きな建物が連なる区画だ。
「ほらあそこ、でっかい屋敷が並んでるでしょ? あの敷地、幅がぴったり1スタッドなの。1スタッドは125パースだから、ちょうどいい長さなんじゃない?」
「125……確かにちょうど良さそうですね。ありがとうございます」
なんで100じゃなくて125なのかと思わなくもないが、きっと由来の異なる単位を換算するときに切りの良い数字にしたら125になったのだろう。125パースということは、換算すると190メートル弱か。100メートル単位の長さを測るのは手間がかかりすぎると思っていたので、これはとても助かった。猟師たちの準備が終わるまでに、できる限り練習しなければならないのだ。
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再び足を踏み入れることになったリアナの森。昨日と変わらぬはずの森は、狩りという明確な目的があるからか、それともプロのガイドがついているからなのか、今日は受ける印象がまるで違う。
準備を終えたオレたちは、速やかに森の中へと出発した。メンバーは、オレとクリス、そして猟師たちの中から選ばれた経験豊富な3人の計5人。襲撃現場から狼たちの足跡を辿って捜索する。
単純に辿っていくだけでなく、こちらが風上になって狼たちに悟られないよう、ルートを慎重に選びながらの行軍。事前にそう説明されていたのだが、知らなかったなら気付けないほどに先導する猟師たちのリーダー――アルマンさんの判断は素早い。これがプロの技かと感心させられっぱなしだ。ハンターのクラスであれば同じことができるのだろうか。オレとクリスはアルマンさんや他の猟師の指示の下、慎重にではあるもののついていくだけで良いので楽なものだ。
「でも、この青臭さは何とかならないんでしょうか……」
ついつい泣き言を言ってしまう。出発前、少しでも人間の臭いを隠すために、草や木の葉をすり潰したものを全身に振りかけられた。〈契約者のローブ〉の上からなので終わったら綺麗に落とせるはずだが、現在進行形で充満する青臭さはかなりきつい。
「臭いを上書きするためなんだ、しょうがないだろ」
「ははは、なーに、そろそろ慣れてくるさ」
憮然とした相棒と朗らかな猟師。相棒の方は、ブレストプレートと買ったばかりのマント――汚れるのが嫌だったらしい――は荷物と一緒に宿に預け、〈黒飛竜の戦装束〉だけになっている。もちろん草と葉に塗れているのは同じだ。
「――あ」
何度目か分からないため息をつこうとした時、アドニスからの合図に気付いた。
「アルマンさん、発見しました」
「おお、心得た。皆、止まれ」
アルマンさんは振り返って全員を制止する。
現在、アドニスはオレたちよりかなり前方を進んでいる。《シャドウベール》による隠密能力を生かして、割り出した群れの方角に最短距離で先行させたのだ。離れてもこちらに情報を伝えられるように、発見したら8の字を描いて飛ぶように決めておいた。名付けて『ミツバチ作戦』である。猟師たちにはアドニスがインプであることを伏せ、単に透明な使い魔を使っての偵察と説明してある。素人のオレとクリスが混じっている状況で、狼たちに先んじて相手を見つけるにはこれしかないと判断した。
「方角は向こう。距離はあまり正確ではないですが、えーと……1スタッドよりやや遠いくらいですね」
アドニスは標的を発見後、その頭上に張り付いている。これで方角と距離を常時知ることができるというわけだ。アドニスとの距離を測る練習はアレットのお陰でそれなりにすることができた。それでも全然時間が足りなかったので、決して精度が良いとは言えないが。
「1スタッドか……よし、あの窪みを利用するぞ。皆、準備を始めよ」
少し考えた後、アルマンさんは作戦を決行する場所を指定する。示された場所は特に何もないように見えたが、近づくと確かに窪んでいた。草に隠されて離れた場所からは分かり辛くなっているようだ。
今回、最も重要なポイントはダイアウルフに逃げられないことだ。ゲームのエネミーではないのだ、不利と悟れば当然逃げ出してしまうだろう。オレやクリスにとってダイアウルフ自体は大した敵ではないが、逃走を許せばこの森の中追い付くのはほぼ不可能になる。そして、ゲームにおいてボスエネミーに分類されているダイアウルフは非常にHPが高く、オレがDoTを刺して終了というわけにはいかない。この世界でも同じとは限らないが、そうだという前提で臨むべきだろう。
よって、まず拘束スキルの《シャドウバインド》によって逃走を封じる。《マインドブラスト》は以前遭遇した時のような近距離かつ相手が動きを止めている状況でないと当てる自信がないため、今回は選択肢から外した。短時間でも動きを止められれば、後はクリスに任せておけばいい。
最大の問題は《シャドウバインド》の射程が10メートルほどしかないことだ。オレ自身がすでに相手に遭遇済みなので、バレることなく接近するには身を隠しているところに向こうから射程内に来てもらわねばならない。そのために、猟師の1人が囮役となりここまで誘い込む計画となっている。
オレが身を隠すには窪みの大きさが少々足りないので、掘って深くする。同時進行で他のメンバーたちが身を隠す場所も次々と選定されていった。ここで待ち受けることはたった今決めたはずなのに、アルマンさんの指示は全く澱みがない。本当に森を知り尽くしているのだろう。
「気付かれた様子はありません。徐々に遠ざかってはいますが、まだ1スタッド半以下です」
「よし。他の獲物を追われるのが心配じゃったが、その様子なら大丈夫そうじゃな」
準備中に近づかれすぎて気付かれたり、逆に遠く離れられたりした場合は場所を変えてやり直す必要があるが、これなら一発で上手くいきそうだ。もっとも、猟師たちの作業スピードは想像していたよりも遥かに速く、アルマンさんの言う通り他の獲物を追跡中とかでもない限り大丈夫だったのかもしれない。
「じゃあ、行ってくるぜ」
準備が終わると、囮役の若い猟師――デジレが今朝仕留められた鹿を担ぎ狼たちのいる方角へ歩き出す。鹿の臭いで引き寄せ、ここまで誘引する作戦だ。そのために、事前に抜いておいた血を念入りにまぶしてある。
「十分に気を付けてください。無理はしないように」
「おう! なあに、俺はリューベルン最速の男。逃げ切るくらいどうってことないですよ。安心して待っていてください、竜戦士殿」
心配げなクリスに、デジレは自分の足を叩いて見せる。作戦立案の当初、クリスは自分が囮役をやると強硬に主張した。しかし、クリスではダイアウルフに警戒されて囮にならないと猟師たちの反対にあい、しぶしぶ引き下がったのだ。オレはというと、一度やつを倒してるので囮は無理です、とはもちろん言えずどう断ろうか考えていたのだが、話の端にも上らずに終わった。まあ、外見上は若い女性のオレを囮役にはできないか。囮役の彼は猟師たちの中で最も足が速いということで選ばれたのだが、本当にリューベルン最速かどうかは不明である。
皆が緊張した面持ちで見守る中、デジレはこれまでとは打って変わって立てる音を気にせず乱暴に進んでいく。少々わざとらしい気もするが、狼相手ならこれでいいのだろうか。そんなことを思いながら、オレは窪みにしゃがんだ状態で、アドニスの動きに集中した。
デジレの姿が木々の合間に消えようかというところで、アドニスが急に上下に動き出す。
「――っ! 囮に気付きました」
逸る気持ちを押さえつけ、小声で伝える。アルマンさんは頷き、手を振って全員に隠れるよう促した。皆が自分のポジションに身を隠すのを横目に、オレはキャストを開始する。
「《デモンズウィスパー》――『戻ってください』」
スキルの発動に合わせてメッセージを呟く。魔法の対象は自身の内なる囁きとしてこのメッセージを受け取ることになる。文字通りの悪魔の囁きというわけだ。ゲームでは何故か相手を混乱状態にする魔法だった。おそらく、相手を動揺させる効果をゲームに落とし込んだ形なのだろう。今回はあらかじめ、こんな感じで聞こえるとテストした上で、単なる連絡用の魔法として使っている。目視できている対象にしか使えないとはいえ、周囲に悟られずに言葉を伝えられるのはやはり便利だ。
デジレはしばらく立ち止まった後、慌てて振り返りこちらへ向かって走り出した。おおい、遠くて細かい動きは見えなかったけど、絶対メッセージだと気付かずに戸惑ってただろ。危険な役目に緊張しているところに、いきなり声が聞こえてきたら仕方ないのかもしれないが。こちらとしても、狼たちがどんどんこちらへ近づいてきているのが分かるだけに、僅かな時間のロスにも戦々恐々とならざるを得ない。
「――っ、速い……!」
獲物を見つけた狼たちは本当に速い。オレが見つかっては元も子もないので、頭を下げて身を隠す。直前に見えたデジレの姿は、まだ50メートル以上離れていた。果たして、追い付かれることなくここまでたどり着けるのか。緊張に下腹部が締まる感覚に、思わず呻く。いざという時には、インプとバレる覚悟でアドニスに何とかさせるしかない。
100……50……25……アドニスとの距離が瞬く間に縮まっていく。同時に近づいてくる人間の足音。何とか心を落ち着かせながら《シャドウバインド》のキャストを開始する。
狼たちの足音も聞こえてきた。2つの足音はほとんど重なっているようにすら思える。ダメか、とそう思いかけた瞬間――
「うおおおぉぉぉ!」
雄たけびを上げながら、デジレがオレの上を通過する。少し遅れて――
「――ぐふっ……」
柔らかい何かがオレの上に覆いかぶさった。




