一話:いつかの未来と私の現状
久しぶりに訪れた世界は、最後に見た光景のままその姿を晒していた。
肥沃な大地は焼け果てひび割れて荒れ地と化し、芽吹いていた緑はもはや見る影もない。
荒廃した薄茶色の地面はところどころひび割れが走り、吹き寄せる風は冷たく乾いている。
最後に見た光景のままの大陸を、私はゆっくりと歩いていた。
生命が枯渇した、死の世界。かつての戦いの名残は、そこかしこに色濃く残っている。
全く変わっていない。全て当時のままだ。
もっとも当時とは違い、私と一緒に来た人数は増えている。正確に言えば、一人増えた。前回は私を含め六人だったのが、今回は七人だ。
「ここがお前が言っていた異世界か。……随分と荒廃しているな」
前回は来なかったどころか、この世界の存在すら知らなかった男が、私の隣で目を見張った。
「仕方なかったとはいえ、最後の最後に自分の手で壊しちゃったからね。でも、もっと早いうちに来たかったなぁ」
当事者としては、荒れ果てた大地を他人に指摘されるのは辛い。私自身、早く戻りたかったのだからなおさらだ。
「お前は脳筋だから仕方ない。約束を果たせるだけ努力したことを今は誇るべきだろう」
相変わらず慰めているのか馬鹿にしているのか分かりにくい台詞にイラッとするが、すぐに私の怒りは苦笑に変わった。
たぶん、彼は不器用なりに私を慰めようとしてくれているのだろう。それが分かる程度には、私と彼の仲は深まっている。
「奇麗な光景だね。とても幻想的だ」
荒れた大地の上をゆらゆらと小さな光が無数に待っているのを見て、隼人兄さんが感嘆の声を上げた。
「そうね。これがなんなのかを考えなければだけど」
樹理亜姉さんが手を差し出すと、宙を舞う小さな光が、いくつもその手のひらに群がる。
「こいつら、まだこんなに残ってるんだな。もしかして、夜子との約束を覚えてるのか」
悪ガキである孝太も、空気を読んでか神妙にしていて騒ぎを起こす様子はない。
蛍のような光が舞う光景を神妙に見つめている。
「きっとそうだよ。むしさんたちにもこころがあるんだよって、ずっと昔にママが言ってた気がする」
遠い昔の記憶に思いを馳せ、みかちゃんが小さな光を見つめ、懐かしげに微笑んだ。
幸子がみかちゃんを背後からそっと抱き締める。
抱き締められたまま、目を真ん丸くしてみかちゃんが幸子を仰ぎ見た。
「どうしたの? 幸子お姉ちゃん」
不思議そうな表情を浮かべる美香ちゃんに、幸子ははにかんだ笑みを浮かべる。
「いえ、ただ、こうしたくって。……嫌ですか?」
「いやじゃないよ。あったかいもん」
抱き締められたみかちゃんが、幸子の腕の中できゃっきゃと笑った。
あったかい、というみかちゃんの言葉が、胸につんときた。
みかちゃんの気持ちを私は想像することしかできないけれど、少なくとも過去に下した自分の決断が、間違いではなかったことを実感する。
後ろからみかちゃんを抱き締める体勢のまま、幸子は目を閉じた。
「温かいです。私も。こんな風に過ごせる日が来るなんて、生きていた頃は思いもしませんでした」
語る幸子の表情には、安らぎがある。
自分の足で、どこにでも行ける。
私たちにとっては当たり前のことが、幸子にとっては当たり前ではなかった。
時代は彼女たちを置き去りにして、時の流れは常に一方向に流れて決して逆には流れはしない。だからこそ皆、過ぎ去った過去を懐かしむ。
昔を懐かしむのは女子どもだけじゃない。
隼人兄さんも懐かしげに目を細め、目の前の光景に見入っている。
「懐かしいね。終戦直後もこんな感じだったよ。もっと大小入り混じってたけど」
旧日本軍の軍服に身を包んだ隼人兄さんは、懐かしげに目を細めた。
昔のことを思い出しているのかもしれない。
「夜子。そろそろいいんじゃないかしら?」
樹理亜姉さんが手を振って光を散らす。
散らされた光は、しばらく戸惑うようにゆらゆらと揺れると、再び樹理亜姉さんが纏うドレスに群がった。
名を呼ばれ、私は頷いた。
「そうですね。感傷に浸るのは、これくらいにしましょうか」
名残惜しさを感じながらも私は皆から目を背ける。
辺りを見渡せば、他にも小さな光が蛍のように辺りを飛び回っている。
これらは皆、虫たちの魂だ。
ただの虫の魂と侮るなかれ。
一寸の虫にも五分の魂という言葉がある通り、一つ一つは小さな命でも、放っておくと集まった怨念が核となって大きな霊障を引き起こす。
彼らは私が創った命たちだ。それを葬ったのが私なら、生き返らせるのもまた、私である。
責任は果たさなければならない。
「……待たせてごめんね」
そっと呟くと、辺りに散っていた虫たちの魂が私の下へ集ってくる。
彼らは生きている頃と変わらない無邪気な様子で、私を迎えてくれた。
ふわふわと舞い踊る光。
慈愛の心を込めて、幻想的な光景に向かって手を伸ばす。
祈りを胸に。
私は力を解放した。
□ □ □
超能力が社会に正式に認知され、専門の研究機関が設立されるようになって幾星霜。
研究が進んだ今では人工的に才能を開花させることすら可能になり、人類は新たな時代を迎えた。
人は皆超能力を持つのが当たり前になった。それは念動力であったり、読心力であったり、人によって目覚める能力は様々だったが、ただ一つ共通するルールがあった。
それは、得られる超能力は一つである代わりに、一つの方向に特化しているということだ。
個人によって同じ能力者でも力の差はあるが、努力と金とある程度の運さえあればどうにでもなる問題だった。
時代の波は私たち退魔師にも押し寄せ、多くの退魔師はこぞって超能力を得ようと動いたが、元より霊力という異能を操る私たちは、何故か超能力を新しく発現させることが出来なかった。
原因を探った先人たちは、最終的に退魔師が持つ霊力が、超能力の一種だからなのではないかと結論付けた。
一人の人間に目覚める超能力は一つだけ。
なるほど、それなら私たち退魔師が超能力に目覚めないのも道理だ。
霊力を持たない他の超能力者が、誰一人として幽霊に干渉するどころか、知覚すらできなかったことも、その結論を後押しした。
元より人知れず命を賭けて戦うことで、人の世を守ってきた私たちである。
超能力社会から弾き出されたところで、退魔社会は何も変わらない。
表向きの生活を送る傍ら、退魔師たちは密かに退魔業に勤しんだ。
私もまたその例に漏れず、数多の超能力者たちと同じ学校に通いながら、裏では退魔師として働いている。
霊力以外の超能力は幽霊には効かず、また霊力を持つ者にしか霊を自在に見ることはできない。
そのため一般的に霊力はいまだにオカルトの範疇を出ず、私たちは表向き無能力者ということで通っている。
別に無能力者だと思われることに不満はない。
私にとって、力を持つということは厄介ごとを背負い込むということと同義だからだ。
そもそも、己の内に溢れる霊力というものを、初めて自覚したのはいつだったか。
物心ついたときにはもう、私の目は幽霊の姿を鮮明に捉えるようになっていたから、たぶんその頃だとは思う。
ごく普通の家庭に生まれた私は、目覚めた霊力の扱い方なんて知らなかった。
だから朝目を覚ませば天井から半透明の女が首吊りした状態でぶらぶら風もないのに揺れていたり、外を歩けば交差点で事故死したらしい幽霊が、ぐっちゃぐちゃな当時の姿のまま近くの電柱に供えられた花を見て呆然としているのに遭遇したりなんていうことはしょっちゅうで、見えるだけならまだいいものの、私は彼らの声ならぬ声まで拾ってしまっていた。
彼ら彼女らの中には同情を禁じ得ない可哀想な体験の末に幽霊になったのもいて、見慣れない幽霊が途方に暮れているのを見かけると、ついつい無視できずに世話を焼いてしまう私は、いつも様々な幽霊に好かれ、文字通り憑き纏われていた。
今思えば、慕われて満更でもなかった私の態度も悪かったのだと思う。
私の家に憑いてくる霊まで出てきてしまって、それ以来私の家はことごとく面白愉快なゴーストハウスと化した。
別に私はそれでも良かったのだけれど、幽霊が見えない家族にとっては彼らが起こす騒動は、理解が及ばない恐怖以外の何物でもなかったらしく、度重なる怪奇現象で私の家庭は崩壊してしまった。
もともと家族には霊力を持っていたせいで薄気味悪がられていたとはいえ、それでも明らかに異常な私を研究所に突き出すようなこともせず、精神病院に入れることすらせずにいてくれた家族は、間違いなく私に愛情を注ごうとしてくれていたのだろう。
手遅れになる前に自ら出て行かなかった自分を、今では少し後悔している。
そんな経緯で、今は紆余曲折を経て退魔組織に身柄を引き取られ、幽霊たちを同居人に一人暮らしをしている。
かつて私が家族と住んでいた家は、今では訳あり物件として価値が暴落しているらしい。
自分のせいで、家族とついでに関係のない不動産業者まで不幸にしてしまった。
これが、私が表向き無能力者のままでいたいという理由だ。
「……のはずだったんだけどね」
独り言のように、ぼやきが口から漏れてしまうのも仕方がないというもの。
霊力だけでお腹いっぱいだというのに、何故か私だけ定説に反して、最近妙な超能力に目覚めてしまった。
超能力に関しては、金を積んで人工的に才能を植えつけるのが今の主流だが、私はもちろん手術を受けた覚えは無いし、そんなことができるほどの金もない。
なので間違いなく、目覚めたのは天然の超能力だということになるが、それは霊力を持っているから超能力に目覚めないのだという退魔師の常識から反しているし、この力はどういうわけか霊体に干渉することができるので、超能力では霊体に干渉できないという事実にも反している。
こうなると、私が霊力だとばかり思っていた自分の力は、目覚めた力のあくまで一部でしかなく、私の本当の力は霊力でも超能力でもない別の何かだということにでもしないと、整合性が取れなくなってしまう。
それはそれで大問題なのだが、それ以上に問題なのは、目覚めた私の超能力(正確には違うのかもしれないが便宜上そう呼ばせていただく)があまりにも規格外すぎるということだ。
誰しも一度は想像したことがあるのではないだろうか。
ピンチの時に現れて助けてくれるヒーロー。
自分だけの白馬の王子様。もちろんイケメン。男性諸君には花も恥らう可憐な王女様でもいい。
ぼくのかんがえたかっこいいひっさつわざ。
ぼくのかんがえたさいきょうのぶき。
中二病に含まれるものから、乙女のたわいない妄想まで含まれる、大雑把に定義すればいわゆる空想に類別されるもの。
本来ならば本人の脳内にのみ存在し、誰も見ることも触ることもできないもの。
それを、何故か私だけ現実に創造できるようになってしまったのだ。
具現化ではなく、創造である。
自然現象などは言うに及ばず、例えそれが命や意思がある生き物であっても創れちゃうのである。
しかも一度創ったら、その生き物は死ぬまで消えないし、死んでも死体が残るのである。
もはや規格外というレベルでは済まされない。
これではまるで神様みたいじゃないか。
嫌だ。
面倒事の臭いしかしない。