第一村人との接触
森を抜け、家々が視界に入った頃には、もうかなり日が傾いていた。
「はぁ……はぁ……やっと……着いた……」
祠を発った時にはマックスだったテンションは、疲労と空腹と喉の渇きよってすでにどん底だ。それでも、人里に着いたという安堵から少しだけ余裕が戻ってきた。
「どうだ、マスター? やっぱり、マスターが言っていた街とは別物か?」
アドニスの問いに、立ち止まって息を整えながら観察してみる。舗装されてはいないものの、今まで歩いてきた道とは全く規模の違う、整備された街道が遠くに見えた。その街道を中心として多くの建物が広がっている。
いやいや、これは村じゃないだろ。この距離からでも建物の規模と数は見て取れる。それだけで、村という言葉のイメージからは程遠い。もちろん現代の街ではなく、所謂ファンタジー的な村の基準でだ。オレの知るウェセルよりも、建物の数だけならよほど多いのではないだろうか。
「――なあ、アドニス。お前の基準だと、あれって村なの?」
あれを村と言い切るとは、コイツの暮らす魔界はここよりも都市の規模がずっと大きいのだろうか。
「あれ?違った? じゃあ、あれがその何たらって街なのか?」
「……いや、ウェセルとはやっぱり違うな」
そう、村とは呼べない規模であることは間違いないのだが、ウェセルとはまるで違う。広さや建物の数はともかく、ぱっと見で全体的にしょぼいのだ。見上げるような議事堂も豪奢な貴族の館も見当たらない。周囲を囲んでいるのも、堅固な石の防壁ではなく簡素な木の柵だ。あれでは獣避け程度の役にしかたたないだろう。だいたい、ウェセルはこんなに森のすぐそばにある街ではない。
「街ではなく町って感じかなー……でも、何か違和感があるんだよな。広すぎるような――」
言いながら、感じた違和感の正体に何となく気付いた。もっとも、まだ確証を得るには程遠いが。まずは、ここがどこなのかを確かめなければ。それに、村だと聞いて諦めていたが、あの大きさの町であれば冒険者連盟の支部があるかもしれない。
「ふーむ。こっちじゃあのくらいだと村とは言わねーのか……どした、マスター?」
「いや、とにかく行こう。中に入ったらいろいろ分かるだろ。何より、早く水が飲みたい……」
一時的に忘れていた喉の渇きがぶり返してきた。とにかく水だ。なにせ、この世界に来てから摂取した量より、出した量の方が明らかに多いしな。などと、ちょっと下品な思考がよぎる。
「りょーかい。んじゃ、俺は《シャドウベール》で隠れてるから、話しかける時は注意しろよ。危ないやつになっちまうからな」
「へ? 隠れる必要あるのか?」
「いやいや。これでも魔族だからね、俺。普通のやつからすれば、こっちに侵攻してきてる連中とは違うなんて分かるわけねーだろ?」
言われてみればそうかもしれない。ゲーム中では他の召喚生物と同様に普通に街の中でも連れ歩けたが、魔族と戦争中という世界設定からするとおかしいのではないか、という意見もあった気がする。流石に、連れていると街に入れないというのは不便すぎるため、ゲーム上の利便性を優先していると思われていた。
「……あれ。そうなると、この格好もマズいかな?」
現在装備中の〈契約者のローブ〉は、デーモンコントラクター専用という代物だ。土やら葉っぱやらで汚れまくっているが、知っているやつが見れば一発でバレる。デーモンコントラクターの存在がどの程度認知されているのかにもよるが、いきなり捕まったりする可能性もあるのだろうか。
「んー……それ見て分かる奴はご同類ぐらいだと思うぜ。むしろ、マスターの場合は下手に顔を晒した方がトラブルになると思うしな」
「顔晒すとトラブルになるってどういうことだよ!?」
どんな顔ならそうなるんだ。指名手配犯か何かか、オレは。
「そりゃ、マスターみたいな超絶美少女が1人で旅してるとか、どう考えてもトラブるじゃん」
「お前――」
またふざけているのか。そう怒鳴りかけたが、真剣そのものの表情と声に思いとどまる。確かに、現代日本と比べれば治安は遥かに悪いだろう。こいつの言っていることも一理あるのかもしれない。なにせ、オレが全霊を込めて作り上げた理想の少女なわけだし。面と向かって言われると、ちょっと恥ずかしいが。
「あ、でも、その杖は何とかした方がいいかも。ごついっていうか、禍々しいっていうか、とにかく怪し過ぎるぜ」
「む」
この杖――〈縛鎖の魔杖〉は、こいつの言う通りごつくて禍々しい見た目の上、華奢なルシアに対して大き過ぎる。そのため、全体として非常にアンバランスだ。客観的に見れば、控えめに言って死ぬほど怪しい。
「といっても、どうしようもないしな。また、お前に持っていてもらうか」
「そうなるかー。クソ重いんだけど! それ!」
これまでにも、急斜面を上る時に両手を開けるため、何度か杖だけ運んでもらっていた。《シャドウベール》使用中のアドニスが持っている間は杖も認識されなくなるらしいので、町中でも気付かれることはないはずだ。
「布か何か手に入れられたら巻き付けるから、それまで辛抱してくれ」
「早めに頼むぜー、マジで」
「分かってるって。よし、行くか!」
森の方から行くと怪しまれるかもしれない。念のため、一度迂回して街道から行くとしよう。
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町から少し離れたところで街道へ出た。もう夕暮れが近いからか、道の広さのわりに人通りは疎らのようだ。街道の先、町の入り口と思われる場所には簡素な作りの門があり、槍を持った兵士が2人立っている。特に出入りする人を止めている様子はないが、一応はチェックをしているのかもしれない。
「だ、大丈夫かな?」
「だから、話しかけるなって! 堂々としてればいいんだよ。おどおどしてたら余計怪しいぞ」
頭では分かっているけど、この状況で堂々とできるほど神経太くはないんだよ!
できる限り普通にを心がけながら、入り口へと近づく。どうやら、兵士と言っても民兵か何かのようだ。槍はともかく、身に着けている鎧はかなりぼろい。これなら、何かあっても逃げるのは難しくなさそうだ。ダメだったら一度離れて、人通りが無くなってから《マインドブランク》を使って通り抜けよう。そう思い、少しだけ気を緩めたところで――
「む。ちょっと待て、そこの君」
――いきなり話しかけられた。
「ぅえ!? な、なんでしょう?」
他の人たちはスルーしてたのに、オレにだけ声かけるのかよ!やっぱり、見た目が怪しいのか?突然のことに、思わず上ずった声が出た。ますます怪しい。
「――っ! 女性か! その……違ったら済まないんだが、ひょっとして賊に襲われたのか?」
「……え?」
間抜けな声が出た。賊に襲われたって……オレが?
冷静になろう。どうやら、この人はオレが何者かに襲われたのではないかと、心配して声をかけてきたようだ。では、何故そう思われたのか。今の外見を思い出す。着ているローブは土や葉っぱにまみれている。そしてもう1点、今のオレは手ぶらだ。ポーチはローブの下で見えないし、外見上は荷物を何も持っていない。
……なるほど。明らかに普通の旅姿じゃないな。襲われて荷物を奪われたように見えるかもしれない。体の大きさからしても成人男性には見えにくいし、心配されるのも不思議ではなかったか。
「あ、いえ、大丈夫です。汚れてるのは、ちょっと森に入っただけで、荷物も最初から最低限しか持ってなかったので」
手を振って、何でもないとアピールする。怪しまれていたわけではなかったようだが、勘違いで事情聴取とかされるのは勘弁願いたい。
「いや、それならいいんだ。勘ぐられて気を悪くしたのなら謝るよ。東から流れてきた傭兵崩れが狼藉を働く事件が起こっていると、最近噂になっていてね。君も気を付けて」
なんだろう。良い人過ぎて逆に拍子抜けしてしまう。よく見てみたら、顔も爽やか系でなかなかのイケメンだった。イケメンは心までイケメンなのか。クソが。
心の中で、あまりにも小さい悪態をつく。せっかくなので、こいつに少し教えてもらうとしよう。
「あの、少しお尋ねしたいことがあるんですが、よろしいでしょうか?」
「ああ、いいとも。今は手も空いているしね」
「おい。いつまで話してるんだ」
もう1人の兵士が横から咎めるように割って入ってきた。見たところ、オレを呼び止めた兵士よりも随分年上のようだ。
「すんません、班長。こちらの女性が、訊きたいことがあるそうなんで」
「訊きたいこと?」
上司だったのか。班長はこちらを探るような眼で見てくる。こちらの人の良過ぎる兵士と違って、怪しまれているのかもしれない。少し慎重に言葉を選んだ方がいいだろうか。
「あの、ここはアズレイドの領内でよろしかったでしょうか?」
何より知りたいのは、ここがどこなのかだ。この世界の地理がゲームと同じなのかどうかを確かめたい。こればかりは怪しまれることを覚悟の上での質問に、2人は――なんとも微妙な表情を浮かべた。そして、困ったようにお互いの顔を見る。
「あ……あの?」
そこまで変な質問だったのか?心配になり相手の顔色を伺うが、どうやらこちらを不審に思っての態度というわけではなさそうだ。
「あー、いや……んー、そんな質問をしてくるってことは、ここがアズレイドとラーナの境にある町っていうのは、知ってるんだよね?」
「――っ! は、はい!」
何とも歯切れの悪い口調で、逆に尋ねられた内容に、思わず声が上ずってしまった。アズレイドとラーナの境ということは、やっぱり、あの城は『グランリアナの古城』だったのだ。この世界の地理はゲームと同じである可能性が一気に高くなった。
すでに、質問した目的の大部分は達せられた。心の中で、拳を振り上げ歓声を上げる。そんなオレに構わず、兵士たちは歯切れの悪いまま話を続けてくれる。
「この町は、どちらの国に属しているのかはっきりしてないんだよ。正確には、近くの村も含めてここら一帯は、だけど。一応形式的には、どちらからも自治権を認められているけど、独立都市ってわけでもないし……」
「もともとが小さな村だったからな。アズレイドもラーナも、そんな村1つのために対立するのもわりに合わないと思ったんだろう、わざと帰属を曖昧なままにしていた。ところが、その曖昧さを両国の商人たちが利用して取引の場として使い始めてから、あっという間にこんなに大きくなっちまった。そうなると、両国とも無視できなくなってきてな。今や、どちらに属するのかというのは、デリケートな話題なんだ」
「流石に戦争になったりはしないと思うけどね。お互いの国の商人たちが使っているんだから」
若い方の兵士は、やれやれという感じで肩をすくめたが、班長さんの方は苦虫を嚙み潰したような顔で、長々と事情を説明してくれた。口振りからして、小さな村に過ぎなかったころを知っているのか。故郷が発展したのは嬉しいが、国と国との諍いに巻き込まれかねない状況は苦々しく思っているのだろう。
「そうでしたか。そんなことを訊いてしまってすみませんでした」
「いやいや、気にしないで。こんな事情、よその人が知ってるようなことでもないからね」
特に気分を害している様子ではなさそうだが、一応頭を下げて謝罪しておく。ふと、兵士たちの後ろ、外れた看板のようなものに刻まれた文字が目に入った。『リューベルン』と書かれている。この町の名前だろうか。ゲームにはそんな町は存在しなかったはずだ。先ほど思いついた仮説が、また少し補強された。
「訊きたいことって、それだけかな?」
別の話を切り出そうとしたところで、向こうから振ってくる。ちょっと親切過ぎないか、こいつ。オレが若い女性だと分かったからじゃないだろうな。
「いえ、もう1つだけ。今日の宿を取りたいんですけど、この町に冒険者連盟の支部はありますか?」
「冒険者連盟? 班長、分かります?」
んん? 連盟の支部がないのは仕方ないとしても、冒険者連盟という存在自体が知られていないのか? これはちょっとどころじゃなく予想外な反応だ。大陸中にネットワークを持つ、巨大組織のはずなのだが。
「いや、知らん。まあ、人だけは多くなったが、まだまだここは田舎だからな。冒険者というのは……名前からして、ミルス神に関わるものか?」
「あ、はい、そんなところです」
嘘ではない。元をたどれば冒険の神ミルスに由来するものだ。それにしても、田舎だからって冒険者が分からないというのは、いくら何でもおかしい気がする。この世界に対する認識を、修正しなければならないのかもしれない。
「ああ、でも、宿を取りたいのなら紹介するよ。女性が1人でも安心して泊まれるところがいいだろう?」
「ありがとうございます。それは、是非お願いします」
本当に親切だな、この人。まあ、助かるからいいんだが。落ち着いて考える場所が必要だし、なによりいい加減体も限界に近い。
「えーと、それじゃあ――」
若い兵士は、宿の名前と場所を丁寧に教えてくれた。最初に抱いたイケメンへの敵愾心も、ここまでくるともう霧散してしまう。
異世界の町。そんなロマン溢れるフレーズに少しだけ胸を躍らせながら、門から町の中へと足を踏み入れる。そんなオレの背中に、兵士から声が掛けられた。
「おっと、忘れてた。ようこそ、リューベルンへ!」




