十五話:世界を創るにはまず知識から
数日後の日曜日、私はお師匠様のもとを訪れていた。
この辺りを管轄する退魔組織の長でもあるお師匠様は、歴史の古い旧家の出で、大都市の真ん中に大きな屋敷を構えている。
退魔組織の本部を兼ねたその屋敷には、普段から多くの退魔師が詰めている。
そういう家柄でもないのに突然霊力を持って生まれた子どもたちは、退魔師になりたいのならばここで一人前として認められるまで、長い時間をかけて霊力の扱い方を学ぶのが普通だ。私自身も一家離散してお師匠様に拾われてからは、ここに住み込みでみっちり霊力の扱い方を学ばされた。
霊の扱いに対する意見の相違で、他の退魔師たちと対立した私が屋敷を飛び出して一人暮らしを始めてからも、お師匠様の好意で私が書類作成などの事務処理をする仕事部屋だけは設けられており、仕事の際にはよく利用させてもらっている。
「お師匠様。報告と相談があるのですが」
「夜子か。よく来たの。入りなさい」
許可を得て部屋の中に入る。
部屋は純和風の和室だった。床には一面に畳が敷き詰められていて、掘りごたつを兼ねた濃い茶色の座卓が中央に置かれている。
床の間には古びているけれど骨董品としていかにも価値が高そうな壷が飾られ、その壁には立派な掛け軸がかかっている。私はよく知らないが、これも有名な水墨画家が書いた物らしい。
「報告とは、前回の依頼についてかの?」
お師匠様の声はしわがれていて、長い年月を経ていることを感じさせる。
それも当然で、今年で御歳八十歳になる。それほどの高齢でありながら未だ現役最強の退魔師と名高く、家族が散り散りになった後の私を養子として引き取ってくれた懐が深い人である。
名前を黄泉墨禅といい、見た目は一言で言えば白いひげがふさふさとした禿頭の老人だ。
退魔師としての腕は超一流で、純粋な退魔技術でいえば私など足元にも及ばない。
もともと私は持って生まれた豊富な霊力に頼ったパワー型だし、創造の力に目覚めてからは結構無理が利くようになったから一層力押しが多くなった。
別に術法を否定するわけじゃないんだけど、私の場合は単純に術法を磨くより高い霊力を生かして梔子で斬った方が早いのだ。私の霊力と梔子の霊力の相乗効果で威力が凄いことになるから。
「……そうです」
やっぱり人死にが出れば責任というものは感じるもので、自然と声が暗くなってしまう。
死後幽霊になって現世に留まってさえいれば私の力で生き返らせてあげられるとしても、完全にもとの生活に戻せるわけじゃない。
いつも私の傍にいる本人が気にしていなくても、私にだって思うところはあるのだ。
「調査の結果、犠牲者が死亡したのはわしの元に討伐依頼が舞い込む前だということが判明しておる。お主はいつも通り迅速に悪霊を討伐した。彼女が死んだのはお主のせいではない。あまり気に病まぬことじゃ」
お師匠様だけでなく、私の横でやり取りを見ていた幸子も励まそうとしてくる。
「そんなに落ち込まないでください。私はもう、自分が死んだことについては気にしてませんから」
幸子と私のやり取りに少し目を丸くしたお師匠様が柔和な笑みを浮かべる。笑い皺が目尻にくっきりと浮かんだ。
「これは驚いた。夜子は幽霊を連れるのが常じゃったから気にしておらなんだが、君は今回の犠牲者か。君には申し訳ないことをした。助けてやれずにすまんのう」
さすがの洞察力というべきか、お師匠様はひと目で幸子の正体を看破した。
お師匠様のことだから、自分が回した仕事については全て頭に入っているのかもしれない。そうだとしたら恐るべき記憶力である。
「いえ、気にしないでください。夜子さんに助けてもらったし、私、これはこれで楽しいんです。ほら、夜子さん。今日ここに来たのは私に謝るためじゃないでしょう? 本題に入らないと」
幸子は気にしていないと首を横に振って己の意思を表し、私の肩を揺する素振りを見せて私の背中を押してくる。
私は今日ここに来た理由、私が見つけた空間の裂け目の調査を依頼し、最近得た力でその空間の内部に異世界を創造しようとしていることを明かした。
「また妙なことを考えたのう。じゃが可愛い義娘の頼みじゃ。今すぐ人を向かわせよう。夕方には調査結果が出るじゃろうから、それまで屋敷でくつろぐがいい。部屋を用意させよう」
「すみません。もう屋敷を飛び出した身なのに」
「よいよい。今も昔もお主はわしの娘じゃ。遠慮する必要なぞどこにもない」
私は感謝の気持ちを込めて、静かに頭を下げた。
案内された客室に移動すると、幸子がどさどさどさと座卓の上に本を広げる。
「じゃあ、それまでお勉強ですね!」
「え」
「実はこんなこともあろうかと、勉強道具を用意しておいたんです。世界を創造するにはまず知識からですよ!」
……マジですか。
□ □ □
夕方になって、再びお師匠様の自室を訪れる。
「しんどいです師匠」
「なんじゃい、突然部屋に入ってきおって薮から棒に」
お師匠様の部屋の畳の上でぐてーっと伸びて弱音を吐く私に、お師匠様は呆れた顔を向けてきた。
「だって、待ってる間地理やら歴史の勉強やら何やら役立ちそうな知識を片っ端から無理やり詰め込まされたんですよ。そりゃ確かに必要なことですけど、本気でまるまる世界一つ作らされそうな今の勢いは正直引くんですが」
愚痴をこぼす私に、お師匠様は呵呵大笑する。
「空想したものを現実に創造してしまうなどという力を持った者の宿命じゃな。神々の御技である天地創造の再現とは、なんともはや大それたことを考えたことじゃ」
私の力について知っても、お師匠様は驚かなかった。
実はお師匠様は私に超能力が発現したことを知っていたらしい。けれど私の身辺事情を鑑みて、私が話すまで知らない振りをしていたそうだ。今でも私の力のことは秘密にしてくれている、弟子思いのいい人である。……でもどうしてばれた。
種類は違うものの、私みたいに、退魔関係以外の異能を持っている退魔師はそれなりにいるらしい。でも大体は秘匿されているらしく、また既存の超能力の域を出たことがなかったから、私みたいに根本的に逸脱した能力を持つケースは極めて珍しいのだという。お師匠様に教えられて初めて知った。
「それで結局どうなのじゃ? その異世界とやらは創れそうなのかの?」
「勉強に加えて同居人の幽霊たちがそこかしこから資料を集めてきてくれたので、おかげさまでそれはもう。私の部屋にあの空間への入り口が残ってますから、イメージさえ固まればすぐにでも創りに行けますよ」
「空間の縫い目とは、また珍妙なものを見つけたものじゃな。しかもそれを新たに創ってしまうとは。わしも退魔師の長になって長い。妙な能力に目覚めた者を見たのはお主が初めてではないが、ここまで規格外だったのはお主だけじゃぞい。こうして死人を生者同様の姿にして傍に置いていることといい、つくつく型破りな娘じゃ」
お師匠様はかっかっか、といかにも愉快そうに笑い声を上げる。
話題に上った死人というのは幸子のことだ。彼女はまだ私から離れられないので、今も私の傍にいる。昼間にお師匠様の前で喋りまくったのが今になって恥ずかしくなってしまったらしく、今はすっかり借りてきた猫ののように大人しくなってしまっているが。
自分が話題に上ったことに気付いてカチコチと擬音が聞こえてきそうなくらい固まった幸子は、逃げるように私の後ろに隠れてしまった。
背中にしがみついて縮こまっている幸子を、私は再び自分の横に引っ張り出す。恥ずかしいですぅ~とか言って抵抗してるけど、今更でしょう。
蘇生した幸子は血色も良く、生前の姿そのものといっていい。未だその死が表沙汰になっていないので両親に会ってもすぐには不都合は出ないだろうが、それでも蘇生方法が実体化である以上、生きている時のように年齢を重ねることはできない。いつかは不審がられるだろう。
そういう事情もあって、幸子は自分の意思で両親に会うことを避けている。さすがに出歩けないのは可哀想なので、千里眼持ちなどの超能力者に見つからないように私の力で創った探知避けのお守りを渡して外出も許可している。
時折寂しそうな顔をしている時もあるので、私としては両親くらいになら事情を話してもいいと思うのだが、守秘義務とかが関係して色々面倒くさく、まだ果たせていない。
「じゃが、もう少し工夫するべきじゃな。ただの生者にしては纏う霊気が強すぎるし、お主の力の残滓が色濃くこびり付いておる。今の段階でそうと分かるのは事情を知るわしくらいじゃろうが、違和感くらいなら感じ取る者もいるじゃろうて」
じっと幸子のことを見つめていたお師匠様は、私に向き直ると真面目な顔で忠告してくる。
「不完全とはいえ、死者蘇生を成し遂げてしまうとはのう。他の長老どもには知られるでないぞ。生に執着する生き汚い奴らばかりじゃからな」
「肝に命じておきます。私も面倒事はごめんですから」
そんなことになったら、いっそのこと異世界に逃げてしまってもいいかもしれない。
この世界で私の大切なものといったら幽霊たちを除けば目の前にいるお師匠様くらいだし、お師匠様は殺しても死なないと思わせるくらいとてつもなく強いから、心配するだけ無駄である。
「昼間の話じゃが、お主の言っとった場所を調べさせても何も出んかったぞ」
何気ない素振りで口にしたお師匠さまに、私は思わずぴしりと固まった。
「え!? そんなはずは。確かにあったんですよ」
「報告には何も上がらんかった。念のため周辺も探らせたが全て異常なしじゃ。となると、消滅したのか、はたまたわしらには見えん特殊なものなのか。お主の家にも残っているなら、確認しておくと良いじゃろう。制止しても無駄じゃろうから止めはせんが、くれぐれも油断せんようにな。もし異世界とやらが出来上がったらわしも招待しとくれよ。楽しみにしておるでな」
お師匠様は最後にそう言って、私に土産として醤油せんべいをどっさり持たせてくれた。
私の家のお茶請けは、概ねお師匠様の土産で成り立っていたりする。




