十二話:悪霊死すべし、慈悲はない
廃病院内を探索していた私と幸子は、霊安室の前で立ち往生していた。
他の場所はあらかた探し尽くし、残す場所はもうこの場所のみになっている。まだ悪霊に遭遇していないのと、この霊安室だけ感じる霊圧が妙に高いことが、ここに今日の討伐目標である悪霊が潜んでいることを示している。
扉を開けようとしたら、何かが引っかかるような固い感触が返ってきた。
「鍵が掛かってるわね。この先に悪霊がいるのは間違い無さそうなんだけど」
「きっと鍵なんてもう残ってないでしょうし、もう帰りませんか?」
どこか不安げな顔の幸子は、霊安室に入るのは何だか気が進まなさそうだった。
理由を尋ねても彼女自身不思議そうに首を傾げるばかりで、理由は判然としないが、この霊安室に入りたいと思うと、何だか凄く嫌な気分になるのだという。
「あなた、前にここに来たことあるの?」
「いえ、たぶんないはずなんですけど」
幸子自身納得のいかなさそうな顔だが、歯切れは悪い。
「……あの。やっぱり帰りませんか?」
どうやら本当に、幸子はここから先に進みたくないらしい。
とはいえ一度受けた依頼を放り出すわけにもいかない。そんなことをすれば信用に関わる。一度失った信用を取り戻すのは難しい。特に私の場合、多くの同業者に敬遠されていて偏見を抱かれやすいのでなおさらだ。
「悪霊がいるのは確かなんだから、それを屠るまでは帰れないわよ。それよりも、ほら。これなら鍵を探すより壊した方が早そうよ」
よく見れば、長年放置されたためか蝶番の部分が錆びて腐食している。これなら梔子で蝶番を斬ることができるだろう。
梔子を扉の隙間に突き入れ、蝶番を斬り落とす。
思い切り扉を蹴り破ると、大きな音を立てて扉が中に倒れ込んだ。
音に驚いた幸子がびくっと肩を竦める。
「ひええ。人に見つかっちゃいますよぅ」
「霊場が形成されると、中での出来事は外に伝わらなくなるから大丈夫よ」
踏み込んだ霊安室は血臭に満ちていた。
私は無言でその光景を凝視する。
元々が古い病院だったせいか、畳が敷き詰められていた痕跡があるだけの簡素な部屋だ。おそらくはまだ病院が機能していた時期はここに布団を敷いて死者を一時的に安置していたのだろう。
そこかしこにどす黒い血痕が残り、痕が最も濃い場所にはバラバラに解体された犠牲者の骸の残骸があった。
骸を見て幸子が口を押さえ絶句している。無理もない。
「憑依されてここまで迷い込まされたか、どこかからさらわれてきたのか。解体されたのは死んだ後みたいだけれど、可哀想に」
出血痕と骸の状況から見て、死後数日は経過している。死因そのものは心臓を一突きされたことによる失血死のようだ。
どちらにしろ、痛ましい最期には違いない。悪霊には人を襲った代償を払わせる必要があるだろう。
私を警戒し息を潜めて姿を隠しているらしく、霊圧が高い割には悪霊の居場所を特定できないが、梔子の前ではそんな努力は無意味に等しい。
梔子を引き抜く。
「悪霊の気配を探り出せ」
切っ先をかざすと、梔子が折れ曲がり、刀身で部屋の隅を指し示した。悪霊が動揺したのか、霊圧がわずかに揺らぐ。
超能力が脚光を浴びるようになってからというものの、幽霊の中にも超能力者が死後能力を保持したまま幽霊になるケースが増えてきているので、相手が悪霊といえど対超能力者戦を想定しなければならない。
具体的にどうすればいいのかというと、極論になるが超能力を使われる前に倒せばいい。
故に先手必勝。
私はその場所目掛け、梔子で斬り付けた。
かなりの手応え。お、こりゃ殺ったかな。
滲み出るように悪霊が姿を現したが、肩から斜めに梔子でばっさり斬られ、苦悶の声を上げている。
「確かに受け止めたはずなのに……なんで俺は傷を負ってるんだ!?」
悪霊は中年男の姿をしていた。目の前には血塗れのナイフが数本男を守るように浮いている。これがこの悪霊の超能力か。
サイコキネシス。超能力としては極一般的な能力であるが、幽霊にはポルターガイストという効果が被ったデフォルトで持つ力があるので、ぶっちゃけ幽霊としてはハズレの能力である。
「日頃の行いが悪かったんじゃない?」
苦しむ悪霊をせせら笑う。
本来痛みを感じない幽霊にも、例外的に痛みを感じる例が二つある。
一つは以前にも説明した、死後に幻痛として痛みを持ち越してしまった場合。もう一つは、梔子のような霊格の高い武装で直接霊体に傷をつけられた場合である。特に後者の場合、傷の程度によっては消滅に直結する。
そして今回の場合、傷の深さでいえば充分消滅に値する。
「ち、ちくしょう。死にたくねぇよぉ」
意外に判断が早い。それとも往生際が悪いというべきか。
胴体が真っ二つになるような傷を霊体に負いながらも、男は身を翻した。
「逃がすか!」
素早く踏み込んで梔子を振るい、止めを刺す。
愕然とした表情の、物言わず消えていく男を見詰めた。
滅して当然の悪霊とはいえ、やはり幽霊が消えるのを見るのは気持ちのいいものではない。
「……自業自得よ」
男の消滅を確認し、目を伏せる。
被害者が出てしまったことで、頭に血が上ってしまった。少し反省する。
後処理班に出動を要請し、この場の隠蔽工作をしてもらわなければならない。
あの骸の主は、これから永遠に行方不明者として扱われるだろう。
不憫だが仕方ない。表の世界に裏の世界の痕跡を残しておくわけにはいかない。表の世界の平穏を守ることは、裏の世界に生きる私たちの務めであり大原則だ。時には知らない方がいいこともある。
まあでもせめて、身元くらいは調べてもらっても罰は当たらないだろう。公表しなければ、あくまで個人的に供養するくらいなら構うまい。守秘義務は課せられるだろうが。
「どうせなら犠牲者が出る前に解決したかったわ。お師匠様もこんなことになるならもっと早く依頼を回してくれたらよかったのに」
遺体に向き直り、黙祷する。
顔を上げれば、幸子がまだ遺体を凝視しているのが見える。
その左胸から、出し抜けに血が溢れた。
「あれ?」
幸子がきょとんとした顔で己の胸を見下ろす。
「え? 何で?」
次の瞬間、幸子が悲鳴を上げて胸を押さえ、蹲った。
「痛い……どうして?」
慌てて幸子の顔を覗き込むと、脂汗がびっしり浮いていた。
唐突な事態についていけずしばらく呆然としていた私は、ようやく状況を理解した。
幻痛が再発している。でも変だ。幸子の幻痛は今も私が肩代わりしているのに!
「どういうことよ……」
とにかくこの新しい幻痛を何とかしないといけない。
幸子との間にもう一つラインを繋ぎ、痛みを肩代わりする。余計に痛みを抱え込んだ形になり、気にならない程度だった痛みが微妙に無視し辛いレベルになるが、仕方ない。
落ち着いた幸子は、呆然とした顔のまま生気の無い目で骸を見つめ、私を振り返った。落ち窪んだ目が彼女が受けた衝撃を物語っていた。
「……夜子さん、この死体は私です」
投げ込まれた爆弾は、私が想像だにしなかったものだった。
「ちょっと待ちなさい。あなた、前に心臓発作で死んだって」
慌てて口を挟んだ私の視線から逃れるかのように、幸子が俯く。
陰に隠れて彼女がどんな表情をしているのか私には分からなかったけれど、ショックを受けているのであろうことは想像に難くない。
「私の死因は、心臓発作なんかじゃなかった。悪霊に取り付かれて病院を抜け出させられて、ここで殺されたんです。思い出すのが怖かった。自分の記憶に蓋をして、心臓発作で死んだと思い込んでました」
その言葉で、不自然に思っていたことが全て繋がった。
「死因の誤認か!」
基本的には死んだ直後の姿をしている幽霊だが、その姿は幽霊本人の主観に基づいている。実際の死因と違っても、本人がそう思い込めば、気付くまではその通りの姿になるのだ。
思えばそれらしい予兆はあった。
最初に肩代わりした幻痛は心臓発作のものにしては少し変だった。当たり前だ。彼女の死因は心臓発作ではなかったのだから。
廃病院の中に入るのを怖がっていた。自分が殺された場所なのだから無理もない。霊安室に入るのを嫌がっていたのも納得だ。誰だって自分の殺害現場には近付きたくないだろう。
恐怖が蘇ってきたのか、がたがた震え出した幸子の身体を抱き締める。霊体に干渉できる身体でよかった。
「大丈夫よ。悪霊はもう消滅したわ。あなたが苦しむ必要はどこにもない」
私を見上げた幸子が、目に涙を溜める。
「そうですよね。あいつはもう、どこにもいないんですよね。……私の仇を討ってくれて、ありがとうございます」
思わず唇を噛んだ。
こちらこそ、生きている間に助けられなくて、ごめん。




