九話:退魔師のお仕事見学ツアー
午後の授業は私にとって中々に有意義なものだった。
「あー、この問題、次は誰に解いてもらおうかな」
先生が誰を当てようか思案している間、そっと横の空間に視線を走らせる。
そこには、パジャマ姿の幽霊である幸子が興味深々な表情で授業風景を眺めていた。
横顔には憧れ、憧憬といったものまで含まれていて、孤独に闘病生活を送っていたのだということを伺わせる。
「楽しい?」
幽霊にだけ聞こえる特殊な発声法でそっと囁いた私に、幸子は顔をぶんぶんと上下に振って肯定の意を示してきた。
自分が今置かれている状況が幸せで仕方ない、そんな生き生きとした顔をしている。幽霊なので顔色は悪いが。
「私、入院してたからまともに外に出たことってほとんど無かったんです。でも家族から外の話を聞いて、ずっと憧れていました。こうやって皆と一緒に授業を受けるのが夢だったんですよ」
「そう。夢が叶って良かったわね」
「夜子さんのおかげです」
肘をついて口の端に笑みを浮かばせる私に、幸子は満面の笑みを返す。
私と幸子の間に漂う空気を割くように、教師が珍しく私を指名してきた。
「それじゃあここの英訳を……たまには黄泉にやってもらおうか」
「あ! 当てられちゃいましたよ! だ、大丈夫ですか? 分かりますか? 私にはさっぱりです!」
当事者でもないのに私の代わりに慌てふためいて幸子は目をぐるぐるさせている。
噴出しそうになるのを堪え、すまし顔で立った私は、黒板まで歩き示された部分の文章をすらすらと日本語から英語に訳していく。カッカッとリズミカルに響くチョークの音が小気味いい。我ながら自分の字の奇麗さにも惚れ惚れしてしまう。自画自賛だけど。
書き終わり、最後に書き間違いなどのミスが無いか確認する。ついでにサービスとばかりに英文を完璧な発音で読み上げてやった。
「おお、相変わらずネイティブ顔負けの滑らかな発音だな。スペルミスも無い。英訳も完璧だ。座っていいぞ」
目を丸くして拍手してくる幸子に、他の生徒には気付かれないようにニヤッと笑って左手でこっそりブイサインを送った。
席に座り直した私は、授業を続ける教師の声を、板書の内容をノートに書き写す手を止めずに聞く。
手元に開いたノートには、板書の他にも教師が口頭で述べる補足からちょっとした雑学まで様々なことがメモされている。板書の速度が中々に速く書いては消すタイプの教師なので、ちょっとサボっているとすぐに消されてしまう。
普通の生徒なら必死になって取らなければいけないだろうが、速筆の私にはむしろちょうどいい速さだった。手を動かしながら幸子と会話する余裕すらある。というかそもそも、連絡事項以外で最近クラスメートに話しかけられた記憶がさっぱり無い。最後に話しかけられたのは何時だったか。
「病院での暮らしはどうだったの? ……やっぱりつまらなかった?」
遠慮がちに尋ねた私の問いかけを、幸子はぱたぱたと手を振って笑顔で否定する。
「楽しかったですよ? 病院で知り合った友達もいましたし、皆優しくしてくれましたから。お母さんも私が退屈しないようにって、お見舞いに来るたびに本とかゲームとか持ってきてくれて、こう見えても結構甘やかされて育ったんです」
懐かしそうに語った後何故か胸を張り、自信満々にいう幸子。
その際ついちらりと幸子の胸に視線をやってしまった私の行動を目ざとく見咎め、幸子は「にしし」という擬音がつきそうなくらい、いたずらッ気に満ちた笑顔を浮かべた。
「あ、今胸を見ましたね。もう、意外と夜子さんってエッチなんですね。実は同性でもいけるクチだったりします?」
「あはは。ついぞこの方、恋愛対象が同性だったことはないね。一応ノーマルのつもりだよ」
ちょっと際どい話題をさらっと流す。
私は構わないが、人によっては敬遠されかねない話題の振り方だ。だいたいちょっと同性の胸を見ただけなのに、どうしてそういう発想が出てくる。
それに悲しいかな、私が気になったのは胸ということ自体に違いはないが、別に性的な意味ではない。胸を張っても生地の薄いパジャマの上からでさえささやかで目立たない、というか見上げるほどの絶壁である彼女に対して、お姉さんほどではないが富める胸を持った者として羨ましさを覚えてしまったのである。
だって大きいと凝るんだよ、肩が。男子の見る目もどことなくいやらしくなるし、男女ともに顔より胸にまず目が行くようになる。見られる側としては、大きくてもいいことはあまりない。
というか恐るべきは幸子のマシンガントークと遠慮の無さだ。境遇からしてみれば仕方なかったのだろうが、他人との距離の取り方があまり上手でないように思える。病院暮らしで人間関係に疎かったせいもあるだろう。基本的に会話の適切な間というものを知らないのだ。普段とことんマイペースな私に言えた義理じゃないけど。
そんなこんなで幸子の相手をしているうちにチャイムが鳴り、最後の授業が終わった。
ホームルームが済むとさっさと教室を出る。今日の放課後は仕事の予定が入っているのだ。でも、幸子のことはどうしようかな。
人通りは多いが、それが返って私を周囲に埋没させて目立たなくさせるから、対幽霊用の発声法を使わず普通に幸子と会話していても、小さな声でならあまり問題はない。
廊下を歩く後ろから憑いてくる幸子に、私は声をかけた。
「ねえ、どうせならちょっと私のお仕事見学してみない?」
目を丸くする幸子に、私はいたずらっぽく笑いかけた。
「え、お仕事ですか? 夜子さんって高校生ですよね? なのにお仕事してるんですか? ……はっ、まさか、性的なお仕事ですか!? わ、私その道に引き込まれたりしちゃいますか!?」
おい。何故そこで鼻息を荒くする。何を妄想しているんですか、あなた。
幸子を見る目に呆れをたっぷり含ませ、じとっとした視線を送ってやる。
「どうして仕事ってだけで性的な仕事になるのよ。退魔師としての仕事よ。分かりやすくいえば悪霊の除霊とか、妖怪の調伏とか、そういうの。……まあ、まだ高校生だから、仕事っていっても指定された依頼をこなすだけのバイトみたいなものだけどさ」
「あ、そうだったんですか。そうですよね。早とちりしちゃった」
テヘ、と可愛らしく舌を出しておどけてみせる幸子。くそう、普通ならイラッとするしぐさなのになんか可愛いぞ。
気を取り直し、再度尋ねる。
「それで、どうする? というかパイプラインを繋いでる関係上一緒に来てくれないと困るんだけど、どうしても嫌ならいいわよ。仕事は他の人に引き継いでもらえばいいから」
「はわわわわ、私なんかのためにそんなのとんでもない! もちろんお供します!」
「そ。なら行きましょうか」
私は幸子を促し、歩き出した。




