三話::私の家は幽霊屋敷
大きな音を立ててしまったので、人が来るまでに逃げなければならない。心霊スポットといえど、明確な異常があれば人はやってきてしまう。
一応人目に触れないように気をつけているけど、やっぱり高校生の身でごっこ遊びというのは恥ずかしい。しかも幽霊は基本的に自力で見ることができる私のような退魔師か、幽霊が自分から見せようとした対象にしか見えないので、傍目から見たら一人で会話をしていたと思ったら唐突に演技を始めた危ない人にしか見えない。
後ろからひんやりとした冷気が追ってくる気配がした。幽霊たちの移動は大なり小なり温度の低下をもたらすので、霊視をせずとも大体分かる。
調子に乗るから口には絶対出さないけれど、夏場の幽霊たちの存在は助かっている。いるだけで辺りが涼しくなるので、クーラー要らずなのだ。
心持歩く速度を緩めると、生意気そうな面構えが横に並んだ。
「悪かったって。女がやるとあんなに変だなんて思わなかったんだから仕方ないだろー。あ、そうだ。あいつにも見せてやってよ。魔法少女の変身シーンの再現とか喜ぶんじゃね?」
「断固として断る。高校生にもなって魔法少女とか何の罰ゲームよ」
「そう言わずにさー。年齢なんて、力を使えばいくらでも縮められるだろ。ほら、ちょっとした人助けだと思って」
へらへら笑いながら身振り手振りで拝んでくる奴には、幽霊にありがちな陰気さがかけらも無い。見た目は少々グロいが、それにさえ目を瞑ればただのどこにでもいる生意気な悪ガキだ。
「簡単に言ってくれるわね。そりゃ出来るだろうけど、嫌よ。少なくとも外では絶対やらない。まあ、家でなら考えてやらないこともないけど」
「やりー! 家の中でもいいから約束な!」
奴が拳を握り締めてガッツポーズする。こう見えても惚れているだけあって、奴はあの子には優しい。
……まあ、私も家でなら誰に見られる心配も無いし、たまには童心に帰って子どもに混じって遊んでもいいか。
ああこうして黒歴史は増えていくのね、と涙を拭う振りをしつつ帰宅した私を、物陰から半身を隠すようにしてこちらを見ている小さな影が出迎える。
件の女の子である。
黒髪をボンボンがついたゴム紐で二つ結びにし、袖の無い白いワンピースを着たあどけなさが色濃く残る可愛らしい女の子。ただ顔色が病的に青白く、白いワンピースが所々破れまだらに赤く染まっているのが難点だ。破れた箇所からは血に塗れた無残な傷跡が覗いていた。
これは彼女が生前に包丁で滅多刺しにされたことを示している。彼女に限らず幽霊というものは死んだ直後の状態のままなので、大抵は悲惨な姿をしている。これでも彼女たちはまだ五体満足の姿が残っているだけ奇麗な方だ。酷い個体はもっと酷い。
「ただいまー。留守番ありがとうね」
「今帰ったぞっ!」
「おかえりなさい」
女の子は私が今いるキッチンまでやってきて、私にぺこりと頭を下げると奴の手を引いて私の部屋へと消えていく。奴も女の子も幽霊なので障害物など物ともせず、扉を文字通り擦り抜けていった。幽霊ならば誰でもできる必須技能である。
というか、私の部屋に当たり前のように勝手に入らないで欲しいんだけど。私はあんまり部屋に誰かがいても気にする方じゃないとはいえ、ここまで遠慮がないと何だか釈然としない。
「相変わらず便利な身体だこと……。そう思いません?」
「……あたしに振らないで」
ヤレヤレと軽口を叩けば、しばらくの沈黙のあと呻くような声で返事が返ってきた。
返事の主は恨みがましい目で玄関に立った私を見下ろしている。実は身長は私の方が高い。なのに何故私を見下ろせるのかというと、天井から伸びたロープで首を釣っているからである。
彼女は私よりもニ、三歳年上の女性だ。出るところは出て引っ込むところは引っ込んだグラマラスなボディを胸元が大きく開いた際どいドレスで包み、少々お水っぽく見えてしまうが、派手な容貌に似合う濃い目の化粧をしている。
濡れたような眼差しと、泣きぼくろがセクシーさを強調し、元々は大層な美人だったことを伺わせるが、幽霊なので現在の様相は推して知るべし。
この人は元ホステスだ。
結婚までした男に浮気されて逃げられ、男が踏み倒した法外な借金を肩代わりさせられた挙句に高額の保険金をかけられて殺されかけ、世を儚んで首吊り自殺した。
ラフな服装ではなく仕事時の格好で幽霊になっているのは、例え死んでも他人にだらしない姿を見られたくなかったのと、盛装姿が彼女なりの死に化粧だったようだ。しかしその決意も、死後幽霊になった今では台無しである。だって見た目首吊り死体だし。
私が借りているこの部屋は元々彼女と男のささやかな愛の巣だったらしく、異様に安く提示された家賃にこれは何かいるなと予想して契約してみたら、案の定彼女がいた。
普通の人間に対するように、彼女は私を心霊現象で脅かしつつ追い出しにかかったのだが、私は彼女の同類を引き連れることが日常茶飯事で慣れきっていたので、「あ、やっぱりいるんだ」と軽く流しただけで終わった。
彼女はそれが大いに不満らしく、ことあるごとに目の前で脱糞してみせたり、何かのホラー映画のごとく一晩中首を釣ったまま足で壁をノックし続けたりして嫌がらせをしてくる。
自分が生活していた空間を部外者に侵されるのが嫌だという気持ちは分からないでもないが、だからといってこちらも曲がりなりにも家賃を払っているし、今更別の物件を探すのも面倒なので部屋を出る気にはなれない。
それにいくら彼女が糞尿を撒き散らしたところでしょせんは霊体なので部屋は汚れないし無臭だから私は気にしない。夜は夜で彼女の壁ドンを子守唄に爆睡するくらい、私は心霊現象というものに慣れきってしまっている。
大抵の心霊現象は見尽くした感があるので、大抵のことには驚かない自信があるぞ。自分の心臓にはきっと毛がびっしり生えているだろうと自負している。
そもそも私が写る写真は回りの幽霊どもが勝手に写りこんで大抵心霊写真になるし、屋内に入れば原因不明の家鳴りやポルターガイスト現象などが起きることもしょっちゅうだ。視線や気配など些細なものも含めればそれこそ枚挙に暇が無い。
神経図太くもなろうものである。
あ。彼女がまた脱糞した。
顔を上げればぼたぼたと色々撒き散らしながら恥ずかしそうに顔を両手で覆っている彼女が見える。自分の意思でやるのはいいが漏らすのはダメらしい。実に複雑な乙女心である。
まあ、首吊りは時間の経過によって出るものが出ちゃうっていうから仕方ないよね。特に彼女の場合、死んでから発見されるまで少し時間が空いちゃったみたいだし。せっかく奇麗に死ぬ準備したのに、いくら元が美人でもこうなっちゃうと、ねえ。
「……もうやだ。首吊りなんてするんじゃなかった。別の死に方選べばよかった。死にたい」
「いやいや、お姉さんもう死んでるでしょ」
はっ。思わず突っ込んでしまった。
「……あなたも早く首を吊って死ねばいいのに。そうすればわたしの気持ちを嫌でも理解するわよ」
案の定元ホステス現首吊り死体のお姉さんは機嫌を損ねて拗ねてしまった。
私から視線を外して「呪ってやる……」とか陰気にぶつぶつ呟いている。
どうしよう。こうなるとお姉さんは結構長い間根に持つんだよなぁ。
機嫌を直してもらうために、とっておきを投下する。
「そういえば、最近になって新しい力に目覚めまして。この力を使えば、あなたたち幽霊を生き返らせることが可能かもしれません。詳しい話はまた後ほど改めてしますね」
目を丸くして動きを止めたお姉さんは、私の言葉を吟味するかのように数瞬黙りこんだ後、首を括った状態で、釣り上げられて生きたまま吊るされた魚のように暴れ出した。
「な、何ですって!? ま、待って、何それ、今話して、詳しく!」
「これからお夕飯の準備しなきゃいけないからダメです」
本当は別に構わないのだが、今言ってしまったら、お姉さんはすぐ私の失言に腹を立てていたことを思い出すだろう。
釣り餌にかかった魚は、引き上げ時を見極めるべし。
「そんな、殺生な……」
よしよし、さっきの失言はうまく煙に撒けたようだ。
情けない声のお姉さんをキッチンに残し、私は制服を着替えるために部屋へ向かった。