アイディールガール
ことの発端は、皮のコルセットを外そうとしたことだった。つけたままでは流石に寝にくそうだったからだ。ところが、背中側で止められていることは分かったのだが、構造がどうなっているのか不明でなかなか外せなかった。アドニスは当然のように役に立たず。悪戦苦闘の末にお願いしたクリスは少し見ただけですぐに諦めやがり、アレットに助けてもらおうと言って下に呼びに行ってしまったのである。
「アレットでーす」
トントンと扉を叩く音共にアレットの声が聞こえた。アドニスは階段を上る音に反応して、すでに身を隠している。
「どうぞ」
「失礼し――」
入ってきたアレットは、何故かお湯を張ったタライと何枚かのタオルを持っていた。そして、オレの顔を見て固まる。なんでだよ。
「――うっわ、うっっわ! マジで綺麗!」
「は、はい?」
「ほんっっっとに美人ね! ルネさんが騒ぐわけだわ」
「あ、ありがとうございます?」
いきなりのハイテンションに思わず変な言い方になってしまった。ルネさんって、女将さんの名前だったっけ? 困惑するこちらにはまるで構わず、タライを床に置くとしげしげといろんな角度で顔を覗き込んできた。
「肌も凄く綺麗! 髪もつやつやで輝いてるし……さ、触りたい! 触っていい?」
「ち、ちょ、ちょっと待ってください!」
訊いておきながら、答えを待たずに手を伸ばしてきた。慌てて後ずさり距離を取る。女性に迫られるとか生まれて初めての経験だぞ。わけも分からないまま、何とか手を突き出してアレットを制止する。
「――は!? ご、ごめーん。ちょっと、我を忘れちゃってた」
「……ちょっと?」
「……あはは。ホント、ごめんなさい」
ひらひらと手を振りながら謝る、アレット。というか何、オレの見た目って我を忘れるほどなの? まあ、女将さんはそこまででもなかったし、この娘が特に変なんだろう、多分。
「えーと……ルシアさん、だよね?」
今更過ぎる確認だな、おい。
「……そうですけど。あの、これを外すのを手伝って欲しいのですが」
正直、さっきの様子を見てしまうと頼むのが少し躊躇われたが、1人でできない以上仕方ない。
「あ、うん。それは聞いてるよー。任せて、こういうの得意だから」
自信満々の表情で頷くと、こちらの背後に回ってきた。ビクッと体が震えてしまうが、何とか我慢する。
「うわー、これもすっごく上等! ……ひょっとして、ルシアさんってどこかのお姫様だったりします?」
「……いえ、違いますよ」
「そっかー。まあ、そんな雰囲気じゃないもんね」
それは庶民ぽいって意味か? 庶民だけど。しかし、一目で分かるほど高級品なのか。コルセットも含めて、下に身に着けているものも〈契約者のローブ〉の一部なんだろうか。
アレットはただ外していくだけでなく、1人でもできる着脱方法を解説してくれた。してくれたが覚えられる気がまるでしないので、アドニスにやり方を見ていてもらう。さりげなく視線を向けたら頷き返してきたので、わかっているはずだ……多分。
「――最後はここを解けば……と、はい終わりー」
全ての紐と金具が外されると体が急に軽くなった。最初から身に着けていたため気付いていなかったが、それなりに締め付けられていたようだ。だが、それはつまり、胸にある2つの膨らみも解放されるということで――
「――ひゃう!?」
「あれ? どこか引っかかったかな?」
「い、いえ、なんでもないです。大丈夫です」
元の体には存在しなかったその部分。コルセットによってガッチリと固定されていたおかげで今の今まで感じていなかった違和感に突然襲われ、思わず奇声を発してしまった。
「ならいいけど。それでどうかな。1人でできそう?」
アドニスに視線で尋ねると、ビシッと親指を立ててきた。あまりに自信満々な様子に逆に不安になる。ダメだったらまた教えてもらおう。
「おそらくですが、できそうです」
「そう? ま、明日付け直す時に分からなかったら遠慮なく言ってね。一応これは1人でもできるようになってるけど、今までは他人にやってもらってたんでしょ?」
「え?……あ、はい、自分でやるのは初めてでした」
自分どころか、他人にやってもらったことすらない。ゲームでは装備を切り替えるだけで着替えは完了していたわけで。そもそも、ローブの下にこんなものをつけていたなんて、こっちに来るまで知らなかったしな。
「それにしても……うーん、スタイルも凄いわねー。鎧にしては絞ったシルエットのコルセットだなって思ってたけど、まさか中身そのままだったとは」
おいおい、またか。でもアレットの言葉通り、コルセットを外したことによる解放感は主に胸の部分のもので、胴回りはほとんど変わっていない。手で押さえてあてがってみると、もともと体の一部だったんじゃないかと錯覚できるほどぴったりフィットしている。この体も装備もゲームデータから作り出されたものだとすれば、当たり前のことかもしれないが。
「――あの、アレットさんはこうした鎧の脱ぎ着には慣れているみたいですけど、よくあることなんですか?」
疑問に思ったので訊いてみる。ただの宿の従業員がこんなことに手慣れているものだろうか。
「まーねー。ほら、ここってもとは小さな村だったから主要街道からは外れてるでしょ? それに、どっちの国の庇護も受けてないし。だから用心棒を雇っている商人さんも結構いるのよ。そういうお客さんからたまに頼まれるんだ」
「なるほど。そうだったんですね」
言われて思い出したが、アズレイドとラーナを結ぶ主要街道――グランリアナ帝国時代に作られた街道――は、もっと北側を通っている。町中にちらほらいた武装した人間たちが、アレットの言う用心棒だったのだろう。
「でも、クリスさん見ちゃうと、用心棒って言っても素人に毛が生えた程度なんだって分かっちゃうね。町の兵士たちもだけどさ」
「……装備だけで判断できるものではないと思いますけど」
一応反論をしておく。確かに兵士たちは強そうには見えなかったが、クリスと比べられるのはいくら何でも酷だろう。
「いやいや、全然違うって。何、オーラっていうの? とにかく雰囲気からして勝負になってないよ」
「そんなにですか?」
「一度だけだけど、東で戦ってたって傭兵の人が泊ったことがあってさ。もう普段目にしてる用心棒たちとはまるで違ったもん。クリスさんはそれと同じかそれ以上に凄そうだし。実際、強いんでしょ?」
「え、ええ、まあ、そうだとは思いますけど……あれ?東で戦ってた傭兵と言いましたか?」
その言葉、門で兵士たちからも聞いたような。
「うん、魔族と戦ってたんだって。凄いよねー」
「魔族……!」
これは思わぬところから重要な情報が出てきたぞ。この世界がゲームの世界と異なっている点の1つ、『グランリアナの古城』が魔族の拠点ではなかったこと、その理由に関わる話かもしれない。アドニスもこの世界に魔族が侵攻していることは明言したものの、その具体的な内容は知らなかったのだ。
「――東で魔族と戦っているのですか?」
「あれ? 知らないの? ラーナのさらに向こう、旧帝国領の東部は魔族たちに占領されちゃってるらしいよ。最近は戦いは落ち着いてきてるって噂で聞いたけどね」
旧帝国領東部というと、ゲームではバルゼやレントールといった国があったはずだが、こちらでは魔族に制圧されているのだろうか。
「東部の国々はどうなっているんですか? どういった経緯で魔族に支配されてしまったんでしょう?」
「あー、ごめん。私もそこまで詳しくはないんだ。ラーナから来た人にちょろっと聞いたことがあるくらいでさ。でもそっか、ミルスレアの方だと魔族との戦争自体があまり知られてないんだ。まあ、遠いもんね」
「そ、そうですね……」
その部分は笑って誤魔化すしかない。しかし、魔族の侵攻に関してはだいぶゲームとの差が大きいようだ。こちらの情報も集める必要があるな。
「あっ、忘れてた!」
「――ぅえ!?」
考え込んでいたせいもあり、突然の高い声に思いっきりビビった。振り向くと、エプロンのポケットから取り出したらしい平らなものを手渡される。
「はい、これ」
「……鏡、ですか」
綺麗に磨かれた手鏡。何故、いきなりこんなものを。疑問符が頭の中を占拠し、アレットの顔を見つめる。一度、鏡で今の容姿を確認したいと思ってはいたが。
「クリスさんから頼まれたんだ。貸してやって欲しいって」
「そう、ですか」
そこまでオレの考えを見透かされていたとは。というか、こんなに気の利くやつだったっけ。そんなことを思っていたら、鏡を受け取った手を掴まれた。
「ほら」
「ちょ、えっ!? な――」
重ねられたアレットの手の感触に思わず声が上ずる。だが、次の瞬間、鏡に映し出された姿に息をのんだ。
ゲームでは着せ替えをするたびに何度も見た姿。この世界では古城の汚れた窓に映り込んだ姿。見慣れた姿だと思っていた。この体の、ルシアの容貌。でも――まるで違う。もちろん、輪郭やパーツの形、それぞれの色なんかが変わっているわけではない。しかし、受ける印象は全く違う。
少女から女性へ移り変わる瞬間。清廉さと妖艶さ、矛盾する2つの要素が限界ギリギリのバランスで両立している。そう作ったのは自分だ。ルシアという、この理想の少女の体を作り上げたのは自分のはずだ。なのに何故、ここまで衝撃を受けているのか。
触った感触を容易に思い起こさせる、流れ落ちる黄金の滝のような髪。吸い込まれそうな錯覚を呼び起こさせる、空を写し取った蒼の瞳。ほんのり――というよりは若干強く紅潮している肌は、その一点の曇りもない白さだけでなく、生まれたばかり赤ちゃんのようなきめ細やかさがはっきりと見て取れる。
ゲームのグラフィックから、命ある実体へ。その変化によってもたらされた様々な要素が、奇跡のような存在を生み出していた。
「――」
「ホントに綺麗だよ、ルシアさん。人間なのか疑っちゃうくらい……って、おーい」
「――!?」
いかん、完全に見惚れていた。グラフィックでは再現しきれなかった己の理想の虚像に、文字通り魂が吹き込まれた奇跡の少女。そんなもの、見惚れてしまうのは男として当たり前のことなのだが、傍から見たら鏡に映った自分自身にウットリしている危ない人だ。完全にギリシャ神話のナルなんとかいう変態である。
「いや、ち、ち、違うんです。その、あまりに久しぶりに見たので、ちょっとびっくりしてたと言うか……」
「あ、うん、大丈夫だから。落ち着こ?」
アレットの苦笑いに、己の醜態に気付く。言い訳するにももっとマシなのがあるだろうに。やっぱり、この体になってから、感情のコントロールが効きにくくなった気がする。肉体が若返ったからだろうか。見た目で判断すれば、ルシアはせいぜい10台半ばといったところ。自分のそのころを思い返してみると――ダメだ、完全に黒歴史だ。これ以上考えるのはやめておこう。
「……すみません。取り乱しました」
「あはは。慌てている姿も、美人って感じから可愛いって感じになって、別の良さがあるね」
「そ、そうですか……」
年下の女の子に可愛いって言われると、ちょっとどころじゃなく凹む。もっとも、見た目は同年代か、むしろアレットの方が年上かもしれないけど。
「でも、クリスさんが心配する理由は分かったかな。ルシアさんは、もっと自分の見た目を自覚しないと」
「はあ……クリスが心配してたんですか?」
「おっと。そこは忘れて」
なんなんだ? それに、容姿については自覚しているつもりなんだけどな。まあ、鏡で確かめて衝撃を受けたのは事実だし、そもそも、自分の容姿というよりはルシアの容姿という認識だったところはあるかもしれない。それを改めろということだろうか。
「さてと――って、ああーっ! お湯冷めちゃう!」
いきなり、アレットが立ち上がった。そういえば、何故かお湯を張ったタライを持ってきてたな。
「これ、体拭くのに使って。ここさ、お風呂はないんだよね」
「へ? は、はい」
そう言って渡されるタオル。突然のことに、間抜けな声を上げながら受け取ってしまう。というか、体を拭くって言わなかったか。
「ウェセルくらいの街になると公衆浴場があるんでしょ?いいなー、この町にもできないかなー」
全く気にせずマイペースで話を続けるアレット。こっちは体を拭くという言葉に、森の中での出来事を思い出してしまった。先ほど見た自分の姿であの時の光景が――第三者視点で――脳内再生され、一気に頭が沸騰する。
「あ、あの! 体を拭くって、体を拭くってことですか?」
「うん。お風呂は我慢してもらわないとだからさ」
沸騰した頭のまま、あまりに意味不明なことを口走ってしまった。アレットは少し申し訳なさそうな表情になる。風呂がないことにオレがショックを受けたと思ったのか。そのことにに気付き、慌てて手を振って否定した。
「あ、いえ、それはいいんですけど」
「そう? なら、使い終わったら下まで持ってきてね。それじゃっ」
そう言い残し、アレットは急いで部屋から出て行ってしまった。もしかしたら、長居しすぎて怒られそうなのかもしれない。
「か、体を……拭く?」
呆然と呟きながら自分の体を見下ろす。服の上からでも柔らかそうだと分かる膨らみが見える。少し大きくなったように見えるのは、コルセットから解放されたせいか
「そりゃ当然だぜ、マスター! 清潔にしとかないとな!」
いきなり目の前まで来て、とても嬉しそうに笑いながら頷くセクハラインプ。お陰で少し冷静になれた。とりあえず、手に持っていたコルセットを投げつける。
「へぶっ!?」
吹き飛ぶバカを放置して扉まで歩く。少しだけ開けて周囲を確認した。
「――よし。お前は扉の前で待機な」
「えー」
文句を無視して叩き出す。ふう、と一息ついた。
冷静に考えてみよう。やっぱり、汗と埃にまみれたまま寝るのは嫌だ。それに、ずっと目を背け続けるわけにもいかないのだし。
「――うん。やろう」
服をに手をかける。改めて触ってみると、これも布が厚くて頑丈そうだ。恐る恐る上を脱ぐ。露出した肌にひんやりとした空気が当たり、僅かに体が震えた。
「――っ!」
薄暗い部屋の灯りに白い肌が照らし出されている。下と同じくダサいインナーの布面積は膨らみの大きさに対して十分とはいえず、谷間がはっきりと露出してしまっていた。その圧倒的な吸引力に目が釘付けになる。
「――って、ダメだ!」
首を振って、フリーズしそうになっていた頭を強制的に再起動した。体を拭く用意を頼んだのもクリスだろうからすぐには戻ってこないだろうが、あまり時間をかけるのはマズい。見惚れている場合ではない。勢いをつけて一気に下も脱ぐ。肌面積がさらに増えるが、これを濡らしてしまったら替えがないので仕方がない。
湿らせたタオルをよく絞り、まずは左腕に当てる。
「痛っ」
強くこすりすぎたのか痛みが走った。どうやら、元の体よりずっと丁寧にやる必要がありそうだ。タオルを優しく押し付けるようにして拭いていく。
「ふう……やっぱり気持ちいいな……」
決して、いやらしい意味ではなく。風呂とは比べ物にならないが、汚れた体を綺麗にするという行為は精神的にも肉体的にも非常に気持ちがいい。初めはタオル越しの体の感触にドキドキしっぱなしだったのに、いつの間にか無心に手を動かす様になっていた。自分の体が洗われる心地よさが、ルシアの身体を拭く興奮を上回ったのだろうか。
靴と靴下も脱ぎ捨てる。蒸れた足に冷たい空気が気持ちいい。
「この体って、体臭もあまりないな」
元の自分もきつい方ではなかったと思うが、この体はそれ以下だ。そんなことを思った直後、ルシアの足の臭いを嗅いでいる自分を想像し、羞恥と興奮で頭が真っ白になる。どんどん変態になっていっている気がするぞ。
最後に変なことを考えて自爆してしまったが、初めの覚悟からすると驚くほどあっさりと体を拭き終わった。少しずつでも、この体に慣れてきているのだろうか。まあ、最後とはいっても、ここからさらに先があるのだが。
「――この下も拭かないとダメだよな……」
全裸になる覚悟は流石にできずに付けたままのインナーを見下ろす。特に下の方は清潔にしなければならないはずだ。
「――っ」
自らの息をのむ音を聞きながら、恐る恐る手を伸ばす。理屈と羞恥心と性的好奇心がぐるぐると混ざり合い、視界まで回っている気がしてくる。
目を瞑り、インナーを下に降ろした。
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トントンと扉を叩く音。
「俺だ。入っても大丈夫か?」
「……ああ」
ベッドの上で毛布を被ったまま答える。入ってきた相棒は、そんなオレに心配そうな声をかけてきた。
「どうした? 何かあったのか?」
「……気にするな。マジで」
毛布に包まったままのそっけない返答。察されたくない気持ちと、察して触れないで欲しい気持ちがせめぎ合い、平坦な声になってしまった。
「――あー……これ、返してくるな」
どうやら、察してくれてしまったようだ。気まずそうな声とタライを持ち上げたのだろう音の後、部屋から出ていく気配がした。
「ぅぅぅぅぅ……」
やってしまった。性的好奇心に負けまくってしまった。完全に理性をかなぐり捨てて、あんなことやこんなことをしてしまった。我に返ってから襲ってきた、後悔と恥ずかしさでこんな状態になっている。表面的に取り繕うことすら不可能だ。とてもじゃないが、相棒に合わせる顔がない。扉の前で聞き耳を立てていたエロインプは粛清したが。
できればクリスが戻ってくる前に寝てしまいたいところだが、今でも感触と余韻が残っていてなかなか寝付けそうにない。おまけに、明日になったらどうしようという思考が延々ループしている。
そんなどうしようもない有様で、この世界での最初の夜は更けていった。




