七話:超能力社会に潜む幽霊たち
私が通う高校はそこそこ高めな偏差値であること以外は、よくあるごく普通の公立高校だ。
超能力開発が各高校のカリキュラムに組み込まれるようになってもそれは変わらず、偏差値を上げるために努力するのと同じような感覚で、生徒たちが己の超能力を鍛え上げる光景が日常として風景に溶け込んでいる。
でも実は普通じゃない部分もあって、心霊マニアの間ではその手の話に事欠かない心霊学校でもあった。
在校生の間で自分たちが通う高校にそういう噂があるのは周知の事実で、心霊現象の渦中にいつも私がいることは、ある程度私の近くにいる者から見れば一目瞭然であった。
よって学校での私はいつも腫れ物のように扱われている。いわば一種のハブられ者だ。
別に苛められているわけではないから、私自身は特に気にしていない。
普通なら私みたいに悪い噂が立っていて一人でいる者は苛めの標的になりそうなものだが、私の場合回りの霊たちが気を利かせて勝手に反撃してしまうから、苛めっ子どもは私を恐れ必要以上に近寄って来ない。
表向き無能力者で通っている私がそんな渦中にいるのはいかにも不自然で、当然教師たちに怪しまれて調べられたりもしたが、私は知らぬ存ぜぬで押し通した。
超能力社会ということで、当たり前のように読心や過去視などの一発で秘密がばれそうな能力者たちもいたものの、彼らについては機転を利かせた幽霊が憑依して操り、記憶を改竄することで事なきを得た。
幽霊たちが協力してくれるおかげで私は穏やかで充実した学生生活を送らせてもらっている。それに話相手には意外と事欠かないものだ。
私に群がる霊たちは過去に私が何かの折りに手を貸した霊たちで、皆私を慕っている。だからか成仏こそしないものの生きとし生けるものへの憎悪は薄く、どこか能天気だ。あのお姉さんも口では私のことをよく憎らしい、妬ましいとよく口にするが、あれは彼女にとって、一種の捻くれた愛情表現である。何せ彼女は、私が熱を出して倒れた時、慌てふためいて必死に看病しようとしてくれたことがあるほどのツンデレさんなので。
そんな彼らがいてくれる幸運を忘れないように自らを戒めている私は、日々彼らとコミュニケーションを取ることを欠かさない。
例えば私の朝は同居人の幽霊たちを蘇生させることから始まる。その後朝食を彼らに振舞い一緒に食卓を囲み、食べ終わったら食器を水に漬けて腹ごなしのランニング。大抵ちびっ子二人やお兄さんのうち誰かが付き合ってくれるので一緒に走る。三人ともついてきた時は、普段は食事後に動きたがらないお姉さんも一人になるのが嫌なのかジャージ姿でしぶしぶついてくる。
本来ならアパートの部屋から離れられない自縛霊のお姉さんがアパートを離れられるようになったのも、蘇生の恩恵の一つだ。外で幽霊に戻っちゃったら、また強制的に部屋に引き戻されるけど。
ちなみに蘇生している間の彼らの生活費やお小遣いは全て私が負担している。お姉さんが中々の浪費家なので、結構金額が馬鹿にならない。後々労働で取り立てるつもりだから覚悟していてもらおう。
ランニングが終わると幽霊たちはそれぞれの予定に沿って遊びに行ったり散策に行ったり二度寝をしたりし始めるので、私も洗い物を済ませシャワーを浴びて汗を流し、手早く昨日の夕飯のおかずと今日の朝食のおかずを組み合わせて弁当を作り、身支度して登校する。
どんなに遅くなって遅刻しそうでも、女子のたしなみとして身だしなみだけは欠かさない。だらしない女と思われるのはごめんだし、例え素材が良くたって、それを維持するためには日々の弛まぬ努力が必要だ。
大多数の生徒たちとは登校時間をずらしているので、通学路はいつも閑散としている。通勤ラッシュの時間帯ともずれているので人の姿はほとんど見ないが、幽霊はよく見かける。彼らを観察し、悪霊がいないか探すのも私の日課だ。困っていそうな霊がいたら助け、悪霊を見つければ寄り道してそれを祓う。そのためにかなり早く家を出るようにしている。
人に悪意を持って襲い掛かる霊は一般的に悪霊と呼ばれるが、私たち退魔師が使う悪霊の定義はそれだけではない。
死んで幽霊になった瞬間、人は死因が反映される形で外見が固定される。病死ならそれらしくやつれた姿になるし、交通事故死なら血だらけの目も当てられないような姿になる。本人が死んだことに気付いてなかったり、自覚している死因が実際の死因と違ったりすると別の姿になることもあるが、それは例外でほとんどは死亡時の姿になることが多い。
この世に未練がなければそのまま成仏し、未練があれば浮遊霊や自縛霊になって現世に留まるのだが、どちらにしろ幽霊になった時点で彼らは全ての肉体的苦痛から解放される。だが稀に死亡時の痛みが幻痛として生々しく残ったまま幽霊になってしまうケースがある。そうなると幽霊となった人間は平常ではいられない。ありもしない痛みに泣き喚きながら助けを求め、のた打ち回るはめになる。
痛みが残る原因はいまだ解明されていない。死亡時の痛みの程度によるという説もあるし、本人の資質によるという説もある。どちらにしても、共通しているのは結局分からないものは分からないという、幽霊本人にしてみればどうしようもない事実だけ。
成仏させようにも幽霊本人が落ち着いて成仏できる状態ではないので、基本的な対処方法は祓って消滅させるしかない。回りの幽霊に助けを求めようにも、普通の幽霊にできることはせいぜいが物を動かしたり生者の体調を悪くしたりする程度だ。生前の超能力を死後も運よく保持できたか、力のある幽霊に術を学ぶか、または元々退魔師だった人間が死んで幽霊になったなどの特殊な例でない限り、事態解決には何の力も持たない。
だからこそ、たまたま通りかかった人間に祓ってもらえた幽霊は幸運だ。痛ましいことに、大半は結局誰にも助けて貰えない。彼らは成り立てで力の使い方を知らないから、生者への干渉の仕方すら知らないのだ。誰にも気付かれず、誰も自分を助けてくれないことに絶望し、自然に痛みが消える頃には正気すら失ってしまって、助けてもらえなかったことに対する深い恨みだけで行動するようになる。そんなケースで人を襲うようになった霊も私たちは悪霊と呼称する。
なので私が行う通学途中の見回りには、そういう悪霊になりかけている霊がいないかチェックする意味も込められている。今まではそんな霊に出会っても普通の悪霊と同じように有無を言わさず祓うことしかできなかったが、新しい力で一時的に苦痛を消すことができるようになったので、成仏させたり悪意を持たない普通の幽霊にしてあげることができるようになった。これは非常に喜ばしいことだ。
学校に着いたら学生としての本分である勉学に集中する。日々の予習復習を欠かしていない私は、超能力意外の実技では、座学を含めて成績上位者にいつも名を連ねる優等生として通っている。先生に当てられた時に難しい問題をすらすらと解いてみせ、驚嘆と嫉妬交じりの視線を浴びるのが、最近の密かな楽しみの一つである。