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異世界の晩御飯

 夕食を受け取り部屋に戻ると、《シャドウベール》を解除したアドニスがベッドの上に転がっていた。杖を持っているのが怠くなったというので先に部屋に置いてきたが、いくら何でも不用心すぎる。入ってきたのが従業員とかだったらどうするつもりだったのか。


「いや、俺からもマスターがどこにいるか分かるからね。さっきそのテーブルを持ち込んできた時は、ちゃんと隠れてたし」

「なるほど……いや、誰かついてきてたらどうするんだよ」

「足音で人数ぐらい分かるって。だいじょーぶ、だいじょーぶ。そんなヘマしないから」


 表情から察したのか釈明をするアドニス。一応納得できなくもないが、ちょっとだらけてないか。


 わざわざ用意してもらった簡素なテーブルに、持っていた木のトレーを置く。ふと見ると、何故かクリスは部屋の入り口で固まっていた。


「どうした?」

「……そうか、インプか」

「あー、やっぱり見えてなかったか」


 ゲームの時は、パーティメンバーであれば《シャドウベール》発動中でも認識できたのだが、パーティというシステムそのものが消滅してしまっているのだから見えないのは当然だ。いきなり部屋の中に居たら驚くのも無理はないか。


「というか、インプと話せるんだな」

「うむ。最初に話しかけられた時はマジでビビったからな」


 あの時はホントに痛かった。無意識のうちに右手を摩る。


「言葉が分かるのは、やはりデーモンコントラクターだからか?」

「……へ?」


 相棒の言葉の意味を理解するのに少しだけかかった。


「……クリス、お前コイツの話している言葉が分からないのか?」

「全く分からん。人間以外の言語は理解できないもんだと思ってたんだが。実際、エルフ語は分からなかったしな」


 なんですと。どうやらアドニスの推測通り、オレたちにかけられている翻訳魔法はあらゆる言語に対応しているわけではないらしい。それにしても、今の短い間に2つの言語を交えて話してたのか、オレ。認識阻害のせいで全く気付かなかったぞ。やっぱりオフにしておけるように、早めに慣れておかないとだな。このままだと、いつか致命的なミスをやらかしかねない。


「そのあたりも含めて、情報を交換した方が良さそうだな」


 そう真剣に言ったところで、グーとお腹が鳴った。微妙な空気が漂う。さっきから良い匂いがするんだからしょうがない。


「食いながらにするか」


 苦笑いしながらトレーを置く相棒。ブレストプレートを器用に外すと、背負っていた大剣と共に床に並べる。


「おおー、簡単に外れるんだな、それ」

「意外にな。重装鎧じゃなくて良かったぜ。あれは1人じゃ脱げそうにないしな」


 ハイランダーは重装鎧を選択する場合も多い。クリスも一応持っていたはずだ。確かにあれは1人で脱ぐのは無理そうに思える。そんな想像をしながら、オレもローブを脱いだ。体が軽く感じる。最初から着ていたので気付かなかったが、結構な重量だったんだな。


「――っ!?」

「ん?」


 何やら、オレを見て息をのむクリス。一瞬疑問に思ったが、すぐに原因に思い当たり唇を歪める。


「ふっふっふ、あまりの美少女っぷりに見惚れたか?」

「……いつもフード被ってるからな。かなり久しぶりだぞ、はっきり素顔を見るの」

「そういうキャラだからな!」


 胸を張って宣言する。怪しいフード姿の下は絶世の美少女、というのがルシアというキャラクターの基本コンセプトなのだ。デーモンコントラクターというクラスを選んだのも、このキャラ造形にあっているというのが理由の1つだったりする。


「……なるべく人前では顔を見せない方がいいぞ」

「いや、そうしてるけど……そんなにか?」


 いや、自分でも完璧な美少女っぷりだと自負してはいるのだが、こう何度も釘を刺されるとちょっと心配になってくるぞ。思い返してみれば、あの薄汚れた窓でしか姿を確認できていないしな。


「おー、美味そうだな!」


 アドニスが起き上がって覗き込んできた。つられて、オレの意識もトレーの上に向かってしまう。考えるのは後にしよう。


 やたらと大きなパンに湯気を立てるシチュー、煮詰めた林檎のジャムとシンプルだが確かに美味しそうだ。シチューの中には何種類かの野菜と鶏肉――少なくとも見た目は――が入っている。


「お前も食べる?」

「この体だと食べても意味ないしなー。匂いだけで十分だぜ」


 そうだったのか。量は結構多めで、元が小食なこともあって食べきれるのか少し不安だ。とりあえずパンに手を伸ばす。


「硬っ!? なに、コレ?」


 文字通り石のように硬い。硬いだけじゃなく重い。殴ったら人を殺せそうだ。


「マジで硬いな。なるほど、だからナイフがあるのか」


 言われてみれば、切り分けるものはなさそうなのにナイフがある。パンに当てて引いてみると、ギコギコと食べ物を切っているとは思えない音がした。


「欧米人は、日本のパンは軟らか過ぎるって言うらしいけど、こういうことだったのか……」

「いや、向こうでも流石に現代のパンはここまで硬くはないんじゃないか」


 切ってみると石のようなのは表面の数ミリだけで、中はそこまでカチコチではなかった。それでも、食べ慣れた日本のパンと比べるとまるで違うが。シチューに浸して口に入れると程よい硬さになっている。野菜と肉の旨味が染み出していて涙が出るほどに美味しい。というか出た。


「はふ、はふ……んー、美味い、美味いよ!」

「泣くほどか……?」


 怪訝な表情の相棒。どこか余裕がありそうなその様子が少しだけムカついて、ここまでの苦労が口に出てしまう。


「ここまで来るのマジで大変だったんだぜ。森の中を半日近く歩いてさ。口に入れられたのは林檎1個だけだし」

「お、おう。そりゃ大変だったな」

「……そういうお前の方はどうだったんだ、ここまで。なんか野盗を蹴散らしたって聞いたけど」


 硬い外側をシチューに漬け込みながら訊くと、何故かため息をつかれる。


「やっぱり、そんな話になってたのか。蹴散らしてなんかいないんだがな」

「んぐ、ふぇ? ほふはほ?」

「飲み込んでから喋れよ……あー、最初から話した方がいいか?」


 思ったより熱くて飲み込めなかったんだよ。鶏肉を噛み締めながら頷く。何故か呆れた目で見られた。


「――あの時、俺はウェセルからこっちに向かって移動してたわけだが、ブラックアウトした直後、周囲の景色が一変していてな。もっとも、全く別の場所になっていたわけじゃなく、地形が微妙変わっていたり、遠くに見えていたものが消えていたりという感じだ。直前までの光景と見比べればもっと違いは見つけられたんだろうが、そんなに意識して風景を見ていたわけじゃなかったからな」


 それは普通そうだろう。しかし、ブラックアウトは共通しているが、その前後での周囲の変化はオレとは結構違ったようだな。


「その時点で異常は明らかだったわけだが、なにより呆然としていた俺をハイペリオンが正気に戻してくれたのが決定的だった」

「――ちょっと待って、ハイペリオンって誰?」


 初めて聞く名前だぞ。


「む、教えたことなかったか? 馬の名前だよ。騎乗用生物の」


 そういえば、騎乗用生物にも名前を付けられたんだったな。しかし、そんな無駄にカッコイイ名前を付けてたのか。だが、そうなると新たな疑問が湧く。


「騎乗用生物ってアイテム扱いだろ。無事だったのか」

「ああ。もしかすると、インベントリに収納していたら消えてたかもな。俺はあの瞬間乗っていたから無事だったのかもしれん」


 騎乗用生物は、乗っていない時には自動的にアイテムとして――どういう理屈なのかは分からないが――収納されている。ポーチに残されたアイテムのショボさから当然消滅すると思っていたのだが。乗っている状態ならば、アドニスと同じ扱いで一緒にくっついてくる、ということなのかもしれない。


「あいつのどう見ても生きている馬にしか見えない様子を見て、もうこれは現実何だと割り切って行動することにした」

「……それは思い切りのいいことで」


 なんだかんだと理屈をつけて認めようとしなかったオレとは、えらい違いだ。


「で、まずはお前との合流を目指そうとそのまま街道を走らせていたところで、ガストンさんが襲われているところに出くわしたというわけだ」


 なんだそれは。物語の主人公か何かですか。


「完全にヒーローのポジションじゃん。それで、蹴散らさずにどうしたんだよ?」

「どうしたも何も、襲撃に気付いて慌てて駆けつけた時には、もう相手は逃げた後だったからな」

「逃げたって、何もせずに?」

「ああ。これはガストンさんから聞いた話だが、襲ってきたのは傭兵崩れとかじゃなくて食い詰めたどこかの村人だろうってさ。見るからに慣れてない様子だったらしい。確かにチラッと見えた限りでも、武器なんかはショボそうだったな」


 なるほど。素人が非武装の相手を襲っていたところに、完全武装のクリスがやって来たと。それは逃げ出すのも不思議ではないな。


「未遂とはいえ強盗犯を放置はしたくなかったんだが、ガストンさんを残して追うわけにもいかないからな。この町まで護衛という名目で同行した」

「その話に尾鰭がついて、颯爽と駆けつけて野盗を蹴散らした英雄譚になってるのか……というか強盗犯

って、流石に仕事のことは忘れろよ。状況が状況なんだし」


 我が幼馴染のリアルの仕事は警察官だ。杓子定規というわけではないが、元より正義感の強い男である。


「それは分かってるさ。この町の兵士に状況は伝えたし、明日にはウェセルに伝令を出すそうだ」


 この町自体は庇護下になくとも、野盗が出たのはウェセルまでの街道、情報を伝えればアズレイドが対処してくれるのだろう。


「ふーん……ところで、そのハイペリオンはどうしたんだ?」


 もうインベントリに収納というわけにはいかないのだし、どこかに預けたりしているのか。


「あいつは町の厩舎に預けさせてもらってる。この町では基本的にそうするらしい」

「はふほろ」


 内側だけをくりぬいたパンにジャムをつけて齧ると、程より酸味と甘みが口の中に広がる。こってりしたシチューの後ということもあり美味しさ倍増だ。問題は、パンがまだ半分も減っていないことか。


「だから、口に入れたまま喋るな……しっかし、所持アイテムも装備もほとんどなくなっちまったってのは、やっぱりきついぜ。今になってへこんできたぞ」

「んぐ……今更かい」


 まあ、クラスの違いもあって、オレとクリスじゃ失った装備の価値にはかなり差があるからな。ダメージもより大きいのだろう。


「唯一残ったのがコイツだってのが、不幸中の幸いだけどな」


 そう言って床の大剣を見る。今のオレの身長より大きそうな巨大な両手剣、ストームブリンガー――というのは相棒が付けた名前で、ゲーム上のアイテム名はただの〈クレイモア〉だ。ただし材質が尋常ではない。


 ゲームにおける装備品は、クエスト報酬やボスドロップなどの限定装備とPCが専門職技能で作成した生産装備の2種類に大きく分けられる。オレの〈縛鎖の魔杖〉と〈契約者のローブ〉はどちらも限定装備だ。一方、相棒の〈クレイモア〉や〈ブレストプレート〉は生産装備であり、それぞれレシピ通りの素材を集めればいくつでも同じものを作ることができる。そして材質ごとに必要な素材が異なるのだ。


 相棒の〈クレイモア〉は、あの時点では最高の性能を誇ったラグナタイト製で、その入手難度とスペックはほとんどの限定装備を軽く凌駕する。ラグナタイトは、遥か昔にこの大陸の大部分を支配していた巨大帝国――ラグナ=アズリアで生み出された人工魔法金属だ。重ミスリルの別名を持つこの金属の製造方法は帝国の崩壊と共に失われてしまったため、現在では遺跡の中で極稀に発見されるものしか入手手段がない。あまりの希少さにゲーム中の市場にもほとんど出回っておらず、お金で買おうとすれば法外な額を吹っ掛けられた。


 さらに、なんとかして必要数を集めても、それだけではこの武器は手に入らない。というのも、ラグナタイトの加工方法もまた帝国の崩壊と共にほとんどが失われており、ドワーフのある一部族だけに伝承されているという状況だからだ。武器鍛冶師――武器を生産できる専門職技能――は、このドワーフの部族を探しだして教えを乞うクエストをクリアすることで、ようやくラグナタイト製の武器を生産できるようになる。それ故に、持っているだけで尊敬を集める代物だった。


 自身が武器鍛冶師だったクリスは、自分で作れるようになるためにこのクエストに挑戦した。オレもそれに付き合ったのだが、文字通り大陸中を巡らなければならない難易度も面倒くささもトップクラスのクエストだった。全てを乗り越え〈クレイモア〉を完成させた時のこいつのはしゃぎっぷりは、今でもよく覚えている。


「で、俺の方はそんな感じだったわけだが、お前はどうなんだ? 森の中が大変だったのはさっき聞いたが。それにお前のことだ、俺とは違っていろいろ考えてるんだろ?」


 この状況を説明して欲しいと言っているのか、それは。普段から考えるより先に行動しがちなやつだが、いくら何でも丸投げ過ぎないだろうか。曲がりなりにも警察官だろう、お前。


「……まあ、いいんだけどさ。ただ、オレの話をする前に――」


 すでに食べ終わっている相棒の前に、残っているパンとシチューを差し出す。


「もう無理。食べて」

「おい」


 しょうがないじゃん。この体、元の体よりさらに小食みたいだし。ルシアとクリスの体格差を考えればこうなるのは必然だろ。もともとオレに渡された量はクリスのよりもかなり少なかったけど。


「……はあ……ったく、しょうがないな」


 ため息をつきながらも、相棒は差し出されたパンを受け取った。その前に、少しだけ葛藤するかのような間があったのは、オレの気のせいだったのだろうか。

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