十一話:廃病院で悪霊退治
この廃病院に潜む霊は悪霊だ。それも、元々悪人だった人間が浮遊霊になって各地を彷徨いながら周囲に悪意を撒き散らす、同情する余地のないタイプ。
私に依頼をしたのはこの地方一帯の退魔師を束ねる退魔組織のお偉いさん。もちろん公にはできない非公式の組織で、実質的にはフリーランスである私も、立場上はこの退魔組織に籍を置いている。私を引き取った義理の父親であり退魔師としてのお師匠様でもあるその人は、まだ若輩者である私に経験を積ませようとこうして度々仕事を回してくれる。他人とは相容れない、霊を日常をともに過ごす隣人として許容する私のスタンスにも理解を示してくれるいい人なのだ。
同じ組織に属する他の人たちも悪い人たちではないのだけれど、霊は成仏しないのならば祓うべしって考え方の人ばっかりなので、あまり仲は良くない。というか悪い。でも仕方ない。生者と死人は相容れないというのが非日常に身を置く私たちの間の常識で、それとは違う考え方を持つ私の方が異端なのだから。
疎まれているならさっさと辞めた方がいいと思う人もいるかもしれないが、バイト扱いとはいえ命の危険があるだけあって見入りは抜群に良いから、私の中に仕事を辞めるという選択肢は今のところない。無駄飯喰らいである誰かさんたちを養えているのも、こうして働いているおかげなんだし。
「さて、と。悪霊はどこにいるのかな~?」
軽口を叩きつつ、玄関を入ってすぐの、エントランスホールだった場所で、私は辺りを見渡した。
廃病院の中は薄暗い。
時の流れによって風化した建物内はがらんとしていて、剥がれ落ちたタイルや木の破片などの建材が所々に散らばっている。
塵やごみなどと一緒に壊れたパイプ椅子なども転がっていて、なんともいえないわびしさをかもし出している。
私は持ってきた刀袋の封を解き、鞘に収められた状態の刀を取り出した。
露になった凶器を見て、幸子がちょっと怖気づいた顔をした。
「本当に刀なんですね。……実は模造刀だったりしませんか?」
自分でもそれはないだろうと思っているだろうに、諦め悪く尋ねてきた幸子に私は苦笑を返した。
「残念ながら、真剣よ。梔子っていうのが、この刀の名前。この刀が、病院に潜む悪霊の居場所を教えてくれる」
「え……教えてくれるって、どうやってですか?」
「こうやってよ」
鞘から梔子を引き抜く。露になった銀色の刀身が、暗闇の中で静かに外から差し込む光を反射する。
「梔子ちゃん。今日も頼むわ。悪霊を見つけたらいつもの通り教えてね」
刀に向かって小さな声で囁く。
見ていた幸子が困ったような顔で笑顔を取り繕う。
「えっと……刀に語りかける意味ってあるんですか?」
「あるわよ。この子は九十九神だから」
九十九神とは、長年大事に使われた物や自然に神や魂が宿ったものである。
神さびた、という言葉があるように、時経て古びた物はそれだけで神秘性を帯び、森羅万象は八百万の名もなき神々が宿る依代になる。
この八百万の名もなき神々というのは、九十九神を語る場において、いわゆる概念としての魂、つまり人知を超越した意思のことを指す。
何でも物よりも、より規模が大きい自然の方が魂が降りやすいのだとか。そして、得てして自然に宿ったものの方が九十九神としては強力なものになりやすい。
例を挙げれば、山神などに代表される自然神は、自然そのものに魂が宿った高位の九十九神の一種だ。
「この梔子はお師匠さまに貰った刀なの。様々な使い手の手を渡りながら数々の悪霊を斬って九十九神になった、いわく付きの霊刀なんですって。魂を得てからも、こうして悪霊を斬るために私たちに力を貸してくれているのよ」
歩き出すと、分かれ道に差し掛かるたびに梔子の刀身が飴のようにくねっと曲がり、方向を指し示す。
「……曲がってますね。それも物理法則を無視して」
唖然とした幸子が思わずといった様子で梔子の刀身に触ろうとしたので押し留める。
梔子は霊刀なので相手が幽霊だろうと斬ることができてしまう。うっかり刃に触れたら大変だ。
「九十九神だからねぇ。霊圧の高い場所でなら、これくらいのことはできちゃうのよ。この子の真骨頂はこんなものじゃないわ。これも機会があったら見せてあげられると思うけど」
「そ、そんな機会は遠慮したいですぅ……。だってそれって危険が迫った時ってことですよね」
嫌な予感を感じたのか慄く幸子は、ぶるぶると震えて私の背後に回りこみ、背中にぴたっと張り付く。
肩にずっしりとした重みがかかる。不安のあまり無意識に幸子が取り憑いてしまったのだろう。
「さすがに今取り憑かれるのはちょっと困るわね。退いてくれる?」
「……どうやって退けばいいんですか?」
思わずつんのめった私は、呆れて背後にいるはずの幸子に目を向ける。
「幽霊なのに憑依の解き方が分からないの? 他の幽霊たちは憑いたり離れたりいつも好き勝手してるのに」
「そんなこと言われても分からないものは分からないです。というか全然動けないんですけど。本当に、どうやったら退けるんですか?」
逆に憑依した本人に問い返されてしまい、少し戸惑ってしまった。
「私に言われてもねぇ。無理やり祓うことならできるけど、そんなことしたら消滅一直線だし。……参ったわね。まさか憑依した本人が憑依を解けないなんて、初めてのケースだわ。子どもの幽霊にだってできたことなのに」
「子どもにもできるのにできない……私って、子ども以下……」
幸子が背後でショックを受ける気配がする。
出鼻を挫くような変なアクシデンドだけど、感じる場の霊圧から推察すると、ここの悪霊はそう大した力は持っていない。これなら幸子に取り憑かれたままでも何とかなりそうだ。
そう考えた私は、幸子の憑依についてはひとまず思考を打ち切ることにした。
「ま、仕方ないわ。このまま悪霊を退治するから、あなたは終わったら私の家で他の幽霊に憑依の解き方を教えてもらいなさい」
「ありがとうございますぅ……。無理やり祓うなんて言われたらどうしようかと思いました」
びくびくしている幸子を安心させるように、私は意識して笑顔を浮かべる。
忘れがちだけど、ちょっと前までこの子は危ない状態だったんだし、ずっと病院暮らしで不憫な思いだってしてきただろうから、優しくしてあげた方がいいだろう。
「いくらなんでもそんな乱暴なことはしないわよ。悪霊ならともかく、あなたはいたって普通の善良な霊なんだから」
私の台詞に対する、幸子の反応は返ってこない。どうしたのかな、と少し心配になってきたところに、出し抜けに後ろからちょっと湿った幸子の声が聞こえてきた。
「……お姉ちゃんって呼んでもいいですか?」
この意外な申し出に、私は思わずきょとんとしてしまった。
「また随分と突然の申し出ね。理由を聞いても?」
返事には一拍の間があった。
辛抱強く待っていると、やがて幸子が意を決して息を吸い込む気配がした。
「……私、一人っ子だったから姉か妹がずっと欲しかったんです。夜子さんは私を助けてくれたし、すごく優しいから、夜子さんが私のお姉さんだったら良かったのにって思って」
沈黙を否定と勘違いしたのか、幸子は慌てて前言を翻そうとする。
「ごっ、ごめんなさい! やっぱり急にこんなこと言われたら迷惑ですよね! 忘れてください!」
ふと思い当たった。
もしかしたらだけど、この子は寂しかったのかもしれない。
ずっと病院暮らしで、両親とはたまにしか会えなくて、病院以外の世界を知らなくて、何も知らないうちに彼女は命を失ってしまった。
こうして幽霊になってどこにでもいけるようになっても、それで両親と暮らせるようになるわけじゃない。
結局、彼女は独りのままだ。
ひょっとして、私は頼られているのだろうか。
そう考えると、何だか幸子のことがいとおしく思えてくる。
「ふふ。残念ながら消せないわ。いいわよ。あなたのお姉ちゃんになってあげる。ただし、妹になるからにはお姉ちゃんの言うことはちゃんと聞くんだぞ」
あえておどけながら幸子の望みを快諾する。
返事は返ってこない。
怪訝に思った私は少し考えて、ああ、と納得した。
肩越しに、彼女の手を握る。
幽体だから、手を取ったからって体温を感じられるわけじゃない。けれどもし彼女が身体を持っていたのなら、彼女の身体は今強く熱を帯びていたことだろう。
「家族になろうよ、幸子ちゃん」
「……はい!」
感動のあまりにか、幸子が飛び上がって正面に回り、抱きついてくる。それを抱き止めながら、私は涙の滲んだ幸子の目尻を拭った。
「おめでとう。憑依を自力で解けたね」
「あ……本当だ!」
取り憑いたまま私の背後から動けなかった幸子が、いつの間にか離れている。
「何が良かったのかしらね?」
「たぶん、安心してほっとしたからかもしれません」
幸子ははにかんで、離れても握ったままだった私の手をぎゅっと握り返した。




